好きになったきっかけがいつだったのか、と考えると、いつなのかは明確には思い出せなかった。ただ、気づいたら好きになっていて、目で追いかけて、無理をしていたら勝手に心配をしていたように思う。
もしかしたら出会った時から気になっていたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。それくらい俺は桐条のことを自然と好きになっていた。
第一印象はとにかく明るく、だれとでも話せるタイプだということ。花村とは違うタイプのお調子者、といってもいいかもしれない。
今もその印象はかわらないけど、今の印象はそれにプラスして無理をすることが多く、あまり人に甘えないだとか、人に悟らせないようにするだとか、いろんなことが追加されている。
りせが入ってから少しそれも落ち着いた、というよりもりせが早くに気付いて言及をするようになったのか、二人が一緒にいるところはよく見るようになった気がするけど。
相性がいいのか、りせを助けたときからそういえばよく一緒に話しているのを見る。りせもりせで桐条にはよくなついているようだ。戦闘中も「先輩足ひねったでしょ」と俺たちですら気付かなかったようなことを、りせが桐条に言っていたのは最近だった。
「桐条?こんなところで珍しいな」
学校帰り、特にやることもなく夕食の献立を考えながら少し遠回りして帰っていれば、公園にさしかかったところでフェンス越しに桐条が街を見下ろしているのが目に入った。近づいて尋ねてみると「うわっびっくりした」と肩をはねさせた桐条が、スペースがあるにも関わらず俺が隣にいけるようにと場所をあけてくれる。
そういえば、公園のフェンスといえば。
最初に会った時に、菜々子や堂島さんと初めて会った時のことを聞いてみたらいいと言われて、堂島さんと菜々子がいるときに尋ねたことがあった。どうも、桐条はフェンスの上に立って乗っていたらしく、そのまま街を眺めていたのだという。
それを飛び降りるんじゃないかと思った菜々子と堂島さんが慌てて助けた、もとい、堂島さんが桐条を引きずり下ろし、菜々子が「おねえちゃんしんじゃだめ」と半泣きになって説得したという。陽介たちも同じようなことを体験したことがあると言っていたけど、別に自殺しようとしていたわけじゃないと本人はあっけらかんと笑っていたらしい。
――まあ、こんな、落ちたらすぐにあの世にいけそうなところに立っていれば菜々子といわず半泣きになって自殺はだめだと説得したくなる気持ちもわからなくもない。
この話を聞いた時に、堂島さんは渋い顔をしてから「ちとせもいろいろあるからな」と小さくひとりごちていた。それを詳しく聞く権利は俺にはないから深くは聞かなかったけど。
でも、その件がきっかけで堂島さんと菜々子と仲良くなったのだというし、桐条の堂島さん好きもどうやらその件から来ているらしい。
「いつもならまっすぐ帰るのに」
「鳴上こそ、いっつも忙しそうにしてるのに今日は珍しいね。この道通って帰るの」
かしゃん、と桐条が持ったフェンスが鳴った。俺を見上げる目はまっすぐで、いつもと同じ明るい色をしている。
「……ありがと鳴上、もうすぐタルタロスもてっぺんだね」
タルタロス?と一瞬疑問に思うものの、てっぺん、という単語にあのテレビの中の塔かと納得する。
りせが俺たちの仲間になってから連れて行ったら「こんなでたらめなところ探索してたの?ひとりで!?しんじらんない!」と盛大に俺たちの言いたいことを桐条へとぶちまけていたのは、ついこの間のことだ。
あと70階ほどでてっぺんだという桐条の言葉は間違っていなかったようで、あれから地道に登り続けてもう260階ほどにさしかかっている。りせに尋ねると「たしかにもうすぐ頂上だけど……」と言葉尻を濁したのはひとつ気になるところだが。
「あの塔、タルタロスって言うんだな」
「――あれ?私名前言ったことなかったっけ」
「ああ」
一瞬、ほんのわずかな瞬間。桐条は表情をこわばらせた。だけど見間違いかと思うくらいのその変化のあと、桐条はけろりといつも通りに笑う。本人もきっと無意識にしているその表情に、こういうところが放っておけないところの一つだなと自分の中で納得してしまった。
あの塔がなんなの、とか。どうして桐条が入ったことで生まれたのか、とか。そういうことは今まで俺たちの誰も聞いてこなかった。
何かあったときのためのいい修練場でもあるし、70階という途方もない階のぼらなくてはいけないという先の見えなさもあったから誰一人として口には出さなかったけど。
それに桐条から話してもらわないと意味のないことだと、全員が思っていたのだろう。りせですらあの塔については詳しく聞かず「ほんと先輩って無謀!」だけで終わっている。いや、だけ、というのも語弊があるか。
「里中あたりが"おいしそうな名前"なんて言い出しそうだ」
「ぶふっ、たしかに!千枝言いそう!」
空気をかえるためにそう言えば、桐条は楽しそうに笑う。おいしそう、と言いそうな里中を想像してか、肩を揺らして笑っている。ああ、そうやって笑ってる顔が一番好きだな、なんてぼんやりと思った。
いつも笑ってたらいいのに。悲しそうだったり、なにかをこらえていたり。そんな表情をあまりしてほしくないと思う。けど、どうせするのであれば俺の前だけでしてほしいとも思うし、俺だけが、そんな桐条の変化に気付けれたらいいのにと思う。まあ、そのあたりの変化は俺よりもりせのほうがよく気が付いているのが現状で、少し悔しくもあるのは事実だ。
仲のいい男友達より、仲のいい女友達のほうがそういう変化にも気づきやすいのだろう、と納得している。
ただ、りせは気付いているのかどうかはわからないけど、あの塔の話をするとき、桐条はあの塔ではなく、もっと別のものを見ているような気がする。別のもの、というよりも、別の誰か、だろうか。
思い出しているのか、懐かしそうに目を細めるときもあるし、戦いながら、探索をしながら、ふとした瞬間にどこかを見て悲しそうな表情をするときもある。懐かしそうに"だれか"を見ていることもある。だけどそれはすべてほんの一瞬の出来事で、まばたきをしてしまう間に変わっているようなくらいの一瞬の出来事で。
「今日の晩御飯、エビフライにしよっかなあ」
「いいな。うちもそうしようか」
「お、やっちゃいます?タルタルソースはもちろん手作りで!」
「あー、ピクルスなんてあったかな」
ころころ表情が楽しそうに変わっていく桐条が、ふと首をかしげる。「うちあるよ」と俺を見上げる桐条に、思わず「え?」と返していた。
「こないだきゅうりたくさん貰っちゃって、消費と保存のために作ったんだよね。たくさんあるから持って帰る?」
「……いいのか?」
「うん!作りすぎちゃったくらいだし、もらってくれたら嬉しい!あ、あとあの、味の感想とかもくれたらもっと嬉しいけど……」
作っても食べる人私しかいないんだもんなあ、と桐条はなんでもないように言った。そういえばあの大きな家で一人暮らしだったか。
あまり、家族のことにも突っ込んで聞いたことはない。だからどうしてあの大きな家で一人で暮らしているのかとか、家族はいるのか、とか。そういったことも、聞いたことはなかった。それを聞いたところで不便があるわけでもないし、友人として、仲間として付き合っていくのに何かあるわけでもない。
以前ちらっと、姉がいる、というようなことを話していたような気がするけど、それも話のついでだったから詳しく聞いているわけでもない。
「じゃあ遠慮なく。俺も今度何か作ったら、桐条に味見してもらおうかな」
「味見ならいくらでもする!」
フェンスから離れて、ばっと手を挙げる桐条は楽し気に笑っている。鳴上の作るものおいしいんだよなあ、とはにかんで笑う姿に、俺も思わず口元が上がるのがわかった。かわいいな、と素直に思う。身長差もあるから見上げられているせいかもしれないけど。
「食べるのはいくらでもできるから!」
「見た目によらず大食漢だよな、桐条」
「……今貶された?」
「いや、褒めてる」
自然と二人して公園の外に足を向けて、桐条の家のほうへ歩く。冗談を言いながら、桐条は昨日作った肉じゃがの話をしたり、最近の菜々子の様子を聞いてみたりとせわしなく話している。
くるくる変わる表情をじっと見て、適度に相槌や冗談を交えながら話すこの空間が、居心地がいいと思う。桐条も、そう思ってくれているといいなと思うけど。
指定の黄色いスカーフじゃなく、黒い細身のリボンをセーラー服につけているそれが、桐条が動くたびにひらひらと動いている。まわりの友人たちの制服の着こなしがそれなりに自由だから、今まで考えたこともなかったけど、そういえば黒いリボンなんて珍しいな、と今更ながらに思う。まるで、男子のブレザーについているものみたいだ。
「そういえば、桐条のリボン、ブレザー用みたいだな」
「――あ、これ?」
一瞬。ほんの瞬きをする瞬間ほどの時間。桐条の表情が固まった。けれどすぐにさっきと同じ笑顔でちょんとリボンをつまむと、うーん、と言いながらくるくるとそれを指でいじりだす。
「正解!ブレザー用のリボンなんだよこれ。前の学校のなんだ」
「へえ、そうなのか。前の学校は、都会だっけ?」
ああ、会話の選び方を、今のは間違えた。わかりにくいけど、会話の方向性を変えればどこかほっとしたように桐条は笑って「そうそう」と返事をした。もう、リボンから指は離れている。
今のは、多分聞いてほしくないことだったんだろう。あの塔の話と同じで、どこか、桐条の奥底に触れるものだったのかもしれない。大きな学校だった、と話す桐条は、保健室の先生があまりにもすごかった、というくだりを面白く話している。
あの塔を登り切れば、何か、わかるのだろうか。桐条の心が作り出した世界にできたもの。あれを登り切ったとき、あれの頂上に立った時、桐条の抱えている何か、を、理解して、一緒に考えてやれることはできるようになるのだろうか。
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