最終日、朝から朝食会という名の見合いである。
 このあたりで家臣たちの結婚への本気度が見えてくるのだが、そんなものなまえには関係なかった。
 貴族と自分を思ったことは無いが、貴族の端くれとして責務を果たすため、招集は受けたのだ。あとは食べて帰るだけである。
 昨夜なまえはもう食べられないというほどに食べていたのだが、朝になると胃にあったものはきれいになくなり空腹を訴えるまでになっていた。
 我ながら食べすぎだとは思うのだが、この二日でメイドたちも慣れたものであまり目立たないドレスに地味な化粧、それに食べやすいようにと締め付けないコルセットを手際よくつけていく。
 世話をされることはどうにも落ち着かないが、なまえが自分でコルセットをしめてドレスを着れるわけもなく、化粧や髪の毛をピオニーに見られてもいいほど美しく整えられるわけもない。
 きちんと整えての朝食会というのは落ち着かないが、美味しいものを食べるのも今日で最後だと思うとなまえも気合いが入る。
 そもそものんびり朝食を食べることなどほぼないのだ。朝は家族の見送りや家事が忙しく、自分の食事など二の次になる。
 節約のために朝は食べない日も多いが、さすがに毎日食べないとなると家族が心配するため手製の少し固いパンを薄いスープで流し込むのが日常だった。
「なまえ様、今朝のスープはなまえ様が気に入っていたオニオンスープみたいですよ」
「そうなんですか?!」
 朝食会はわざわざ食堂で行うらしく、もはや馴染みになりつつあるメイドに案内されながらなまえはできるだけしずしずと歩いていた。
 大昔に習っただけの礼儀作法を思い出すのは難しかったが、そうそう礼儀作法が必要な場面というのには出くわさなかった。
 必要だった礼儀作法も食事くらいなものだが、家で両親と食べる夕食は、パーティーに出席して改めてきちんと作法も兼ねていたのだと知ることが出来たのはなまえにとっては僥倖である。
 もしかしたら他にもあるのかもしれないが、今のところそんな場面には出くわしていなかった。
 幸いなことに他の令嬢たちと話すことも無く、父兄とも話すことも無く。
 ピオニーに話しかけられるというアクシデントはあったものの、不敬罪として問われることもなく一日を終えている。
 一応は礼儀作法は重んじてピオニーと食事はしているため、そこもなんとかクリアだろう。
 案内のメイドから、なまえが初日に美味しすぎて絶賛していたスープが出ると聞いて俄然食べるのが楽しみになってきたが、その気持ちは食堂へ続く廊下のど真ん中に立っていた三人の令嬢により打ち砕かれることになった。
 最初は邪魔なところでお喋りをしているんだなと思って少し端に避けて通ろうとしたのだが、なまえを視界に入れた令嬢たちがメイドもろともなまえを囲んだのだ。
「ちょっとあなた!」
「はい?」
 一番に話しかけてきたのは豪勢な金の巻き毛をこれでもかというほどの宝石で飾り付けた少女だった。
 なまえよりも少し年下であろう少女は、朝だというのに既に太陽よりも眩しいほどである。
 青い瞳はいい感情を抱いていないのか、なまえを見るなり怒りに染まった。
 後ろに控えるようにしている茶髪の少女と黒髪の少女も同じような顔でなまえを睨みつけている。
 そんな表情で睨みつけられる理由が全く分からずなまえは一瞬たじろぐが、次いで金髪の少女の口から飛び出した「陛下に近づきすぎなのよ! オバサン!」という台詞に思わず目を輝かせかけてしまった。
 貧乏ゆえに恋愛小説も娯楽小説も買えないが、昔読んでたの、と近所に嫁いできた女性から貰うことがある。
 台詞は違うものの、その小説の中にでてきた、ヒロインがいじめられる描写そのものだったのだ。
 思わず感動しすぎて手を胸の前で組んでしまったが、輝きかけたなまえの瞳を泣きそうになったと勘違いした少女たちはこれ幸いと言わんばかりにそうよそうよ、と畳みかけてきた。
「陛下がお優しいからって勘違いされているんじゃなくて?」
「あなたが可哀想で陛下は話しかけてあげただけよ」
「貧乏伯爵令嬢がこんなところに出てくるなんてどうかしているわ! お断りしたら良かったのに」
 と、その後も様々な罵倒を浴びせられたが、なまえは内容よりも感動が勝り終始瞳を輝かせてそれを聞くことになる。
 しばらくすごいわ、小説だわ!と聞いていたのだが、案内をしていたメイドがいつの間にかなまえの後ろに下がり頭を下げているのを横目に見て、なるほど普通の貴族にはこうして居るのが当たり前なのかとひとつ勉強になったなと思う。
 使うことがあるのかは別として、だが。
 そもそも皇帝からの招集を断れる家などあったとしても公爵以上だろうに、となまえは言われたことに対して意識の片隅で考える。
 だからこそなまえは目立たず近づかず三日間野菜の世話もできず甘んじて、そう、甘んじて三食おなかいっぱい食べて観光をして帰るつもりなのだ。
 家族にもとりあえず謀反だと思われないように行くだけ行け、肉食べて帰ってこいくらいしか言われていない。
 身分違いも甚だしいピオニーの隣などもはやなまえにも家族にも、眼中には入っていなかった。
 粗相をしないことだけが不安材料ではあるが、今のところ粗相はしてしまった感は拭えないが首は繋がっているらしい。お咎めは一切ない。
 お陰で初日からあったであろう女同士の小競り合いをすることもなく、なまえはメイドに案内されて皇城の半分くらいはすでに見て回っていた。
 庭がとにかく広く一日で見て回るには時間が足りなかったのが若干の心残りではあるのだが。
 ああ今日は空き時間があったら庭の探索、続きができるかなあ……と思考を飛ばしている間にどうやら食事会の刻限が迫ってきたらしく少女たちはふふんと鼻を鳴らして食堂へと行ってしまった。
 あれ、もういいの? と意識を飛ばしていたことを若干勿体なく思いながらもなまえはそれでも興奮した気持ちを抑えきれず、胸の前で組んだ手をぎゅっと握る。
「なまえ様」
 心配そうなメイドの声に、なまえははっと我に返った。
 頭を上げてなまえを心配そうに見上げるような体勢のメイドの手を握り、なまえは目をきらきらと輝かせた。
 この感動はすぐに言いたい、という思考である。まさに小説を読んだあと感想を共有したい心理だった。
「恋愛小説みたいな体験ができるなんて思ってもなかったです……! 興奮して彼女たちに握手を求めそうになりました私!」
 にこにこなまえはメイドに話しかけ、メイドはそれをしばしぽかんと聞いていたが、すぐにくすくす笑いはじめる。
「お強いんですね」
「……?畑作業もするので丈夫だとは思います」
「ぶふっ」
 メイドが言ったことがよく分からず、なまえは首を傾げるも褒められているのは確かなのでとりあえず思ったことを口に出した。
 すると思わず吹き出した、という声はなまえたちの背後から聞こえてきた。くっくと喉を鳴らすそれに振り返ると、そこには従者を連れたピオニーが腹を抱えて笑っているところで。
「へ、陛下」
 メイドは既に廊下の端で頭を下げていたため、なまえもささっと頭を下げる。まさか聞かれているとは思っておらず、そしていつから居たのだと胸がざわついた。
 終始見られていたのなら、先程の令嬢たちの好感度は底辺かもしれない、となまえは令嬢たちの心配をしてしまう。ああいう気の強い女性が好みであればまた別の話だが。
「憂鬱だったが朝からいいものを見たな。おはようなまえ、よく眠れたか?」
 笑いすぎで涙の浮かぶ目元を拭いながら、ピオニーはなまえに近づいてきた。それに頭を下げたまま「おはようございます」と挨拶を返す。
 頭を上げろと言われそのまま頭を上げピオニーを見上げると、グランコクマの海のような瞳はきらきらと楽しげに輝いているようだった。
「探す手間が省けて丁度いいか。なまえ、折角だからな」
 言うなり、ピオニーはさっと笑いを引っ込めて腕をなまえに差し出してきた。エスコートをしてくれるらしいが、こんなことをして入れば火に油では、と一瞬手を出すことをなまえは躊躇する。
 が、それを見越したらしいピオニーが無遠慮になまえの手を掴み自分の腕へと誘導してしまった。
 皇帝の手に触れてしまったという事実になまえはさあっと顔を青くさせるが、その反応にすらピオニーは吹き出しそうな顔をしている。
 誘導されてしまえば腕から手を離すこともできない。しかも相手が皇帝だ。
 エスコートなど、親族の冠婚葬祭などで父親かキースくらいにしかされたことはないため、そういう意味でもなまえはますます顔を青くさせ冷や汗をかいた。緊張で吐きそうである。
「なまえはいい手をしてるな」
「え?」
 国のトップ、なまえのような小市民が会うことはおろか触れることなどあってはならない相手にエスコートされているという事実に吐きそうになっていたなまえに気づいてか、ピオニーが歩き出しながらそう切り出してきた。
「手、ですか……」
 お世辞にも、なまえの手は綺麗ではない。畑仕事や家事であかぎれもあれば傷も多い。
 乾燥もしているためカサカサで、触り心地がいいだとか、真っ当な令嬢たちのように白くてすべすべの手ではない。爪も短く切りそろえ、マニキュアなども塗らない何も無い手である。
 見合いに登城したためメイドたちの手によって、手だけではなく今は全身つるすべになりつつあるが、それでも普通の令嬢たちに比べると惨めなくらいに荒れ果てた手だろう。
「ああ。毎日頑張って働いている人間の手だろう? 綺麗なだけの手よりよほど好感が持てる」
 先日見た少年のような顔をしてピオニーは笑うと、エスコートをしていない手でとん、となまえの手の甲をつついた。
 まさか荒れ放題の手を褒められると思っていなかったなまえは、言われたことを飲み込むまでにしばらく時間がかかった。
 ピオニーもなまえが言ったことを飲み込んでいるのが分かったのか、立ち止まってじっとなまえの反応を待っているらしい。
 じわじわとなまえの頬に赤みがさして、翠の瞳がピオニーを真っ直ぐ見上げる。それにピオニーは満足そうに笑うと、なまえは思わず顔に笑みを浮かべていた。
 まさかそんなことを、一国の皇帝から言われると思ってもみなかった。
 貧乏であることを恨んだことも嫌だと思ったこともないが、今まで生きてきた全てを肯定されたような気がして胸の奥がじわりと熱を持った気がした。

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