いってらっしゃい、と見送ったのはもう2カ月近く前のことだろうか。
暑かった夏も、厳しかった残暑も終わり、秋らしくなっても、ウボォーギンは帰ってこなかった。
ヨークシンで何かあったのか、ナマエは幾度となくそう考えたが、あのウボォーギンに限ってそれはないだろう、と思い直すことの繰り返しだった。殺そうと思って殺せるような人間ではないということは、一般人のナマエでも容易く理解できた。しかし、連絡は一切取れなかった。

あ、まただ。
気付けば、スーパーで無意識に2人分の食材をカゴに入れてしまう。2人分、と他人が聞けばびっくりするような、ホームパーティー用か大家族なのかと思われそうな量の買い物。慌てて、大半の物を陳列棚に戻すが、ふと、手が止まる。
自分は、捨てられたのだろうか。何度も頭を過るの言葉。そんなわけないと、払っては浮かんで、浮かんでは払いのけての繰り返し。
ウボォーギンのことを信じているつもりだったが、彼に何かあったと考えるよりは、捨てられたと思う方が悔しいけれど、道理だった。

本当なら、一緒にいて、一緒に悩んで、一緒に買い物して、一緒にご飯を食べて、ただ、普通の生活が出来るだけで良いと思っていたのに。
あの相手にそれを求めるのが酷なのは、ナマエも理解していたが、理想と現実とは中々合致するものではないと知っていたし、理想を語るだけならば容認されるとも、思っていた。

『今日はやっぱり外で食べよう……』

ウボォーギンがいなくなってから、一ヶ月が過ぎた頃からナマエの体調が優れない。恋仲になった人と、別れることなど初めてではなかったが、こんなに長く食欲がなくなるのは初めてだった。
自分が、こんなに弱い人間だったなんて、思い知らされたようで、なんだか悔しくて虚しかった。

カゴの中身を全て返して、ミネラルウォーターを一本だけレジへ通してもらう。シールだけ付けて貰ったものを鞄にしまい、店を出た。
暦の上では、もう秋だというのにまだ残暑が続いているため、外へ出ただけでじっとりと汗が滲む。
ナマエは、鞄からハンカチを出して、額にそっと充ててからゆっくりと歩き出した。



「あ、すみません」

ドン、とすれ違い様に知らない人と肩がぶつかった。それでも、ナマエの身体は慣性の法則に従い進もうとして、上半身と下半身が互い違いでバランスを崩し、よろけた。
転ぶ、そう感じて目を強く閉じたが、衝撃は襲ってこず、右腕に鈍い痛みを感じるだけだった。その痛みが人の握力だと気付くのには、そう時間は掛からなかった。

「大丈夫ですか」
『あ、はい……すみません』

ナマエの腕を掴んでくれていたのは、ぶつかった男だった。掴まれた腕から相手の肩へ、そして顔へとゆっくりと視線を移す。
その男はがっしりとした腕からは想像のつかないような端正な顔立ちをしていて、童顔な顔つきは身体の大きさがなければ少年でもギリギリ通ってしまいそうな雰囲気をしていた。

「俺としたことが、ぼーっとしてたかも。ごめんなさい」
『いえ、私もぼーっとしてたから……』
「じゃあ、おあいこということで」
『そうですね』

お互いの顔を見合わせたところで、ナマエの唇から吐息が漏れた。なんだか、可笑しくて思わず笑ってしまった。なんだろうか、気のせいかもしれないが、あの男と似た臭いがする。そう感じた。
隠しているのか、それとも普段からこういう雰囲気なのか、そこまではナマエには分からなかったが、その男の纏う危険な臭いはウボォーギンを連想させるには充分だった。

「じゃあ、俺はこれで……人のこと言えないけど、気をつけてね」
『はい、ありがとうございます』

似ても似つかない風貌の男と別れを告げて歩き出す。数歩だけ歩いたところで、携帯を取り出して履歴の一番上の番号をコールする。今なら繋がるような気がした。
繋がらなかったらもう諦めよう、捨てられれたのだと認めようとナマエは思った。短い期間ではあったが、ウボォーギンが1度いらないと思ったものを考え直すような男ではないこと位は分かっていた。
万が一、いや億が一、あの男に何かあったとして、それを知る術など1つも持っていなかった。
ただ1つ、このコールする番号以外は。


「もしもし」
『……あなた、誰?』
「俺はシャルナーク。君は?」
『わたしは……ナマエ』

繋がるような気がした。その直感は当たっていた。なのに、聞こえた声は別人で。それを察してしまった瞬間にナマエは自分が持っていた淡い期待が、音を立てて崩れていく様が見えたような気がした。
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