桐条ちとせにとって、警察官になる、というのは目的のためのひとつの通過点に過ぎなかった。有里から桐条になった時、ちとせはこころにきめたことがあった。もう自分を引き取ると言ってくれた桐条の当主もいないのに、それでもなお引き取り自分の妹にするのだと言った美鶴の助けになる、と、ちとせはその瞬間から決めていた。
シャドウワーカーを立ち上げ、警察との連携も密にとるようになった美鶴を見ながら、それでもまだ美鶴にとって警察の中に信頼できる人間は少ないということをちとせは理解していた。高校は離れた場所にいたものの、それでもたまに家へ戻ってみれば疲れた美鶴の顔を見るのはほぼ日常になっていて、話をまわりから聞いてみればうまく警察とも連携がとれないのだと聞くことは多かったのだ。
だからこそ、ちとせは警察官になることを決めた。もちろんそれは姉である美鶴の手助けをするために。少しでもシャドウ、ペルソナ、その他もろもろの事柄をスムーズにすすめるために。警察の中にシャドウ関連の部署を作るというのを聞いたのは、ちとせが高校の頃だったが、そのころには明確に自分の進路をちとせはみいだしていたのだ。
桐条に引き取られてからは、勉強も、運動も、とにかくトップであり続けることをちとせは自分へのルールにした。それは姉である桐条美鶴のためでもあり、自分という異分子を、桐条に認めてもらうためだったのだが。
そのせいもあってか、警察官になった今となっては、当初「絶縁した娘の子供を」と言っていた親族たちはすっかり何も言わなくなっているうえに、ちとせをみつけて媚びをうる親族もいるほどだった。
「…………」
そしてちとせは、桐条の娘になって、はじめてではないかという勢いで困っていた。親族のひどい言葉も、勉強も、なにも苦痛には思わなかったちとせだったが、さすがに今自分が遭遇している事態には頭を悩ませるほかなかった。
美鶴に用事があり実家へ帰るため、徒歩でいいと言ったものの美鶴の采配により仰々しいリムジンへ住んでいるマンションからほど近い公園で乗り込んだのはいい。途中、そういえば帰りに晩御飯の食材買わないとな!でもお財布にお金入ってないや!と思い、運転手に銀行へ寄ってもらうように頼んだのも良かった。しかし、ずっとぴったりついてくる車があるなと思っていたのを放置したのがよくなかったのだ。
ちとせは、銀行に入りお金をおろしたと同時、うしろにいた男に羽交い絞めにされ、銃を頭に突き付けられた。そして「動くな!この女を撃つぞ!」というおきまりの台詞を、ちとせは耳元で聞いた。あ、これ強盗か?と冷静に思うものの、まわりはそうではないらしく、悲鳴につつまれる。仲間らしい男二人が素早く客を一か所に集めて、ちとせをかかえた男一人は客たちの前に陣取った。
自分一人であれば”人間の男”三人くらいならなんとでもなるが、今この銀行内には数十人の客に従業員がいる。さすがに突発的に動くのは分が悪いかなとのんびりちとせは思って、とりあえずは男にされるがまま、羽交い絞めにされたまま客たちの前に立つことになっている。
怯えた瞳をする客たち、心配そうにちとせをみる従業員たちを見て、ちとせは頭を悩ませていたのだ。どうしよう、と。困ったことにリムジンに乗っていたSP役二人も車の中に置いてきてしまっている。
まあ、いたところでどうしようもないし、人間相手にしろシャドウ相手にしろ、ちとせのほうが圧倒的に強いのだ。それでも桐条の娘らしくSPくらいはつけてもらうべきかとちとせも思って、今日は美鶴の言うことに従ったのだが。SP二人がいてくれれば、とりあえずアイコンタクトとかして相談くらいはできたのになあ、とやはりのんびりちとせはおもった。
ちとせを捕まえている男と、客たちを囲んでいる男の話を聞くに、どうやら身代金の要求をするらしい。もちろん銀行のお金ももって出ていく旨を大声で話していた。覆面もせずにサングラスのみしている男三人であるため、監視カメラのある銀行内、きっとばっちり顔もうつっているだろうに。頭悪いなこの人たち、とちとせはおもったが、態度にも言葉にも出さなかった。
ただ、ちとせを桐条の人間とわかって襲ったわけではなく、公園ですごい車に乗っていったお嬢様風の女、をたまたま見かけたために、考えていた計画を実行した、という印象をちとせはうけた。
あーそっかー今日は服装もお嬢様風にしてきたもんなーパリピ風にしとけばよかったー、と考えるものの、もはや後の祭りだ。白のブラウスに、紺のハイウエストスカート。髪も普段と違いハーフアップにまとめて白いレースのバレッタをつけてきているため、見た目は完全にお嬢様、である。
滅多に着ないそれは、姉に会いに行くのだと聞いた同棲している鳴上悠が、つい先日買った時に絶賛した服だった。かわいい、と。そう言われてしまってはちとせも悪い気はせず、たまにはかわいい恰好でもして姉を驚かせてやろうと思ったのもあるのだが。
男の一人が、銀行員の女性にお金を詰めさせているのを横目に見て、ちとせはかんがえる。緊急時の通報装置はもう押しているだろう。なら警察がここへ来るのもすぐだろうから、自分にできることはなんだろうか。とりあえず優先されるべきは客と従業員の安全だろう。犯人確保は二の次でいい。とは思うけど、犯人を確保することが人命につながるので臨機応変に対応するべきではあるのかもしれない。
そもそも身代金を要求するためには伝書鳩が必要なのだ。それが警察官であったり、人質になっているちとせであったり、銀行員であったりするが。
「警察が来たら、テメェも来い」
どうやら今回の場合は警察官に、ちとせを人質にしている、と家に知らせる伝書鳩になってもらうらしい。
ちとせは心の中でためいきをつく。美鶴に迷惑をかけることになってしまう。
身代金なんて出すことにならなくとも、アイギスを派遣してもらえば一発で解決しそうではあるためそこまでちとせ本人も焦っていないのだが、姉に迷惑をかけることになったのは心に刺さることだった。桐条の名前を悪いほうで売ってしまうことになる可能性がある、ということは。
働き出してまだ二か月ではあるものの、警察官としては迅速にこの事態の解決に乗り出すべきだろう。桐条の人間としても。ただ、やっと回復してきた桐条の信頼を自分一人の行動で崩すわけにもいかない。それがちとせにとって心にひっかかるため、思うように行動できない理由のひとつになっている。うまくけが人も出さずに解決できればいいけれど、万が一けが人を出してしまったら。死傷者を出してしまったら。たたかれるのは桐条家だろう。
しばらく男たちが話しているのを聞きながら、ちとせはこんな時姉なら何と言うか考える。と、すぐにその答えは出た。
「ちとせの思うまましたらいいさ。あとのことはなんとかなる」
やけにリアルに美鶴の声が聞こえた気がして、ちとせは顔をあげた。よし、そうだ、なんとかなる。なんとかしてくれる。なんとかする。犠牲者を出さずに、怪我もさせずに、犯人三人を確保する。しゃっきとしろ自分!とちとせは自分を叱咤して、足にぐっと力を入れた。
それからもう一度、銀行内を見回してみる。銃を持っている男は一人。他の二人はナイフを持っているだけだ。が、ナイフの二人も銃を隠していると思ったほうがいいだろう。せめて分散してくれればなんとかなるのに。ベタにトイレなんて言ったところで行かせてくれるかは怪しいなあ、と思ったところで、外が騒がしくなるのをちとせは感じた。
警察が来たのだろう、と思えば、ちとせを羽交い絞めにしていた男が「行くぞ」とちとせをひきずるようにして銀行の外に繋がるガラスドアへと近づいた。ざわつく銀行の外、ガラスドアの前まで行くと、男は大声で警察へ身代金の要求、逃走するための車の手配などを警察へと伝えた。
その間も、銃口はちとせの頭へと押し付けられている。が、そこでちとせはちいさな違和感を覚えていた。
銃の音が、違うのだ。エアガンかモデルガンだろうか、と思って視線を横へずらし、銃を確認するが見た目だけではわからない。が、音が、軽い。かちゃん、という金属の音ではなく、かしゃん、という金属ではない音が、男の銃からは聞こえてきていた。
学生時代から偽物であれ本物であれ銃に触れる機会はあったため、ちとせも銃が本物なのか偽物なのかの違和感くらいはわかるようにはなっているのだが。今の音の違和感は、ちとせにとってはおおきな収穫だった。
偽物であれば、そう銃を恐れることはない。目に見えるナイフのほうが脅威になる。
銀行の前に止まっている数台のパトカーと、人込み。数十人の警官。その中に顔見知りを見つけて、少しだけちとせは安心をした。一課の警察官だったが、入社当初から気にかけてくれている一人であったため、顔を見たことにより心に余裕が出てきたのだ。
その顔見知りはちとせの顔を見るなりぎょっとしたような表情をしたものの、一課の警察官もちとせが人質というのを見て多少は安心したようだった。その表情がちとせにまた、心の余裕を与える。いける、と。
男は要件だけ言うと、また銀行の中にちとせを引きずって入り、今度は客を固めている場所の一番後ろへとちとせを放り投げた。おとなしく座ってろ、と言って銃を向けるが、ちとせは「あ、はい……」と答え、まわりが銃におびえるという図に、内心だけでちとせはおかしくなってしまった。普通銃を向けられると恐ろしいものなのだが、常に戦いの中にいたちとせにとって人間の持っている銃、というのはそこまで脅威ではなかったのだ。
まあ、言葉少なにちとせが返事をしたため、怯えていると思ったらしい男は満足げにふんと鼻を鳴らすと、銃は構えたまま男二人と何やら話し出したようだ。
それにしても、とちとせはおもう。あまりにもがばがばすぎる銀行強盗ではないだろうか。男三人は体格がいいし筋肉質ではあるけど、そこまでそれが突出しているわけでもない。人質を肌身離さずつかまえておかず、客たちの中に放り投げる。計画はしていたものの、まだそこまで銀行強盗の計画を煮詰めていなかったのだろうか、と思わずにはいられない。ただ、人質がいること、銀行の中に客が多数残っていることを見ると、警察官は突入しづらい状況であることは確かだった。犯人も何人いるか、外の警察官にはわからないだろう。
「……銀行の方ですよね?」
男三人が話しているのを見ながら、ちとせは怯えている振りをして俯いた。そのまま鼻まで手で覆って、泣いているふり。そのまま視線だけを男たちに向けたまま、横に座っている初老のスーツの男性へと話しかける。すると、驚いたような気配のあと、ゆっくりと、小さく男性は頷いた。それに内心ガッツポーズをして、ちとせは口を開く。
「イエスの時だけ指を少し動かしてください」
男性の指がとん、と床へ触れた。意思の疎通はできる。男三人は気付いていない。やはりがばがばだなとちとせはおもうが、そもそもこの状況で犯人をどうにかしようと思う思考のほうがおかしいのかもしれないな、と怯えた顔をしたまわりの客たちを見て思う。隣に座る従業員の男性と、ちとせの前にいる、これまた従業員らしい男性にはちとせの声は聞こえているだろうとちとせはふんで、はなしつづけることにした。
そこで男たちが、自分たちのことが気になったのか、備え付けてあるテレビのチャンネルを変えだした。流れてくるニュースに銀行のことがうつっているのを見て、また何か話し出す。
「私、警察官です。犯人が持ってる銃は多分偽物です、安心してください」
指が動く。表情を見れば、少し安心したような顔に男性はなっていた。それにちとせも多少安心して、言葉をつづけようとした、が、それは男たちの「おいあいつ桐条の令嬢だって」という声に消されてしまった。
どうやらニュースでちとせのことがながれたらしく、男三人はギラギラした目でちとせをみたあと、またテレビへと視線を戻してしまった。といっても、男のうち一人は客たちを監視しているのだが。
うつむいて泣いている風を装っているちとせは、あやしまれるどころか深窓のご令嬢だとわかり、さめざめと泣いている態度はごく当然だと思われているらしかった。怪しまれもせず、やはりガッツポーズを心の中だけでちとせはして、男性へ話を続けることにする。
「ロープ、ありますか?紐みたいなものでも構いません」
男性の指が動く。
「私、タイミングを見てゴキブリって叫ぶので、できうる限り逃げ回ってほしいんです。お客さんも、従業員も全員で。……これ、全員に伝えられますかね……、その間にロープを取ってきてほしいんですけど」
少しだけ困ったように、けれどしっかりと男性の指は動いた。と、男性は逆の手の指で、隣にいる女性の前の床をとん、とたたく。それに女性が意識をやったのを確認した男性は「ゴキブリ と 叫んだら 全員で 逃げ回って 伝えて」と床へ書いた。なるほど、とちとせはおもう。ああやって床に文字を書けば男たちにバレることは少ないだろう。それでなくとも一人以外はテレビの情報を見て一喜一憂しているのだ。横目で女性を見ていれば、震える指で男性が伝えたことを他の客に伝えてくれているようだった。ちとせの前にいた従業員も、聞こえていたのか両隣の客や従業員に、その旨を伝えてくれていた。
急な出来事に、人間は弱い。それが急に大人数が動き回ったりだとかすると余計に。それでなくとも犯人たちは気が張り詰めているだろうから、急に、動かないと思っている人質たちが動く、というのがポイントになってくるだろうとちとせは踏んだ。
出入口に近い場所に常にいる、リーダー各の男さえなんとかできたら、他はなんとでもなりそうだなとちとせは思い、もう一度自分を抱えて外に出てくれないかと考える。テレビではニュースキャスターが実況中継をしている映像が流れているし、警察官が銀行前に集まっている様子も流れていた
それから数十分が経過したものの、桐条からの表明もなく、警察も動かず。リーダー各の男が「遅ぇ」と一言漏らしてから時間が動いた。
そのころには客と従業員ほぼ全員にちとせの伝達も伝わっており、疑問に思っているだろうゴキブリという謎の害虫で逃げ回れというそれも、大きな動揺は人質の間に見受けられなかったため、ちとせはタイミングを見計らっていたのだが。
「おい令嬢」
「……はっ、はい!?」
あっ自分か!?と思って、どうやってタイミングを作るかと考えていたちとせの返事はひっくり返った。あまり長い時間拘束されていても人質たちの精神がボロボロになるからそろそろ動いたほうがいいと思っていた矢先の声だった。
反射でちとせは立ち上がると、リーダー各の男はイライラしたようにちとせの腕を掴み入り口近くへと引っ張って行く。ちとせ的には思っていた矢先にタイミングの到来でありがたいのだが、男の様子があまりにイライラしているようで少しだけ男を観察することにした。
「遅ェ。おまえのとこの家は桐条だろ?なんだって悠長にしてんだよ」
「そ、それは」
「大事な娘が人質だってのに。痛い目見せないとダメか?」
最後はぼそぼそとした聞き取りづらい声だったが、ちとせにははっきりと聞こえた。さすがに何もしないだろうとは思っていなかったが、男はちとせが何かする前にポケットから小さなナイフを取り出すと「殺すわけじゃないからいいだろ」と誰に言うでもなく言うと、ちとせのブラウスごと、鎖骨の下あたりから左腕までを切りつけた。
一瞬、何が起こったのかわからなかったちとせだったが、きりつけられてブラウスに血がにじんでいるということよりも、ブラウスが破けてしまったことのほうが先に目に入っていた。
桐条の娘と言っても、義理である。ちとせ自身家を出ており、恋人である鳴上悠と二人で暮らしているため、感覚としては一般市民に近い。そしてブラウスはつい先日購入したおろしたてのものであり、恋人に「かわいい」と絶賛されたものだった。値段は大変にかわいくないブラウスだが。
「……って……」
「あん?」
「折角おろしたてのブラウスでっ姉さん驚かせようと思って着てきたのにっ!」
ぼごん、とちとせの足が男の顎を蹴り上げた。そのまま男は後ろにぶっ倒れ、目を回している。ちとせははんぶん据わった目で男をにらみつけてから、手に持たれていた銃をつま先で蹴って、男からはるか遠くの壁際へと飛ばす。
「しかもすごい高かったし!悠にかわいいって言ってもらったやつなのに!」
からんからん、と銃とは逆の手に持っていたナイフも、銃と同じように壁際へとちとせの蹴りにより飛んで行った。
そこで一瞬時間が止まる。ちとせ自身も「あれ?」と自分がしたことを見てから「あ」と間抜けな声を出した。
「あっえっと、えっと、ご、ゴキブリ!!」
リーダー各の男を出入口で倒したため、逃げることは可能なのだが誰も動こうとしない。それをちとせはそうだ合図してなかった!と思い先ほど伝達した単語を叫べば、一瞬遅れて客や従業員がわっと立ち上がって銀行内をあちらこちらへと逃げ回る。なんともシュールの図が出来上がっていた。残された男二人はなにがなんだかわからない様子で、慌てたように目を白黒させている。
違うんだそうじゃないんだ、とちとせはかんがえながら、うろたえていた男の一人を投げ飛ばして昏倒させナイフを蹴り飛ばし、我に返ったらしい男の一人がちとせめがけてナイフを振り下ろしてくるのをよけながら、男の腕の力を利用して男を転ばせ、ついでに壁にぶち当て昏倒させる。ナイフはやはり蹴り飛ばした。
「ちがう……私が思ってたのはこうじゃなかったのに……」
さきほどロープを頼んでいた男性が、荷物を縛るための麻でできた紐を昏倒させた男の手に縛っているのを見て、あ、でもそこはしてほしいこと伝わってたんだな、と思って大きくため息をついた。
ちとせの中の計画では、ゴキブリにおびえたちとせが叫び、客たちを大混乱させ逃げまどわせ、その間に男三人をどうにかするつもりだったのだが、言葉より先に手が出てしまったのだ。ブラウスが高かったことが一番手が出たポイントだったのかもしれない。令嬢と呼ばれようが、感覚は一般市民である。高かった新品のものが壊されたら、さすがに黙ってはいられなかったらしい。
男三人を昏倒させたちとせに、銀行内で拍手が起こった。何人かは外に出るかと思っていたものの、どうやら全員律儀に銀行の中を逃げ回ってくれていたらしく、全員がまだ銀行の中にとどまっていた。そこでちとせは自分の立場を思い出し、背筋を伸ばした。ブラウスのことは忘れよう。また新しいの買えばいいだけの話だ。そう、そうだ。
「私、一応警察官です!怪我をされた人はいませんか?気分が悪いとか!」
「それよりもあなたのほうが」
「あ、私は全然大丈夫ですから!見た目より傷浅いと思うし!」
顔色の悪い女性客から、だらだらと血が出ている胸元を言われてちとせはけろりと笑う。正直なところ動くのも億劫なほど痛いのだが、こういう場面に慣れていない一般人を安心させるのも仕事のうちだとちとせは思った。
「とりあえず応援呼びます!」
言って、ちとせは男三人を男性職員が縛り上げ、抑えているのを見てから銀行から出る。ガラスドアを無理やりこじあけて「犯人確保おねがいします!」とずらりと並ぶ警官たちに叫んだ。ぎょっとした顔をしている警官たちに、背中を向けて再度ちとせは銀行内へと戻る。とりあえず人質の客や従業員を安全な場所へ移動させるくらいは手伝えるだろうと思ったのだが、ちとせを追いかけてとびこんできた顔なじみの警察官が「桐条さん!」とちとせの腕を掴んだ。
「うわっなになにびっくりした」
「あとのことは任せてください。あなたは病院へ行ったほうがいい」
「え?なんで?」
「怪我をしているでしょう!」
少し強い声で言われ、ちとせは思わず黙り込んだ。ちとせよりもずいぶん年上の男性警察官は、こうしてちとせをやたらと心配するのだ。以前妹のようだと言われたことをちとせは思い出すが、それとこれとはまた別の話だ。今は仕事中であり、銀行強盗の現行犯逮捕の現場だ。怪我をしているからと言って、現場を投げだすわけにもいかない。
「けど、このまま投げて病院に行くわけには」
「……あなたのお姉さんが来ていますよ」
「へぁっ!?」
二人で話している中、まわりを警察官たちが銀行の中へと入っていく。昏倒している犯人三人を見つけた警官が「これはだれが……」と取り押さえていた従業員に聞いているのがちとせの耳に入る。
「三人とも、彼女が」
「あっすみません三人とも意識ありますか!?結構強めに壁にぶち当てちゃったんですけど!あと多分向こうの壁際の二人はポケットにエアガンか何か持ってると思うので気を付けてもらったほうが」
「桐条さん!ここはいいです。お姉さんと病院へ行ってください」
「意識は戻ってきてますよ」
まるでてんやわんやな状態の現場に、人質だった従業員の一人が苦笑をした。それを見て、ここは大丈夫だろうと思ったため、言われる通り美鶴と合流して、病院へ行くほうが邪魔にはならないだろうと考える。
「朝霧さん、あとは任せます。何かあったらいつでも連絡してください」
「わかりました。あなたも無茶はほどほどにしてください」
「は、はい、すみません」
朝霧と呼ばれた男性は、ちとせに美鶴の場所を伝え、銀行の中へと入っていった。それを見送ったちとせも、ためいきをついてとりあえずは美鶴と合流するかと銀行から出ることにした。
「ちとせ、また無茶をしたのか」
病院内。思いのほか傷が深く、8針縫ったちとせはベッドに寝たまま、サイドに置いてある椅子へ足を組んで座っている美鶴の前で縮こまっていた。美鶴の眉間には皺が深く刻まれており、不機嫌、というよりも心配が度を超しすぎた、という表現のほうが似合う顔だが。
「い、いや、これは、私が動いて切られたわけじゃなくて」
「――さすがに心配した。アイギスも準備していたんだが」
その前にちとせが自力で出てくるほうが早かったがな。と、呆れたように美鶴はため息をついた。う、と肩を縮こませたちとせだが、動かしたために傷に響き、思わず顔をしかめる。
「……迷惑かけてごめん。さすがに動かずにはいられなかったというか……。おとなしく待つのも、どうかと思って」
どこからかぎつけてきたのか、桐条の令嬢が強盗犯をつかまえた、という情報はともかくも病院の場所までかぎつけられ、マスコミが病院にインタビューに来ているらしい。それを追い返しているのも、病院側と桐条の人間だった。美鶴は、マスコミをあまり好いていない。だからこそ、大きく動けば騒動になると思ったちとせだったのだが、案の定ちとせにインタビューと称して病院にも押しかけてきているらしい。桐条の家の電話もきっとなりっぱなしだろう。
「これくらい迷惑のうちに入らないさ。ちとせはちとせの好きなように動いたらいいんだ。露払いくらいは造作もないからな」
「ねえさん……」
「それに報道規制はそのうち入るだろう。警察内部でも私たちの活動の足掛かりを表に出すつもりはないだろうからな」
ちとせが警察官になり、配属された課はペルソナやシャドウに関係する課だった。シャドウワーカーの分室ともいうべきか。数ある不審な事件の中から、シャドウ関係のものだけを洗いだし、必要があればシャドウワーカーへ連絡。もしくは自分の足でそれを確かめに行くのが主な仕事だった。シャドウワーカーとの連携もあることから、特別捜査支援課、などと銘打ってはあるものの、警察内部からもあまりよく思われていない課であることは確かだ。
そんな課に所属しているちとせを、警察本部が黙ってマスコミにさらすわけにもいかないだろうと美鶴は思っているし、事実警察も動いている。桐条ちとせについては、本人が恥ずかしがるためインタビューは避けてほしい。傷の程度もひどいため、やめてくれ。という文書を警察・桐条から出すことになっているのだ。ただそれだけでは引き下がらないのがマスコミのため、多少ちとせの情報も提供はしているが。
「……はあ、ごめん。次はもっとうまくやるね」
「次がないように、というのは無理だろうから、あえてそこは言わないようにしておくが……。私たちのことは考えなくていい。自由にしたらいいんだ」
「うん。えへへ、ありがとう。でもちゃんと気を付けるね」
しゅん、と頭をさげるちとせに、美鶴は口元を緩める。ちとせが死ぬような思いで勉強をして、様々なことを学んで、今の地位を勝ち取ったことを美鶴はよく理解していた。桐条の中に場所がなかったちとせは、自分の力でまわりに自分を認めさせた。それも、ひとえに美鶴の助けになるために。警察官になった理由をちとせはまわりの人間に一人として言っていないが、美鶴はちとせのことを、きちんと理解している。だからこそ、自由に動いていいのだと常に思っているのだが。
「はあー、にしても入院なのかなあ。退院して自宅療養したい……」
「自宅といえばちとせ、鳴上くんには連絡したのか?」
美鶴に言われ、ちとせはその存在を思い出した。処置が終わった今の時間はすっかり暗く、悠も学校が終わっている時間だ。してない、とか細い声で言うと、美鶴が肩をすくめる。
「したほうがいいんじゃないか?彼もきっと――」
「ちとせ!」
「噂をすれば、だな」
がら、と病室のドアが開き、そこから飛び込んできたのは悠だった。まだ連絡もしていないのに予想外だったちとせは「えっどうしたの!?」と思わず声をあげていた。が、それが傷に響いて再度顔をしかめれば、美鶴は呆れたように「しばらく入院だな」と笑う。
「ちとせ、怪我は?……縫ったのか?」
「え、いや、あの、ちょっとだよ!だから心配しないで!ね?」
不安そうな顔をした悠と、そんな悠をなだめるちとせをみて、美鶴は目を細める。しばらく席を外しても大丈夫か、と思い立ち上がれば、悠がはっとしたように美鶴を見ると頭を下げた。
「桐条さん、すみません。賑やかにして」
「いや、気にしないでくれ。個室だから多少は平気だろう」
言いながら、美鶴はドアへと足を向けてそれに手をかける。
「しばらく席を外すが……ちとせ、大丈夫だな」
「あ、うん。……えっと、姉さん、どこに」
「アイギスたちに連絡をとる。事後処理を任せてきてしまったからな」
「わかった。いってらっしゃーい」
悠が来たことに安心したらしいちとせの表情は、さっきよりも随分明るいものになっていた。それを見届けてから、美鶴は「またあとでな」と一声かけると、病室をあとにした。
「……ちとせ、怪我は?」
美鶴が座っていた椅子へ腰掛け、悠は再度そう尋ねた。学校は終わったのか、だれから聞いたのか、いろいろなことがちとせの頭の中をまわったが、それよりも目の前で不安そうにしている悠を安心させてやるほうが先か、と思って聞きたいことのすべてをぐっと飲み込む。
「大丈夫。ちょっと縫ったけど、全然元気だよ!スーパーちとせちゃんだもん!これくらいへっちゃらだし!」
「縫った……」
病院服から覗く包帯に、悠がそっと指を這わせる。痛みを感じるほどの力ではなく、綿菓子にでも触れるようなそれにちとせはくすぐったさを感じて「ふふふ」と笑っていた。少し顔色の悪い悠に手を伸ばし、ちとせは悠の頭をわしわしと撫でまわす。
「ごめんね、心配かけたよね。誰から聞いたの?」
「テレビで見てたし、アイギスさんからも連絡をもらったから」
「あ、アイギスか……」
事後処理のついでにアイギスが悠に連絡を取ったのだろうとちとせはあたりをつけて、悠を撫でまわす手を止める。不安そうな悠の目を見て、ちとせは頭を撫でていた手で悠の両手を握る。
「いやーほんとは頭抱きしめたいんだけどちょっと無茶するなって怒られそうだから」
照れくさくなり早口になったちとせに、悠はここにきてやっと口元をゆるめた。元気になったら俺から抱きしめるよ、と言い、ちとせの手を握り返せば、今度こそちとせは照れてしまったらしく「えへへ」とはにかんだように笑った。
後日、退院し、仕事に復帰したちとせは、早々に銀行強盗を確保したことや、小さな身長ながらも大の男を背負い投げをし壁にぶちあてたこと、三人とも昏倒させたことなどをふまえ、同期や先輩たちから「ゴリラ」という謎のあだ名をつけられていたらしい。
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