「なまえさん、ずっと前から好きでした!」
モンド城が黄昏に染まり出す時間、そろそろ店じまいかなあ、などと小麦粉の入った袋を抱えてぼんやり空を眺めていたなまえは突然目の前で頭を下げた黒髪の青年に「えっ?」と驚きの声を上げた。
場所はなまえの経営しているケーキ屋の裏手、店のスタッフがよく使う扉のある、あまり人の来ない場所だ。
一日に何十人と来る客の相手をしているため顔もなんとなくしか覚えていないが、どうやら店の常連であることだけはなまえも理解出来た。
そもそもなまえは売り子になることは滅多になく、ガラス張りの調理場で根気よく一日中ケーキを作っていることが多い。一人ずつを覚えられるはずもない。
人の良さそうな、少したれ目がちの青年は真っ赤な顔をして頭を下げているのだが、その青年を見ながら、なまえはどうしよう、と困惑した。
「え、えっと……」
重い小麦粉の入った袋を抱え直し、どう答えたものかとそこで口を閉じる。
よく知らない青年であるのと同時に、多分何度か会話したであろう店の客である。
下手なことを言って店のことを変に言いまわられても困るのだ。
よく知らない相手のため断る一択であるのは事実だが、さてどう伝えたものか、となまえは再度小麦粉の入った袋を抱え直した。
そもそもなまえ自身、誰かから告白されるほど立派な人間ではないと自分では思っている。お菓子を作るしかできない一般人なのだ。
貴族でもなく、騎士でもなければワイナリーも持っていない。そして特別美人でもない。金髪に若草色の瞳の女なんてそれこそ山のように居るだろう。
挙句、幼馴染たちからはどんくさいだのなんだのと散々な言われっぷりである。
よく言えば穏やか、悪くいえばどんくさい、とは子供の頃から幼馴染たちからもよく聞く言葉だった。
たしかに、と自分でも思っているため反論したことなどはないのだが。
「あの、私……」
「なまえ、こんなところでどうしたんだ?」
急に気配なく現れたその声に、びくりと肩を揺らしたのは青年となまえだった。
なまえにとっては聞き馴染んだ声だったため、すぐに振り返り声の主に「ガイア」と声をかける。
ゆったりとした話し方で、その話し方通りのんびり近づいてきた笑顔の男──ガイアは、腰を折ったまま顔だけを上げた男に対して、眼帯で片方しか見えていない目を細めた。
優しげに細められた夜空色のそれになまえはほっと息を吐いたが、青年はびく、と体を揺らすと背筋をピンと伸ばしてその場に直立してしまう。
首を傾げつつも、頭一つ分高い位置にある幼馴染の目を見上げると、いつも通りの優しげな笑顔があるきりだ。
「重そうだな。持とうか」
有無を言わさぬそれに、けれど優しく奪われた小麦粉入りの袋はガイアの腕の中に抱えられる。
騎士団の仕事が立て込んでる、と聞いたのはつい今朝方のことだ。
数日は会えない、と聞いていたのにどうしてこんなところに。
思ったことが顔に出ていたのか、ガイアは面白そうに喉の奥で笑うだけで答えをくれる訳では無かった。
「で、こいつは?」
一気にこの場の温度が下がったような錯覚を覚えたなまえではあるが、ガイアの声色も、表情も、なまえから見ればいつも通り、優しげである。
その視線がなまえに向いていないだけで、向けられた青年は氷の剣を目の前に突きつけられているような気持ちでいるのだが、なまえがそれを知ることはないだろう。
すっと小麦粉を抱えていないほうの腕でなまえを引き寄せたガイアは、かちかちと歯を合わせて怯える青年によりいっそう目を細めて笑うと「なんでもないならいいよな?なまえを連れて行っても」と、なまえの腰を引いて店の中へと誘導する。
モンド城の中に一定数いるガイアファンからしてみれば夢のようなエスコートなのだが、慣れてしまっているなまえは「えっいやっ待って!?」と流されることなくガイアを止めた。
店の中に入る直前、ガイア越しではあるものの振り返ったなまえは、青年に向かって「あの!」と声を上げる。
正面から見た青年はそれこそ氷のように固まってしまって顔色も悪いのだが、薄暗くなってきた店の裏ではそれもわかりにくくなっていた。
「ありがとう!お付き合いは無理だけど気持ちだけ受け取っておきます!あっでもまたお店には来てくださいね、おいしいケーキ作って待ってま」
「なまえ」
たしなめられるように名前を呼ばれ、なまえは引かれるがまま店の中へ入った。
半ば引きずられるようにだったが、中に入りガイアが後ろ手に鍵をかけ、そして重たい小麦粉は調理台の上にぽんと置かれた。
ガイアがいかにも軽そうに抱えていたため重みが分からなくなりそうだな、となまえは頭の片隅で考える。
そして店側ではほかの店員が客の対応をしている声が聞こえてくるが、なんとなくそちらへ行く気にはならず。
「ガイア、今朝忙しいって言ってなかった?」
「そうだったか?」
肩をすくめるガイアに、なまえはむっと頬を膨らませる。
いくらなまえがガイアたちからどんくさいと言われていても、さすがに長年付き合いのある幼馴染。
ガイアの誤魔化す時の仕草くらいは分かっている。
仕事の途中で、たまたまなまえが目に入って助けてくれたのだろう。それくらいは分かるのだ。
「ちょっと困ってたから、助けてくれてありがとう。仕事戻っ」
「ああいうのは結構あるのか?」
「……ああいうの?」
言葉を途中で遮られたもののなまえは特に気にせず。
ガイアの質問がなんのことなのか分からず首を傾げると、ガイアは「告白」と短く言う。ひとつの瞳が感情の読めない色のままなまえをじっと見つめていた。
「そんなにあるようなものじゃないよ」
「たまにはあるのか」
確認、や質問、というよりも、当たり前のことを口に出したようなそんな口調だった。
それになまえは一瞬言葉に詰まる。
ないよ、と否定したところでガイアはまた愛想良く笑うだけだろうが、肯定もなんとなくしたくなかった。
「ああいうのが居たら、今度は教えてくれないか?」
「えっ、なんで?」
「今回みたいに助けられるだろう?それに、俺が気になる。──とられたくないからな」
言いながら、ガイアはなまえの顔の横にたれた髪をゆったりとした動作でなまえの耳にかけた。なまえの耳の形を確かめるようにするりと指が滑っていく。
若干のくすぐったさを感じつつも、なまえが「さすがに仕事中の人には言えないでしょ」と苦笑いを浮かべると、ガイアも同じように苦笑いを浮かべた。
「……中々難しいな」
「なにが?」
「ん?……どんくさい幼馴染に、俺の気持ちをわかってもらう方法」
それになまえが何か言うより先に、ガイアが自分の額をなまえの額に合わせる方が早かった。
思わぬ至近距離に身動きも何も出来なくなったなまえの頬に、ぱっと朱が入るのを見たガイアはおや、と目を丸くする。
ガイアの目の前で見開かれた若草色の瞳は、珍しくおろおろとさ迷っているようだ。
ガイアが腰を抱いたり、手を引いたり、頬に触れたりしても特に何も思っていなかったらしいなまえの珍しい反応に、ガイアは楽しげに目を細めた。
少しでも動けば唇が当たりそうな距離である。
「また巡回の時にでも寄る」
これでなまえが目でも閉じればキスくらいならしていただろうな、とガイアは思うが、離れながら頭を撫でるだけにとどめておいた。
離れて改めてなまえを見ても、赤い頬におろおろと彷徨う瞳は変わらず。
「じゃあな」
ひらひらと手を振って、ガイアは裏口ではなく表に続く扉のほうから店側へと入る。
突然ガイアが控え室から出てくることにスタッフたちが驚くものの、こちらも珍しいことではないため「こんばんは」と声をかけられて終わるだけだった。
すっかり夜の帳がおりたモンド城内を、ガイアは先程とは違い機嫌よく騎士団のほうへと歩く。
全く意識されていなかったらしいガイアという幼馴染を、ひとりの男として幼馴染に意識されたのであれば、それだけでしばらくは機嫌よくいられそうだった。
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