「璃月の観光がしたい?」
「したい、じゃなくて今日の私は璃月観光に来た異世界人ですから!」
 往生堂の前で小さなかばんひとつ抱えた黒髪の少女は、拳を握って、茶色の瞳をきらきらさせながらそう言った。
 その視線は、訝しげに眉を寄せ、少し心配そうにしている青い瞳の青年──タルタリヤのほうではなく、すでに璃月の街並みへと向いてしまっているようだ。
 それがなんとなく面白くなくて「なまえ?」と少女の名前を呼ぶと、その瞳はタルタリヤのほうへと戻ってくる。
 この少女──なまえは、数週間前に文字通り、空から落ちてきた。
 たまたま空、鍾離、タルタリヤで共に居た時であり、璃月の郊外だったため人に見られることはなかったのだが。
 叫びながら物凄い勢いで落ちてきたその塊を一番に人だと認識した空が、なんとか地面にぶつかる前に元素力も使い受け止め事なきを得た。
 真っ青な顔で震えながら空にしがみついていた少女は、地面に自分がいることが分かると怯えたように目を開き、空や鍾離、タルタリヤを見るなり目をまんまるに見開いて「この状態は解釈違いです!!」と叫び、そして気を失ったのだった。
 空と鍾離に言わせればこの世界の人間ではなく、神の目も持たない一般人であるという。
 とりあえず往生堂に運び入れ、起きたなまえからも同じようなことを聞くことになったのだ。
 行くところもなく、どうしてこんなところに居るのかも理解できないらしいなまえは、気持ちが落ち着くまでは往生堂で仕事をしながらこの世界に慣れていくことになった。
 帰る方法も分からないのであれば、ここに慣れたいという本人たっての希望でもある。
 最初こそ胡桃は難色を示していたが、人ならざるものをなまえは怖がるでもなく普通に接し、そしてその存在が見えるということもありあっという間に気に入られてしまったのだ。
 その結果が胡桃、鍾離に無駄に可愛がられ、ものをこれでもかというほどに与えられるという孫のような扱いになることになったのだが。
 今なまえが着ている服も鍾離が「似合う」と言って買ってきたものだ。
 璃月らしいデザインで、少し広がったスカートのワンピースである。赤地に金糸と白糸で刺繍が施してあるかなりいい値段のしそうなものではあるが。
 なまえに言わせれば「モブ顔が着ていいものじゃない」らしいが、タルタリヤもその服がなまえに似合うと思うのでそこは鍾離に同意しかない。よくぞこの服を見つけた、と褒めたい気持ちにすらなる。
「な、なんですか、ちゃんと鍾離さんと胡桃ちゃんの許可貰ってますから!お給料ももらったし!」
 肩から下げたかばんを抱えるようにしたなまえの頭を、無意識に伸ばした手でわしゃわしゃと撫でてやると、なまえは「そういうのはいいんですよ!私じゃなくて別の人にしてください!」とむっと頬を膨らませた。
 出会った時から何かと男たち三人で世話を焼いてしまっていたのだが、その度に「解釈違い」「モブの私相手じゃなくってぇ……!」「同じ空気吸ってる……!?罪では……!?しにます」などと面白いことしか言わないため、すっかりなまえはタルタリヤのお気に入りに昇格してしまっていた。
 もちろん、空や鍾離もなにかとこのおかしな少女を構うのだが、本人は構われる度にそうじゃないんだと必死に訴えているのだ。
 またそれが男たち三人の構いたいスイッチを押していることをなまえは知らないのだが。
 タルタリヤからしてみたらなまえは年下のため、きょうだいたちを思い出すのもひとつの理由ではあった。
 歳の近い妹のようである。もちろん手がかかる、放っておけない、という要因もあるのだが。
「なので私、今日はモブの役割をきちんと果たすためひとりで璃月の観光に行っ」
「そうだ、昼食は?まだ?おいしい店があるんだよね」
「えっ」
「こっちこっち」
 なまえが言い切る前になまえの腕を引くと、たいした抵抗もせずになまえはタルタリヤについてくる。
 それにタルタリヤは知らず口角を上げた。
 なまえを拾った時からそうなのだが、口ではやめろと言うわりに、なまえはたいした抵抗も拒否もしない。
 単純に逆らっても無意味だと思っているのか、好意だからと受け取っているのか、そもそも口では嫌がっても本心では喜んでいるのか。
 なまえの腕を引きながら横目でなまえを見てみると、タルタリヤに掴まれた腕を複雑そうに見てはいるものの、決して嫌そうではない。
 喜んでいるのかはタルタリヤにもわからないが、嫌悪は抱かれていないのは確かである。
「いやあのタルタリヤさん?私の話聞いてました?」
「うん?まだ食べてないんだろ?」
「ま、まあ食べてないですけどそうじゃなくてですねぇ!」
 さすがに推したちに構われたり触られたりすると魂消えそうなんですよ!とまたも分からないことを叫ぶなまえに、タルタリヤはますます笑みを深くした。
「今日は俺が璃月の観光案内をしてあげるよ」
「さっき私ひとりでって言ったの聞いてました!?」
「そこの屋台はおいしいよ、あとで寄ってみよう」
「話聞い……うわっなんですかアレおいしそ……」
 なにか言えばきちんと反応するなまえと話すのは、ここ最近でタルタリヤの楽しみのひとつだった。
 何かと用事を作って璃月に来てはなまえを構うのももはや慣れたものである。
 引っ張らないと着いてこなかったなまえは、いつの間にか隣に並んで歩いているのになまえ本人は気づいているのか。
 腕は掴んだままだったが、店の少し前で手でも繋いで反応でもみようかな、などと考えタルタリヤは小さく笑った。

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