「桐条は、ずいぶん戦いなれてるんだな」

 完二の入ってしまったサウナを進みながらシャドウと戦っていたら、不意に鳴上にそう言われて思わず立ち止まった。同じように思っていたらしい花村も立ち止まって「てか強すぎだろ」と疲れたように言う。クマが「チトセチャンが強いのは当たり前クマ!」となぜか胸を張った。にしても暑いな、と思って一度奥へ続く道を見てから、私はクマへと視線をやる。額を流れる汗をぬぐうと、クマがますますふふんといったように胸を張った。

「チトセチャン、ひとりでずっと塔を登ってるクマ」
「塔?」

 首をかしげる千枝と雪子に、私はどう説明したものかと少しだけ考えた。というか言ってなかったや、なんてぼんやり思う。どうして私がペルソナを最初から使っていたのかとか、そういったことをそういえば彼らから聞かれたことはないし、うまく説明できる気がしないので聞かれないに越したことはないんだけど。クマに塔――タルタロスの話を出されてしまったらそこだけの説明はしないといけないだろう。

「えーっと……私がはじめてテレビの中に入ったときにできた場所なんだけど、高い塔があって」
「そーなんだ……って、ひとりで登ってるって言った!?」

 千枝の突っ込みに、思わず肩をすくめる。はっとしたように鳴上や花村が「おいあぶねえだろ」と言ってくるのだけど、もうずっと一人で登り続けているから特に危ないと思うこともない。もちろんサポートがないときはツクヨミをサポートと攻撃のフルで使っているし、なんとなくだけどタルタロスに出てくるシャドウの弱点なんかは覚えてしまっているので今までだって苦戦したことはなかった。それにツクヨミでシャドウの場所を把握しておけばそう戦うこともないし、かなりの確率でクマのサポートもあるから命の危険に陥ったことはない。

「大丈夫、だいたいクマがいてくれるから」
「でも……」
「一人で登るのはやめたほうがいい、桐条。もし登りたいなら、俺たちにも声をかけてほしい」
「え!?!?」

 完全に不意をつかれた発言だった。驚いて鳴上を見るけど、鳴上の目は興味本位とかそんなものじゃなくて、ただ純粋に私を心配してくれている、そんな目だ。
 タルタロスを登っているのは、完全に私の気持ちの問題だった。別に登らなくたっていいと思う。私にはツクヨミがいて、登ったってあの塔のてっぺんに何かあるわけではないんだろうと思う。けど、あの塔全体から感じる湊の力にも似た何かは、私が頂上に近づくにつれて大きく、強くなっていっている。それは、私が感じる事実だった。登ったからといって、いくら私が作り出した場所だからと言って、湊がいるわけじゃない。それだけは悲しいくらいにわかるし、わかっている。だからきっとてっぺんへ行ったってなんの意味もないのに、私は登り続けているのは……。

「で、でも、完全に私の……私の、気持ちの問題、だから。べつに登らなくたって困らないだろうし、手伝ってもらう、わけにも」

 だから関係ない鳴上たちにまで手伝ってもらうわけにはいかない。クマは巻き込んでしまっているのだけど、テレビの中で一人ぽっちでいるよりも、戦いであろうと私と行動しているほうが楽しいと言っていたので甘えさせてもらっている。遠くにいるとクマは来れないこともあったのだけど、最近はずっと出入り口にしているスタジオにいることが多いから来てくれることが多かったし。サポートがなくても逃げて階段をのぼればいいだけだから、そう困ることもないのだ。そう、困ることではないから。――ひとりで登ったほうが、いいのかもしれない。時間がかかったって、自分のためにのぼるだけなんだから。

「腕試しって意味で登ってるわけじゃないだろ。桐条はそういうタイプじゃないし……」
「でも、さすがにこれ以上負担をかけるのは」
「……大切な場所なのか?」

 少し考えた後にそう尋ねてきた鳴上に、はじかれたように顔をあげていた。まさかそんな切り返しがくるとは思ってもみなかったのだ。タルタロスが、大切な場所なのか。そう聞かれると、確かに、大切な場所にはなるのかもしれない。みんなで駆け抜けた記憶。守ってもらって、たくさんつらいこともあった場所。消してしまいたいなんて思えもしないくらいに、大切な場所、だ。つらくて、泣いて、消してしまいたい記憶だと思っているけど。消してしまいたい記憶だなんて思えない、そんな矛盾を抱くような場所だった。
 何もないとわかっていながら、何かあるんじゃないかと期待をして私はタルタロスを登っている。だけど大切な場所なのかと尋ねられて、どう答えるかと迷った。そうだという自分、そうじゃないという自分がいる。
 タルタロスは、見たことがなければただのホラーハウスもびっくりな気味の悪い塔でしかない。見たことがあってもいまだに気味が悪いと思うことだってある。そこを見られるかもしれないという状況で大切な場所なんて答えてもいいものだろうか。――そこまで考えて、あの場所をたずねられたときにどうこたえていいのかわからない自分がいることに気付く。言葉が、出ないのだ。
 ああ、まだ、説明できないのか。まだ、私はあの場所を見たまま前に歩けていないのだろうか。考えると、頭の奥がずしりと重くなってくるような気がした。

「桐条?」
「え、あ、……ご、ごめん、考え事してた」
「いや」

 急に黙った私を心配そうに見ているいくつもの視線に、多少の居心地の悪さを感じて苦笑をする。鳴上は少しだけ私を見てから「桐条が言えると思う時まで、なにも聞かないよ」と優しく言った。それに千枝が「そーそー!」と元気よく言って私の横へ、私を覗き込むようにして笑ってくれる。ついでに肩を抱くようにしてぎゅっと私を引き寄せてくれた。

「あたしはよくわかんないけどさ、説明とかそういうのは、なんか、言うべき時にがーって言ってくれたらいいよ!」
「俺らはおまえが無茶しないか心配してんだよ。いっつも助けてもらってたわけだし、俺らもお前の力になりたいっつーか」

 片目を閉じていう花村に、鳴上もうなずいた。心配という単語に、私の思考が一度止まる。そうか、心配、してくれているのか。その単語がじわじわ私の中に入ってきて、心の真ん中に陣取って落ち着いた。
 鳴上の手が私の頭を優しく撫でて「心配くらいさせてほしい」と優しくいう。てのひらから伝わってくるやさしさだとか、ぬくもりだとか、そういうのが心地よくって思わず私は口元を緩めていた。頭を撫でてもらったのは何年ぶりなんだろう。最後に撫でてくれた人はもういないけど、あの手のひらとは違う感覚に心の奥がくすぐったいような気持ちになる。湊のてのひらを魔法使いみたいだと思っていたけど、鳴上のてのひらも魔法使いのように思う。くすぐったくてあったかいようなその感覚に「菜々子ちゃんと同じ扱いだなー!?」と笑って鳴上を見上げれば、鳴上は少し複雑そうな表情を浮かべたあとに私の頭をわしゃわしゃとかきまぜた。

「あ、ちょ、やめ、鳥の巣になるから!」

 なんとか身をよじって鳴上の手からのがれると、鳴上は眼鏡の奥でさっきの複雑な表情とはちがう、やさしい瞳をして私を見ていた。あ、と思った時には思わず私は視線を千枝のほうへやっていて、隣の千枝も「ん?」と首をかしげる。ごまかすようにぼさぼさになった髪を整えてからみんなに向きなおると、一度小さく息を吐いた。

「あの、完二のこと助けたら案内するから……迷惑かけると思うけど、付き合ってもらえたらうれしい、かな……と、おもいます……」

 鳴上の、さっきみたいな優しい瞳が妙に苦手だった。全部をとかしてくれるような、全部を受け入れてくれるような、あったかくて、心地のいい、やさしい瞳。あの目に見られていると妙におちつかなくて、そわそわして、胸の奥が甘く疼くような、苦しくなるような感覚になった。
 恥ずかしい、これじゃだめだ、気づいてはいけない。そんな言葉が次々に自分の中にめぐっていって、いつもあの瞳を見ると視線をそらしたり、今みたいに誤魔化したりしてしまう。多分、鳴上も気付いていて何も言わないのだろう。そして気付いているけど、何度だってあの瞳で私を見つめる。
 いつからあんな瞳を向けられているのかはよく覚えていないけど、ごく最近だったように思う。さっき感じた鳴上のてのひらと同じ、くすぐったくてあったかくて、こころの奥がとけていくような。――ああ、だめだ、気づいてはいけない。だれともなしにそう思って、私は顔をあげる。前を向けてもいない自分が、そんな暖かな気持ちに気付くわけにはいかない。硬く蓋をしてこころの奥そこへとその思考を沈めていく。そう、私は、そんな瞳を向けられるような人間じゃないのに。

「んじゃ、早いとこあいつ助けて、桐条の言う塔ってのに行ってみようぜ」

 花村が明るく言った言葉に、私と千枝が「おー!」と両手をあげる。雪子がそれを見て「ここだけは早く終わらせたい」と辟易したように言った。まあ、熱いし湿気が多いし、全体的にローション的なものでぬるぬるしている。こう、うん、言いたいことはすごくわかる。完二の様子がおかしいのはまあいいとして。いやよくないんだけど。雪子の言葉に全員が力強く頷いたのが、もう、すべてを語っていると思う。








「塔とかそーいう問題じゃねえだろこれ!」

 数日後。完二を助けて、とりあえず時間ができたというので、花村の発案でタルタロスへと足をはこぶことになった。私の家から行くのが一番手っ取り早かったので、集合場所は私の家にしてうちのテレビから入ってもらったのだけど、タルタロスを外から見た花村の第一声がそれだった。もっと低いものを想像してたのはわかったけど、ほかに塔という以外に説明できる言葉はないので驚いている面々を横目に私は特に何を言うわけでもなく佇んでいるしかできないわけで。だって、塔っていうしかないし?
 見上げるタルタロスの頂上は高すぎて見えないし、あたりは影時間独特の空気だったり、血だまりだったり、満月もあったりで気味が悪い雰囲気だ。そんな空気の中にたたずむ先の見えない塔なんてきっと誰も予想していなかっただろう。しかもここは校門に一歩入れば、霧さえなくなってしまう。

「すごいな……。テレビの中にこんな場所ができるなんて」
「なんか、ほかのところと全然雰囲気違うね」

 口々に感想を述べているみんなを見ながら、私はエントランスへと向かう。もう何度も何度も通った場所で一直線にエントランスを目指せば、うしろからみんながおっかなびっくりついてくるのもわかった。ぱしゃん、と血だまりを跳ねたらしい花村が情けないような声を出して鳴上に飛びついていたのに、少しだけ笑ってしまう。

「そんなんで大丈夫?花村……私の家で待ってていいんだよ?早めに戻るから……」
「だ、ばっか!子ども扱いかよ!別にこわくねーよ!」
「でもさ、ここ、お化け屋敷って言われてもおかしくないくらい不気味なとこだよね……」

 千枝の言葉に、全員が同意するような表情をした。まあそれはそうだろうな、私も初めて影時間を体験したときは正直怖くて仕方がなかったし。まあ一人じゃなかったのが私の幸運だったんだろうけど……。

「チトセチャン、今日はどこから登るクマ?」
「……続きから行きたいけど……」

 みんなの力ならたぶん、ある程度のシャドウに遭遇しても大丈夫だとは思うけど、万が一ということもある。どうしようか考えあぐねていたら、鳴上が「何階までのぼったんだ?」と首を傾げた。言われて、昇降機の前に立って端末をいじれば、うしろから全員がのぞきこんでくる。

「えーっと……」
「に、にひゃく!?おかしいだろおまえ!?」
「そうそうぴったり200階でやめたんだっけ」

 普段から何階まで登ったなんてたいして気にしてなかったから自分でも驚いた。なんだ、もうちょっとで頂上だったのか。……もうちょっと、という感覚がもちろん私が思ってるだけで実際には途方もないくらいあるんだけど、地道に進めてきた甲斐があったかもしれない。記憶が正しければあと。

「あと70階もないと思うよ、頂上まで」
「な、ななじゅう……?」

 千枝がげんなりしたように肩を落とす。けどすぐに「いやいいトレーニングになるはず!」とこぶしを握るとやる気だと言わんばかりに頭上へと突き出した。いや一気に70階も登るつもりはないから安心してほしい。さすがの私でもそこまで駆け足で登ってるわけじゃないからほんとに。今までだって……いや、まあ多少は無理してへろへろになるまでタルタロスの中にいたことはあったけど、みんなが協力してくれるのならのんびり登るほうがいいだろうと思う。

「200階にとりあえず行ってみようか」
「え?……鳴上、200階のシャドウ結構強い、と、思う」
「危なくなったら逃げよう」

 真面目にいう鳴上に、思わず笑ってしまった。逃げよう、なんて真面目にいうとはまさか思わなかった。けど、鳴上の判断は間違ってはいないので「そうだね」と言ってうしろを振り返る。どうやら全員行く気満々らしい。まあここに置いていくようなサポートをクマがしてくれているわけじゃあないし、一緒に行っても大丈夫だろうと思う。万が一の時は昇降機を使ってエントランスへ戻ってもらうように説明をして、私は昇降機を操作して200階へのボタンを押した。
 ずっとここを登るのは一人でだと思ってたから、なんだかみんなで登っているのが不思議な気分だ。昔とはちがうメンバーで、前は引っ張ってもらって登っているような状況だったこの塔を、私が案内するように登る。そんな日が来るとは夢にも思わなかった。

「……」

 ぎゅっとこぶしを握って、息を小さく吸う。昇降機から出たらもうそこはシャドウの巣窟だ。かなり強いシャドウがいるから、私がみんなのフォローをしないと。今までだってうまくできていたから、きっと大丈夫だ。直接の指示は鳴上がしてくれるだろうから、私はフォローを徹底すればいいだけ。そう、昔と、今と変わらないことをいつも通りに。

「よし!階段発見がんばろー!」

 昇降機からおりて、私はすぐに小声で、だけど元気よくそう言って握ったままだったこぶしをあげる。それにつられて千枝が「おー!」と同じように小声で言ってくれた。緊張感なさすぎだろ、と花村が言うのを聞きながら、私は私をじっと見ている鳴上から目をそらすように、先へ続く薄暗い廊下の先を眺めた。

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