「んああ……困った……」
 はああ、と大きなため息をつき、ちとせは肩を落とす。
 場所は地下鉄──らしき場所の地下である。赤黒いモヤや血管のようなものが壁に浮いている、そんな場所だった。
 シャドウワーカーとしての仕事中なのだが、地下にフロアを移動したところですぐに行き止まりになったのだ。先に進めそうな壁はあるものの、攻撃をしても何もしても壊れる様子は全くない。
 幸いにも上のフロアとは違いシャドウは出ないようだが、進めないのなら捜査・探索の意味はなくなるだろう。
 一日かかると踏んで石動に頼み予定を空け、何かあった時のためにと翌日、翌々日も予定は入れていないのだがこれではどうしようもない。
 手が空いているのが今日はちとせしか居らず、外で何人か待機はしているもののこの妙なひずみ≠ノ入れるのは今のところペルソナ使いだけだった。
 通信機も外とひずみの中では使えない。バイタルサインの受け取りも、どうやら外では出来ないらしい。
 その点を踏まえ、この場所がタルタロスのような場所ではなく、どちらかといえばテレビの中のような場所であることまでは判明している。要は大衆心理の影響が強い場所。
 風花が居れば通信に関してはまた話は違うかもしれないが、こちらも予定が合わないため仕方がない。
 しかしタルタロスやテレビの中よりもかなり広く、移動に手間取るということで移動手段がほしいと訴えてから、試験的にKJグループによりバイクのCMが全国で放送されはじめた。
 内容としては、ポケットから出した小さなバイクのミニチュアがどんな悪い道でも走れる高性能バイクになるというものなのだが、これが効果てきめんだったのだ。
 この妙な地下鉄でも、ポケットに入れていたバイクのミニチュアが大きくなり、移動できるようになった。レールの上も全く問題なく走れるほどに。
 そしてそのCMを使って動画投稿サイトにバイクからビームを出したり、通信機を使ってスパイ活動をするなど様々なものを派生させた。こちらはあまり影響がなかったが、それでも多少は影響があるらしく、バイクから弱いビームが出るようになっていた。シャドウ相手に使えるわけでもないのだが。
 そのバイクの調整も終わりやっと探索、という時に、こんなにすぐ手詰まりになるとは思わなかった。
「まあタルタロスもこんな感じだったけど……何かないと進めないのかもなあ……」
 コンコンと壁を叩くも、何も反応しない。
 もう一回上のフロアでも見回るかなあ、それとも一回出てもう一回入り直した方が、とうんうん唸っていると、ふと、ちとせの警戒していた範囲内に何かが引っかかった。
 足音を隠してはいるが、ちとせの後ろから伺うようにちとせを見ている。気配も隠しているつもりだろうが、こういった場所でのちとせの探索範囲は、風花やりせほどではないにしろそれなりに広い。少し遠くてもわかる程度には。
 シャドウの気配ではない。そもそも敵意も何も感じないためどうするかなあ、と深呼吸をしたところで、その何かは「なあ」と声をかけてきた。
 まさか話しかけられるとも思っていなかったが、急に動いて刺激しても、とゆっくり振り返ると、少し離れた場所にぬいぐるみのような物体が立っていた。
 大きな猫のような頭には顔半分を覆うような面をつけていて、少しぽってりした猫のような体。首には黄色のスカーフが巻かれているそれは、両足で立って警戒したようにぽてぽてとちとせへと近づいてくる。二頭身ほどしかないその生き物は、長い尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
「えっと……?」
 ペルソナを使う犬、自我を持つアンドロイド、クマの着ぐるみ等様々な変わった事象は目にしてきたが、さすがに喋る猫のような生き物は初めて見た。
 が、喋れるのであれば意思の疎通が可能ということだ。大衆心理によってこの姿に変わっている別のものかもしれないが、話してみないと何も始まらないだろう。
 そう思って、ちとせは警戒されないようによいしょ、とその場にしゃがみ、数メートル先に立つその猫のような生き物に「こんにちは?」と挨拶をしてみることにした。
「ここで何してるんだ?」
 挨拶は返されず、警戒も解かれない。まあこんなところに人間がいればそれも当然だろう。
 この地下鉄にも人間らしきモノは居るが、気配を辿ってみても全てがシャドウだ。それも、ちとせを襲ってくるものとは微妙に違うシャドウなのだが。
 全員が全員、駅のホームに並び、電車がきたらそれに乗り込みこの地下の奥深くへと行ってしまう。ぼんやりした表情の、無気力症候群になった人間のような足取りで。
 そんなシャドウだらけの場所だ。警戒されないほうがおかしい。
「うーん……調査かなあ……」
「調査?」
「そう。ここ、どうも外……外っていうか……うーん……私たちが生活してる場所とは違うでしょ? そこにちょっとしたひずみがあったから、中に入って調べてるところなんだけど……」
 言いながら、ちら、と背後の壁を見る。奥に行けない、と暗ににおわせば、猫なような生き物は「なるほどな」と納得したように頷いた。
「君は? ここで何してるの?」
「ワガハイは……」
 そこで一度言葉を止めると、水色の大きな目がちとせを見上げた。不安そうなそれに、ちとせはにっこり笑ってやる。
「私ね、ちとせって言うの。名前。君は?」
 笑顔のまま待てば、ぴくんと耳を動かして、猫のような生き物はちとせをじっと見上げた。
「ワガハイはモルガナだ」
「モルガナ! よろしくね、こんな辺鄙なところで会ったわけだし」
「辺鄙っていうより……」
 有り得ない場所での出会いだ。言わんとすることが分かって、ちとせはケラケラ笑った。
「まあこんなところに人間がいるほうがびっくりするよね、シャドウしかいないし……」
「! シャドウを知ってるのか?」
 その反応におや、と思う。クマのような状態かとも思うが、気配だけではやはりなんとも言えないのだ。
 別の組織で作られたロボットというわけでもなさそうだった。生体反応がきちんとある。
「知ってるよー」
「ペルソナは?」
「知ってるよ。私もペルソナ使えるしね」
「!」
 どこまで自分の情報を開示したものだろう、と思うが、そもそもちとせは嘘があまりうまくない。変に勘ぐられるより素直に答えた方がいいだろうと返事をしていると、ペルソナが使えると聞いた瞬間、モルガナがぱっと顔を上げる。
「な、なあ、ワガハイに協力してくれないか!」
「へ? 協力?」
 ぽてぽてと更にちとせに近づいてきたモルガナは、ちとせの目の前でちとせの膝ににくきゅうのついた手を置く。
 いわく、記憶が無いだとか、パレスという場所と、この地下鉄──メメントスという場所の調査をしている怪盗だとか。オタカラを探しているだとか。とにかく記憶を取り戻したいのだという。
 パレスとメメントスについても尋ねればモルガナはちとせに色々と教えてくれた。認知の世界、歪んだ欲望を抱えた人間が作り上げるもの。
 このメメントスから、直接パレスには行けないだろうと言われたが、それでもちとせにとっては大収穫だった。
「私は私でやることがあるから全面的に何か出来るかはちょっと約束できないな……。でも協力……になるかは分からないけど、外の世界でモルガナっていう名前の人間がいないか調べることはできると思う。その名前に類似した人ももちろんだけど……」
「充分だ!」
 ぴょんと飛び跳ねて尻尾の先をゆらゆら揺らす様に、ちとせは内心微笑んだ。あまりにも可愛いのだ。本人は自分をニンゲンだと言っていたが、こうして今見ている限りはただの猫である。
「メメントスの調査も、私の仕事だからたまに来ると思う。私の仲間も入ってくるとは思うけど……悪い人たちじゃないから心配しないでね」
「そいつらもペルソナ使いなのか?」
「うん。ここ、多分生身だとペルソナ使いしか入れないと思うから」
 適正があるだけで入れたらどれだけ助かっただろうか。まだこのフロアに居るシャドウが強いものではないからちとせ一人でもなんとかなるが、今までの通りなら下に行くにつれて強くなっていってもおかしくはない。
 サポートはいくらあっても足りないくらいだ。
「あ、そうだ、モルガナ。私のこと、もし他の人が入ってきても言わないでくれると嬉しいかも……困ったことがあったら頼って欲しいし大丈夫なんだけど、私普通に警察官しててね」
 さすがにシャドウワーカーのことを他人に知られるのは良くない。同じペルソナ使いならともかくだが、そのペルソナ使いに問題がある場合は悪手である。
 最近立て続けに起きている事件に関しても、なんとなくもやもやした気持ちをシャドウワーカー全体で抱えているのだ。
「……オモテの仕事ってことか。……よし、分かった! ワガハイとチトセの秘密にしておく! ワガハイも怪盗だなんてオモテじゃ言えないからな」
 それはそうだ、と思ったがちとせは口には出さなかった。
 とりあえずそこでモルガナとは別れ、僅か数時間の地下──メメントス探索は終わった。外に出てサポート隊に合流して、ちとせは大きなため息を着く。
 情報の整理をして報告書を上げて、美鶴にも時間を作ってもらって直接の報告もあげておきたいし、モルガナに関係する人間も洗っておきたい。
「ちとせさん、大丈夫ですか? どこか怪我でも?」
 待っていた車に乗りこみ、かけられた声に「情報整理しなきゃなと思って……」と言えばさっとノートパソコンがちとせの膝に置かれた。なるほどよく出来た姉の部下である。

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