自分の下で横たわるなまえの背中を見ながらキバナはごくりと喉を鳴らした。
白く華奢な背中にキスをすれば、びくりと肩を揺らし、けれど嫌がるわけではなく「キバナ」と切なそうにキバナの名前を呼ぶ。
真っ直ぐの銀髪が背中に散らばり、空よりも薄く透き通った瞳は涙をためてキバナを振り返って見上げている。
「なまえ」
「ん……」
組み敷いている幼なじみの名前を呼べば、なまえはきゅうと目を閉じた。
その白い背中には自分がつけたらしい鬱血痕がいくつもあって、繋がっている場所は異常なくらいに熱かった。
バクバクと鳴る心臓。やっと手に入ったのだと思う高揚感にも似た何かを感じながら、キバナはぐっと奥歯を噛む。
髪の毛からのぞくうなじに噛み付くようにしてやればなまえはびくりと肩を揺らした。
「なまえ、そろそろ動いていい?」
耳に直接吹き込むように尋ねると、なまえはぱっと顔を赤くして、けれど甘ったるくあえぐようにうん、と呟いた。
──そんな夢を見て、早五日目の朝である。
聞いたこともない幼なじみの嬌声やら、甘ったるい声やら、見たことも無い裸体。夢の中で感じた高揚感や感覚等が夢とはいえキバナの頭から出ていくこともなく。
「ああーー……」
ナックルスタジアムにある事務所内、奥部屋で、キバナは椅子に座ったまま背もたれにもたれて大きく伸びをした。
昔から片想いである幼なじみに対しての気持ちを拗らせている自覚はおおいにあるのだが、夢まで見たのは初めての経験である。しかも内容がとんでもない。
これは顔がしばらく見れない、と思っていたところにトーナメントやらの雑務が入ってきて、事務仕事でほとんどキバナはスタジアム事務所にカンヅメ状態だった。
平素であれば三日に一度はなんやかんやで顔を見ていたのだが、今回ばかりは仕事で立て込んでいることに感謝せざるを得ない。
今顔を見たところで思い出してしまいもやもやするのが関の山である。
うまく喋れる気もせず、しかも長年幼なじみとして接してきたなまえは誤魔化してもキバナの変化には気づいてしまうのだ。
キバナがなまえを好きだと自覚したのは、初めて異性と付き合った時だった。
その時は告白されてなんとなく、で交際をはじめたのだが、これが全く嬉しくなかったのだ。
ことあるごとになまえなら、なまえとだったら、と考えている自分に気づき、そこで自覚をした。
自覚をしてすぐになまえに探りを入れてみたのだが、もうその頃にはなまえはパティシエを目指しており、キバナが誰と付き合おうが誰を好きだろうがまさに関係ない。パティシエ一筋。お菓子一筋になってしまっていたのである。
挙句キバナが他の女と付き合っていることを知っていたので、その時点でなまえの中から異性としてキバナは消え去っていた。
良くも悪くも幼なじみ以上になれなくなっていたのだ。
そのことに気づいたキバナは、そこでやめれば良かったのに色々な女性と付き合っては別れを繰り返した。
なまえに似た容姿の女性ばかりだったのが、年上の女性、年下、同い年、とにかく色んなタイプの女性と付き合っては別れを繰り返した。
と言っても振られるのはだいたいキバナのほうだ。別の女を見ているのがわかるらしい女性たちのほうから、一番にしてくれないならもういいと言われる。
まさに女性たちにもなまえに対しても最低の行いであった。
「また振られたの? 人間と付き合うの向いてないんじゃない? ポケモンだけにしときなよ……」
と中々辛辣なことをなまえに毎回言われるのだが、振られたという噂を聞いたなまえは毎回キバナを慰めに──罵倒しに──やってくる。手作りのお菓子や新作を持って。
なまえ自身、店長として経営する店がある忙しい身でありながら、毎回と言っていいほどに長時間キバナとくだらない話をして帰っていくのだ。
持ってくる手遊びで作った菓子はほとんどがなまえの推しジムリーダーであるカブ関連のものだったが見た目も可愛く味も抜群なので若干もやもやするものの気にはならなかった。
なまえが自分のために時間を使ってくれることに喜びを感じていた。
さすがにジムリーダーになってからは女性と付き合うことも減り、今ではほぼフリーでいる状態である。
そうなる励ましにやってくるなまえと会うことも減ると思っていたのだが、差し入れだと言ってケーキを持ってきたり、キバナのバトルの相手をしてくれたりとなんやかんやで会う頻度は増えていた。
なまえが自分に会いに来ることや、自分に時間を使ってくれること。自分のことを考えている時間が少なからずあるのだろうことだけで自分の中のなまえへの気持ちが落ち着いていく。
もちろんキバナ自身がなまえへの気持ちをこじらせている自覚はあるため、あんな夢を見た後になまえの顔を見たらうっかり何かしでかしやしないかとそちらも心配なのだ。
せめて夢を整理するまでは会わないようにしようと思っていたところに山積みの仕事が入ってきてちょうど良かった。
それでもずっと休憩もせず働き詰めも面倒だな、と机の上にある冷めたコーヒーを入れ替えようとコップを持ち、あと少し入っていたそれを飲もうと口をつけた瞬間、コンコンとノックの音が響く。
「ドーゾ」
「あ、生きてる。おはようキバナ」
「ぅぐっ」
一気にあおったのと、部屋になまえが入ってきたのは同時だった。
思わぬ来訪者に噎せ、ごほごほと咳き込むキバナに慌てたように近づいてきたなまえは持っていた箱を備え付けてあるローテーブルに置いて、キバナに近づいてきた。
慌てて飲むから、と呆れたように言うなまえだが、キバナの背中をさする手は優しい。
その際にふわりと香った砂糖菓子のような甘いにおいに、先日の夢が重なってキバナは咳き込みながらも喉の奥から何かがせりあがってくるような気分になる。
抱きしめたいだとか触りたいだとか、そんな感情が今にも出てきそうだった。
けれどそんなことを急にすればなまえはキバナに会いに来ることがないだろうことも長年の付き合いで分かっているため、なんとか理性で押しとどめる。
落ち着いたところでなまえに「悪いな」と言えば、なまえは「歳?」と真顔で尋ねてきた。
「同い年のなまえもそうなると歳ってことになるんじゃないのか?」
「確かに」
くすくすと楽しげに笑うなまえに、キバナは眉を下げて笑った。キバナのほうは夢のせいで考えることが多いのだが、当たり前だがなまえはいつも通りである。
銀色にも水色にも見える髪は今日はハーフアップにされていて、服も白いレースのワンピースで全体的に儚げに見える。
ピアスだけが赤く、小さな雫型のものだがなまえ曰く推しの色らしいので見慣れたものだ。
いやに可愛い服だな、と思うが口には出さなかった。これからデートなんだよね、などと言われたら立ち直れる気がしない。
なまえに一番近い男は自分だという自信はあるが、所詮は幼なじみである。もはや家族枠といっても過言ではなかった。
「珍しく事務仕事から逃げられないって聞いて、これ差し入れ」
「おー、悪いな」
なまえの店の紙袋に入っていた大きめの箱を受け取って、構わずその場で開く。
その間になまえはコーヒーを入れる準備をしに部屋から出ていった。
いつもの光景である。差し入れのお菓子は一緒に食べて、キバナは少し休憩をしてなまえと話す。問題なのは二人きりで多少キバナがソワソワするくらいだ。もちろんそれを誤魔化さないといけないというのが一番の問題なのだが。
煩悩よなくなれ、と何度もとなえて箱を開けると、そこにはいつも通り炎ポケモンのアイシングクッキーがところせましと入っていた。
カブ推しだと豪語し、カブの出るトーナメントは全てチケットをとるために戦っていると言うだけはあり、なまえの作る菓子のモチーフは炎ポケモンが多い。
アイシングクッキーは店には売り出すものではなく、完全に趣味で作っているらしいのだが出来栄えはさすがプロ、売り物だと言われてもおかしくないものばかりだ。
相変わらずすげぇな、と思いながらデスクの前にあるローテーブルへその箱を置き、二人がけのソファへ座る。
前方にも同じようなソファがあり、普段ならそこがなまえの定位置だった。
ロコン、マルヤクデ、ガーディ、ブースター。
手遊びにしては凝りすぎているそれをひとつひとつ見聞しながら、ふと、底の方に赤っぽくない色合いが見えた気がしてキバナは首を傾げていた。
これもまたデコレーションされたドーナツでも入っているのか?と思って掘り起こすと、底から出てきたのはキバナの手持ちポケモンたちを含めたドラゴンタイプのポケモンが描かれているアイシングクッキーだった。
ジュラルドン、ヌメラ、カイリュー、アップリュー。
思わずそれを覗いたまま固まっていると、コーヒーをいれて戻ってきたなまえが「あ!」と少しだけ焦ったような声をあげてキバナの横へと腰かける。
そこかよ、と思うが声に出すことはしない。焦っているのはもちろんキバナだけだ。
「見るの早い!」
「んなこと言われても」
「どんな顔するのか見たかったのに」
本気で怒っているわけではないらしいそれに、指先でヌメラのクッキーをつまむ。
今にも動き出しそうななんとも言えない可愛さがある。表情ひとつとっても愛らしい、生きている顔をしていた。
「これSNS載せてもいい?」
「え? いいけど」
逆にいいの? となまえは尋ねるが、差し入れでもらったって言うだけ、と付け加えて指でつまんだアイシングクッキーをスマホロトムで撮影する。
つままれて楽しそうな表情にも見えるそれに、キバナは自然と口角が上がっていた。
いつも炎タイプのポケモンばかり作っていたなまえが、はじめて自分の使うドラゴンタイプのポケモンのクッキーを作っただけなのだが、それがとにかく嬉しかったのだ。
キバナの相棒たちがメインで、あとは作りたいものを作ったのだろうが。
しかしどういう風の吹き回しなのか。普段あれだけカブ推しを豪語し、作るものも炎ポケモンが多い。
少なくともキバナが知る限りでは炎のポケモン以外のアイシングクッキーなど見たことも無い。
そもそもアイシングクッキーに限らず、店に出しているものも炎ポケモンが大半である。
「珍しいな。なまえがドラゴンタイプの菓子作りするの」
SNSに画像をあげ、スマホロトムをポケットへと戻す。
なまえがいれてきた少し苦めのコーヒーに口をつけながらなまえを見ると、ひょいとジュラルドンのクッキーを手に取り顔の前で小さく揺らす。
「仕事で疲れて私とも会えないくらい忙しいキバナに、癒しを届けに来たよ」
多少裏声でクッキーに喋らせているように見せたなまえは、そのクッキーをキバナが何か言う前にキバナの口に放り込んだ。
要は心配して、わざわざ普段作らないものを作って持ってきたということだろう。キバナがなまえに会いにも来ない、連絡もない、聞けば仕事が忙しい。
定期的に会っていた幼なじみの顔が見えないともなれば、心配するのも道理ではあるかもしれないが。
「ちょっと休憩してまた仕事頑張ってね」
次はヌメラのクッキーを準備しているなまえを見て、キバナは思わず息を吐き出していた。
ああ、どうしようもなく。
「はあ……好きだな……」
「…………」
妙な沈黙が落ちていることに気づき、キバナは思わず自分の口を押さえた。
ドッドッと心臓が嫌な音をたてている。
あれ、オレ今口に出した……?
背中を冷や汗が伝っていきなまえの顔が見られなくなる。だらだらと嫌な汗と嫌な心臓の音を聴きながら、ごく、とキバナは生唾を飲み込んだ。
「やっぱりヌメラが一番好き?」
「え?」
「ん?」
視線をなまえに戻すと、ヌメラのクッキーを顔の横に掲げてにこにこしている。
タイミングが良かったのか悪かったのか分からないが、好きだと言ったのをどうもなまえはヌメラのことだと思ったらしい。
いやそこは気づけよ、と盛大に心の中でツッコミを入れるものの、やはり言葉にすることなくキバナは小声で「そうだな」と言うしか出来なかった。
こんなタイミングで言うつもりないし、そもそもここで断られるにしろ万が一色良い返事が返ってくるにしろ夢の内容を整理できていない自分が何をしでかすかわかったものではない。
現に口が滑っている。
ヌメラのクッキーも口に入れられ、もうなんでもいいやとキバナは半ば投げやりに思いながらコーヒーをひとくち飲み込んだ。
「じゃあ私帰るけど無理する前に寝てね? キバナ」
「おー、ありがとな」
一時間程して、なまえが帰るために立ち上がった。
余ったクッキーはおやつにでも夜食にでも配るでも好きにしてねと言われたが、配ることはないなと見送りに出たスタジアム前で思う。
クッキーにさえ独占欲を出してしまうのを自分でも笑ってしまうが、他の人間に折角作ってきてくれたクッキーをやるつもりはまるでなかった。
「……これから買い物でも行くのか?」
「え? もう家に帰るけど……」
特に用事もないし、と付け足すとなまえは首を傾げる。
デートだと言われると泣きそうだったが、のんびりキバナとお喋りをしていたあたりそれはないなと思って今日の予定を探るが予定もないと言う。
いつもよりもずっと小綺麗にしていたのに、だ。
「ワンピース珍しいからどっか行くのかと思ってたわ」
へら、と笑えば、なまえは少し悩む素振りをしたがキバナに近寄ってきて屈めと手招きをした。
内緒話をするように口元に手をかざすと、なまえは屈んだキバナの耳元であのね、と口を開く。
「可愛いクッキーと、可愛い幼なじみ見て癒されて欲しくてオシャレしたんだけど」
言うなり、なまえはぱっとキバナから離れて「じゃあまたね」と手を振って人混みに消えていった。
言われた内容を理解することができず、しばらくキバナは屈んだ格好のまま固まっていたが、じわじわと言われた事を理解したあと、その場にしゃがみこんで頭を抱えた。
「いやオレはどう受けとりゃあいいんだよ、それ……」
キバナのためにお洒落をしてきたということだ。
なまえ以外の異性にされるのなら、ああオレに気があるんだな、と思うことはできるが、相手がなまえとなると一概にそうとも言えず。
普段からパジャマ姿やらジャージ姿やら嫌というほど見ているし見せている相手だ。気心知れすぎている。
幼なじみの軽口とも、好かれているともとれるのだ。今の今まで好かれているのかもしれないと思ったことは無いし、なまえがそういう態度をとったこともない。
良くも悪くも幼なじみだった。
考えても何もできず、キバナは頭を抱えたまま、大きく息を吐いた。
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