桐条主催のパーティに、亜貴は参加するつもりはなかった。だが直前になってRevelのほうの仕事で急遽四人全員がそのパーティに潜り込ませてもらうことになったのだ。
 ちとせに招待状を融通してもらい、桐条美鶴にも取り成してもらっている。情報収集の許可ももらっているため自由に動き回ってもいいとは言われているのだが。

「…………」

 二人一組で会場の中をうろついていた時に目に入ったちとせに、亜貴は充足感を感じていた。
 亜貴の手直ししたドレスに靴。髪はきれいにまとめられており、ドレスをたてる髪型になっていた。 その髪に飾られているのは以前亜貴が気まぐれに作ったレースのバレッタである。普段使いしたら、と渡したのだがスーツ姿のちとせがつけているのは見たこともなかったものだ。
 ピアスとネックレスはちとせが気に入って使っているものだったが、それでもメインのワンピースは亜貴が手がけたものという事実に気分は一気に浮上した。
 視界の隅に入っただけだったが、一緒に行動していた貴臣が「機嫌が良さそうだな」と言う程度には、亜貴は分かりにくいながらも気分が良かった、のだが。

 パーティがはじまり一時間ほど経った頃である。ある程度欲しかった情報も集まり、むしろそれ以上のものを桐条美鶴が自ら提供してくれ、Revelとしてはかなり良い仕事になった。
 ちとせにも言えることだが、美鶴もまた独自に拾った情報だろうと無償でRevelに流すことが多い。
 危険の伴わないものばかりではあるものの、手間が省けるという点においてはかなりの手助けである。
 さすがに危険だったりするものはRevelのほうから働きかけなくては情報も出してこないのだが、それでも良い協力者だ。

「アキさん!」

 あとは各々パーティを楽しめばいい、と貴臣にも言われたが船上パーティということもあり、早々帰れない亜貴は慶太を探して甲板にでも出ようと思っていた矢先である。
 ちとせの声がごく近くでして、ピタリと歩みを止めていた。
 聞きなれないアキ、という響きに、けれど一瞬どきりとしてそちらを見れば、ちとせは亜貴に背中を向けた状態でスーツ姿の男性と話していた。
 色素の薄い白っぽい髪に、スーツで隠れてはいるが体格も良さそうな男だ。
 その男はちとせを見るなり目を細めて「ちとせ」と笑う。親しみの込められたそれに、亜貴の心臓が嫌な音を立てた。
 顔は見た事があった。もちろん書面上だけの話だが。──真田明彦。
 警察官僚として警察庁で働いている、ちとせや美鶴の友人である。
 ちとせが中学の時に同じ寮で暮らしていた程度の接点しかないはずなのだが、仲の良さは今、亜貴の目から見ても明らかである。

「久しぶりー!元気してた?」
「俺のことより、石動さんから聞いてるぞ。ちとせが滅多に休まないから胃が痛いそうだが?」
「アキさんにまで言う……!?」
「連れて帰ってくれと泣きつかれたな」

 ちとせを見ている限りでは、いつもよりもずっと近い精神的なその距離に、亜貴はもやもやもしたものが胸にたまっていくのを感じていた。
 腹が立つだとか、そういった感情ではなくもっと別の何か、ではあるのだが。
 ちとせもこういった場では隙を見せないようにと完璧な令嬢でいようとしているのだが、それが明彦を前にすると緩和されているような気もするのだ。面白くない、と亜貴は思う。

「仕事が早く片付いて俺も助かってはいるがな。体は大切にしてくれ」
「そ、それよりアキさんだって忙しいんじゃ?」
「話をそらすな」

 苦笑をする明彦がちとせの額にデコピンをした。イタッ!と額をおさえたちとせが不貞腐れたように唇を突き出すが、その表情は親しみや親愛といったものが込められているのがわかる。
 亜貴に向けられたことの無い表情、Revelの中で亜貴を呼ぶ時だけは未だに苗字ということも、今の亜貴にとっては胸の中のもやもやした気持ちを増幅させた。

「そういえば今日の服は珍しいタイプだな。似合ってるが」
「うわ……アキさんが服ほめるなんてそれこそ珍しい……あのプロテインと肉にしか興味が無いアキさんが……?」
「美鶴に最近やたらと言われるんだ。そういう方面も気にしないとこの業界ではやっていけないと」
「ああ……まあアキさんはそうかも……」

 呆れたように言うちとせに、明彦は不服そうにため息をつく。姉妹そろって、と呟いて、なんでもないように明彦はちとせの背中を見る。

「そんなに背中が見えるものは普段は着ないだろう?──いや、うまく隠してるのか」
「ふふん、可愛いでしょ」

 くるりと一度まわり、どうだとちとせは顎を上げた。その様子に明彦は目を細めて笑った。まるで大切な妹を見守るような、そんな笑顔だった。
 亜貴自身盗み聞きも盗み見もするつもりはなかったが、ほど近くにいるため否が応でも目にも耳にも入ってくる。
 隠しているのか、と言うあたり明彦は背中の傷を知っていたということになるのだが。──どこで見たんだ、と、亜貴の中で疑念がわいた。
 明彦とちとせは決してそういう関係ではないというのは亜貴も知っている。が、現に、普段では絶対に見えない傷跡の位置を把握している、というのは。

「ちとせ」

 その名前を呼んだのは無意識だった。
 そういえばちとせの名前を呼んだことはなかったのだが、桐条と言うにもこの場ではふさわしくないように思った亜貴は、考える前にちとせの名前を呼んでいた。
 聞き慣れない声でちとせと呼ばれ、当の本人はぱっと顔を上げる。それから亜貴を視界にいれると、驚いたように目を見開いた。

「えっ……神楽くん?!」
「ちとせ、俺は美鶴のところに戻る。またな」
「あ、え、うん、また連絡する……」

 亜貴が来たことにより、明彦はそう言ってゆったりと美鶴がいる方向へと歩いていった。
 亜貴とすれ違う時に会釈をしたが、亜貴はそれになにか返す気分ではなく。
 よくわからないもやもやが胸を埋めていく焦りに、一度落ち着くように息を吐いてみるが気持ちが落ち着くことは無かった。

「えっと……?」

 混乱しているらしいちとせが、恐る恐るといったように亜貴へ近づいてきた。我ながらに子供っぽいことをした、と若干の後悔を抱かないこともないが、そう思ったところで後の祭りである。
 けれど真っ直ぐにちとせを見ることは出来ず、すっと視線はそらしてしまった。
 背中の傷跡を見たことがある口ぶりや、ちとせを名前で呼んだこと。見たことの無い表情をさせられること。とにかくよく分からないまま、亜貴にとっては全てが気に入らなかった。それだけで。

「ちとせ」
「……は、はい?」

 確かめるようにもう一度名前を呼べば、か細く返事が返ってくる。
 いつもみたいに明るい調子ではないそれに視線をちとせへとやれば、ちとせは亜貴を見あげながら眉を下げているところで。
 情けない顔だと言うことは簡単だったが、それを言うのはなんとなくはばかられた。今、この場で眉を下げるような表情をすることも、ちとせにとってはかなり珍しいものだ。

「……なに?」
「いや、なに、っていうか」

 いつまで経ってもちとせは何も喋らず、亜貴も続きの言葉は出てこず。じっと見つめられるのに耐えかねてきて思わずそっぽを向いて無愛想に尋ねれば、ちとせは亜貴の視界の隅で頬を一気に赤く染めてしまった。
 そらしていた視線を驚いてちとせへ戻せば、ちとせははっとしたように片手で頬を覆う。
 へら、と笑うその様は今まで見た事がない部類の笑顔だった。──照れているような、そんな表情である。

「あ、あは、名前呼ばれたのはじめてでびっくりしたっていうか」
「なに?嫌なら」
「いやじゃないから!そのままで、だ、大丈夫……」

 ぽぽぽ、とますます赤くなるその頬に、亜貴も自分が知らずに熱を持っていることに気づいた。
 ──普段から亜貴がどんなきついことを言おうともツンデレだなんだと言うちとせである。
 人の気配にも敏感であるため亜貴が近くにいることにも気づいていたのだが、その亜貴の行動があまりにも分かりやすく、一瞬遅れて理解をしたと同時に体にその熱が反映された。
 アキさんに嫉妬したみたいだ、と。
 亜貴ですら気づきかねているであろうちとせへ向かってくる気持ちに、ちとせが先に気づいてしまった。
 不器用なのか器用なのか分からない、ちとせへ向かっている純粋すぎる気持ちに、ちとせが照れるのも無理はないだろう。
 今まで生きてきた二十数年、ちとせはそういった気持ちを向けられることもなく生きてきていた。あったかもしれないが、早めに察知して距離をとっていたというほうが正しいのかもしれない。

「わ、私も神楽くんのこと名前で呼んじゃおうかな」

 話と気持ちをそらすための話のつなぎだった。ここでいつもであれば亜貴が「はあ?何言ってるの?」と言うところなのだ、ちとせの予想に反して亜貴は「好きにすれば」とちとせの言い分を肯定してきた。
 普段から分かりにくくはあるが、今の亜貴の言葉を素直に受け取るならば「呼んでいいよ」である。
 墓穴掘った、とちとせは思ったが提案を受理されてしまったので取り消す訳にもいかない。し、名前で呼びたいなとも思っていたのは事実だ。

「えっと、じゃあ亜貴くん」

 普段通り、と頭の中でとなえ、なんとか外面を持ち直したちとせが名前を呼べば、亜貴は一瞬固まって、それからはあー、と大きなため息をつき顔の半分は右手で隠されてしまった。

「うそでしょ……」
「えっ!?ダメ!?」
「好きにすればって言ったはずだけど?」

 顔を隠しているため表情は見えないが、そっぽを向いている亜貴の耳が赤くなっているのを見て、ちとせは自分もつられないようにと唇の内側を噛んで耐える。
 亜貴が名前で呼ばれた瞬間に、亜貴の中ですとん、と腑に落ちた思いがあった。それに気づいてしまい、先日からあった妙な気持ちも、先程感じていたもやもやした気持ちも、全てに納得がいってしまったのだ。
 まさに、子供のようなことをした、である。
 学生でもあるまいし、と亜貴は自分を叱咤し、ちらりとちとせへ視線をやった。もう照れてはいないようだが、落ち着かずそわそわとしている。
 真田明彦が背中の傷跡を詳しく知っていたことには未だに嫉妬心を覚えるものの、それでも照れた顔を見れただけで胸のつかえはとれている。
 我ながらに単純すぎるとは思うが、もやもやした気持ちはほとんどなくなっていた。
 

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