いくつもうごめく気配を感じて、私は本能的にここに居ては危険だと思いとりあえず昇降機を探すことにした。もしもここが本当にタルタロスなら、夢だってなんだってきっと昇降機や階段があるに決まってる。昇降機はなくても、階段は絶対にあるだろう。のぼっていけば、エントランスに戻るための手立てだって見つかる。それに私にはツクヨミも居るし武器だって――。

 そこまで思って、召喚器を持っていないことに気付く。それに武器…棍だって、私は持っていない。ツクヨミも、呼び出せるわけがないのだ。タルタロスに居るからと、ありえない錯覚をおこしてしまった。そうだ、いるわけがない。あるわけがないのに。
 そこで急に無力を感じて、走り出そうとしていたのをやめて立ち止まる。夢じゃないのなら、闇雲に動いたってうごめく気配…シャドウに見つかってそれで終わりだろう。戦う術がないのなら、シャドウを避けて逃げるしかない。
 慎重に歩みを進めながら、シャドウから隠れて昇降機を探す。本当にシャドウがいることにも驚いたし、ここのシャドウはそれなりに強い部類のものだろうことはすぐにわかった。ということは、タルタロスのかなり高い場所にいるんだろうことも理解できる。だからこそ、武器のないこの状態で見つかるわけにはきっといかない。
 どうしてこんなことになったんだろうとか、なんで影時間になってるんだろうとか、色々と考えたいことはあったけどエントランスまで行って考えたってきっと間違いではないはずだ。
 我ながら自分の順応力の速さに驚きながらも、昇降機を見つけてとりあえずエントランスまで降りる。そうすれば、そこも以前のタルタロスと寸分違わない光景がひろがっていて私は小さくため息をついた。
 心臓がうるさい。耳元で、どくんどくんと大きく鳴っている。そんなことあるわけないのに、まるで過去に戻ってきたかのような錯覚をおこしてしまうくらい、そこはタルタロスで、気配だってなんだって全てが…。

「みな、と?」

 思わず零れ落ちていた言葉に、私は誰もいないのに口を押さえていた。いるわけがない。いるわけがないのだ。言葉が零れ落ちたのと同時に、私の中にある何かがするりと落ちた気がしたけおそれさえも気にならない。
 このタルタロスに満ちている気配はなぜか湊を近くに感じさせて、とても遠くにも感じさせる。シャドウの気配があるから?以前となんら変わりないタルタロスだから?ちがう、もっと、別の――。

「前を向くって言いながら、湊の気配をずっと探してる自分を、まるで悲劇のヒロインみたいに思ってるよね」

 とりあえずタルタロスから出てみようと思って足を出口に進めれば、いきなり聞こえた声に私は驚いて振り返っていた。振り返った先に居たのは、月光館の制服を着て、髪を茶色に染めていない、湊と同じ髪の色をした私、だった。いや、少し、違うかもしれない。私の、影、のような、そんな気配の…私。

「私…?」
「髪を短くしてないと、湊のこと忘れるかもしれないっていう不安があるんでしょ?肉親をみんな失ったかわいそうな自分に、酔ってたいよね」
「なっ…、」

 にっこり笑う"私"に、返す言葉もなくて私は黙り込んでいた。近づいてくる私…私の影は、そっと私の前で立ち止まると私の頬を包んで至近距離で優しく笑う。

「べつに恋人になりたいわけじゃなかったけど、湊のこと、独り占めしたかったね。アイギスにもゆかりちゃんにも、誰にも渡したくなかった。…知ってるよ?」

 私はあなただから。そういう私の影に、私はそっと目を伏せた。否定したい私の心の中にあるどろどろした気持ち、だけどそれは私の中の一番奥にある本当の気持ちだった。否定をしたい、だけど…本当なのだ。前を向けない私が、きっと私はかわいくて。ずっとこのまま、時間も何も動かずにいればいいと思ってて。…みんなが前を向いているのに、ひとり置いていかれた気持ちになって寂しくなって、だけどここを動きたくなくって。

「前に向けない自分に苛々して、みんなから置いていかれたような気分になって。だけど湊のこと考えてる時、短くなった髪を見た時、自分のこと嫌いになって自己嫌悪に陥って。バカみたい、だけど自分が可愛くてしょうがなくて」

 私が思っていたことを耳元で囁くようにいう私の影を、私は無意識のうちに抱きしめていた。知ってる、全部全部知ってる。全部偽りのない私の気持ちだ。前を向こうって思ってても向けなくて、そんな自分が嫌いでだけど自分が可愛くて、そのくせみんなに置いていかれたような気分になってさみしくて、湊を思い出にできない自分に苛々して。

「知ってる。知ってるよ、いわなくたって」
「…本当?」

 優しくいわれた言葉の中、違う光を見つけた気がして私は私の影をぎゅうぎゅう抱きしめていた。よく知ってる気配に深呼吸をする。久しぶりに感じる、月の光のような優しい感覚。
 ああ、そうだ、そういえば、メティスが言っていた。ペルソナは、シャドウ。シャドウは人間のマイナスの心の部分。ごく稀に、そのシャドウを自分の心で操れる人間がいる。もしそうなら、この私の影は――。

「ずっと一緒に居たくせに。…かえっておいでよ、ツクヨミ」

 笑ってそう言えば、私の影は瞬間光の粒になってまるで雪みたいに消えていく。暖かい光を見ていたら、それは消えたかと思ったのに一ヶ所に集まり人の形を取る。光が消えていけば、その光の塊はずっと一緒に居てくれた、私の影――ツクヨミになり私の目の前にふと降り立った。金色の長い髪、月の光をよせてあつめたような私のペルソナ。

「おかえりなさい」

 言えば、ツクヨミは口元を緩めて笑ったような気がした。そんな私の影に、私も小さく笑って見せる。足よりも長いであろう金色の髪、重たそうな着物に似合わない一冊の本を持った私の影は私が笑うのを見ると安心したようにもう一度笑ってから、今度こそ光の粒子になって消えてしまう。だけど心に寄りそうようにしてある気配を感じて、私はそっと胸を押さえていた。

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