そして二日目の昼である。
 簡単なお茶会と聞いていたのだが、何が簡単なものか、となまえは心の中で盛大に突っ込んだ。
 朝食から家では到底食べれないようなふわふわのパン、シャキシャキのサラダ、亜麻色のスープにふわしゅわのオムレツを食べて「このままここに居たら太りそう」という危機感を抱き昼は抜こうと思っていたにも関わらず、昼食とお茶会を合体させたようなそれはなまえの空腹を刺激した。
 宝石のようなフルーツに、ふわふわの白いパンにはさまれたサンドイッチ。
 朝食べたものよりずっと具の多いスープに高級魚だと見てすぐに分かるような魚のムニエル。
 マカロンやケーキ、クッキーといったお菓子まで揃っているそれを前にして、もう食べられないと朝悲鳴を上げていた胃がぐぅと鳴った。
 さすがに昼間、お茶会といった明るい場所のためドレスは地味なものではなく少し明るい水色のものにしているが、前日の食べっぷりを見たメイドが何も言わずにコルセットを緩く閉めてくれたのになまえは感謝した。
 太ってもいいからとりあえず食べよう、とここでもまたなまえは決意をする。
 できるなら明日帰るまでに調理の仕方のひとつでも聞きたいところだが、皇帝お抱えの料理人からそんなもの聞けるわけもないだろう。
 そうなると食べて味を覚えてチャレンジするしかない。そう、食べて覚えるしかないのだ。
 そう言い聞かせて、なまえはこの日も令嬢たちに囲まれているピオニーに目を向けることなく家で食べることの無い軽食を幸せな気持ちで食べ続けた。
 が、このあたりでなんとなくなまえは自分が浮いてることに気づき始める。
 エスコート役の父や兄もおらず、ひたすらに食べ続けている令嬢。浮かないはずもないのだが、貴族たちから何を言われようと特になまえは気にならなかった。
 そもそも貴族社会にはほぼ参加していないのだ。知り合いもおらず、名前を知られているわけでもない。
 好きに食べて好きに料理を覚えて帰っても、そのうち噂がすぐにうつり変わっていく貴族社会でなまえのことはすぐに忘れ去られるだろう。今後も貴族社会に入るつもりがなまえにはなかった。
 貴族社会で嫌味に揉まれるよりも、畑仕事をして家の仕事をして体を動かしている方がなまえは好きなのだ。
 そう思うと浮いていることも、令嬢たちの輪の中に入れないことも特に気にする事柄ではなくなってしまった。三日間だけしか関わらない人間に気を揉んでも仕方がないだろうという結論になる。
 なんとなく陰口を言われている気はしたが、それこそどうでもいいことだ。陰口はお腹の足しにも何にもならず、幸せな気持ちにしてくれるわけではない。
 そしてなまえは料理と自分だけの世界で幸せなお茶会を終えたのだった。


 夜もやはり昼間、前日と同じで、なまえは料理に舌鼓をうっていた。
 ローストビーフももちろん皿には盛り付けたが、昨日とは違うブウサギソテーなどの料理も大量に皿には盛られている。
 ピオニーに目もくれず料理ばかり食べ、時間の空いていそうな使用人に話しかけ料理の名前や材料を聞くだけのなまえを前日と朝、そして昼間に見ていたメイドやフットマンたちもなまえに聞かれる前に「こちら海老とトマトソースの」と料理の説明をするようになっていた。
 使用人たちが気を利かせてかなまえによく話しかけてくれるため、なまえも暇を持て余すことも無い。
 使用人の話を真剣に聞き、家でも作れそう! と喜んだりとそれなりになまえはこのパーティー、という名の観光を楽しんでいる。
 このパーティーの主役であるピオニーなど、遠くから金髪であることだけ確かめたが顔も何も知らないまま終わりそうな勢いだった。声は聞いたがもうほとんど思い出せもしない。
 そして夕食開始のあいさつも、したのかさえ知らなかった。出てくる料理を見ているだけでなまえの心は満たされていた。
 肖像画もなんとなくは見たことがあったが、そんなものは遠い記憶の彼方である。
 この国のトップの顔を覚えるよりも野菜の育てかたひとつを覚える方がなまえには大切だった。
「やっぱりローストビーフが世界一おいしいかもしれない……」
 肉もあると必死になまえを説得していたキースには感謝しかない。
 ここに来なければなまえはローストビーフという料理の味を知ることも無く生きていくことになっていただろう。
 厚切りにしてあるローストビーフを丁寧に切り、一応は品よく、けれど次々に口に運ぶなまえに「うまいか?」と男性の声が急に落ちてきた。
 低くよく通る声のためまわりの音が何も入ってきていなかったなまえの耳にも届き、反射で「はい!」と答える。
「なんと言っても厚さがとてもいいです! お肉も柔らかいしソースも程よく甘みと酸味があって作った方はもしかしたら天才なのかもしれないと昨日から思ってました! もう美味しくて美味しくて……!」
「なるほど?」
「野菜と一緒に食べるのも良さそう……ここじゃローストビーフの野菜巻はお行儀が悪くてさすがに出来そうにないですけど。あとはちまちま切らずにそのままぱくっと食べ……」
 そこでなまえは、自分が無意識に誰かと話していることにやっと意識が向いた。
 まずい、普通に料理語りをしていた! と冷や汗をかくが、話しかけてくる物好きな男がこの会場にいた事に次いで驚く。
 まあどうせ誰かの父兄が暇を持て余したのだろうとぱっと顔を上げると、椅子に座るなまえを見下ろしているのはなんとも楽しげな金髪の男だった。
 褐色の肌、少しくすんだ金色の髪に、グランコクマの海みたいな瞳。面白そうに細められた瞳はまっすぐなまえを見下ろしていて、目が合った瞬間益々細まった。
「…………」
 何かお食べになりますか、と尋ねようとした顔のままなまえは固まる。
 フォークを落としそうになったがすんでのところで耐え、ごくん、と唾を飲み込んだ。
 ぶわ、といやな汗が身体中流れていく。圧倒的な、ただの貴族ではない雰囲気とその金髪、そして令嬢──という体を保っているなまえ──に丁寧な口調を使わず話しかけてくることが許される人物、などこの会場には一人しかいないことに思考がやっと行き着いた。
「もっ……」
「いやいい。そのまま食べていてくれ」
 申し訳ありません、ととりあえず不敬な態度をとったことを謝ろうとしたら、男──ピオニーらしき男はなまえを制してどさっとなまえの横に腰掛けた。
 な、なんでここに!? と更に冷や汗をかくが、ピオニーは何食わぬ顔をして「どれが一番美味かったんだ?」とテーブルに並ぶ料理を指さした。
 一体何を話しかけられているんだ、と握り直したフォークを皿の上に置きとりあえず言われた質問を頭に叩き込む。混乱しすぎて言葉が全く理解できない。
 どれが一番美味かったんだ、と問われたのだ。どれが、いちばん、おいしいか。
「ぜ、全部おいしいです。でも私が好きなのはローストビーフでした」
「なるほど。なら俺も食べるか」
 言うなりピオニーは席をたち、楽しそうにローストビーフの置いてあるテーブルまで行くと自分で皿を持ち、ローストビーフと他にも何かを取り分けるとまたなまえの横へと戻ってきた。
 その様子を、先程までピオニーに群がっていたと思わしき令嬢たちは遠巻きに見ているだけである。それもそれで違和感を感じたのだが、なまえはそれどころではない。
 ま、またここに座るの!? となまえはびくびくしたが、やはりピオニーに気にした様子はなかった。
 そして何事もないように食事を初めてしまったのだ。
 父親に似て微妙なところが小心者であるなまえの心臓があまりの動揺に悲鳴を上げてはいるが、それでせっかくの食事が食べれないのはどうにもなまえには許せなかった。
 食べに来ているのにピオニーが隣に座ったくらいで、と妙なテンションになってしまい、ピオニーが気にせず食べているのだから自分も気にせず食べようとローストビーフを口に運ぶことを再開させる。
 そもそもここはピオニーの家である。家主が何をしていようが自由であり、招かれた自分が招かれた客のために用意された食事をするのは悪いことではないだろう。
「なまえ、酒は飲めるのか?」
「おっ、お酒、ですか、いや、飲んだことは無いです……けど……」
 が、しばらく経った頃にピオニーから急に名前を呼ばれなまえは噎せそうになった。
 なんとかそれは貴族云々よりも女としてのプライドで我慢したが、声はマヌケなほどにひっくり返ってしまった。
 まさか話しかけられるとは思わなかった上に、貧乏貴族である自分を認識しているという事実に驚いた。
 そしてひっくり返った声にピオニーが楽しげに笑っているのにも驚いてしまった。くつくつと肩を揺らして、まるでいたずらを成功させた子供のように笑っているのだ。
 随分とピオニーは楽しそうである。なまえは全く楽しくないのだが。
 もしかしたら令嬢全員に挨拶をしているのかもしれない、とそこでなまえは思った。全員に挨拶を終えて、残ったのがなまえだけだったのだろう。
 それなら招待客の名前を覚えていれば当然挨拶をしていないのがなまえだと気づくのも当たり前だった。
 令嬢の数はそれほど多くない。
 そして楽しそうなのも、結婚をする気もないピオニーにとって最後の令嬢への挨拶だったからかもしれない。
 我ながら当たっているのでは? となまえは思い、うんうん一人で頷いた。
「へえ、なら少し飲んでみるか? 甘めで……そうだな、度数がきつくないものは?」
「えっと……家系的に多分あまり強くはないと思うので遠慮しておきます」
 一口でも飲むと真っ赤になる父親と、悪酔いする母親を思い出しなまえは首を振った。
 そうなるとまわりの貴族たちがざわついたのだが、理由がよくわからずなまえは視線を一瞬だけ向けて終わる。
「ぶふっ……そ、そうか、悪かったな」
 まわりの貴族たちの反応に反して、ピオニーはこらえきれずといったように吹き出した。
 けれどいやな雰囲気ではなく、なまえは残りのローストビーフを口に運びながらやはり首を傾げるだけに終わった。
 が、そろそろデザートでも取りに行こうかと思い始めた頃、ふと「今陛下からお酒をすすめられたのに断ったのでは?」とざあっと血の気が引いた。
 どう考えても、ピオニーの誘いを受けるべき案件である。不敬罪とまではいかなくとも、マナーとしては大失敗だ。
 だが当のピオニーはなまえの隣で機嫌よく食事をし、たまになまえに話しかけてくる程度で特に気分を害している様子はない。
 まわりにいる使用人たちもなまえと話していた時と変わらず穏やかな雰囲気である。
 むしろピオニーとなまえを見つめる視線は生暖かかったり、何かを期待をしていたりと嫌な視線ではなかった。
 もしかしたら自分は一歩間違えたら処刑されてもおかしくないことをしていたのかもしれない、と思うと体が震えそうだった。
 先程貴族たちがざわついたのはそのせいか、とやっとそこで思い当たるが、ちらりと横目で見たピオニーはやはり気にした様子もなければ逆に終始ご機嫌である。
「あ、あの、陛下……?」
「ん?」
 コーヒーを飲んでいたらしいピオニーがなまえへと視線をやる。
 本来であれば皇帝に自分から話しかけることすら不敬なのだが、それでも自分のした無礼を謝らない理由にはならなかった。
 これ以上ないところまで落ちぶれてはいるホワイト伯爵家だが、謀反だなんだと言われてマルクトから追い出されるのはさすがに避けたい。
 キムラスカで一から暮らしていける自信はあるが、できたら暮らし慣れた場所で生きていきたかった。
「さ、先程はお酒のお誘いを断ってしまって申し訳ありませんっ!」
「ぶふっ! ごほっ、ごほっ……!」
 勢いよく頭を下げたが、ピオニーは何故か飲んでいたコーヒーに噎せた。どうやら笑っているらしく、噎せと笑いでヒィヒィ言いながらも腹を抱えている。
 しばらく背中をさするべきかどうするべきか両手をオロオロさせていたが、さすがに皇帝陛下に触れるのはおこがまし過ぎてなまえは手をオロオロさせるだけで終わってしまった。
 復活したピオニーは笑いすぎと噎せすぎて涙目になってはいたのだが、顔を上げてなまえを見ると「今更だなぁ!」と朗らかに笑う。
 その笑顔が今まで見ていた楽しげなものよりもずっと幼く見えて、なまえはあら、と思う。
この人こんな顔して笑うのか、と。
「思い当たるのに随分時間がかかったな」
「す、すみません、お肉がおいし、いえ、えっと……食事が美味しくてつい……?」
 適当な言い訳が思いつかず、言い直したにも関わらずほとんど同じ意味になってしまった。
 それにもピオニーは喉の奥で笑っているだけだ。
「なんのための招集なのか覚えてるのか?」
「え……? おいしいご飯を食べて観光す……」
 そこまで反射で答えて、今自分の隣にいる男性がこの国のトップだと思い出す。
 あまりにも気安く話しかけられ忘れかけていたが、そういえばピオニーの見合いのために行われている三日間のパーティーなのだ。
 なまえが完全に食事と観光目当てに来ているのが今のでバレただろうが、急いでなまえは自分の口をばちんと両手で叩くように塞いだ。
 もちろん意味はなさず、隣のピオニーは先程よりもずっと嬉しそうに、楽しそうに、面白そうに屈託なく笑っている。
「隣に俺がいるのに眼中にもないのか」
 あっはっはと笑いだしそうな声色に、なまえは「申し訳ありません」と答えるしかできない。謝罪をするというのは肯定なのだが、今のなまえにはそれに思い当たることもできなかった。
 が、それもどうにもツボに入ってしまったらしくピオニーはしばらく腹をおさえて笑っていた。
 
  

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