ずっと、目を背けていたことにようやく向き合えるようになったのは、どれくらい前のことだったか。きっかけが残暑のような秋の、あの日だったと言えることだけは明確だったが、それ以上考えることは、やめた。
明確な答えを出したところで、過去に戻れる訳でもなければ、現実が変わる訳でもないことをナマエは知っていた。

カラン、とグラスに入った氷と氷がぶつかる音がして、約束の時間が過ぎていることに気づいた。彼と会うのは2度目。偶然、それとも運命と呼ぶ方が合っているかは分からなかったが、あの日ぶつかった青年とウボォーギンの電話を持っていた男は同一人物だった。それを知った時、1度は驚きはしたが、何故か嬉しかった。
似ても似つかぬ風貌の男なのに、ウボォーギンを連想させた自分の感覚は合っていたと。短い期間ではあったが、彼といた時間は、ただ傍にいただけではなかったと肯定された気がしたからだった。
ナマエは、それだけで良かった。告げられた事実は、予想していたものと同じだったということ以外、深く知りたくもなかったし、捨てられた訳ではなかった。その真実だけで充分だった。だから、それを正直に告げて、彼も肯定の返事をしただけ。それで、2人の繋がりは終わった。……はずだった。

「ごめん、お待たせ」
『大丈夫です、そんなに待ってないんで』
「そう? それなら良かった」
『それで、今日はなにか?』

知らない番号から電話が掛かってきたのは3日前。ナマエは、知らない番号の不在着信は折り返さない主義だったが、コールに気付いたものに関しては出るようにしていた。携帯電話越しに聞こえた声は名乗らなくても、雰囲気で彼とすぐ分かった。そして、そのまま呼ばれるままに指定されたお店へやってきた。
会いたくない気持ちも少なからずあった。彼に会えば、自分でも気づかない内にしまい込んだ感情を、露見させられてしまうような気がしたから。

「今日呼んだのは、コレを渡したくて」
『なんですか、それ?』
「多分、君へのモノだと思う」

テーブルの上に置かれた小さな包み。これがウボォーギンが?と、首を傾げたくなるほど可愛らしい装飾がされている。でも、これを自分のために用意してくれたウボォーギンを想像すると自然と笑みがこみ上げてくるのが分かった。
ナマエは、そっと包装紙を破らないように封を開けた。

「ウボォーはさ、君のこと本気だったんだね。それ、最近見つけたんだ。遅くなってごめんね」
『……いえ、ありがとうございます』

綺麗な、指輪だった。
びっくりするほど、センスの良い、ナマエ好みの。邪魔にならないくらいの小さなめのトパーズがはめ込まれていた。センスなさそうなのに、こんな指輪どこで買ってきたのだろうか。丁寧に保証書まで付いていることに驚いたけれど、それには持ってきた本人の方が驚いたようだった。

『本当にありがとうございました。こんなの、私に渡さなくても分からなかったのに、わざわざ……』
「渡さなかったら、俺がずっと引き摺っちゃいそうだったから。君のためというより、俺と、……ウボォーのためかな」
『いえ、それでも。嬉しいです。……じゃあ私、すみませんけど用事があるので、』
「あ、うん。来てくれてありがとう」
『はい、シャルナークさんもお元気で』

もう会うことはないだろう、住む世界が違うのだから。その意味を込めて、別れを告げてからナマエは立ち上がろうとしたが、急に立ち上がった反動で視界が歪んだ。ああ、貧血だったのに油断した……と思った時には、既に身体が傾いていて、体勢を直すのは咄嗟に無理だとナマエは悟った。

「あぶなっ、と」

咄嗟に転倒を感じ、受け身をとったナマエだったが、痛みが襲ってくることはなく、直ぐにシャルナークの、顔に似合わない逞しい腕に支えられていることに気付いた。

『……あ、ご、ごめんなさい』
「これくらい、なんてことないよ」
『ふふ、ありがとうございます』
「それより、君……もしかして」
『じゃあ、私はこれで!』

シャルナークの視線が自分の腹部に向いていることに気付いて、ナマエは慌てて鞄を持ち直して足早にテーブルを離れる。きっと聡い彼は、気づいてしまっただろう。少しだけ出っ張り始めた腹部を隠すような服装をしているため、見た目ではそう気付く人も多くない。ましてや、彼は男性。
でも、それは見た目の話で。転倒しそうになって、咄嗟に手を出さず、腹部を抱えるような体勢をとるということに、行き着く答えは1つしかなかった。
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