なまえはうんざりしていた。
それもこれも、全てあの大男のせいだ。大男ではなく巨人と言っても差し支えはないだろう強靭そうな身体、耳が痛くなるようなバカでかい声、センスの欠片もない服装、そして一向に酔わないざるのような飲み方。どれをとってもなまえの嫌いなタイプの人間だった。

「なまえちゃんごめん、いつもの頼んで良い?」

店のママが申し訳なさそうになまえの耳元で囁いた。今ほどまで、彼女が相手をしていたのは例の男。何を指しているのかすぐに理解できた。

「まだ、なんですか?あの人」
「うん、底なしみたいね。もうロックでガンガン出しちゃおう。1番安くて強い、あの悪酔いするやつボトルごとやっちゃって良いから。ウイスキーにしてもらおうかな」
「……わかりました」

普通のお客さんには出さない、酔い潰し用の強くて安くて不味いお酒がバックヤードに置いてある。それを取りになまえは店からドア1枚隔てた暗がりへ入った。頻繁に使うものではないため、元々在庫をたくさん用意してはいなかったが、抱えたボトルが最後だったので、忘れない内に同じくバックヤードに置いてある発注書に数字を書き込んでそれから明るい店内へ戻った。それからカウンターの後ろの棚に並んでいるたくさんのボトルから、店で1番上質のウイスキーを取って、少量だけをショットグラスに移して棚へ戻す。グラスに入れたウイスキーに小指をちょんちょんと付けて、ウイスキーを舐める。
……さて、この味を忘れないうちに。口に広がる濃いお酒の味、鼻から抜ける香りをそのまま頭に思い浮かべて、先ほどのお酒のボトルへ手をかざす。

私の好きな味デザート・スイーツ――

この不味いお酒がウイスキー味に変わったのか確認したいところだったが、そんなにお酒に強くもない自分が悪酔いするわけにはいかない、と止めた。センスの良いママが選んだウイスキー用にしている小ぶりのピッチャーに注いでから、カウンターの内側に隠してある数種類の食用色素の茶色を取り出し、少しだけそれに混ぜる。そしてグラスにかち割った大きめの氷を2つ入れて、トレーに乗せた。

「なまえちゃん用意出来たらこっちへ持ってきてもらえる?」

タイミングを見計らったかのように、テーブル席からママが声を掛ける。ママには悪いが、出来るだけ近づきたくない。が、それはきっとママも思ってることだろう。そう考えるとまともに相手をしていない自分は幾分もマシで、これくらいの手伝いをしたってバチは当たらない。そう自分を納得させて、少しばかりいつもより重い足取りで店内の端にあるテーブルへと向かった。

「お待たせしました」
「待ちくたびれたぜ、さっさと注いでくれ」
「……あ、はい」

お運びだけで去ろうとしていたなまえに向かって、その男はすかさずグラスを向けた。捕まってしまった……と、焦ったが既に手遅れだった。視線でママが頑張って!と言ってるのを見てため息を吐きかけたが、間一髪でなんとか飲み込み引き攣った笑顔を浮かべて隣に腰かける。結構な量を既に飲んでいるはずなのに、まだほろ酔いくらいにしか見えないその大男は空いていた左側に座ったなまえに気をよくして、腰を抱いて引き寄せる。遠慮ではなく自分への精神衛生上のために空けた30センチの距離は3秒も持たずにゼロになり、驚いて思わず顔を見上げてしまい意図せず見つめ合ってしまった。

「……お前誘ってんのか?」
「は?ちょっ……」

急に後頭部を掴まれ何かが触れた。頭が真っ白になるよりも先に鼻と口から入ってくるどぎついアルコール臭に嗅覚がイカレそうになり、相手が客なことも忘れ突き離そうと腕に力を入れたが、ビクともしない。そうこうしてる間に舌が入れられ恋人同士がするような深い口づけを強いられた。唇を離した時、糸が引くんじゃないかと思うくらい経験したことのない長さと乱暴さで責めたてられ、解放された時には何も言えず放心した。声も出ないくらいに驚いているのは#name1#だけではなく、反対側に座っていたママや店内の他の従業員や居合わせた客も、茫然と2人の事を見ている。しかしそのことに全く気付かない男は、何も言わず黙っているなまえを見て満足そうに陽気に笑った。

「ほら、酒だ酒!」
「……あ、はい」

数秒時間が止まったように固まったなまえだったが、考えるよりも先に差し出されたグラスを見て反射的にお酒を注いだ。なみなみ注いだところでようやく怒りのような感情がこみ上げてきて手が震えたが、ゆっくりテーブルにお酒を置いてから両手を重ねて自分を落ち着かせる。客だから、ではなく純粋にこの男に勝てる訳がなく、下手に気に入られては困る、穏便に終わらせたいという理性からの行動だった。

「この酒、お前が何かしたのか?」
「不味かったですか?」
「……いや、うめぇな」
「良かった、うちのお店のウイスキーでは1番良いやつなんですよ」
「なぁ、お前も一緒に飲め」
「いや……私はウイスキー苦手なので別のお酒いただいても?」
「おう、いいぜ」

危うく自分が作ったウイスキー味だが、実際はアルコールが強いだけの不味いお酒を飲まなくてはいけない所だった。はっきり言ってなまえでは1杯どころかグラス半分も飲み切るが先か、意識を飛ばすが先かというレベルの代物だ。考えただけで嫌な汗が背中を伝ったが、あっさりと了承してくれたことに安堵して、いつも客に付き合うときに飲んでいるカシスリキュールのボトルを取りに向かう。実際の中身はお酒ではなくシロップを入れ替えてあるため、飲んでも酔う事はない。そして片手にボトルの瓶、もう片方にグラスを持って、一刻も早く潰れろという気持ちを押し殺し、戦場に向かう戦士のような気持ちでもう1度男の隣に腰かけた。

「女ってそういう甘い酒好きだな」
「えぇ、まあ。お酒に強くないってのもあるんですが、お客さんはすごく強いですね」
「まぁいつも浴びるように飲んでっからな。それよりお前名前なんていうんだ?」
「……なまえです」
「なまえか、俺はウボォーギンだ!よろしくな」
「ウボォーギンさん、では乾杯しましょう?」

よろしくなんてしないけど、と心の中で悪態を吐きながら含み笑いを浮かべて、炭酸で割ったシロップのグラスとウボォーギンと名乗る男のグラスでこつん、と音を鳴らした。

「で、この酒には何がされてるんだ?」
「……毒でも入ってるかって?」
「毒くらいなら構わねぇけど、俺に殺意持ってるって言うんなら困る」
「構わないのに殺意は困るんですか?」
「俺を殺そうと挑んでくるやつは山ほどいるけどな、そうそう俺に勝てる奴なんていない。だから毒くらいに怯えない主義でな」
「じゃあ困るというのは?」
「そりゃあ、口説きたい女が自分に殺意持ってたら落とす以前の問題だろうよ」
「確かにそうだと困っちゃいますね」
「そうだろ?で、酒なにしたんだ?」

話をずらそうと試みたなまえの策略は、敢え無く撃沈に終わった。図体ばかりでかいだけで頭は良くなさそうと、印象で決めてしまっていたことに後悔する。なまえが思った以上にこの男は頭の回転が早いようで、逃げる隙を与えず攻めてくる。

「……陰で隠したんだけどなぁ、酔っ払ってるのにさすがですね」
「あったりめぇだろ、酔っててもおかしいと思ったら凝、基本ってもんだ」
「そうですね。でも残念、毒なんか入ってないですよ。本当は安いお酒を、1番高いお酒の味にしただけです」
「へぇ……変化系の能力か」
「えぇ、そうですよ。私の思い通りの味に変えれるんです。でも、変えられるのは味だけ。本来の成分は変わらないので、入れた毒の味を誤魔化すことは出来ても、能力で毒を入れることは出来ません」
「なるほどな」
「味は良いでしょ?」
「あぁ、確かに美味い」
「でもいつもこの能力使ってるわけじゃないんですよ。ウボォーギンさんは特別」

貴方は特別と言われて、気分を悪くする人は少ない。それを分かっていてそういった言い回しを選んだ#name1#だが、ある意味では本心であり決して嘘ではない。実際、規格外のこの男に特別という言葉が響くものか分からなかったが、少なからず自分に気があるのは明白であり、プラスに作用しなくともマイナスにはならないだろうと思っての発言だった。どうか気分を良くしてもっと飲んで、早く潰れてくれ。そればかりを願って、さりげない上目遣いも合わせて。しかし、それがまたこの男を煽るには充分なことに気付くことは出来なかった。

「……やめた。今日はそのまま帰ってやろうと思ったが、止めだ。やっぱり欲しいもんは盗っていくことにするぜ」
「は?」

不適な笑みを浮かべたウボォーギンに、本能が嫌な予感を感じたが、時すでに遅し。ぐい、と腰と後頭部を引き寄せられ、抵抗する間もなく再度口付けられると同時に咥内に液体が流し込まれる。それが何かは瞬時に理解できたが、飲み込みたくない気持ちとは裏腹に口は塞がれたままで、否が応にも飲み込むしかなかった。鼻に抜ける香りはウイスキー、しかし中身は……。

やられた。単純に力でねじ伏せることも出来るだろうに、あえて自分の念が仇となるように返されるとは。なまえの自尊心を傷つけるようなやり方に苛立ちを覚えたが、それは束の間で段々視界が霞むのと比例して思考も鈍っていく。アルコールが自分の感じる強さと、身体に回る強さと違うというのはこんなにもおかしな感覚なんだと今さらなまえは知った。この後自分がどうなるかは麻痺し始めた脳でも容易く想像できたが、回避する術はなく、落ちていく瞼と消えそうな意識の中で出来たのは未だ咥内に居座る異物を思いきり噛むくらいだった。それがなまえが出来る唯一の抵抗であったが、意識を手放す最後の瞬間に見えたのは、血が滲んだまま嬉々として舌舐めずりをするウボォーギンだった。


企画:Marker Maker様提出
念発案者:しろ様(LiMb)

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