「え?ちとせがいなくなる?」
それに気づいたのは、彼女に出会って半年が経とうとしたころだった。
仕事で尋ねたい案件があったため、彼女に連絡をとろうとスマートフォンに電話をかけても出ない。課の個人電話にかけても出ない。家にかけてもでない。もしかしてと思って彼女の在籍する部署の課長に連絡をとっても「ああー、今日はいないねえ」と返事があっただけだった。
彼女を知る人間にかたっぱしから声をかけてみたものの、全員が全員同じ反応だ。「今日は夕方から見てないけど」や「そういえばいつの間にか消えてる」と言う言葉が多い。しかも、彼女が音信不通になることは定期的にあるのだという。
決まった時期なのかと問えばそうでもない、という意見と、そういえば定期的かもなあ、という意見が出てくる。たいがい「定期的だ」という人間は、彼女と仕事やプライベートでよくかかわる人間だったために、その定期的に消える、というのを信じることにした。
盗聴器を仕掛けたこともあるが、さすがに毎日聞いているわけでもないし、最近はセンサーを導入したらしく盗聴の類はすぐに見つかるためしかけるのはやめた。が、先日、見つかるだろうと思って仕掛けた盗聴器があった。案の定すぐに見つかったがそのまま電源は切られず、数日それを桐条ちとせは持ち歩いた。
たまに聞いてみれば「ねえちとせちゃんセンサー鳴ってるからそれどうにかならない?」という石動さんの声や、喫茶店でマスターとテンション高く話す声が入っているだけの、なんの変哲もない彼女の日常が聞こえるだけだった。
持たせておくのも、と思って回収に行くべきかと思っていた矢先、ふと、仕事の合間にそれを聞いてみればどうやら男の友人と話していたらしく。時間が時間だろうに、危機感はどこにいったんだ、と思ってそれもイライラとした気持ちで聞いていたのだが、その会話の内容にさらに胸の中にイライラがたまっていった。
風見をべた誉めしたかと思えば、アイドルとファンのような気持ちだ、一生独身だ、誰とも付き合えないだと。しかもそれを相手の鳴上と呼ばれた友人らしき男は心配していたのだ。
――僕の知らない桐条ちとせが、そこにいた。
挙句盗聴器をそこで「それは?」と尋ねられたあとに「盗聴器」と言って壊す始末である。ふと思い出したのか、そもそもそのタイミングで壊すつもりだったのかはわからないが、タイミングがよすぎる上に、会話の内容が内容だった。
あれだけ風見にかっこいい、素敵だと言っておきながら。
唇に紅をひく仕草ひとつでさえもあれだけ反応しておきながら。
誰とも付き合えないと言う。「まだ、だめなのか?」何がだ。少しずつ前に進めている?堂島?花村?いつもは聞かないような、落ち着いた声で話す桐条ちとせを、僕は知らなかった。
イライラしながら警視庁の人間や彼女の仕事仲間に聞いても「いない」と返ってくる挙句「どこにいるかもわからない」「今日は外回りにはいってないよ」と返事がある。何か知っているのであろう石動さんに至っては「明日は出勤するよ」というばかりだった。
特に急ぎの案件でもないが、ここまでくるとどこにいるのか知りたくなってくる。半ば自棄を起こしているといっても過言ではないのだが。
安室透として夕方まで終わり、そこから降谷零として働いて。もう、一日を終える時間が近い。今日できることはすべて終わらせた。あとは自棄を起こした原因を探すだけだ、と思って自分の足が伸びたのは、とある交番だった。
確か今日は夜勤だったはずだと思っていけば、案の定探していた男は交番に居て、奥にある部屋の椅子へ腰掛けて、テレビを見ながら机の上にあるせんべいをつまみ「あれえ?」と間延びした声をあげた。
肩甲骨くらいまである茶色の髪をひとつにまとめた、少し幼い顔立ちをした警察官は「なにしてんですか」と不思議そうにこちらを見て「あ、お茶飲みます?」とポットに手を伸ばそうとした。
「桐条ちとせがいなくなるのはなぜだ」
そして、この警察官――桐条ちとせの幼馴染であり従兄弟でもある笈川千歳から出たのは冒頭の言葉だった。
ポットに手を伸ばしたまま、こちらを見上げて何かしばらく思案したあとに「うーん」と座ったまま頬杖をついた。
「明日はちゃんと出勤すると思いますけど、降谷さん」
「わかってる」
「急ぎの仕事じゃないなら、今日はあいつ多分つかまんないよ」
それも、なんとなくわかってはいる。イライラしながら、それを隠さずに笈川千歳の前の椅子にどかりと座れば、笈川千歳は苦笑をしながら「もー怒んないでくださいって」と唇を尖らせた。イライラもしたくなる。こっちは桐条ちとせがいなくて、あれだけ探し回ったのに手がかりもなくて、自棄を起こしているんだ。
万が一事件や事故に巻き込まれていたらどうするんだ?こいつらは。と思う気持ちもあるし、あれだけ彼女の行動パターンを把握していたと思っていたのに、知らない部分があるということにも苛立っている。そう、ただそれだけだ。知らないことがある、ということに、苛立っている。
「ていうか、なんでそんなちとせ探してるんですか」
「仕事だ。あと僕が自棄になってる」
「あっはっは!自棄って!まあ仕事だとしても今日はやめたほうがいいよ降谷さん。ほんとに、ちとせは今日はいないと思ったほうがいい」
笑いながらちらりと天井に視線をやった笈川千歳は、少しだけその目にやるせなさ、のようなものをにじませる。けれどそれはほんの一瞬、まばたきをする間に消えてしまって、けらけらと笑っているだけの表情になってしまった。
――天井に何かあるのか?ここは一階建てで、上に何かあるわけではないだろう。交番の屋根の上にのる警察官なんて聞いたこともないしやるはずもな……、いや、やる可能性もあるが、外から見た感じは人がいるようではなかった。となると、何がある?屋根……、空?天気か……?今日は雨も降っていない、晴天で、満月もよく見える――……。
「……満月か?」
「……なんで?」
笑みを深くした笈川千歳は、どこか楽しそうにこちらを見ていた。何かを探るようなそれに、珍しく自分のほうが居心地の悪さを感じてしまう。
基本的に、笈川千歳という男はおちゃらけた、というか、ゆるい男ではある。桐条ちとせの幼馴染らしく、同じようなテンションで騒いでいるのを見たことがあった。というかだいたいそうだ。
別の幼馴染も加えた三人で、深夜の公園で必死にシーソーをしているのも見たことがあったし(3徹目の帰りだった為見なかったことにしたが)、よく茶番をしているのも見かける。笈川千歳、桐条ちとせがそろったときのやかましさは尋常ではない。
が、今、なんで?と聞いた時の笈川千歳の表情は、どこか試されているようなものを感じた。普段しない表情だ。笈川千歳がするにしては、違和感しか残らないような。腕を、何か不気味なものに突っ込んでいるような、妙な感覚をうけた。
「屋根は、外から見たときに誰もいなかっただろう」
「あー、ちとせはやりかねないなあ、屋根の上とか登って寝たり」
「止めてやれ……」
「桐条のお屋敷の屋根にのぼるとか言われたときはおれも行った」
行くなよいい大人が、と視線だけで言えば、へらりと笈川千歳が笑う。さっきまでの妙な感覚は、すっかり消え失せていた。
「……定期的に、期間をあけて桐条ちとせは連絡が取れない日があるだろ」
「うーん……」
また頬杖をついた笈川千歳は、考えるようにじっと僕を眺めている。その焦げ茶色の瞳に、覗いてはいけないような色が写った気がして思わずこぶしを握った。
「降谷さんさ、どこまで調べたの?ちとせのこと」
「……ほとんど、何も。僕が調べたいことは出てこなかった」
「ほおー、スリーサイズとか?おれ知ってるけど知りたい?上からさあ、あ、背小さい割に結構ちとせ胸あるんだけど」
「いい」
ぴしゃりとそれは断れば、面白くなさそうに笈川千歳はぶーぶー言っている。
のらり、くらり。そういう印象を、今日の笈川千歳からはうけた。いつもであれば、この程度の雑談、のようなものには普通に乗ってくる男があまりに珍しいことをしている。会話を伸ばしているというか、桐条ちとせのことを、言いたくなさそう、というか。
僕が桐条ちとせを調べたことを知っているあたり、この男も桐条ちとせとあの課に何かしらかかわっているのだろうが、それすらも自分では予想、憶測の域を出ない情報しかそろっていなかったのだ。
「桐条ちとせの生い立ち、桐条に引き取られたこと。学校、友人、そしてあの課が"なんでも課"なことくらいしか知らない」
「はあーん、なるほどなるほど」
言いながら、目の前の男はせんべいをばりんと噛んだ。しばらく考えながら咀嚼をして、飲み込んで。一枚食べきるころになっても、笈川千歳は何かを考え込んだまま口を開こうとはしない。
言おうか、言うまいか。悩んでいるようにも、どう誤魔化そうか考えているようにも見える。しばらく口をひらくまで待っていてやろうと思えば、すぐに笈川千歳は「降谷さんってさあ」となんでもないように声をかけてくる。
「ちとせのこと好きなの?」
「……」
さすがに返す言葉はなかった。一体何を聞いてくるのか、と思って笈川千歳へ視線をやれば、予想に反して、笈川千歳の表情は真剣そのもので息をのむ。
この男の性格からして、この手の話題だといつもの調子で聞いてくるものだと思っていた僕もいたから余計に驚いただけかもしれないが。そして、聞かれた言葉に否定を返そうとして、けれどそれは自分の口から音になって出ていくことはなかった。
桐条ちとせを好きか?
そんなこと考えたこともなかった。ただ、仕事の片手間に調べていただけだ。あの課のことを、桐条ちとせのことを。明らかに怪しい課である場所へ新人の女を配属させることも、桐条家の養女ということも、すべてが疑わしかった。
まあそれも、疑わしいことは変わりはないが、害のある活動をしているようではないことだけは確かであり、彼女の運動能力、戦闘能力、そして語学力。それは、認めるべきものであることもよくわかっているため、こうして仕事を頼むことになっている。
調べているうちにかかわることが増えて、話すことも増えて、安室透の時に会ってからは子供たちに付き合う形でポアロへ来ることも増えていた。
何かを隠していることもわかるのに、普段見せている性格に反して根は真面目であるとか、隠し事が苦手だというわりには僕の情報に何も引っかからないところだとか。
近づいてきたと思えばすっとどこかへ逃げていく、猫のようなところだとか。嫌いというわけじゃない。好ましいかと言われると、そういうわけでもない。ただ、放っておけないだけだ。
目で追いかけてしまう。どこにいるのか気になってしまう。必要以上に構いたくなって、からかって、変わる表情を見たいと思うだけだった。
ドレスが経費で落ちるというのは、まあ適当に言った嘘だった。けれど協力してもらう以上は必要経費だろうと思って、前々から口紅を予約していた店に連れて行ってみて、着せ替え人形のように試着をさせて。当日着るドレス一式をそろえただけのことで。
くるくる変わる表情も、何もかも、見るのが楽しくて。旦那さまなんて言われた時はさすがに笑うかと思ったものの、桐条ちとせの焦るところを見るのは、妙に気分がよかった気がする。よかった、というか、高揚、したのか。
――これじゃまるで僕が桐条ちとせを好きみたいじゃないか?
自問自答したところで、さっき笈川千歳が言った「ちとせのこと好きなの?」という言葉が頭をよぎった。
すき?僕が?あの、めちゃくちゃな桐条ちとせを?
「……おまえは?どう思うんだ」
「えー、おれに聞くの?質問に質問で返すのはよくないと思いまーす」
軽口をたたきながらも、その目の中にある真剣な色はそのままだった。少し笈川千歳は間をあけて、けれどふと目を細めて笑う。
「結論だけ言うと、ちとせのことめっちゃ好きでしょ」
「……」
さすがに返事はできなかった。その言葉に返す言葉がないのもあるし、笈川千歳の表情が、僕を見ているのに、その表情の先にいるのが桐条ちとせだとわかるような優しい顔をしていたからというのもある。
「ちとせをそんだけ探してくれる人って、もういないんですよね。おれたちは分かりすぎてて、距離感っていうのがちゃんとできちゃってる。……こういう日は、よっぽど心配じゃなかったら会いに行かないし」
おれたち、と言ったのは無意識だったのだろう。笈川千歳は、そのまま話続けている。
「ちとせもそれ望んでないと思う。いや会ったら会ったでただ隣に座ってぼんやりしてるだけなんですけどね」
「……どこにいるか、知ってるのか」
「まあ、なんとなく。……いつも同じ場所じゃないけど、ここかなって思ったら当たっちゃうし、今日もどこにいるのかはなんとなーく、分かるし」
まあ教えないですけどね、と、どこか困ったように笈川千歳は言う。はなから教えてくれるつもりはないのだろうことは分かっているが、そうして改めて言われると多少面白くはなかった。
けど、なるほど。何かあったとしても、笈川千歳、そして多分姉である桐条美鶴も、桐条ちとせの場所はわかるのだろう。そして笈川千歳の言い方からして、他にも数人。だから探しに行かないし、事故や事件に巻き込まれる可能性を考えていない。――まあたとえ巻き込まれたとしても、彼女であれば問題ないだろうとは思うが。
「そういや盗聴器壊したらしいですね。ちとせ」
「……どこでそれを」
「ちとせはそういうの言わないよ」
ずず、とコーヒーをひとくち飲んだ笈川千歳は「ぬるいなー」と言いながらもそれを一気にあおった。
まあそうだろう、彼女はそういうたぐいのことは他人には言わない。となると、あの時一緒にいたのは鳴上、という同級生――新米の警察官になる。
ああ、そうか。そういえば、鳴上悠という警察官も、この交番に配属になったのか。となると純粋に心配して笈川千歳に相談、ないし報告した可能性のほうが高いだろう。あの二人の会話を思い出すと、ただの友人ではなく、もっと……そう、親友、というような関係がしっくりくる。僕の知らない桐条ちとせを引き出せる、友人。
「わざと会話を聞かせて壊してくれたんだ」
「うわー、やりそう」
「……僕は、桐条ちとせを好きなのか?」
「いや、おれに聞かれてもなあ。ただ……、うーん、ちとせは……降谷さんが思ってる以上に、めんどくさいし、繊細かもなあ」
そんなの充分よくわかってるさ。
今まで仕事上の関係、そして安室透としての関係。どちらの自分も彼女と接してきた。ふたつの視点から、彼女を見ていた。だから、だからこそ、桐条ちとせが見た目通りの人間ではないことは早くに理解したと思う。
要領悪く見えるがそうではなく、何事もそつなくこなす。桐条の人間だからなんでもできると思われがちではあるが、慌てているように見える時でも頭の中ではもうずっと先のことまで考えていることが多い。性格上ゆるく見られがちではあるだろうが、真面目であり、一人で抱え込むところもあるのだ。そしてその抱えたものを、人に見せようとはしない。笑顔の仮面をつけて、ずっと笑っているような。
「……はあ」
「……今日は無理だろうけど、次にちとせがいなくなった時に、見つけてやってよ。おれはもうこれ以上ヒントは出せないですけど」
そしたらなんか、ちとせも変われるんじゃないかなって思うんです。
笈川千歳はそう言うと、自分のカップともう一つカップを取り出すと、それにコーヒーを入れてポットのお湯をいれた。
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