一時、亜貴は桐条ちとせという名前を聞く回数は少なくなかった。
それは桐条の勘当された長女、前当主の姉である桐条ひとはの娘の名前だ。
両親を失ったその娘を桐条が養子にするという内容の話を、パーティに招待される度に聞いていた。
特に興味もなく、関わることがあっても招待されたパーティで見かける程度だろうと思っていたのだが、人生とは何が起きるかわからないな、と亜貴は思う。
「神楽くんこっちの色じゃダメ?」
「ダサい」
「うっ、容赦ない……可愛いのになー」
亜貴の手がけるブランドであるKUKKAの店内、試着室前でパーティ用のワンピースを選ぶちとせの横で文句を言いながら、ああでもないこうでもないと言うちとせに服を選んでやる自身を過去の自分に見せてやりたい気持ちだった。
有り得ないでしょ、とばっさり言うであろう過去の自分の声が聞こえた気がして、亜貴は頭の中だけで「今だってそう思ってるよ」と苦く思う。
ちとせと知り合ったのは、まだちとせが高校二年生の頃だった。桐条主催のそれに、パーティ初参加だというちとせを現当主である桐条美鶴が連れていた。
元々一般庶民だと聞いていたちとせを舐めているような人間がほとんどだったし、亜貴もどちらかといえばそっち側だったのだ。庶民が上流階級に放り投げられて可哀想に、としか思っていなかった。
が、しかしそれは見事にいい意味で打ち砕かれることになった。
きらびやかな会場、縮こまっている少女を想像していた参加者たちは、ちとせの堂々とした様子に正直なところ言葉も出なかったのだ。
美鶴の横での立ち姿、表情や所作ひとつにしても。自身に溢れている、ということでもなく自身がなさそう、というわけでもなく。
ただただ当然のようにそこに居る。それが当たり前だと言わんばかりに。恐ろしい程に溶け込んでいた。
「はじめまして。桐条ちとせです」
会う人間会う人間笑顔で挨拶をする少女は、人好きのする雰囲気で終始にこやかに過ごしていた。
なのに隙がないその振る舞いに、やはりわかる人間はこの少女が「桐条」ちとせなのだと思い知らされることになったのだが。
だが今亜貴の目の前でワンピースを持って「こっちにこの靴は?」と隙だらけで言うちとせを、誰が想像しただろうか。
桐条と桧山がわりと接点が多かったこともあり、ちとせが貴臣と仲良くなるのに時間はかからなかった。それもありRevelメンバーともちとせはあっという間に打ち解けてしまったのだが。
警戒心の強いであろう貴臣や飄々としている羽鳥とも対等に話し、なんだかんだと亜貴自身も絆されているのを自覚しているため、それに気づいた時はちとせに当たり散らかした。
慶太に止められたが、それでもちとせには「神楽くんツンデレすぎる……ありがとう眼福……」ととち狂った返しをされ、当たる気も失せたというものである。
「なんでそんなダッサイ組み合わせになるの?」
「神楽くんが選んでくれないからだけど!?私のセンスにボロくそ言うわりに今神楽くん仕事できてなイタタタタ」
「よく伸びるね」
「いひゃいっへは!」
閉店間際に視察がてら店に出ることはちとせに伝えていた。ついでに今度ある桐条のパーティ用ワンピースコーディネートして、と言われたのももはや想像の範囲内だった。むしろちとせに選ばせて自分の服を着こなされないほうが腹立たしかったのも理由ではあるのだが。
案の定亜貴からしてみたらセンスの欠けらも無い組み合わせのワンピースと靴を合わせたちとせの頬をつねり、びよ、と伸ばす。
不服そうなちとせにぶつぶつ言いながらも目についた一着のワンピースを渡せば、あ、かわいい、とちとせがこぼした。
ちとせにはあまり勧めない色でもある白のワンピースドレスだが、ちとせの持ってきた靴とちとせの体型を考えても亜貴が手に取ったワンピースは良いだろうと思った。
「この靴にはこういうタイプの……」
「あ、でもこれ背中結構出るね」
「何?君背中見せれない程じゃないんだからこれくらいなら……」
「あ、そうじゃなくて」
背中の大きく開いたワンピースを見ながら、ちとせはどうにもはっきりしない表情でうーん、と首を傾げた。
今までにも背中の開いたものを勧めたことはあったはずである。ちとせの体型や姿勢、筋肉の付き方。今まで見てきたものを思い出しても見せられない背中ではなかったはずだと亜貴は思う。どちらかといえば綺麗な──。
「傷跡があって」
「傷跡?」
「結構広範囲でねー。治らなかったんだよね」
考えるが、今まで亜貴が見てきた中でその傷は見たことがない。確かにすすめたワンピースは今まで渡したものよりも背中の開きは大きいが。
「背中の傷は剣士の恥ってかの海賊の仲間も言ってるくらいだしちょっと」
「どこにあるの?それ」
「えっ」
聞けば、驚いたようなちとせが亜貴を見た。言いにくそうに何度かぱくぱくと口を動かすが、それが声になることはなく。
「隠せるかもしれないでしょ。それにこれが今あるやつの中で君が一番マシに見えると思うけど」
「う、うーん……着てみるだけなら、まあ」
客もほとんどいない、ちとせの貸切のような状態である。ちとせは一瞬考え、亜貴からワンピースを受け取ると試着室の中へと入った。
その間にちとせの傷の度合いを想像して隠し方を亜貴は考えるが、ふと、どうして背中に大きな傷があるのか、という思考に至る。
桐条家といえば先々代がかなりきな臭い動きをしていたことで一部では有名である。それを払拭させてきたのが先代と当代の当主だった。
今となっては純粋に世界有数の大財閥、として名が売れている。
先々代ならばともかくとして、背中に傷がつくようなことを先代や当代が行う訳でもないだろう。Revelとしても知りたい情報ではあったためにちとせのことはあらかた調べているが、大怪我を負うようなことも無かったはずである。
「神楽くん着たけどこれやっぱ背中の傷見えちゃってない?」
しゃ、とカーテンを引いて出てきたちとせは亜貴にワンピースを着ている自分を見せるのもそこそこに、髪をよけて背中を鏡で確認していた。
背中が出ると言っても二分の一も出ていないのだが、ちとせからしたらかなりのものらしくそわそわと落ち着かない様子だった。
「こっち」
背中を亜貴のほうへ向けさせ、髪をよけて確認する。
確かに、大きく開いた布地から傷跡が少し見えているが、化粧で誤魔化したら分からない程度だろう。背中の真ん中、やや下側に十センチほど伸びているらしい。
少し引きつったようになっているそれは、事故やそういったものの傷跡ではなさそうだった。どちらかといえば、刃物や、鋭い何かで切りつけられたような。
す、と指で傷跡をなぞってしまいちとせが肩を揺らす。くすぐったいんだけど、と笑いをこらえるように言われて、亜貴ははっと我に返った。
「化粧とかで隠せる程度だけど」
「あ、そうなんだ……でもなあ……」
やはりなにか思うことがあるのか渋るちとせに、亜貴は顎に手を当てる。
せっかくの背中のラインを隠すなんて野暮ったいことをやりたいわけではない。
かと言って客であるちとせに、デザインしたとはいえ店員である自分の好みを押し付けるわけにもいかない。
もっと近しい──それこそ恋人であればまた話は別だろうが。
そこまで考え、亜貴は「ありえないでしょ」と小さく呟いた。それにちとせが「私!?ごめん!?」と謝ったが、違うから、と返し亜貴はため息をつく。有り得ない思考に流されかけていた自分に喝をいれ、赤くなりかけた頬を隠すように「ちょっと待ってて」と店の奥へと消えていった。
「えっこのまま!?」
「桐条様、靴も試着なさいますか?」
「あ、は、はい」
ワンピースを着たまま、ちとせは別の店員に促されソファへ座る。そのまま靴を履いてみて感覚──動きやすいか否か──を確かめ、うん、と頷いた。
鏡を見てみれば、確かにハッとするほど色も、形も、全体的なまとまりも良く、ちとせに似合っているのだが。背中が大きく開いているのも、普段より大人っぽく見えていやらしさなんてものはなかった。
そう、それ自体は抵抗はない。ただ、他の客に傷跡があるのを知られるのが嫌なだけで。
最近は減ったが、桐条の親族などは未だにちとせを嫌煙する者もいるのだ。少しの隙も見せたくはなかった。
「これ……髪はアップの方がよさそうですね」
「そうですね、少しまとめられますか?」
「うしろでまとめます」
仕事帰りのくたびれたスーツで死にかけた顔色で店に入ったため、髪の毛も多少ぱさついている。
いつもはまとめているが最近面倒で流したままにすることが多かった髪を手早くひとつにまとめ、くるりとゴムを通す。途中で止めて背中が見やすいようにしたところで、亜貴が紙袋を抱えて帰ってきた。
鏡の前に立っているちとせを見るなり、側にあったソファへ紙袋を置き何かを取り出して強制的にちとせの背中が見えるようにちとせを回し、その何か、を大きく開いたワンピースの背中へとあてがった。
「うわ、なに」
「レース。試作だけど。中からわざと見せるようにしたらそれも目立たないでしょ」
いくつも持ってきていた繊細な編み込みがしてあるレースをいくつかあてがい、亜貴は次々に紙袋の中にいらなくなったものを戻していく。
あまりの手早さにちとせがそのレースを確認する間もなく、亜貴はぴたりと動きを止めた。
何度かちとせから離れて確認して、無言でちとせの背中の部分にレースをさしこみ「見て」と鏡を指さす。
いやさすがに背中触る時は一言欲しいけどな!?と思いながらも背中側を鏡で確認すれば、大人っぽい雰囲気だったワンピースは、レースひとつにより大人っぽさの中に初々しさも残る可愛らしいものに変わっていた。
ドレスよりも少しクリーム色がかった繊細なレースは、ちとせの背中の傷跡もうまく隠してくれているようだ。
「うわ、かわいい」
「これにしなよ、ゴリラには見えないから」
「これにする!」
亜貴がレースを背中から抜くのを見ながら、ちとせは笑う。「これ今度つけたやつ送るから」と亜貴に言われ、ちとせは首を傾げた。
「さっきみたいに差し込むだけじゃダメなの?」
「僕がそんなの許すと思ってるの?」
「あ、はい」
申し訳ありません、と視線をそらしたちとせは、そおっと試着室へ戻りくたびれたスーツへと着替えることにした。その間に靴やその他細々したものの精算をしてもらい、着替えてから桐条のほうのカードを渡した。
ちとせはワンピースも靴も、値段を全く聞いていない。というのもそういった物は必要経費だと桐条のほうで引き落とされるからなのだが。恐ろしくて聞けないのもあって、パーティ用の衣服を揃える時ちとせは値段を見るのを辞めた。
自分で買わないとなると、美鶴がちとせのために完全オーダーメイドで新しく何百万もするものを作ってしまうため、値段を見なくとも自分で選ぶほうが遥かに安く済むのである。
亜貴もそれがわかっているため、ちとせに勧めるものの値段は一定だった。
「来週には届くようにするから」
「神楽くん忙しいのにありがと!」
レースひとつ取り付けるだけだ。亜貴がするとは一言も言っていないが、ちとせは確信したように亜貴にお礼を言った。
少しの手直しではあるが、ちとせへの対応がそれなりに特別であることはちとせもよくわかっている。──お得意様故、というのももちろんあるのだろうが。
そしてその、少しの特別を、大体は亜貴がしてしまうこともちとせは知っていた。
「僕がするなんて一言も言ってないし勘違いしてもらっても困るけど」
「でもお礼は言うよ普通に!いつも感謝してるし、神楽くんの服好きだからつい甘えちゃうんだよねー!今度は普段着買いに来るから!」
ちとせは大きく手を振ると、店を出て家への道──ではなく、警視庁の方向へと歩いて行った。
多少早いもののちとせが最後の客だったため閉店準備をはじめながら、亜貴はちとせの背中の傷跡を思い出していた。
普通に生活していて、あんな傷ができるわけはないだろう、と。
けれど桐条は調べても驚く程に何も出てこないのだ。桐条美鶴云々ではなく桐条家としては多少引っかかるところはあるものの、当主は堅実であり、全うに生活をしている。過去を調べても面白いくらいに何も引っかからない。
すべてにきちんと裏が用意されている。そんな印象を受けるのが、桐条家であり、そして桐条美鶴、ちとせだった。
なぞった傷跡は完治していて引きつれた跡が残っているだけだったが、かなり大きな怪我だったのだろう。あの傷跡に、見えない桐条家が見えそうな気がして、亜貴は首を振った。
(考えてもしょうがないでしょ馬鹿らしい)
亜貴からしてみたら、桐条家だなんだと関係の無い話だ。依頼があれば情報のひとつやふたつ集めることは容易だが、今亜貴が考えていたのはごくごく個人的な感情の話である。
なぞった背中の感触や、くすぐったい、と言ったちとせの声、好き、と言った時の笑顔を急に思い出して、亜貴は頬を隠すように片手で顔を覆って、はあー、と大きくため息をついた。
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