03
「私まで隠れる必要あった?」

声をひそめて問いかけると、新開は困ったように笑って、同じくひそめた声でごめんと謝った。つい反射的にな、とそんな顔で言われたら、それ以上強く言えないあたり私は新開に弱くて、新開もそれを分かっててやってるから小狡いと思う。気付かれない程度に小さく溜息を吐いてから、しょうがないなぁと呆れれば、待ってましたと言わんばかりに新開の口角が上がった。

「でも、逃げるなんて珍しいね。東堂くんと違ってスルースキルの高さが売りなんじゃないの?」
「今日は無理にでも連行されそうな雰囲気だったんだ」
「連行?」
「カラオケに連れて行かれそうになった」
「あ〜、新開音痴だもんね」
「そう、だから行くわけには……って違うだろ」
「あはは、新開のノリツッコミなんてレアだね」

東堂くんと同じく、ファンクラブが存在するほど新開は人気者だけど、東堂様と騒ぐファンクラブの子たちと、新開のファンは毛色が全く違う。東堂くんは黄色の声援を送られるアイドルというか、芸能人みたいな騒がれ方をされてるのに対して、新開は大人数から片思いのような気持ちを馳せられていると言ったらいいのか、なんというか、ともかく新開ファンの方が拗らせてる印象が強い。
でも、そんな彼女たちも、当の本人のスルースキルによって普段は特に何かを出来るでもなく、ただただピンクの視線を送ったり挨拶したりくらいが関の山のはず。それが今日に限って珍しく実行に至ったということなんだろうか。

「今日天気が荒れてるからな」
「……あ、もしかして部活なくなったってこと?」

考え込んだ私を見て、新開は答えではなくヒントを呟いた。うちの自転車競技部の強さは、誰もが周知の事実。だからこそ、そうそう部活が休みになったりなどしない。実際のところ、部活がなくなったり出来ないような天気であっても彼等は自主練をするのだから、時間を費やすという意味ではほとんど変わらないのだと思うけれど、部活があるのとないのでは、彼女達の認識は全く違うということなんだと思う。
そこまで思考が行きついたところで、廊下からバタバタと足音が近付いてくる。数分前に咄嗟に隠れた空き教室に私達は居るわけだけど、ドアを開けられたら一発でバレてしまう。自分が追いかけられてるわけではないけれど、状況が状況なのでドキドキと焦る。この教室の中でさらに身を隠した方が良いんじゃないかな、と提案しようかと口を開いたタイミングで手首を掴まれた。

「来てくれ」

新開も焦ってるせいなのか、今までで1番強い力で引っ張られて思わず声が出そうになったのを飲み込む。ここで痛いなんて言ったら、本気で謝ってくるのが容易に想像できてしまうあたり、大切にされているという自覚があるから質が悪い。こんなこと、ファンの子たちにバレたら大変なんだろうなぁ、と思う。

「ねぇ、このへんで見失ったよね?」

どきん、と心臓が飛び上がった。声がこの距離感で聞こえたということは、近くに迫ってる。早くしなきゃ、と隠れれそうな場所を探そうと辺りを見渡す。
定番のロッカー?でも1人しか隠れられないか……って思ったところで、今度こそ私まで一緒に隠れなくてもいいんじゃないかってことに気付く。私だけなら見つかっても言い訳できるし、適当なことを言って誤魔化す方が作戦としては賢い気がする。

「ねぇ、新開」
「しっ、静かに」

提案しようと開いた口は話しきる前に制止され、次の瞬間、新開の空いていた方の腕に身体ごと腰を引かれて、端に置かれていた教卓に押し込まれる。何が起きたか認識するより先に、ガラッとドアが空けられる音と、数人の声が響いた。さっきの子たちだ。隠れるのがもう数秒遅かったら、2人でいるところを見られていた。ホッと胸をなで下ろそうとして、新開との顔の近さに気付いて思わず声が出そうになる。

「いないじゃん」
「え〜、一体どこ行っちゃったんだろう。学校からは出てないよね?」
「あっちの方も探してみよう」

ぱたぱたと走り去る音を確認して、私の口から新開の掌が離れる。声が漏れそうになった私に当てられた手は、大きくて骨張っていて、自分のものとは全然違うのを痛感させられる。それに、新開の匂いがしてドキドキした。

「悪い、苦しかったか?」
「大丈夫、だけど」
「だけど?」
「……近い、ね」

こんなに密着したのなんて初めてかもしれない。触れることは幾度となくあったけど、こんな風に狭い空間に2人で入って息がかかりそうなほど身体がくっつくなんて、普通なら有り得ない。だから、心臓がバクバクと脈打っても、耳まで真っ赤になった顔をしていても、それは不可抗力のはず。

「ドア、開けっ放しで出ていったから、もう少しだけ待ってから出るか」
「……うん」

だから、無意識に掴んでしまってるシャツもしょうがないってことにしといて。

(新開さんと教卓に隠れたい)

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