「え、公安が潜入調査するパーティーへの同伴?」

 課長から言われた内容をもう一度聞き返せば、石動課長は「うん」と困ったように眉尻を下げる。あーー疲れた脳にいけてるおじさんのその表情いいなあ、なんて口には出さずに思いながらも、まとめていた書類の整理をやめて課長へと向き直れば、課長は隣のデスクの椅子を引いてそこへ腰掛けた。

「ちとせちゃんにご指名で、降谷くんからの依頼なんだけどね」

 降谷、という名前に、うっ、と言葉をつまらせてしまう。う、うーん、降谷さんな、降谷さん……。
 なんかこう、苦手なんだよなああの人。やましいことをしているつもりはないし、しているわけでもないんだけど探るような感じがなんとも。ボロを出さないってわかっていながら私をゆすってくるし、向こうも向こうでなんか突っかかってくる感じが、本当に、なんともいえないっていうか。私もそこまで頭がいいわけじゃないからさすがに緊張するっていうか。
 警察っていうか、公安として信頼していないわけじゃないから別に私のしていることを言ってもいいんだけど、それは私だけの判断で言えるようなものじゃない。特に警察内部、ってなったら。……なんていうのは私の言い訳かもしれないんだけど。
 あの人が警察庁の公安だっていうのを知っているのは、警察内部にもごくわずかというのは知っている。そのごくわずか、のところに私と課長が入っているというのは、その点においては信頼されている証だろうとも思うんだけども。

「……でも、今手持ちの仕事もいっぱいいっぱいだし」

 これは事実だった。他のところから回ってきた仕事もあれば、最近ほかのところと一緒に捜査した案件の書類作成も残っている。これ以上仕事を増やしたら本気でここに一週間くらい泊まりこまないとできそうにないしな。そう思って書類の山やらファイリングされてないものの山をみれば、石動課長がまた困ったように笑う。

「一応、パーティーは一カ月後で、特に何かするわけでもないらしいんだけどね。ちとせちゃんには、公安の刑事の恋人役をしてほしいって。それだけでいいんだってさ」

 恋人?誰の?公安の?そんなあほな。
 公安といわれて出てきた顔は降谷さんである。私を指名したあたり、その潜入調査には降谷さんも関わっている可能性がおおいにある。っていうか、降谷さんの恋人役とかだったらまじで辞退させていただかないと精神が削れて死ぬんじゃないのか。
 お互い探り合いの私と降谷さんが和気あいあいと恋人のふりをしているのを想像したら脳が拒否して想像できなかった。おお、これはちょっとおうけできない可能性のほうが高い。

「まあ一カ月の間、恋人のふりはしてほしいとは言ってたかな。怪しまれないようにって」
「えっ……降谷さんと?う、うーん……」

 思わず微妙な顔をしてしまった。これがまた違う人なら全然いいんだけど!降谷さんというところに複雑な気持ちがうまれてしまう。いや、こうやって依頼されるってことは信頼してもらってるってことなんだろうけど!潜入調査もできて、そして多分何かあっても対応できると思ってくれているんだろうけど!こんな入りたての新人に対してはすごく高い評価で、それは、もちろん、手放しでうれしい。

「あれ? ああ、降谷くんも潜入はするみたいだけど、ちとせちゃんが恋人役をするのは風見く」
「やります」

 はっ……!? まずい口が無意識に了承していた風見さんの名前を聞いた瞬間!!
 案の定課長も苦笑いをしているし、ちとせちゃんならそう言ってくれると思ってたよ、と言われてしまった。だってそりゃ風見さんの名前を出されたら返事をするしかない。風見さんの恋人の役なんてお金だしてやりたいくらいだ。
 風見さん、三十歳という年なのにすでにあの貫禄、十年後がしぬほど楽しみなので会うたびに胸のときめきをおさえられないわけで。最初こそ戸惑われていたけど、最近は「おはようございます風見さん今日も素敵ですね!!」なんて全力で挨拶をしたら「おはようございます、桐条さん」と普通に挨拶をしてくれるようになっていた。はあ、最高。
 そんな愛してやまない風見さんの恋人役とあってはやるしかない。

「じゃあ僕から返事はしておくね。また内容についてはメールが来ると思うから」
「わかりました!」

 元気よく返事をすると、課長は依頼についての報告に行くのか課から出て行った。そういえば午後は会議があるって言ってたけどついでに行くのかもしれない。今日は夕方まではひたすらに書類整理して、夕方になったらおひるごはんも兼ねてルブランに行って一息ついて高校生たちと喋って、それからまた戻って仕事だ……。まあ一カ月の猶予があるなら今持ってる仕事はだいたい終わるだろうし、そう急いですることもないから夜中までには帰れるだろうと思う。今日はメメントスに行く日じゃないし……。

「知らない番号……」

 仕事、と思ってパソコンに向かいかけたら、机の上に置いていたスマートフォンが知らない番号からの電話を表示した。誰だ、と思いながらも「もしもし?」ととれば、ひと呼吸おいて「もしもし?桐条さんですか」と今まさに話題に出していた風見さんの声が聞こえてきて思わずその場に立ち上がった。

「かっ風見さん!?えっあっ、どっどうしましたか」

 立ち上がった拍子に足元のファイルが崩れたけど気にしないことにした。そんなことよりも今大事なのは風見さんから私に電話がかかってきているということであって。……って、さっきの普通に携帯の番号だったからもしかしてこれは風見さんの個人携帯……?

「いや、調査の件、受けてくれると聞いて。お礼も兼ねて打ち合わせをしようと思って、石動さんから今番号を教えてもらったところだったんだが」
「ぜんっぜん構いません大丈夫ですむしろ私この番号登録しても構わないんでしょうか!?」
「ああ、それは構わない」

 神よ!
 これ堂島さんの電話番号教えてもらった時くらいにテンションが上がってきた。あの時もそりゃ嬉しかったしだいぶテンションは上がったけど!電話口の風見さんが苦笑しているのがわかって、姿勢を正して椅子に腰かける。お、落ち着こう私。これ以上テンション上げてファイルじゃなくて書類のほうバラバラにしたら笑いごとじゃないし。
 電話の内容は、風見さんも言っていた恋人役のお願いと、お礼。一か月後にあるパーティーの概要、調査対象などの説明だった。メモをしながらそれを聞いて、私からの質問もいくつかしたところで一度会話が途切れる。
 あんまり話こんでもな、と思って電話を切ろうと口をひらきかけると、風見さんが「ところで」と少し言いにくそうに先に口を開いた。

「あ、はい、なんでしょうか」
「今日は何時くらいに上がれるか聞いても?」
「え、今日ですか?うーん、日付は超えないと思います」

 言えば、風見さんは少し困ったようなため息を一度ついて、それから「21時くらいに終わらせることは?」と一言。
 21時かあ。ルブランで長居しなければ終わると思う、今日の分は。何か会議でもあるんだろうか、と思ってボールペンを握って「何かありますか?」と尋ねると、また言いにくそうな風見さんが「いや」と一言言って、しばらく黙り込んでしまった。
 どうしたんだろうか、珍しく歯切れがよくない。思いながらも風見さんの言葉を待っていたら、意を決したような風見さんが桐条さん、と私の名前を呼んだ。

「恋人のフリとはいえ、いつだれが見ているかわからない。……だから、時々俺と食事をしたほうがいいと思うんだが」
「……えっ、あ、はい、そ……そうですね……?」
「今日、21時頃迎えに行く」
「あ、……あ、はい、仕事、終わらせておきます……」
「ああ、では」

 ぷつ、と電話が切れる。つー、つー、という電子音を聞きながら、今一瞬何を言われたのか頭で整理しようとしたけど、自分の喉の奥から変な声が出るほうが早かった。おああ、だか、うぐう、だかよくわからない声が出た。萌えというものでどうにかなりそうである、風見さんがかわいすぎて。
 恋人のふりをするっていうから、一緒に帰ったり程度だろうと思っていたらまさかの!食事ときた!えっつまり風見さんと二人で食事?夕食を一緒に食べる?外食?まじか……。
 あまりの予想外の出来事に電話を持ったまま椅子にもたれてのけぞる。堂島さんに夕飯呼ばれた時みたいな気分だった。う、うわーーにやける!ものすごいにやける!

「はっ化粧!崩れてる気がする!隈もあるんじゃ……」

 よく考えたら二徹目だ。仕事を急いで終わらせて、ルブランに行く前に化粧を直して身だしなみもしっかりして行かないと。化粧品もちゃんと持ってきてるはずだし、むしろここで化粧直しをすることが多くていくつかは置かせてもらってるし問題ない。
 これが降谷さんとの恋人のふりじゃなくて本当に良かった、と思いながら、気分よく私は急いで残っている仕事を片づけることにした。

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