先日押し倒されてから、一カ月が経とうとしていた。あれからというものの、樹くんからのアピールがとんでもなく激しいことが最近の悩みの種である。ことあるごとに私のオフィスへやってきては、もちろん仕事のことが優先ではあるものの仕事の話が終わると口説き始めるのだ。口説く、というのもおかしいのかもしれない。何しろこっちは恋愛なんてしたこともない、今までずっとペルソナ関係のことに費やしてきた初心者も初心者である。でも、こう、なんていうか、すごい優しい目で見てきたり、ほめたり、やさしくしてくれたりと、もう、ああ、この人と付き合ったら絶対に幸せにしてくれるんだろうなとか、愛されるんだろうなとか、そんなことを思わせるような態度なのだ。しかもそれをきっと本人は無意識でやっている。目や態度に関しては、だけど。狙ったように私を照れさせるときも多々あるのだけど、大部分が素でやってのけている。なんだこのイケメンは恋愛力高すぎだろ。と毎回思うのだ。
 それに毎朝のお弁当にしたってそう。私が家に帰れても深夜で、次の日朝早く出勤していてごはんもろくに食べない日が多いことを知った樹くんは自分のついでだからとお弁当を毎日作って持ってきてくれる。さすがにこれは申し訳なくて、一回私がお弁当を作って樹くんに持たせねばという気持ちにさせられているのだけど、樹くんのごはんがおいしくてそれも憚られる。私が作るものなんてただの一般人の一般的なものだから、こんな、神様みたいなおいしさのごはんに太刀打ちできる気がしないのだ。

「……だめだ……毎日樹くんのこと考えてる気がする……」

 シャドウに関係する事件の書類をまとめながら、ため息をつく。そう、今まさにそっちのほうで忙しくて休む暇がないのは事実で、お弁当なんて作ってる暇もなければごはんを作って食べる暇もない。出勤の途中にコンビニでパンくらいは買うけどそれでも食べるのを忘れることは多々あった。まあそのたびに上司が「これたべていいの?」なんて言いながら私のたまっていくパンを食べてくれていたのでそれはよしとしよう。きっと私と同じくらい忙しいであろう上司の糧になってくれてありがとうパン。

「はあ……ルブラン行こうかな……」

 ここ一週間くらいは行っていない。情報収集に行くというのももちろんあるしそれが大前提ではあるのだけど、定期的にマスターの顔見ないと私たぶん栄養失調で死ぬ。ナイスミドルはかなり少ないのだ。優しくしてくれるおじさんは多いけど性癖にヒットするおじさんというのは本当に少ない。その点で言えば堂島さんや黒澤さんは本当に素敵なおじさんだし、ルブランのマスターもかなりの素敵なおじさまである。「おじさん補給にいってきます」と、これまた私と同じく書類に埋もれて顔すら見えない上司に言えば「はあい」と死にそうな返事が返ってきた。大丈夫なのかあの人。まあ返事があるということは意識があるということなので、そこは気にせずに私はカバンをもって夕方の街へ出た。
 ルブランへ行くのはたいていが夕方以降、閉店ぎりぎりの時間だ。そのほうがあそこに出入りしている”重要参考人”と会える確率が高いのもあるし、なにより昼間よりも人の出入りがあるのがいい。それとカウンターに座る人が少なくてマスターを独占している気分になるのも最高にいい。こんなスパイみたいなことをするのはかなり気が滅入るのだけどそれも仕方のないことではある。もしも危険そうなら手助けが必要だし、シャドウワーカーには連絡しているので最悪のことにはならないだろうけど目は多いほうがいいだろうし。

「こんにちは!」

 ルブランに入ると、お客さんは誰もいなくてマスターがテレビを見ているだけだった。珍しいなと思っていつもの席に腰掛けると、マスターが「久しぶりに顔見た気がするな」と肩をすくめる。一週間が久しぶりなんてマスター!すき!!と心の中で大声で叫んで「ちょっと仕事がいそがしくて」とうつむく。にやけた顔を見られるわけにはいかなかった。がんばれわたし、全力で自分の顔面をたもて!

「そうか。いつものでいいか?」
「あ、おねがいします!今日はお砂糖ありで!」
「はいよ」

 いつもので通じるマスターも好き……。これも心の中で思って、マスターが背中を向けた瞬間に手を合わせて拝んでおいた。なんて癒される空間なのか。いや、上司もまあいい線いってるおじさまだけどいかんせん毎日一緒にいすぎて感覚がマヒしている。あと私に投げてくる仕事の量がえげつない。あっちもあっちで今はシャドウ関係の仕事に追われてるのはわかるから文句は言わないけど。

「そういや、前言ってた弁当のやつとはどうなんだ?」
「うえ!?!?い、いいいいきなり何、って私マスターに言ったっけそれ!?」
「いや、前美人と来た時に話してただろ」

 あっゆかりちゃんと来たときか!なんてこった聞かれてたなんて……いやこの店内でしかもカウンターで話してたら聞こえるにきまってるわそりゃそうだ。あの時相当私まいってたのマスター見てるからわざわざ聞いてくれたってことだよなあマスターなんて優しいんだろう最高だわ。弁当のやつとはどうなんだ、ときかれて、少し考える。どうなんだ、と聞かれても優しすぎて困惑しているとしか言いようがない。

「あの、えーっと……なんか、会うたびにやさしいっていうか」
「へえ?」
「優しすぎてびっくりしますよマスター!しかも、あ、この人これ素だわ……って思うし!」

 ことん、とマスターが私の前にコーヒーを置く。相変わらずいいにおいのそれに口をつけて、一息ついた。クールダウンクールダウン、落ち着け私。

「優しくしてくれるんならいいじゃねえか」
「い、いや、そうなんだけど、なんていうか、こっちがそういうのに慣れてないし、どうも照れるっていうか……」
「学校は共学だったんだろ?モテたんじゃないのか?」
「いやいやまさか!……寮も男女共同だったけど、なんか、そういう感じじゃなかったしなあ」

 あの頃の寮は本当にビジネスライクっていうか。秋くらいから少しずつ仲良くなっていってたような気もするけど、寮はそんな感じじゃなかった。私もあの頃は湊にくっつきっぱなしでほかの男の子に興味も全くなかったし。八高のほうもそんな感じなんだよなあ。いや、あっちは本当に仲間であってそれ以上でもそれ以下でもないっていう。

「中学も高校もそういうのとはちょっと縁遠くて」
「ふうん、周りに見る目がなかったんだな」

 これマスターとの距離が縮まってきてるんじゃないのかと思うようなセリフを吐くマスターに、いやだめだ勘違いするなと自分を落ち着ける。どうも素敵なおじさんから言われる言葉には心がおおいにゆれてしまう。

「だから今混乱してるって?」
「そう、それ!混乱、も、してるし、こう、好き……?な人に向ける視線ってあんなにこう、とろけそうな感じなのかとか」

 樹くんから向けられる視線を思い出して、頭を振った。今思い出したらだめだ。いやでもよくよく考えると告白みたいなことをされる前からもあの目で見られていたんだろうか?思い出そうとして、そういえばそうだったかもしれないと思うとデスクで悶えた二の舞になりそうだったからなんとかそれを頭から追い払う。

「とろけそうねえ」

 若いな、なんて言いながらマスターが笑う。な、なんで癒し空間で私は自分の首をしめるような恋愛相談をしているんだ落ち着こう。話題を別のところにもっていかないとここで照れて死んでしまうということになりかねない。

「ま、ますた」
「その視線の意味に気付いて、とろけそうなんて思うってことは、自分の気持ちにも気づいてるってことなんじゃないか?」
「……ま」

 マスター、そう呼ぼうとしたら、からんからん、と喫茶店のドアが開いた。お客さんナイスタイミング!と思うとマスターが「いらっしゃい」と声をかける。ちらりとお客さんの顔を私も見てみれば、そこには少しだけ照れたような顔をした樹くんがいて、私の思考が完全に停止した。それから10秒くらい見つめあってから、私が盛大に椅子から転げ落ちる勢いで立ちあがって、喫茶店のはしっこまで下がった。

「い、いいいいいい、い、いつきく、えっなん、まっ」
「勤務時間中にどこ行くのかと思ってついてきたんだよ」
「いやあのなんで」
「また変な事件にでも首突っ込んでんのかと思って」

 言いながら、樹くんは私が腰掛けていた椅子の隣に腰掛けると「おすすめひとつ」とマスターに言う。マスターはマスターで「はいよ」と少し面白そうに笑ってコーヒーを落としだした。だめだ思考が全くついていかない。なにごとだこれは。

「い、いや、今日はただの……い、息抜き、だけど」

 さすがに仕事だというわけにもいかなくてそういうと、樹くんは「わかってるよ」とやっぱり照れたように言った。あれ、これもしかしてさっきの会話丸聞こえだったとかそんなオチでは?なんて思って、そろそろと近づいて樹くんからひとつあけた場所へと座ると、むっとしたような顔の樹くんがひとつ椅子を詰めてきて座った。

「ちょ、ちょっと待って」
「待ってる」
「待ってない!」
「うるさいぞ、静かにしろって」
「い、いつきくんがくるからでしょ!?」

 真っ赤になって言えば、樹くんが少し嬉しそうに笑う。

「俺のせい?」

 その視線がひどく優しくて、さっきマスターに言ったとろけそうな視線なことに気付いて、私は思わず言葉につまった。視線の意味に気付いて、とろけそうなんて思うってことは、自分のきもちに気付いているんじゃないか。さっきマスターに言われた言葉が頭の中を通り過ぎていく。いや、でも、そりゃこんなの、わかるでしょ。それに自分の気持ちって、そりゃ……。
 そこまで考えて、もしも万が一億が一陽介に同じようにされたら、と考える。けど、ここまで挙動不審になるかと言われたらそうじゃない気がした。まあ陽介で想像するのがよくなかったな。仲間以下でも以上でもないってさっき言ったばっかりだからわかりづらいのかもしれない。次、と思ってふと出てきた駿くんで考える。……いや、まあ、照れるけど、ここまでではない気がする。挙動不審にはなるのかもしれないけど、駿くんから逃げようとかは絶対に思わないであろう。

「……い、樹くんのせいしかないじゃん……」

 こぽこぽ、とコーヒーを落とす音に消されそうな声でそう言えば、樹くんが私を見ながら、そりゃもうこれでもかというくらいの王子様みたいな笑顔を浮かべた。

戻る