グレースは、今回家臣たちが無謀な苦肉の策として考えた三日間の見合いパーティーにおいて、なまえの担当メイドとして宛てがわれた。
 貴族の令嬢約三十名、一人につき一人宮殿メイドが付くようになっている。
 どの家も一人以上は自分の家からメイドなり執事なりを連れてきているのだが、グレースの担当するなまえはその身ひとつで宮殿へとやってきた。
 今回はとにかく資金も何も無くとも貴族の令嬢を根こそぎ宮殿へ呼び寄せたらしい。
 そうなると資金がない家等はこうして身一つでやってくることもあるだろうとは思っていたのだが、やはり貴族。見栄は張りたい家がほとんどで、なまえ以外の家はメイドは一人以上連れてきているし、この日のためにドレスも宝石も新調したという家ばかりだった。
 そういった、資金もなく無理をした家というのはよほど自信があるか、あとが無い。そのためピオニーへの猛攻もすさまじいものがある。
 皇帝のお眼鏡にかなえば、家への援助は約束されたようなものだからだ。
 お陰で一日目にしてピオニーが疲れ果てて寝室のブウサギの腹に顔を埋めて吸っていた、というのはメイド長から聞いていた。
 そんな貴族令嬢ばかりの中、なまえは最初から異質であった。
 誰も彼もがピオニーの視界に入ろうと、少しでも気に入られようとする中「ご飯を食べに来て宮殿の見学に来ただけ」とピオニーにさして興味も抱かず、本当に食と宮殿の観光をしている。
 コルセットも緩めでしめてほしいと言われ、目立たないようなドレスにしてくれと言われ、化粧も髪型も地味でいいのだと言う。
 貧乏伯爵家だということは本人が言っていたが、それにしても肌も手も荒れ放題で髪もせっかく長くきれいなのにただ伸ばされているだけ。
 ケアなどしたことがないと言い、慌ててグレースはほかのメイドにヘルプを出し、宮殿内にあるスキンケア用品や、とにかく体のケアに必要なものを持ってきてもらった。
 当のなまえは終始遠慮し、人に世話をされることに不慣れな様子だったが、陛下の前に出る可能性もあります、となんとか説き伏せた。
 グレースのなまえに対しての最初の仕事は無頓着だったなまえの体のケアだったのだ。

 休憩時間に他の令嬢担当になったメイドたちは「わがまま放題よ」「派手にしろとかこんなドレスじゃ陛下に見て貰えないだとか」「宝石が足りないだとか」と表では言えないような愚痴を零して居たが、グレースのところは、と尋ねられてグレースは言い淀んだ。
 なまえが由緒あるホワイト伯爵家の令嬢というのは紛れもない事実だ。
 過去にはホワイト伯爵家から英雄と呼ばれるような軍人を排出もしている。ずっと昔から皇帝に仕えてきた一族、それがホワイト伯爵家なのだが。
 なまえは、親しみやすい。
 メイドという一使用人であるグレースにもことある事に「ありがとう」「ごめんなさい」と言い、食事の時などは子供のように目をキラキラさせている。
 本当に食べに来たんだなと初日の夜には思っていたが、いつも手付かずで捨てられることの多い料理があんなに美味しそうに人の口に入るのなら料理人も嬉しいだろうと思う食べっぷりだった。
「うーん……すごくいい人よ」
 令嬢らしくはないが、というのは黙っておくことにした。

 翌日もなまえは変わらず、朝食を美味しそうにたいらげ、宮殿の散策をグレースと行い、そしてお茶会に参加し、また宮殿の散策をグレースと行った。
 宮殿の案内だけでなんて楽な仕事だろうとグレースは思うが、なまえはそれでも終始楽しそうにグレースの話を真剣に聞いてくれる。
 ほかのメイドたちは令嬢たちの小競り合いに巻き込まれたりしているというのに、なんとものんびりとした時間をグレースは過ごしていた。
 一通り案内が終わり、なまえが夕食の準備のために部屋に戻る。
 今着飾っている間はほかのメイドが担当のためグレースの休憩時間だったが、やはりほかのメイドたちは口を揃えて「もういやよ」と言っていた。
「何かにつけて陛下のところに行きたいだとか……陛下は仕事をしてるって言っても聞きやしないのよ」
「最初の顔合わせで不平不満の多かったご令嬢は今回で除外したら良かったのに」
「そんなことしたら誰も残らないじゃない」
 同僚の愚痴を聞き紅茶を飲みながら、グレースは「なまえ様で良かった」と心底から思った。
 手もかからない、文句も言わない。無理難題も言ってこない。そもそもピオニーが眼中にないためピオニーの話題すら出してこない。
 なまえから聞かれることと言えば、食事に関してだけである。材料は何だとか、美味しいだとか、本当にそんな他愛のないものだけだ。
「ね、ねえ大変! さっきそこでメイド長に……あっグレース!」
 そろそろ休憩を終えてなまえのところに戻るか、と思った矢先。
 ばたばたと休憩室のドアが開き、頬を真っ赤に紅潮させて歳若いメイドが飛び込んできた。
 担当になった令嬢の我儘が理不尽すぎてあんな人とは結婚して欲しくないと昨夜泣いていたメイドである。
 そのメイドは何か言う前にグレースを見つけると、グレースの前に転がるようにしてやってきた。
「アン? どうか……」
「ねえ、あなたの担当のご令嬢! 大変なんだって! 陛下がさっきメイド長にっ……!」
 興奮しているらしいそれに、グレースはカップを置く。
 ほかのメイドたちもなんだなんだと集まって来て、一人がアンの背中を撫でてやる。
 グレースの担当であるなまえが何かしたのだろうかと思うが、来てからずっと共にいるが食べて散歩をしているだけだ。そんな大きな問題を起こすような令嬢ではない。
「陛下がメイド長にね、あの黒髪で紺色のドレスの令嬢は誰だって聞いてたの!」
 紺色のドレスなど、昨夜のパーティーではなまえくらいしか着ていなかった。
 近づいているようには見えなかったが、まあひたすらに会場の隅で食べ続けていたら目立つかとグレースは納得する。気になっても仕方がないだろう、とも。
「それが?」
 そのくらいなら尋ねても不思議ではない。メイドたちもそう思ったのか、白けたような顔をしているがアンは「そうじゃなくて!」と首を横に振った。
「今日、話しかけてみるって!」
 そこで、メイドたちが一気にざわついた。
 ピオニーから令嬢に話しかけるというのは、滅多にないことだ。
 身分のしがらみがないメイドたちには気さくに話しかけてくれる皇帝ではあるが、勘違いをされて困るような相手にはピオニーは徹底的に好意的な対応はしていなかった。
 この見合いにおいては特に、だ。
 それがピオニーから話しかけるとなれば、それはもう一大事である。
 気に入ったのだろう、なまえを。
 そう思っても仕方の無いことだ。
「ちょっとグレース、グレースのところのご令嬢はどんな人なの!? 性格は!? わがままは!?」
「性格が良くても歳が離れすぎてたらダメよ! 歳は? 陛下がロリコンにならない!?」
「え、ロリコ……」
 確かに性格のいい令嬢も中にはいるが、御歳十三歳である。
 さすがに親子ほど離れている相手には思うことがないわけではないが、あまりにも直接的な発言にグレースは一瞬言葉を失った。
 が、ピオニーがなまえを気に入っている? ひたすら食べていただけの姿を?
 疑問は残るが、メイド長とわざわざ話して名前を聞いていたのなら気に入っていることは明白だ。
「と、歳は二十歳だったと……」
「合格!」
「性格は!?」
「わがままは言わないし……私たちにもお礼や謝罪をしてくれるようなご令嬢だけど……」
「合格すぎない?」
「グレースそのご令嬢絶対逃がさないで!」
「むしろよくそんないい子が残ってたわね」
 きゃあきゃあと一気にヒートアップしてきた会話に、グレースは混乱した。
 どうせ仕えるならもちろん性格がいい奥方がいいのは当然だが、予想していない展開でグレースは話に入れずぽかんとするしかなかった。
 なんと言っても話題の中心になっているなまえの意識の中に、ピオニーが全く居ないのだから。

 夕食時、グレースはホールの手伝いとして広間に入っていた。
 なまえは変わらず一人で食べていたし、グレースを見つけて人懐こく話してくる内容はやはり食べ物のことである。
 ちらりとピオニーの場所を確認するがホール入口付近で令嬢や父兄に捕まっているようだった。
 あれじゃしばらくなまえには話しかけないだろうな、と思うがなまえはやはりそんなピオニーには目もくれていない。
 なんならピオニーがホールに入ってきたことすら忘れているかもしれなかった。
「あのご令嬢? 綺麗な人ね」
「なまえ様よ」
 申し付けられる仕事がなくなり、呼ばれるまで待機していようと壁際に立てば隣にやってきたメイド仲間が小さく耳打ちした。
 すごい勢いで黙々と食べているためホールで完全に浮いてはいるが、確かになまえはきれいな見た目をしている。
 肌も手も髪もボロボロではあるが、それに目を閉じれば貴族らしい美しさは持っていた。
 本人は全く自分に無頓着なのが勿体ないほどだった。
 所作にしても、なまえ自身は貴族らしい振る舞いなんてできないと言うものの、ひとつひとつがきちんとしている。
 礼儀作法に関しても習慣として染み付いているような振る舞いをしていた。
「あ、グレース、見て。陛下が」
 令嬢たちの輪の中から、なんとか抜け出したピオニーはホールを見回してなまえを見つけると、楽しげな足取りでなまえへと近づいて行った。
 そんなピオニーを絶望したような表情で見送る令嬢や父兄たちにグレースは複雑な気持ちを抱く。なまえ様はピオニー陛下に全く興味がありませんよ、と。
 さすがになまえも隣に座られたら話さざるを得ず、そしてピオニーだと気づいた瞬間遠目でもわかるほどに顔を真っ青にした。
 普通の令嬢であれば頬を赤くして喜ぶところだが、真逆である。
 それがどうにもピオニーの気持ちに触れたらしく、随分楽しげに話しているようにグレースには見えた。
 終始穏やかにピオニーとなまえは話し、隣に座ってただただ食事をする。こんな会では見ることの無い平和な光景だ。
 終盤になってグレースが少し目を離した隙にピオニーが腹を抱えて笑い、ますます青白い顔をしたなまえという図が完成していたが、ピオニーの楽しそうな表情をグレースは久しぶりに見た気がして目を細めた。



 そして今である。
 小競り合いの中心だった侯爵家の令嬢たちに囲まれたなまえは、全くグレースが予想もしない感動の仕方をして興奮していた。
 逃がすなと言われていた手前、この件でピオニーのことまで嫌にならないだろうかと不安になったがどうにもそれは杞憂だったようだ。
 見るからにピオニーがなまえを気に入っているのは分かっている。それとなくメイドたちがなまえを気にし始めたのもグレースは気づいた。
 囲え、と視線で会話しているのも今朝見たくらいである。
 それくらい、ピオニーの花嫁選びは難航していたのだ。
 そんなところにピオニーが気にかける女性が現れれば囲えと言われるのもまあ無理はないだろう。
 性格良し、家柄も伯爵家と問題なしといえば尚のことである。どんな理由で貧乏なのかはわからないが、それ自体は結婚するに当たって些末な問題だった。
 そうしていたらピオニーが現れ、流れるようになまえをエスコートして食堂へ続く廊下を歩き始めた。
 この時間であればピオニーが上がるには早いのだが、ピオニーの後ろに控えていたメイドがグレースに目配せをしたためなるほど、とグレースも納得をする。
 ピオニーがわざと時間を合わせたのだろう。廊下でなまえと合流するように。
 徹底的に外堀を外野で埋められているということにグレースは呆れるが、それでもピオニーが朝から機嫌よく嬉しそうであるためまあいいかとため息を飲み込んだ。
 そうして歩き始めた二人の後ろを、ピオニー付きのメイドとついていく。
 道中のピオニーとなまえの会話までは聞こえなかったが、ピオニーのエスコートを受けるなまえはグレースも見たことがないような嬉しそうな表情で笑っていた。
 それを見るピオニーも、楽しげに笑っている。
「朝から甘酸っぱい気持ちになりそうだわ……」
 長年この宮殿に仕えるピオニー付きのメイドは、二人の様子を見て、感動で泣き出しそうな声音で呟いた。

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