ちとせがこのテレビの中にいて、しかも入ってきてから眠ったまま起きないと放送室で聞いてから、肝が冷える思いをした。けど、すべてが片付いたあとに彼ら――このテレビの中で今まで戦ってきたペルソナ使いのリーダーらしき男子生徒――鳴上君に背負われて屋上へとやってきたちとせを見て、ああ、なるほどと思う。
ちとせもまた彼らとともに戦ってきたのだろうと。ラビリスもついてきているのを視界にとらえ、無傷なのも確認する。とりあえずは安心できた。ちとせを背負っている鳴上君のまわりにいる少女たちも、口々にちとせを心配するような声をかけているのが少し遠くからでもよくわかった。
「ちとせ」
ラビリスを操っていた"犯人"からなんとかラビリスを開放し、各々もとの場所へ戻ろうと話をしたあと、鳴上君に背負われているちとせへ近づくと、ちとせは泣いているらしく、私を見るなり「ねえさん」と舌ったらずにいう。まわりの少年たちが「姉さん……!?」と口々に言うのを聞きながら内心だけで苦笑をした。
桐条と名乗ってはいるものの、桐条グループの人間だとは思われなかったということか。白鐘君だけは少し複雑そうにしていたものの、それでもちとせを見つめる瞳には"本当だったのか"という言葉が見て取れた。
さすがに背負われていると話しづらいと思ったのか、ちとせは自分の足で地面へおりて、ふらつきながらも私の前へと歩いてくる。
鳴上くんは心配そうにしていたが、私がちとせをを支えてやれば、ちとせは「ねえさん、ごめんなさい」と謝った。何をあやまる必要があるのかわからず、むしろ謝るのはこっちのほうだと口をひらきかけたら「夢をみてて」と小さな声で言った。
「――夢?」
「ラビリスの、記憶だと思う。なんか前にも、メティスと会った時になった感じで」
メティス。懐かしい名前に記憶をさかのぼる。確かにあの時のちとせも、なぜかぐったりと眠ったまま動かなくなったことがあった。彼女のペルソナがそうさせているのだろうとのちの検査でわかったものの、いまだ詳細は不明の現象。今回もそれになった上、夢を見た?しかもラビリスの記憶だという。
ラビリスが作り出したこの場所が影響したのか、もっと別のことが原因なのかは今の情報だけではわからないが、ラビリスの記憶を見て、そのためにちとせは泣いているのだろう。ちとせがなくところなんてほとんど見たことがなかったためにどうしてやるのがいいのか、と思うが落ち着けるように頭を撫でてやれば、ちとせはすがるように私に抱き着いた。
「ずいぶん衰弱しているな。――明彦、ひとまずちとせを連れて帰ろう」
「ああ、わかった。ちとせ、抱えるぞ」
「うん……アキさん、それより、恰好が奇抜、すぎて、すごい……」
「舌をかむぞ」
ひょいと軽々ちとせを抱えた明彦に、数人がぎょっとしたような気配をさせる。その中でも鳴上くんが「あの、ちとせは」と控えめに質問を投げてきた。ちとせをどこへ連れていくのか。暗にそう尋ねられた気がして、ああ、と小さく息を吐いた。
「別荘、と言ってもなんだな。今ちとせが住んでいる家に運ぶだけだ。安心してくれ」
「そうですか」
見た夢が相当なものだったのだろう、ちとせは明彦に抱えられてなおまだ泣き続けているし、ラビリスを支えているアイギスも心配そうにちとせを見ている。
アイギスでこの状態なら、間近で見ていた彼らに心配するなというのが無理な相談だろうが、今は「心配するな」というしかない。そう言葉にしてから、彼らの不安の色がぬぐえていないのをなんとなくわかって、さっき明彦がちとせを抱えたときに不安そうにした数人を考えて、ああ、と理解する。
私たちにとって、ちとせがそばにいるというのが自然なように、彼らにとってもまたちとせがそばにいるというのが自然なのだろう。それを急に現れた私たちが横からさらうような形になれば、心配や、さみしさといったものは発生してくる。ちとせも、私たちのことを彼らに話してはいないようだし、シャドウワーカーからは敢えて離していたのもあるのだろうが。
「ちとせの意思に反して、ちとせをどこかへ連れて行ったりしないさ。君たちと引き離すようなことはしない」
言えば、今度こそ安心したような空気が彼らの間に見える。ちとせは嗚咽をくりかえしながら「ごめんね」となんとか言って、明彦に抱えられるがままテレビの中から出た。
案内するというちとせだったが別荘の場所は覚えているのでとりあえず寝ていろと言ってリムジンへ乗せ、ちとせの家へ向かう。リムジンに乗ったままだった山岸が「ちとせちゃん!」と慌てたように近づいたが、ちとせは「ふうかちゃんのこえがする……」とぐったり言っただけだった。
途中で負けたにしろ、私たちでもテレビから出た瞬間にかなりの疲労を感じた。あのテレビの中負荷のかかる夢を見て、起きてからも泣き通していたちとせの精神的疲労も計り知れない。それに話を聞けば、久慈川くんと同じタイミングか、もっと早くにあの中に入っていた可能性がある。今までずっと戦っていたちとせとしても、消耗は激しいだろう。
座席に明彦が寝ころばせると、ちとせは当然のように明彦の膝に頭を置いて目を閉じる。「かたい……」と泣きながら言ったのを最後に、そのままちとせは眠りに落ちてしまったが。
「弱ってるのかいつも通りなのかわからんな」
苦笑いをする明彦だったが、ちとせという人間はいつだってこうだろう。今は夢が原因で泣き通しているのだろうが、心配させまいと軽口をたたく。有里が亡くなったときもそうだった。つとめていつも通りにふるまっていたし、軽口もいつものようにたたいていた。
泣いているゆかりや伊織を慰めているのが、見ていて痛々しいほどに。けど、葬儀の直前になって髪の毛を切ってきたのには驚いたか。本人は思いつめたような目をして「けじめなんだ」と言っていたのは、もうずいぶん昔のような気がする。
それからずっと髪は短いままだったのに、今日あったちとせの髪は、肩口につくくらいまで伸びていた。いい傾向なのかは判断しかねるが。
泣いているせいでまともに言葉をかわしたわけでもないが、それでも以前――有里が亡くなってすぐのころに比べると、安定しているのかもしれない。目もあてられないほどに、ちとせは見えないところでショックを受けていた。
「いい仲間ができたんだな」
小さく、エンジンの音に消されるほどの声量で言ったそれは、アイギスの耳にも明彦の耳にも届かなかったらしい。
その夜、ちとせは長く会話ができるような状況にはならなかった。目は時々さめるものの、声をかけると「うん」「ありがとう」「わかった」くらいの反応は返ってくるがそれだけでまた眠りに落ちることを繰り返していた。
アイギスが一晩そばについてくれていたらしいが、夜中もその調子だったのだという。目を覚ましたラビリスもちとせがラビリスの記憶を見たことを聞いてから、一緒になって見守っていたらしい。「ウチの記憶を見たんやね」と悲しそうに言ったラビリスの表情は曇っていた。
さすがにこの状態のちとせを置いていくわけにもいかない。一度"専門"の医者にみせるべきだろう。そう思って、ちとせが起きている一瞬に、向こうへ行って医者に見せること、体調が回復したらゴールデンウィークが明ける前にはこちらへ戻ることを伝えたら「おっけー」とゆったりとした返事が返ってきた。
ちょうどいいことにラビリスが"仲間"へお別れを言いたいとのことで、彼らにもちとせをつれて行くことの説明をしておくべきだろう。
先に車へ乗り込んだアイギスが彼らの電話番号を調べ、ラビリスがかたっぱしからかけていくのを見ながらも、眠ったままのちとせは起きる気配がない。つい二時間ほど前に起きたときに「顔がやばい」と一言言って、自室にあるアイマスクをつけるとまた眠ってしまったが。
撤収の準備を隊員がする横で、明彦がちとせを車へと運ぶ。シートへ横たえると目が覚めたのか「んん……?」とうなって、それからアイマスクをずらして隣に座るアイギスを確認したら、そのままアイギスの膝へ頭を置いた。
「ちとせさん、わたしの大腿部は真田さんより硬いので、膝枕には向かないと思います。風花さんのほうが柔らかいですよ」
「ふふ、アイギスってば」
そう言いながらもアイギスはよけてやるつもりはないのか、また眠りに落ちたちとせを頭を軽く撫でて、次の電話番号をラビリスへと告げた。山岸はそれを見て、少しだけ笑うと持っていたブランケットをちとせへとかけてやる。
昨日もそうだったが、こうしてちとせが甘えるのは、かなり珍しいことだった。有里が亡くなったときですら甘えるということはしなかったのに。
桐条へ養子に来てから、ちとせは髪を茶色に染めた。もちろん短く切ったのもそうだが、それが彼女なりのけじめのつけ方だったんだろう。
養子の話が出た時から、ちとせはずっと桐条の名に恥じないようにしていたのを知っている。今もきっとそうだろうが、成績にしろ、外国語にしろ、経済学、その他諸々のしなくてもいい勉強にしろ。
中学の頃から、今でも、きっと人知れず努力をしているのだろう。今後の進路はどうするのか、シャドウワーカーに本人は入るつもりがあるらしいがそれでも、学生でいるうちは。ただの普通の子供としていられるうちは、何も知らずにいてほしいというのが私の願いでもあったのだが。
だが、この市の調査もそうだが、言えなかったこともきっと多かっただろう。私たちもちとせに調査の依頼などはしなかったし、ちとせもそれをわかってか、なにも言ってこなかった。そこだけは、もっと気にしてやればよかったと思った。ペルソナやシャドウが関わっている時点で、ちとせが関わっている可能性のほうが高かったのだが、それとなく聞いても、何も本人が言わなかったからすっかり安心してしまっていた。
ちとせを養子にするというのは、生前のお父様の意見でもあったし、それを実行することになんのためらいもなかったものの、こうして桐条の名前を背負わせることで巻き込まれなくていいことに巻き込んでしまうことが増えていくかもしれないのは、ひとつの悩みだった。
ちとせの母親が、勘当されたとはいえ桐条の長女だったというのを調べたお父様が、身寄りのないちとせを引き取ると言っていたのはちとせが寮に入ってくる前だっただろうか。ペルソナの能力もあって、影時間への適正もあることがわかったとき、お父様は巻き込むことを悩んでおられたけど――結局はちとせが協力するといってきかないためにそれを許したのだ。
中学に在学中に養子にむかえるとちとせにも私にも言っていたのは、もう、何年も前のことなのか。高校を卒業してからというもの、時間の流れがあまりにも早く過ぎ去っていく。そんな感覚になっていたが、それも気のせいではないらしい。
ラビリスが指定した場所へ車をつければ、そこにはすでに昨日会った面々が集まっていた。車からおりてこれからのことを話すラビリスを見ていた鳴上くんが、ふと気づいたように車の中を見て、眠っているちとせに気付いて「ちとせ」と驚いたように名前を呼んだ。
それからすぐにアイギスが人差し指を唇にあてるようなしぐさをすれば、彼らは驚いた声を飲み込むようにして車の中、眠るちとせを見る。
「もしかして、ちとせちゃん起きないんですか?」
そう尋ねてきたのは天城くんだった。不安そうな表情のそれに「いや」と一度否定をする。起きないわけではないが、起きている時間が極端に短い。
その旨を彼らへ伝え、とりあえずそれ"専門"の医師に診せることを説明すると、全員が安心したように肩から力を抜き、それからすぐに残念そうな表情になる。
「せっかく悠がいるのにな」
「でも心配だし、診てもらったほうがいいっしょ」
「ちとせには起きたときに説明はしている。早く戻れるように私も尽力しよう」
見たところ外傷もないし、心因的な問題で疲弊しているだけだとは思うが、検査をしてみないことには何もわからないのも事実だ。それよりもちとせが何も口にできていないというのも問題で、とにかく点滴でもしてやらないことには体力ばかりを消費してしまう。
ふと、鳴上くんがどこか複雑そうにちとせを見て、小さな声で「甘えられる場所があるんだな」と言った。その言葉だけで、ちとせはここでもあまり甘えないのだろうということは理解できて、しかし昨日の様子を思い出して、私は思わず口元をゆるめていた。
甘えられる場所、というのならば確かに私たちの中にも見出しているのかもしれないが。
「鳴上くんにも、ずいぶん甘えていたと思うが」
「え?」
「ちとせがよりかかる相手というのは、ごくわずかだからな」
彼女の境遇がそうさせるのかもしれないし、育ってきた環境もそうさせるのかもしれない。中学時代も、きっと甘えられるような環境ではなかった。
唯一甘えられていた相手は、この世にもういない。年齢の割に、ちとせはずっと大人びていたと思う。
今になってやっと年相応の顔をするようになったと思うこともあるが、それでも。昨日、彼に背負われて泣いていたちとせは、甘えていた。
その気になればふらつきながらでも歩くちとせが、彼に素直に負われていたのは、そういうことだろう。私たちの前ではその足で立って歩いたのだ。
甘えられているのはどちらだろうな、と小さく笑った。
「ちとせのこと、よろしくお願いします」
「ああ」
ラビリスも別れを済ませたのか、車の中に乗り込んで、窓へはりつくようにして彼らへ手を振っている。静かな音とともに車が発進して、彼らが見えなくなるまで、ラビリスはずっと手を振り続けていた。
「はあー、がんばらなあかんね」
嬉しそうに座席へと腰掛けたラビリスは、ずいぶんすっきりとした表情をしている。さみしそうにしていた別れ際とは違って、うれしそうな、たのしそうな表情は、見ているとこちらもすがすがしい気分にさせられる。が、ふとラビリスは眠るちとせを見て、複雑そうに眉を寄せた。眠り続ける原因が自分の記憶に触れたことだと思っているのだろう。
「……でも、なんでこの子にだけ」
「ちとせさんは、風花さんと同じような、サポート型のペルソナ使いでもあります」
攻撃が主ではあるものの、ちとせにもその能力はある。不安定なペルソナやシャドウと接触すると感応することが多くあり、そういえば以前チドリのペルソナと接触して気分を悪くしたことがあったか。
そこまで頻回でもないし倒れるまではいかないような程度だったが――さすがに今回はそれどころではないほどの負荷がかかったのだろう。
読み取る能力に長けている、といえばいいのか。それがこの一年で顕著に成長したのか。
そんなようなことをかいつまんで説明すれば、ラビリスは「いろんなペルソナ使いがおるんやね」と、それでも心配そうにちとせを見やった。
「ウチの記憶なんて、ええもんやなかったろうに」
悲しそうに言うラビリスに、私はふと、ちとせが起きたらラビリスに対する態度はどんなものか安易に想像できてしまい少しだけ口が笑みを作った。
記憶を見たと言っていた。私にはその記憶がどんなものか想像するしかできないし、実際見ているわけではないからわからないが。
「ラビリス、ちとせとは話したことがないな?」
「え?まあ、ウチが行ったときはもうずっと寝とったか泣いとったやから……」
私の言いたいことがわかったのか、アイギスと明彦、それに山岸がふっと笑うのがわかった。アイギスがちとせの髪を撫でて「ちとせさんは大丈夫です」と穏やかにいう。
記憶を見ているのならなおさら。それがつらいものであるのならなおさら。ちとせはラビリスに歩み寄ろうとするだろう。そうでなくとも友人を作るのはあの寮にいた誰よりも積極的なちとせのことだ。
「元気になったら、の話だが。起き抜けに"ラビリス!"なんて叫んでおまえに突進しかねないぞ。しっかり受け止めてやれ」
「え、ええ?」
「そのあと頭を撫でまわされたりしそう……」
「ひどいことをした人を殴ってこよう、なんてことも言いだしそうであります」
「……どんな子やの、この子」
呆れにも、どこか楽しみにしているようにも聞こえるラビリスの声に、全員が笑う。向こうへ戻ったらそれなりに忙しくなるのだろう、今くらいラビリスにも骨休めのできる時間を過ごしてもらうのもいいだろう。
ちとせは極度の疲労と衰弱、数日点滴をうちおとなしくしていたら大丈夫だろう言う診断が下った。翌日目を覚ましたちとせがラビリスを探し、明彦が言っていたように突進をして頭を撫でまわし「あの研究員の髪の毛をむしって目の前で燃やそう」と言い、ラビリスが対応に困っていたというのはその場にいた職員が言っていたことだったが、おおむね読みが当たっていたようでその報告を聞きながら、私は小さく笑っていた。
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