石動課長に泣かれた。
 というのも、ちょっと手の離せない案件がいくつか重なってしまい、家に帰ることも寝ることも忘れてデスクワーク。そして自分の主な仕事であるルブランへの偵察とメメントスの調査、怪盗団の支援、それが終わったらまたデスクワークという生活を5日ほどしていたら石動課長に家に帰って寝てくれ、と泣かれた。
 そして課のみんなにも「頼むから帰っておいしいもの食べて寝てくれ」と頼み込まれたわけで。
 そういえば最後にごはん食べたのいつだっけ?なんてレベルで食事らしいものはとっていないかもしれない。
 三日前にカレーをルブランで食べて、たまたまその場に居合わせた観察対象の1人に「顔色がカレーと同じだ」と言われたのが最後かもしれない。
 あとは知らない間に傍らに置いてあるコーヒーは飲んでたけど……。
 まあ寝てないと効率は落ちるから、そろそろ帰り時なのかもしれないなとは確かに思う。あらかたの書類は片付けたし調査の依頼も各方面にお願いしたから、あとはもう返事待ちの状態であるのは確かだし。
 帰ってご飯を作って食べる元気があるのかはわからないけど、と笑えば本日は珍しく向かいのデスクに座っていた1人が「自分が送りますから動かないでください!」と言ってくれたので甘えさせていただき、家まで送ってもらうことに。
 それにしてもうちの課に急ぎの案件回してくるって言うのはちょっと、いや、かなりやめてほしいと思う。人手不足だし、今はちょうどシャドウ関係のことで忙しい時期だし。
 いや、シャドウのことなんて他のところは知ったこっちゃないだろうけども!うちの課はただあぶれた案件の片づけとか整理とかしてるだけって思われてるんだろうけども!
 
「ただいまあ……」

 久しぶりに帰ってきた自分の部屋のドアに鍵をさしてまわすものの、その感触は軽かった。あれ、鍵かけるの忘れてた?5日間も?え?やばくない?
 いや、マンション入り口でのセキュリティはしっかりしてるから変な人は入ってこないだろうけど5日前の自分不用心すぎるな……。でも過ぎてしまったことだしまあいいか、人間相手であれば強盗でも勝てそうな気がする。なんて思ってそのまま玄関に入れば、人の足が見えた。
 勝てるとは思うけどさすがに肝が冷えて、え、と思って視線をあげると、そこには目が据わった降谷さんがエプロンをつけて立っているところだった。
 ……ん?降谷さん?

「寝不足でついに幻が……?」

 人間は寝ないと幻が見えるのかもしれない。
 3日くらい寝てなさそうな顔の降谷さんが私の部屋にいるとか恐怖でしかないしエプロン……、あれ?あのエプロン普通に私のじゃないな……。安室さんがつけてそうなエプロンだ。かわいい猫の柄が入った……ってあれ前に私が嫌がらせのつもりで"安室透"さんにプレゼントしたエプロンでは?
 家で使ってくださいね、という笑顔つきでプレゼントした記憶がある。それを見てたコナンくんが凍り付いたような笑顔をしていたのは少し前だったような気もするけど。
 もしかして幻で見えたのは降谷さんじゃなくて安室さんのほうだったのかもしれない。思いながらじっと目の据わった安室さん(仮)を見つめれば、安室さんは視線を私からそらしてダイニングのほうへやる。

「……?」

 よくわからないそれに意識をダイニングへもっていけば、ダイニングには明々と電気がついてるし、いいにおいがした。
 いいにおいっていうか、料理の匂いだ。
 終始無言なのも幻っぽいわ〜と思って靴を脱げば、安室さんが律儀に揃えてくれる。うわ怖い。お母さんか。
 いや口には流石に出さなかったけど。だって幻といえども降谷さんだ。安室さんの格好をした降谷零である。いやそもそも安室透という男は降谷零であって……?いやよくわからなくなってきた。とにかく口が裂けてもそんな恐ろしいことは言えない。

「幻の降谷さんがやさしい……私の幻が安室さんに変換したんだ……」

 ふらふらしながら自分の部屋の廊下をダイニングへとすすむ。
 後ろからため息をついてついてくる降谷さんだか安室さんだかがどんな顔をしているのかはわからないけど、多分いい顔ではない気がした。
 ダイニングのドアをあければ、テーブルいっぱいに山盛りの食事が用意されていた。からあげ、オムレツ、グラタン、サラダ、麻婆豆腐、あんかけチャーハン。本当にこれでもかというくらいに食事が並んでいた。しかも、どれもこれも美味しそうで一瞬にして眠気とかいろんなものが吹き飛んでいく。

「う、うわ、おいしそ、な、なにこれ宝箱?!」

 いくら大食漢の私といえども食べきれるかわからない量だ。それが我が家の小さなテーブルの上に所狭しと並んでいる。
 すごい、と思いながら引き寄せられるように席につけば、コップとお箸、それに取り皿とお米が私の前にすっと用意された。至れり尽くせりすぎて、なんかもう私の夢ってすごいな。たしかにご飯作ってくれる人いたらなとは思ってたけど。その前に私はどこで寝てしまったんだろうか。幻っていうか夢って気がしてきた。だってにおいも、何もかもが現実と同じなわけだし。
 エプロンを外しながら、目の据わった降谷さんが「食べたらさっさと寝るように」と眉を寄せて言った。そのまま出ていこうとしたので、思わず私は降谷さんの腕を掴んで、本当に無意識で「えっ一緒に食べないんですか?」と一言。
 この発言には自分でもびっくりしたし、腕を掴まれた降谷さんも本気でびっくりした顔をしていた。
 いや、だって、せっかく作ってくれたんだし。夢の中といえどもこれだけの量を作るだけ作らせて帰らせるっていうのはちょっと。それに夢だからこそ一緒に食事くらいしても嫌がられないと思うわけで。
 
「食べようと思えば全部食べれるけどさすがに寝る前にこれだけ食べたら死んじゃうから!一緒に食べましょう降谷さん!折角おいしそうなのに一人で食べるのもったいないし!さみしいし!」

 言いながら、立ち上がってはしとコップ、お米、取り皿を用意して私の前の席へと準備をすれば、降谷さんは複雑そうな表情をしたまま私の前へと腰をおろしてくれた。

「夢だと思ってるなら、一人で全部食べてもいいんじゃないのか」

 呆れたように言う降谷さんに、あ、確かに、とも思う。けど「夢だから一緒に食べたって降谷さん嫌がらないかなと思って」と思ったことをそのまま伝えれば、降谷さんは「なるほど」と少しだけ楽しそうに笑っただけだった。



「オムレツの中にチーズ入ってる!あっサラダに水菜も……!ああーー幸せ……しかも麻婆豆腐の辛さがちょうどよすぎてごはんとまんないし降谷さん本当に天才……私の専業主夫になってほしいレベルの料理の腕……はあ、おいしい……」

 一口食べるごとに料理の感想をつらつら言う私に、降谷さんは文句を言うでも怒るでもなく、ただ食事を食べながら私の話を目を細めて聞いているだけだった。ああ、やっぱり夢なんだなあ。
 だって、この人がこんな優しい顔して私のこと見てくるのなんて今まで一度たりともなかった。常に私の課は動きが怪しいって公安に疑われてるわけだし。特に私の動きが変だって、仕事の片手間に私のこと調べて、探りをいれてくるのだ。ルブランにいるときも、コナン君たちと遊んでる時も。
 だからこんな優しい顔して私を見てくる降谷さんなんて、夢でしかありえない。


 食後に我が家のものではあるもののコーヒーまでいれてくれた降谷さんだったのだけど、なんと食器の片づけをしたり、余った食事を明日の私のお弁当にしてくれたりと信じられないようなことをしてくれた。「明日の昼にでも食べてくれ」と言いながらお弁当を作る降谷さんは完全におかあさんだった。エプロンもしてるし。かわいいやつ。
 コーヒーを飲み終わって、満福で幸せで、うつらうつらしてきた私に降谷さんが「寝るなら自分の部屋に帰るんだ」と言っていた気がしたけど、わかってますよ、と返事ができたのかはわからなかった。
 ただ、食器を洗う音、片づける音、人の気配、料理のにおい、コーヒーのにおい。いろんなものが、急に私の中になつかしさを運んできたような気がして。半分夢見心地の私が「シンジさん……ころまるのごはん、あげました……?」とむにゃむにゃ言ってから、ぷつん、と記憶が途切れてしまった。





「シンジさん……荒垣真次郎か」

 糸が切れるように、座ったまま眠ってしまった桐条ちとせを見ながら、エプロンを外す。
 ここに来たのは、石動さんに頼み込まれたからだ。自分自身も今日こそは帰ってやると思っていたし、仕事の切れ目でもあった。三日間寝ずに動いているせいで多少思考も鈍っていたし、ここ数日でたまったうっぷんを料理にぶつけてやろうと思っていたのも、タイミングがよかった。
 
「おねがい降谷くん、ちとせちゃんにご飯つくってあげて……」

 このままだとあの子死んじゃう気がする、と40も過ぎた大人が半泣きで電話をしてくるものだからさすがに驚いた。最近は妙に石動さんが俺に桐条ちとせのことを任せてくるのが気がかりだったが、それでも死にそうだと言われたことは多少気になるのもあり、石動さんから桐条ちとせの部屋の鍵を借りて料理を作ってやることにしたのはいい。
 帰ってきた桐条ちとせが、二週間ほど前に見た時よりもげっそりと痩せていたのにはさすがに驚いた。化粧で誤魔化してはいるだろうが隈もひどい。
 よれたスーツのまま、僕を見るなり「幻」だと思ったらしいが、特に何か僕がいることに言及するわけでもなく、視線を追ってダイニングへ行き、なぜか僕も食べることになり、幸せだなんだという桐条ちとせに感化されたのか片づけ、明日の弁当作りまでしてしまった。
 そうこうしていれば座って眠った桐条ちとせから出てきた言葉は、別の男の名前だ。――故人ではあるが。
 桐条ちとせと、桐条ちとせと関わる人間についてはおおむね調べている。
 荒垣真次郎。桐条ちとせが中学二年の時に亡くした、同じ寮の人間だ。調べれば調べるほどに矛盾と、そして桐条からのけん制が入り深くまで調べることは物理的に不可能になってしまったが。
 桐条ちとせのまわりは、どうにも矛盾だらけなことが多い。説明がつかないようなことや、なぞの行動。そして、謎の死。説明はつくものの、何かひっかかりを覚える死が多かった。
 荒垣真次郎もそうだし、彼女の従兄弟である有里湊。そして通っていた学園の理事長、桐条の前当主もそうだったか。
 入社したばかりの新人が人間離れした動きをして強盗を捕まえたことや、桐条の人間だということ。それが気になって調べていたことではあるが。
 表向きは取り繕えているし隙もないが、石動さんの課だってあやしいものだ。いくら調べても、忍び込んでも、何もでてこない。出てこないどころか、ただ家に帰れない課の人間たちのうめき声だけが聞こえてくるような場所だった。
 公安の人間をもぐらせようにも、あの課自体、入れる人間が特定されているのか、あそこに回されることは公安の力をもってしてもできない、というのもおかしな話なのに。
 まあ怪しいと言っても、日本を脅かすような闇の組織かと言われるとそういうわけでもない。ただ、伏せられていることが多すぎるだけで。

「……抱えるぞ」

 こちらも徹夜続きではあるが、さすがにこんなところにほったらかして帰るわけにもいかないだろう。そう思って、桐条ちとせを抱えて、彼女の寝室へと運ぶ。ベッドの中に横たえてやれば、ううん、と唸って体をひねった。
 なんというか、不用心だ。これでも一応桐条の令嬢で、幻だと思っていようと自分は男である。そして帰ってきた瞬間、鍵があいていた時点で警戒をするべきだろうに。
 自分の強さを過信しているのだろうか。確かに過信してもおかしくはない、いや、その通りに桐条ちとせに実力は伴っているとは思うが。
 ベッドに腰掛けて、桐条ちとせの髪を耳にかけてやる。くすぐったそうに身をよじった桐条ちとせは「ふふ」と笑うとぴたりと動かなくなった。完全に寝たらしい。

「……」

 抱えてみてわかったが、桐条ちとせは確かに痩せた。見た目以上に痩せているし、健康状態もよくはないだろう。でも、筋肉のつきかたが、おかしい。
 中学、高校と部活に入っている情報はなかったし、何かの大会で優勝したという話も一切きかなかった。それなのにこの筋肉のつきかたは、普通の警察官としてもありえない。もっと、なにか激しいスポーツをしている人間と同じか、それ以上のものがある。
 合気道を習っていると言っていた気もするが、それだけではないだろう。普段デスクワークをしている人間が、ここまで筋肉がつくのか……?
 ちらりと部屋の中を見回して、盗聴器でも仕掛けて帰るかと一瞬思う。相手は眠っていて、こちらにはこの部屋の鍵がある。合鍵を作ってしまってもいいかもしれない。そうすればいつでもこの部屋を調べにくることはできるだろう。

「……はあ……、調子が狂うな」

 いつもであればできることが、この寝顔を見ているとどうにもやる気が起きなくなってしまう。探ったところで、これは公安の仕事にはまったく関係のないことなのはわかっているのだ。ただ、自分が”個人的”に知りたいと思っているだけの話で。
 きなくさい組織であれば迷わずしているだろうけど、と思いながら、立ち上がる。帰ろう。俺も思考が鈍ってるだけだ。だから早く帰って、寝てしまって、今日のことをすべてリセットするべきだ。

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