彼女は、意外としっかりしている様に見えて、やっぱり抜けてると思う。
1つ上のなまえは、寒咲よりも1年多くこの自転車競技部のマネージャーをしているというのに、まるで寒咲が先輩のように感じる事が少なくない。
「なまえ」
『なになに、手嶋くん』
「ボトルの数、足りてない気がするけど、ちゃんと数えたか?」
『あれ、うそ? ごめん、洗い場に忘れてきたかも!確認してくる!』
「あ、まぁ後でいいから数確認しといてくれ」
『はーい』
「手嶋さん、ちょっとなまえのこと甘やかしすぎじゃないですか?」
『え、』
「今泉……いたのか」
いたのか、そう呟いた手嶋さんは、バツが悪そうに視線をなまえにズラした。
これからのなまえのことを思って無意識にそうさせるのか、意図的にやっているのか分からないが、その行動が余計に癇に障る。
そもそも、この部は全員なまえに甘すぎる。俺たちは王者になったのだから、サポートする側もしっかりして貰わないといけない。
『ごごめんね!すぐ、確認してくるから!』
この場の空気に耐えられなかったのか、なまえがいつもより大きな声を出して走っていった。少し上擦ったその声を聞いた瞬間、またやってしまったと思ったが、時すでに遅しとはこういう事を言うのだろう。
……だけど、油断すると俺まで甘やかしてしまう。そう思って厳しくしてしまってから、いつも言いすぎたと、後悔するの繰り返しだ。それに、きつく当たるのはもう一つ理由がある。
『ごめん、やっぱりあったよ!……って、あれ? 手嶋くんは?』
「手嶋さんなら青八木さんと練習に出た」
『あ、そっか』
「……」
『あの……ごめんね』
「なんで謝るんだよ」
『だって、私がおっちょこちょいだから、俊輔くんに迷惑かけてる』
伏し目がちに言う彼女はやはり、全然分かっていない。俺が言いたいのはそういう事ではないし、彼女や部のことを思って発言しているように見せて、本当は自分のためなのが恥ずかしくなってくる。
本当に、自分のためではなく彼女を思ってなら、いつも後で後悔することはないだろう。
「俺の方こそ、悪かった」
『へ……? なんで?』
「いつも、もっと優しく言おうと思うのに厳しくしてしまう」
『でもそれは私のため、でしょ? それ位はいくら私がバカでも分かってるつもりだよ』
「そうじゃない。いや、それもある。だけど、それのせいにして俺は……」
『どういうこと?』
「……嫉妬してる」
『嫉妬って誰に?』
「いや、だから……そのな……手嶋さんがなまえに甘いのとか、鳴子が妙に馴れ馴れしいのとか、……田所さんに触らすのとか…」
自分でも段々声が消え入りそうになるのが分かって、耳が熱くなる。いや、耳だけじゃなくて、顔も身体も、全部。
突き放したり、きついことを言ったり、思ってもないことを口走ってしまうことは簡単なのに、どうして本当の事を伝えるのはこんなに苦労するんだろうか。
『俊輔くん、私に注意する時いつもそんなこと思ってるの?』
「…………」
『それは、ちょっと嬉しいなぁ…』
なまえの言葉に驚いて、さっき逸らしてしまっていた目線を思わず合わせてしまった。
彼女の表情は、びっくりするくらいに綺麗な弧を唇で描いている。嬉しい、と言った言葉に嘘はないようだ。
嬉しい……、それはそういうことなのだろうか。
『俊輔くんは、嫉妬しちゃう自分が嫌なのかもしれないけど! 私は単純に嬉しいよ? もちろん、私が鈍臭いのとか、おっちょこちょいなのはいけない事だと思うけどね』
「いや、じゃないのか」
『もちろん。 俊輔くんは私が妬きもち焼いたら嫌?』
「……嫌じゃない、むしろ、」
そういうことか。
自分が妬くだなんて、考えただけで嫌悪感に押し潰されそうになるが、妬かれることは嫌じゃない。むしろ、嬉しいかもしれない。
だからと言って、自分のこの気持ちをポジティブに考え直すことは出来ないけれど。
それでも、なまえが言わんとすることは理解できた。
『私は、幹ちゃんみたいに知識もないし、だからと言って雑用だって幹ちゃんよりスピードも遅くて手際も悪いから、皆がフォローしてくれる。誰も怒らないし、優しい。でも、唯一怒ってくれたり、注意してくれるのは俊輔くんだけだから、それが嬉しいよ?』
「怒られたり、厳しくされるのが、か?」
『うん。そりゃあ、怒った俊輔くんはちょっと怖いけど、俊輔くんって本当にどうでも良かったら何も言わないし、気にもかけないでしょ? だから怒られるのが好きなんじゃなくて、俊輔くんに気にかけてもらえてるってのが嬉しいよ?』
敵わないなぁ、と喉まで出てきたが、それはなんとか飲み込んだ。
だけど、俺はこういう所に最初から惹かれていたからこそ、今一緒にいる訳で、手が掛かる所も可愛いと思ってしまうのは贔屓目なのだろうか。
もちろん、手が掛かって可愛いって思うのは俺だけであって欲しいとは思うけど。
「あっち〜な!なまえ!俺にも新しいボトルくれ!」
『田所先輩……!引退したのに練習付き合ってもらってありがとうございます!』
「走らないと身体がなまるし、飯の美味さが半減するからな!」
『はい、田所先輩はこれ使ってください』
「おう!助かったぜ!じゃあな」
突然現れて、嵐のように去っていった。
それが可笑しかったのか、くすくすとなまえが笑った。嵐みたいだったね、と俺と同じ事を言うのが堪らなく嬉しくなってしまう。
『俊輔くんも、行かなくていいの?』
はい、と俺のボトルも渡された。それを受け取って、ようやく重い腰を上げる。
腰は重かったが、気持ちは何故か清々しい。何故か、ではないか。恥だとしても、思っていることを伝えるのもたまには良いのかもしれない。俺の黒い部分も嫌な部分も、なまえなら、なんだそんなこと? って笑ってくれる気がする。
「なまえ、」
『ん? なに?』
「……好きだよ」
『え、…………え、』
なまえの頬がみるみる紅く染まっていった。動揺するなまえをそのまま置いて、部室を出る。
……戻ったとき、彼女はどんな顔をしているんだろうか。もしかしたら、今日は俺が怒られてしまうのかもしれない。
でも、それはそれで楽しそうだな。
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