約束の時間なんてもう随分前に過ぎた。降水確率は30%って天気予報で言っていたのに、なんだか雲行きも怪しくなってきた。いい加減諦めて帰れ、って事なのかな。
私も、そろそろ潮時なのかもしれない。頑張った、それでもダメだったのならそれはしょうがない。
……本当は知ってた、最初から。自転車に乗らなくなった時も、そのきっかけのレースも、見てた。1年の時からずっと好きだったから。でも、この片想いは叶うことも、伝えることもなく終わると、そう思っていたのに。頑張ろうと思うきっかけをくれたのも隼人くんだった。隼人くんが、もう一度自転車に乗ってレースに出たから、私も一度だけでも頑張ってみようって思えた。私のことなんて何とも思ってないって分かってたけど、少しずつ隼人くんに近付けてるんじゃないか、自惚れてもいいんじゃないか、いつか想いが届くんじゃないか、なんて思ってた。……知ってたのに、彼が優しさを装うのがとても上手な人だって。私の前では素をだしてくれてるような気になってただけだったんだね、本当は。
突然突き付けられた現実は、どうしようもなく悲しくて分かってたつもりなんて、ただの強がりで、それを突き付けられて涙が出た。それでも、来ないと分かっていて約束した場所へ来て、時間がすぎても帰ることが出来ないのは未練がましすぎて、自分でも滑稽だと思う。
「なまえ、」
遠く小さく名前を呼ばれた気がした。一握の期待で辺りを見回したけど、見覚えのある人は誰もいなくて、空耳だと分かったら馬鹿みたいで可笑しくなってきた。
……帰ろう。
駅前の大きな時計台の針は6時10分を指していた。……来るわけないのにね、あんなにきっぱりと突き放されたのにバカだよね。
*
小さくなまえの姿が視界に入って、名前を呼んだ。なまえは少しだけ辺りを見回したけれど、俺に気付くことはなく立っていた場所から離れていく。待って、そう呟いたけれどそれこそ届くはずもなく、遠くなっていくなまえとの距離を埋めたい一心で走るスピードを上げた。
もうすぐ追いつく、そう思って手を伸ばすのと同時に、触れるのより少しだけ早くなまえが不意に振り向いた。
「え」
「……隼人、くん」
触れるより先に振り向いたのはなまえなのに、驚いた顔をして俺の名前を呟いた。
「なんで、隼人くんがいるの?」
「なまえこそ、こんな時間まで待ってたのか?」
「……うん、来ないと思ってたけど」
「なまえこそ、来てないと思った」
「でも、来てくれたんだね」
ありがとう、そう言ってなまえが笑った。
笑ったのに、ぽろりとなまえの目から涙が出てきていて思わず息をのんだ。
「ごめん……俺、」
「ううん、大丈夫、分かってる」
「え…?」
「最初から私知ってたんだ、隼人くんが私のことなんて何とも思ってないことも、女の子の前では優しいふりをしてることも、なんでうさ吉を飼ってるかも」
「え、……なんでそれ、」
伏し目がちに小さく、消え入りそうな声でそう言ったなまえにドキっと心臓が脈打つ。
どういうことなんだ?喉まで出た言葉を発するか迷っていたら、またぽつり、ぽつりと小さな声で話しだす。俺は耳を傾けることしか出来なくて、何も知らずにいたことが恥ずかしくなった。全部知ってて、分かってて、それでも離れずに一緒にいてくれてたのに俺は、
「…ごめんね、だから、今日来てくれて嬉しかった、……今までありがとう、…ばいばい、』
「待って!」
俺が何も言わない、言えないから、なまえはそう言って無理に笑顔を一瞬だけ作って踵を返した。慌てて腕を掴めばなまえは立ち止まってくれたけど、俯いたまま振り向いてはくれなくて、こっちを向いて欲しくて俺は後ろからなまえを抱きしめた。
「違う、違うんだ、俺はなまえの言うとおり最初はそうだったかもしれない、でも……今はなまえのこと、」
「……はや、とくん」
「いつの間にか好きだった、この前のは、ただの嫉妬だったんだ。……ごめん」
「……うそだぁ」
「本当。信じてほしい、とゆうか……最初からやり直したい」
「……やり直す?」
そっとなまえの肩を抱いて俺の方を向かせれば、ようやく俺を見てくれた。涙はもうこぼれていないけど、赤くなった目が少し痛々しい。
「なまえのことが好きです。俺と、付き合ってください」
「……う、そ」
「本当。今度は、信じてほしい」
「信じられないよ……だって、」
「好きなんだ。嘘じゃないよ、今度こそ」
「…………」
「なまえ?」
「……った」
「え?」
「……わたしこそ、ずっと好きだった、よ」
朱色に頬を染めたなまえが嬉しそうにようやく頷けば、堪らずに俺の腕の中になまえを閉じ込める。
そういえば、自分から告白するなんて初めてかもしれない。いつも言われて付き合って、フラれて、の繰り返しだったから。こんなに好きって伝えるのは大変なことだったなんて俺は今まで知らなかったな。女の子はすごいな、そう呟けば不思議そうな顔と声が返ってきたけど、このことは内緒にしておこうか。
そっと、なまえの手を取って繋げばすっかり冷えていてひんやりとした。ごめん、と呟けば何が?となまえは笑う。……これからは泣き顔じゃなくてこの顔だけ見ていきたい、なんてちょっとキザなことを考えてしまったけど、それもそっと胸の中だけで思うことにして、何でもない、となまえの手を握って歩きだした。
偽り王子の憂鬱
君には最初から偽りも何もなくて、ただの新開隼人だったんだな。
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