「なまえ、聞いてるんですか」
「……あ、ごめん、聞いてなかった」

そう正直に言うと、その返答が気にくわなかった永四郎の眉間に皺が寄る。今の動作に擬音があったとしたら、ピキッという音だと思った。それほどに、眉間だけでなく表情も相当険しいものになっていた。
そこで初めて、失敗したかもしれないなぁと後悔の念に苛まれそうになったけど、この人相手に誤魔化しったってどうせ結果は一緒か、って気付いたところで諦めがついた。ううん、むしろ適当に合わせてバレるよりかは幾分かマシなはず。

「自分の非を潔く認めるところは、褒めてあげましょう」

ほらきた、予想通り。わたしの選択肢は正解だった、と口角が上がりかけて慌てて気付かれないように顔を背ける。笑ってるところなんて見られたら、今度こそ逆鱗に触れてしまうかもしれない。危ない、危ない。……と、安心しかけたところで顎に痛みが走った。そして次の瞬間、永四郎の顔が目の前に拡がる。

「……顔、近すぎじゃない?」
「おや、それは俺を意識してると?」
「そういうわけじゃ、ないもん」

永四郎の人差し指と親指で顔を固定されてるせいで、顔を動かすことが出来なくて、目線だけ反らしてみるけど、赤くなった頬は隠せない。それを分かってて、楽しそうに目を細めて私を見下ろすなんて、本当に性格が悪いと思う。そんな相手にドキドキしてる私も私なのかもしれないけど、からかうのも大概にしてほしい。

「さて、話を戻しましょう」
「……で、なんなの?」

ようやく離された顎を擦りながら、離れた永四郎の顔を見上げる。

「うちの部費の報告書が出ていないと、生徒会から指摘がありました」
「……あ」
「あ、じゃありません。あれほど期限内に出すようにと、間に合わないようなら早めに相談しなさいよ、と伝えたはずですが」
「う、うん、そうだね」
「忘れていたとは言わせませんよ」
「覚えてたよ、覚えてた。……先週までは」

そこまで言って、永四郎のこめかみに青筋が走るのが見えて言葉に詰まる。馬鹿正直すぎたかもしれない、と今度こそ後悔する。提出期限を勘違いしていたとか、出したと思っていたとか、そういう事にしておけば良かった。事実、あとは間違えがないかチェックして出すだけのところまで仕上げてある。
永四郎があれほど、と言うとおり何度も確認されたからこそ、出来てないなんて言おうものなら……と想像するのも怖くて、早めに仕上げてしまったことが、あだっとなってしまうなんて間抜けもいいところ。

「いつ、出せるんですか」
「明日には」
「どこまで出来てるんですか」
「いや、出来てはいるんだけど……家にある」
「そう、わかりましたよ」

ぎらりと鋭い眼差しで睨まれて、ひっ、と声にならない吐息が出た。永四郎に怒られることは初めてどころか、少ないことでもないけれど、いつでもこの獲物を狩るような目をされるとさっきとは違った意味でドキドキしてしまう。

「……ごめんなさい」
「今さら謝ってもらっても、提出遅れを戻すことはできませんから謝罪は結構です」
「え、でも……」
「とりあえず謝っとけば許してもらえるという感覚が許せませんよ、俺は。それに……もともと、許すつもりなんてありませんから」

……へ?と、間抜けな声が出て、これまた間の抜けた顔で見上げれば、妖しい笑みを浮かべた永四郎の腕が伸びてきた。……あぁ、彼には到底口でも策でも、もちろん力でも敵わない。悔しいけれど、そう悟って、抵抗することは諦めた。今日は分が悪そうだから。

いまさら謝ったって遅いですよ。
もともと許すつもりなんてありませんから。


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