深夜のエンジェルズシェアは賑わっていた。
 人気の吟遊詩人が謳い、酒を楽しむ客もほぼ全員が笑顔で楽しげである。
 ディルックも今日はカウンターに立っており、この雰囲気に似合わず、目の前でぐずぐずとワインを飲みながら目を真っ赤にして泣いている幼なじみを眺めていた。
 腰まである金色の髪はゆるくウェーブがかっていて、同じまつ毛が飾る瞳は透き通った海の色をした、かなりの美女である。
 夜中のバーには似つかわしくないほど幼く見えるが、何年も前に成人を迎え、酒の味も楽しさもわかるようになって久しい。
 その女性ははグラスを傾けながらぐずぐずと未だに泣いている。
 この女性──なまえがバーでディルックやガイア相手に泣いているのも珍しいことではないため、常連客の中で気にする客も今はいない。
「ガイアは?」
「仕事忙しいって言うから来なくていいって言ったの!」
 言いながら、なまえはダン、と注ぎ終えたワインボトルを机に置く。
 ワイン二本目をあけたあたりから怪しくなってきていたが、現在はただの酔っ払いである。
 しかし泣き上戸というわけでもなく、毎度ワインをひっかけ大泣きするのにも理由があるため、ディルックも飲むのを強く止めることもできないのだが。
「すぐ抱けるとか抱けないとかっ、今日は奥さんいないとかっ、そんなのばっかりでっ……しかもまた相手妻子持ちでほんとばかだあ……。なんで……ずっと好きとかあ、そんな嘘ばっかつくの……」
 バーに来てすぐのころはまだ順序だてて話せていた飲みに来た理由が、今では支離滅裂である。
 ため息をつきながらディルックはワインの入ったグラスの横に水を置いてやるが、果たしてそれを飲むのかは分からない。
 要は知り合って交流し、告白されて付き合いはじめた男が完全に体目当てだった上、ガードがかたいとキレられた挙句相手に妻子がいたという泥沼の話なのだが。
 なまえ自身が押しに弱いわけでもなく、男の引きがかなり悪いのだ。
 成人前からなまえの男運は底辺で、男友達に告白されて付き合えばやれるかやれないかの賭けに使われたり、年上の男からアプローチされ付き合えば妻子持ち、または彼女持ち五股男、その浮気相手と仲良くなり女友達は増えていき、そして紹介されたり遊ぶ人間も大概がそんな男ばかりだった。
 今回も何かの賭けにされた挙句男が妻子持ちだったらしい。
 見た目の良さと理想的な体型、酔っていない時の性格も相成ってなまえがモテるのはさすがにディルックでも理解はできるのだが、寄ってくるのはクズ男ばかりなのだ。
「なまえ、そろそろ控えたほうがいいんじゃないか?」
「やだあ……」
 赤くなった頬に潤んだ瞳、じっと困ったように見上げられディルックはため息をついた。
 これ以上飲ませるとガイアに何を言われるか分かったものじゃない、と強制的にワインボトルを取り上げ、まだ少し残っていたグラスも取り上げ水を握らせる。
 もはや見慣れてしまいディルック自身はなんとも思わないのだが、こうなったなまえをまわりが放っておかないのもまた理解していた。今日は常連客ばかりで問題はないだろうが、それでも、だ。
 いつもであればボディーガードよろしく居るはずのガイアも不在である。
 不満げにカウンターに突っ伏していたなまえだが、いくつか水にフルーツで作った氷をいれてやるとちびちびとそれに口をつけはじめた。
 それにやっと肩の荷がおりた気がして、ディルックはため息をついた。
 次いで長い年数で片想いをこじらせている隻眼の男を思い出し、なんとなく不憫に思って先程とはちがうため息もついたが。
「なまえ、それを飲んだらもう」
「俺が送ろう」
 帰れ、と続くはずだった言葉は、ラストオーダーも始まる時間に開いたエンジェルズシェアのドアから入ってきた男に引き継がれた。
 青い髪に、ひとつだけの星空のような瞳。
 へにゃへにゃとカウンターに突っ伏しそうになって水を飲んでいるなまえの横へ座ると、男──ガイアはまたか、と呆れたようなため息をついた。
「ガイア」
「悪いな、世話させて」
 ディルックに対しては滅多に見せないなまえに対する独占欲のようなものがガイアの瞳に見えて、ディルックは肩を竦ませる。
 そんな感情を抱くくらいならさっさと言えばいいのに、と、もちろん口には出さないが。
「さっさと引きとってくれ」
「なまえ」
 隣に座ったガイアに気づき、なまえはぐいっと水を一気に飲み干した。
 氷が入っている分冷たくなった水だが、なまえの酔いを覚ますまではいかず未だに泣きそうな顔のままなまえはガイアの首に手を回して抱きつく。
「ガイアぁ、聞いてよぉ」
 ぐすぐすとまた泣き出しそうななまえに、ガイアは分かった分かったと背中を撫でる。
「飲みすぎだな、帰ろうなまえ」
「やだあ!」
「やだじゃない。ディルック、悪かったな」
 仕事が忙しかったのは事実なのだろうガイアが、若干疲れの滲む顔でディルックへ向く。
 それでも仕事が終わって、きっと急いでここへ駆けつけたのだろう。
「閉店までは世話してやれないからな」
 ひらひらと手を振り、なまえを抱えるようにして支えるガイアに言うと、ガイアは喉の奥で小さく笑う。
 なまえをあまり遅くまでひとりで飲ませたくないガイアは、そばにいる限りは適当な時間になまえを連れて帰る。
 それでも仕事に都合がつかずひとりで飲ませることになると、必ずなまえはエンジェルシェアへやってきていた。
 それもガイアによる、下手な男と一緒に飲まれるよりもディルックと一緒にいた方が安全、という理念の元送り出されているのだが、なまえはそれを知る由もなく。
 ほとんどは仕事を終わらせたガイアがなまえを引きとりに来るが、来ない時はディルックがなまえを部屋まで送るか酔いを冷まさせて部屋に帰らせることになっている。
 放っておけないディルック自身にも言えることではあるのだが、過保護である。
「いい加減送り狼にでもなればいいものを」
 文句を言うなまえの腕を引きながら店を出ていくふたりの後ろ姿に、ディルックはため息をついた。

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