夕方、国への報告を終え、弟へのお土産でも買うか、と璃月港で最も賑わうであろう商店の並ぶ通りを歩きながら、タルタリヤは少し遠くに見える人混みの中に、ちらりと見えた白銀の髪に胸騒ぎを覚えた。
 まさかこんなところに、と思う気持ちと、人違いだろう、と思う気持ちで妙な気分になる。
 だがもしタルタリヤの思っている人物であれば、異国の地をふらふらと出歩かせる訳にもいかない。そもそも、異国に居ること自体が嘘のような話である。
 そう思い、慌てて人混みをかきわけながらタルタリヤは目的の人物へと声をかけた。
「──なまえ?」
 腰まである白銀の髪の女性に声をかけると、その女性は驚いたように振り返って「あれ?」と氷の色をした水色の瞳をまんまるに見開いた。
 タルタリヤよりも低いその視線は真っ直ぐにタルタリヤへ向いている。
「アヤックス!」
 そう言って嬉しそうに駆け寄ってきた女性をとりあえずタルタリヤは人のいない通りの隅へ誘導し、周りにファデュイの人間がいないことをざっと確認した。
 女性──なまえは、タルタリヤの顔を見上げ「久しぶり」とにこにこ笑っている。
 先月、それこそ故郷で会ったばかりである。なのにどうして。
「どうして璃月に」
 驚きと不安と心配が声に滲み出たのか、なまえはふふふと笑い「驚いたでしょう」と満足気である。
「一人で来たの? おじさんとおばさん……いや、それよりも体調は? 今の時期だと崩しやすいだろ」
 矢継ぎ早のタルタリヤの質問に、なまえは過保護ね、と呆れたように肩を上げた。
 なまえは、タルタリヤが幼い頃から知っている幼なじみである。
 兄妹のように育ってきたため、幼なじみという意識よりも妹という意識のほうが強いのだが。
 なまえは昔から体が弱く、子供の頃は体調が良い時の方が少ないほどだった。
 雪よりも白い肌に色素の薄い瞳と髪で、幼心にタルタリヤはなまえがいつか雪に消えるのではと不安になっていたものだ。
 故郷で見るなまえはそれこそ雪の妖精かなにかに見えていたが、璃月という違う国で見るなまえは、そこだけが雪の降る故郷であるようなそんな不思議な感覚になる。
「ひとりで来たの。アヤックスに会いたくて」
 なぜ璃月に、という質問の答えを口にしたなまえは満面の笑みでタルタリヤの指を握った。
 可愛い妹からの甘えに、むぐむぐとタルタリヤは言いたいことを飲み込んだ。
 なまえはなにか隠したいことがあって多少計算をして、わざとそう言っているのは分かるのだが。
 全てが嘘というわけでもないのもわかるため、タルタリヤは大きなため息をついて「嬉しいけど誤魔化されないよ」と眉を下げる。
 今の時期であれば、なまえは毎年のように体調を崩す。
 今も顔色が良いとは決して言えないなまえの頬を指で撫でれば、なまえは困ったように首を傾げた。
「会いたかったのは嘘じゃないわ」
「それも分かってるよ」
 タルタリヤが引かないと分かったなまえは、根負けして頬を撫でているタルタリヤの指を握る。
 傍から見れば恋人の逢瀬のようにも見えるのだが、本人たちはそんなこと知る由もなく。
 そしてそういう意識もまるで持っていなかった。
 今も昔も、ずっとタルタリヤとなまえはこうして過ごしてきている。
「いつも璃月からお薬を届けてもらっていたんだけど、作ってすぐに飲んだ方がいいものがあって」
「それなら俺が急いで持って帰るのに」
「作ってからそんなにもたないの。だから国には持って帰れないから私がこっちに来たのよ」
 今まで飲んでいる薬で、なまえが急ぎで飲まなくてはいけないものはなかったはずだとタルタリヤは思う。
 病状が思わしくないのかとも思うが、それを見越したらしいなまえがタルタリヤの頬へ触れた。
「新しいお薬が出来たの。私はいつも通り」
 細く、すぐに折れそうな指がタルタリヤの頬に触れる。
 けれどじんわりと暖かいその指に、少しだけタルタリヤは、ほっと肩から力を抜いた。
 故郷で触れるなまえはいつだって冷えていて、タルタリヤが手を握るなりして熱を分けてやらないといつまでも暖まらないほどだった。
 体調が良いというのは、きっと嘘では無いのだろう。
 変わらず顔色は良くないが、故郷で見た時よりは言われてみればいいのかもしれない。
「ところで、どうしてこんなところに?買い物?」
 俺も付き合うよ、と言おうとしたが、それよりも早くなまえがふるふると首を横に振った。
「夕方の散歩よ。璃月は街並みも綺麗だし、気候も今はいいから朝と夕方、先生に言われて散歩をしているの」
 のんびりだけど、となまえは口元に手を当てて小さく笑う。
 それにほっとしかけて、先生? とタルタリヤは首を傾げていた。
「白朮先生。私のお薬を処方してくれている先生よ」
 白朮。聞いたことのある名前に、ああ、そういえば、と思い当たる。
 今歩いている通りを真っ直ぐ広場の方へ行けば、タルタリヤすら面倒に思うほどの階段が見えてくる。
 その階段を昇った一番上に建っている薬屋が白朮という男の居る薬屋だった。
 人となりも良く、薬の効き目も良いとタルタリヤも聞く。
 なまえの両親が知人だったということもあり、わざわざ璃月から取り寄せていた薬のひとつが白朮手製らしかった。
「アヤックスは? 璃月でお仕事?」
「俺は……まあ、そんなところだよ」
 タルタリヤがどこで何をしているかはなまえはよく知らない。
 ファデュイだということも教えてはいないし、なまえも聞こうとしないのだ。
 スネージナヤでも、タルタリヤはなまえを守ってヒルチャールやほかの魔物と戦うことも少なくはなかったため、出張がやたらと多く戦いを主にしている物騒な仕事、くらいの認識は持っているだろう。だがその程度の認識だった。
 何となく察してはいるのだろうが、深堀をなまえがすることは今まで一度もない。
「もう終わったのなら、私とお散歩しない?まだ行きたいところまで行けてないの」
「もちろん。喜んで、みょうじ」
 仮に仕事中だとしても、余程のことがない限りタルタリヤはなまえを優先するだろう。
 それくらい、タルタリヤにとってのなまえは放っておけない存在だった。
 いつからなまえが璃月に居るのかは知らないが、それでも慣れないであろう土地で大切な妹を一人置いて行くことはタルタリヤには出来そうにもない。
 体の弱さも知っており、いつ小さな石ころにつまずいて転んで骨を折るかもわからないのだ。タルタリヤの心配は尽きなかった。
 本当に、昔から目が離せず、心配ばかりの妹分である。
 そう思って、わざと子供時代に呼んでいた愛称でなまえを呼ぶと、少し恥ずかしそうにはにかんだなまえはもう、とタルタリヤの手をとった。
「アーシャ、手は繋いでもいいでしょう?」
 お返しとばかりに愛称で呼ばれ、タルタリヤも柔らかく目元を緩ませた。
 既に繋がれた自分の左手に力を入れると、なまえはふふ、と楽しげに笑う。
「手を繋ぐのなんて、何年ぶりかしら」
「確かに。細いな……」
 握った指の細さや手の小ささにタルタリヤが思わず呟くが、なまえはただ笑っているだけだ。
 手を繋いだことでどうにも気分が上がっているらしい。
 ぴょんと跳ねそうになりながら歩き始めたなまえに、タルタリヤは苦笑いを浮かべた。
「途中で疲れたら俺が抱えるよ、なまえ」
 歩けないほどまではしゃぐことは流石にないだろう、と思うが、敢えてそれを言う。
 子供の頃、雪遊びをしてその日の夜に高熱を出したり、天気のいい日にのんびり散歩をしただけで心臓に負担がかかって体調を崩したりしていたことがある。
 はしゃぎすぎも原因のひとつだったのを、タルタリヤは覚えている。
 今も、いつもよりも随分はしゃいでいるような印象を受けたため釘をさしたが、なまえから返事はない。
 もし途中で体調が悪くなったら、なまえを抱えて白朮のところに走る決意をするが、なまえはいいことを思いついたとばかりにタルタリヤと繋いだ手に少しだけ力を入れた。
「なら、もっとゆっくり行きましょうアヤックス」
「それはいいけど……」
 璃月港は、夕焼けに染まっている。あまりのんびりしていたらあっという間に夜になってしまうだろう。
「アヤックスが横に居るのなら暗くなっても安心だし、久しぶりに会えたからもっと一緒にいたいの。……だめ?」
 上目遣いで言われ、もちろんこれも離れたくなくて計算で言っているのをタルタリヤも分かってはいたのだが、なまえに甘く弱い自覚もあるため、タルタリヤは反論することもなくすぐに白旗をあげた。
「それ、俺だからいいけど、男には身内以外にはしないようにね」
 身内の男など自分しかいないが、という言葉はなんとか飲み込んだ。
 見目が整っているため、異国の地でもなまえに言いよる男は少なくはないだろう。
 考えるだけで腹の奥がひりつくようだったが、不思議そうに見上げるなまえが首を傾げて「でも」と口を開けたため、タルタリヤは意識をそちらへ向けた。
「身内でも、そうじゃなくても、アヤックス以外にこんな甘え方はしないわ」
 それにタルタリヤはぐっと言葉につまる。
 胸の奥からなんとも言い難い感情が喉元まで出かかったが、その感情はタルタリヤが名前を見つける前に大きなため息になって吐き出されてしまった。
「──今後もそうしてくれると助かるよ」
 なんとかそれだけ言葉にして、タルタリヤはなまえの手を引いた。

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