「はあ……」
 試作品のケーキを作りながら、なまえは休日の店のキッチンでため息をついた。
 つい先日、キバナが事務仕事から逃げられないと聞いて差し入れを持って会いに行ったのだが、自分の行動を思い返すと攻めすぎたかもしれないと穴に埋まりたくなってしまう。
 そもそもキバナが思わせぶりなことを言うのが悪いんだよ、と思うもののそれとなまえの攻めすぎた発言はまた別物だと言うのも充分に理解していた。
 幼なじみであるキバナを好きだと自覚したのは、随分前だった。気づいた時にはキバナには彼女が居て、なまえはキバナに幼なじみとしか思われていないという事実に涙を流したのだ。
 それからも幼なじみという関係のまま、なまえはパティシエの道へ、キバナはジムリーダーの道へと進むことになった。
 その間もキバナの彼女は何人か居たし、別れた時には毎回からかいに行っていた。
 フラれることの多い幼なじみを哀れんでというのもあったが、気軽に会える幼なじみという関係を崩したくないという思惑ももちろんあったのだが。
 その度になまえは、キバナにひとりの女の子としては全く見られていないことにショックを受けてはいた。けれど幼なじみ以上になれないのであれば、とその関係に甘んじることにしたのだ。
 けれどジムリーダーになってからと言うもの、キバナは彼女を作る気配もなく、なんなら異性といえばなまえくらいにしか会っていないのでは? と思うほどに浮いた話を聞かなくなっていた。
 ジムリーダーが忙しいというのもおおいにあるのだろうが、昔から諦められず、けれど蓋をしてしまったせいでこじらせかけていた恋心というものがなまえの中でひょっこりと顔を出したのだ。
 今なら少しくらいアピールしてもいいんじゃないのか、と。
 と言っても定期的には顔を合わせているし、勝負やなんやと二人きりになる時間も多い。
 先日のように事務所でお茶をすることも少なくはないし、試作品をキバナに味見と称して食べてもらうことだって頻繁にあった。
 けれどそれのどれも幼なじみの範疇から抜け出せていないものばかりで、なまえがキバナを好きだということにキバナが気づく様子もない。
 キバナからなまえへの対応も、昔から変わらなかった。
 それもこれもなまえもいつも通りだからでは、と気づいたのが差し入れを持っていく前だった。
 そのため差し入れを持って行った際、隣に座ってみたり、キバナのためにオシャレをしたのだと言ってみたりしたが、その後は恐ろしくてなまえはキバナに会いに行けていない。
 キバナはキバナで事務仕事が忙しすぎて変わらず事務所に缶詰らしく、向こうからは「死にそう」というメッセージが一言届いているきりである。それすらもいつも通り、ではあるのだが。
 それにヌメラクッキーの写真をつけて送り返しただけで、それ以来やり取りはない。
「顔合わせづらい……」
 今作っている試作品も、完成したら味見がてらキバナのところへ行こうとは思っているが、思っているだけで足が向きそうにない気分であることに変わりはなかった。
 キバナがいつも通りのメッセージなのも引っかかっていることの一つである。
 なまえの勇気を振り絞ったアピールにも微塵も揺れなかったのか、と。
「いや、自分から、アピール!」
 まずは幼なじみから女の子へと進化をしなくてはいけない。その為には、攻めすぎるくらいで丁度いいに決まっている。
 なまえはそう思い、勢いのままスマホを握りしめた。




 キバナのためにお洒落をした、と言われてから数日。
 例の夢よりもそちらのほうが気になってしまい、毎日悶々と過ごしていたキバナになまえからメッセージが届いた。
 どうやら新作ケーキがうまくいかず行き詰まっているらしいため「どこか遊びに行きたいから行こうよ」とのことだが、キバナは大きなため息をつく。
 既にOKの返事は出し、場所もキバナが決める旨を伝えたのだが、胸の奥のあたりがどうにもそわそわして落ち着かない。
 あれからなまえのキバナに対しての態度も特に変わったことも無く、普段通り過ぎるほどだった。
 もしや自分が疲労のために見た幻だったのではとも思う。
 夢のこともあり、昔からの気持ちを拗らせすぎてついに幻まで見るようになったのかと不安になってしまった。
 けれど、約束の日当日、落ち着かず早くついてしまったナックルスタジアム前でなまえを見た瞬間、その幻だったのではと思っていた気持ちはなくなってしまった。
「え、キバナ早いね? ごめん、待たせたかも」
「あー、いや、今来たとこ……」
 約束の時間十分前にやってきたなまえは、先日とは違う水色のワンピースだった。
 普段会う時はワンピースなど着るところは見たことがなく、先日はじめて目撃したくらいなのだ。
 下手をしたらお洒落をしたなまえよりも、パジャマやジャージ、もしくはキバナが着なくなったパーカーを部屋着にして着ているなまえを見る方が多いほどに。
 そんななまえが化粧もばっちりキメて、よそゆきのワンピースを着て、靴も普段履かないようなヒールがあるものでやってきたのだ。
 髪はハーフアップではあるものの、巻いてあるのか毛先がふわふわしている。一言でいえば、可愛い、だ。
 いつもしているピアスだけは譲れなかったのか赤い小さな石がついていたが、差し色としては完璧だった。
 先日の一件も夢のことも全て吹き飛ぶくらいに、とにかく可愛くて、キバナは一瞬言葉を失った。
「……え、これから誰かとデート?」
 あまりにも可愛く着飾っているため思わず素で聞いてしまったキバナに、なまえはしばらくしてからむっと頬を膨らませたが、すぐにはたと気づいたように眉間に皺を寄せた。
 完璧に失言ではあるものの、怒っているようではないためキバナはそのままなまえを見つめていたが、なまえはしばし考え込んだ後にガッとキバナの手首を掴む。
 急に触れられたことへの驚きと、勢いのよすぎるなまえにびくっと肩を揺らしたキバナを、なまえはじっと見上げて唇を尖らせた。
「キバナと! 今日一日デートでしょ!」
 半ばヤケ気味ではあるが、しっかりそう言ってキバナを見上げるなまえ。
 それに理解をする前に反射でにやけそうになったがなんとかこらえ、キバナは「いや、まあそうだけど」と答えるだけに終わった。
 にやけそうになったあと、すぐにどういう意味でとらえればいいのか内心ぐちゃぐちゃである。
 女友達に対してもデートという言葉をなまえは使うし、自分の店の店員と出かける時もデートという単語を使うことはある。
 今のはどっちだ、と思考を巡らせる前に、なまえがねえ、とキバナの手首を引いた。
「今日のプラン聞いてもいい? それとも行ってからの楽しみ系?」
 いつもであれば、なまえの買い物に付き合ったりキバナの買い物に付き合ってもらったり、お互い好きな映画を見たりとラフなおでかけ≠するが、今日のなまえの格好を見たらきちんとどこかに連れて行ってやりたいなとキバナは思った。
 こんなに可愛い格好をしているのにいつも通りなのも味気ないだろう。しかもなまえ本人曰くデートなのだと言う。
 それならデートらしく、それっぽいところに連れていきたい、とキバナは考えた。
 そういやシュートシティに水族館ができたんだっけか、と頭を切りかえ「とりあえずシュートシティ行くか」とタクシー乗り場へと向かうことにする。
「久しぶりに行くかも! 楽しみ!」
 行先を聞くなり、ぱっと笑顔になったなまえがキバナの手首を離そうとした。
 それを咄嗟にキバナは掴んで、驚いたような目を向けるなまえが「うん?」とキバナを見上げている。
 が、自分の行動にキバナのほうがパニックである。ドッドッ、と心臓が嫌な音を立てているし、完全に無意識だったためいい言い訳も全く思いつかなかった。
 しかしなまえは嫌そうな顔はしておらず、不思議そうにキバナを見上げているだけだ。
 手を離すのが惜しいと思ったキバナの無意識の行動だったが、案外このままタクシー乗り場へ行ってもなまえは嫌がらないのでは、と焦った思考の中考える。
 だって、デートって言ってたし。それなら手繋ぐくらい。
 迷ったのは一瞬で、己の欲にすぐに折れることにした。
 キバナはなんでもないように「行くか」と呟いてタクシー乗り場のほうへと足を向ける。
 そうなると必然的になまえもキバナに引っ張られるように少し後ろをついてくることになる。
 キバナからしてみればなまえは後ろにいるためどんな表情をしているかは分からなかったが、きゅ、とつないだ手を握られた上に小走りで横に並んだなまえは「んふふ」と嬉しそうに笑っていた。



 水のポケモンには興味がないかもな、とキバナは水族館に着くなり思ったが、それも杞憂だった。
 終始なまえは楽しげで、他の地方のポケモンや珍しいポケモンなどを見てはきゃっきゃとはしゃいでいた。
 写真撮って、とジュゴンとのツーショットをねだられたり、キバナとポケモンと共に撮りたがり自撮りも何枚も撮るほどに。
 タクシーに乗った時点で繋いでいた手は離れてしまったため、キバナはもう一度繋げるようなタイミングをはかってはいたものの、それは水族館から出るまで訪れることはなく。
 手を繋げなかったにしても、水族館の中では完全にデートの空気感だったな、とまたしてもにやけそうになる表情筋をキバナはギュッと力を入れて真顔へ戻す。
 距離も近かったし、なによりなまえが可愛かった。ことある事にキバナの近くへやってきては何か話して、どこへ行くか相談をして。
 ツーショットをねだられたのも今までなまえとでかけて初めての経験だった。
 が、水族館から出て、距離感に関してはいつもあんなもんかもしれない、と思い直し少しだけキバナはへこんだ。
 幼なじみとしてのいつも通りの距離感だったといえなくも無いのだ。
 相手がなまえでなければ絶対自分のこと好きだな、と確信するレベルではあるが、相手がなまえのためそんな確信ができるわけもなく。
 昔からなまえがキバナのことをなんとも思っておらず、今もただの幼なじみと思われているだけなら完全にキバナは浮かれ野郎である。
 もしや男だと思われていないのでは、と、思うが、最近や今日のなまえの行動の変化も無視はできない。
 お洒落をする。デートだと言う。隣に座る。なんてことはないかもしれないが、長年こじらせ続けた恋心というものが期待をせずにはいられないのもまた事実である。
 せめてもう一回手を繋ぐくらいはしたい、という小さな目標だけをキバナはたてることにした。



 まだ早い時間だからとどこかで食事でも摂るかということになり、普段行かない場所にしようとオシャレな店を探して食事を終えても手は繋げず。
 挙句、ショッピングもしようとお互いに気になる店に片っ端から入ってみて買い物をしている間もそんな機会はとんと訪れずもはや時刻は夜である。
 そろそろタクシーに乗らないとな、と思うのと同時に自分の情けなさにキバナはため息をついた。もちろん隣になまえが居るため心の中だけでだが。
 なまえも、格好はかなりお洒落をしてきているが、なはり普段二人きりで出かける時とほぼ同じテンションだった。
 常に楽しそうであるのはいつものことだが、思わせぶりなことも言われることはなく、やっぱり最初のデート発言は俺の考えすぎか、とまた心の中で涙を拭う。
 いつも通りなのに、距離感を測りかねている自分にはやはり情けないなとも思うのだが。
 隠すのだけが上手くなってしまったこじらせた片想いに、なまえが何も言わず、アピールもせずに気づくはずがない。
 こうなったら少しくらい攻めてみてもいいのでは、とキバナは拳を握った。
「あ、そうだキバナ。……キバナ?」
 考え事をしていたせいかなまえの声に反応出来ず、ぐいと手を引っ張られてはっとキバナは我に返った。
 キバナより少し体温の低い細い指がキバナの手を握っているのにどきりとして、急なチャンスと握られたことによる心臓の動きに一瞬どころか反応が遅れてしまう。
「あー、悪い、考えごとしてたわ」
「大丈夫? 疲れた?」
「いや、そうじゃなくてそろそろ帰った方がいいなって」
 言えば、なまえはたしかに、と頷く。
 が、握られた手はそのままだった。
 え、俺これどうしたらいい? と顔には出さず悶々と考え込んでいたキバナに、なまえがキバナを見上げて「いや、違う、あのね」と目を細めて笑った。
 上目遣いで見られることなど常にあるのに、それに何故か心臓が跳ね、ごく、と生唾を飲み込んだ。
 可愛い格好をしているからだろうか。デートだと言われたからだろうか。それとも手を握られたことにより、まるで恋人のような距離になったからだろうか。
 無駄にどきどきと鳴る心臓を気づかれないよう、キバナはうん、と首を傾げた。
「今から帰って、うち寄っていかない? 行き詰まってるケーキ味見して帰ってよ」
「ああ、まあ、いいけど」
 一瞬更に心臓が跳ねたが、内容はやはりいつも通りである。跳ねた心臓はすぐに地面に落ち着いた。
 お互いの部屋の行き来などは日常的にしているし、なまえがケーキの味見を頼んでくるのも頻度は多くないがそれなりにあることだった。
 夜だから緊張するということもなく、時間に関わらず部屋には入ったり入られたりだ。
 泊まることもあるし、まさに今更である。
「良かった。じゃあ行こ」
 嬉しげに笑うなまえにぐいと手を引かれて、タクシー乗り場へと歩き出す。
 あれ、繋いだまま? とぽかんとしながら握られた手を見て、それから一瞬の逡巡の後、その細い小さな手を握り返す。
 なまえは一瞬ぴくりと指を動かしたが、やはり振りほどいたりはせず、すすすとキバナの横へつくと昼間と同じように「んふふ」と笑った。
 昼間は見れなかった表情だったが、真横に並ばれているため思わず凝視したキバナは見るんじゃなかったと思い、けれど視線を逸らすことは出来ず。
 少しだけ赤くなった頬に上がった口角。嬉しそう、ではなく嬉しいと顔に書いてあるような表情でなまえは笑っていた。
 まるで恋する女の子みたいに。




 これで勘違いするなというのが無理では。
 キバナはなまえの部屋に上がり、いつも通りリビングのソファへ腰掛けて頭を抱えていた。
 キバナは、恋愛において察しの悪い方ではない。どちらかといえば察しは良いほうで、女性が自分に何を望んでいるだとか、この人は自分が好きなんだろうとか。
 そういう気持ちを察することには長けているはずだった。
 それなのに幼なじみ一人の自分への気持ちが全く分からないのだ。
 もしもなまえじゃなければ先日の行動も、今日の行動も「あれ、なまえて俺のこと好きじゃね?」と思えるのだが、相手がなまえとなればやはりそう簡単なことでは無い。
 今の今まで全くキバナに男としての興味も示さず、幼なじみの距離感を崩さなかった。
 そもそもキバナ自身が、なまえとの関係が壊れるのを恐れて距離感を崩さなかったというのもあるが、隙さえあれば入り込んでやろうとは思っていた程度には下心も打算もあったのだ。
 その隙が今までなまえからはまるで見えなかったのに、ここにきてのこの勘違いしてもおかしくない行動の数々である。
 当の本人であるなまえはキッチンに立ち紅茶の準備に勤しんでいるが、キバナはそれどころではなかった。
 二人きりの部屋で、夜で、またあの勘違いしそうな行動を起こされたら何もしない自信はない。
 はああ、となまえに聞こえないようにため息をつき顔を上げると、廊下の向こう、半開きのドアからなまえの寝室が見えてどきりとした。
 入ったこともあるし、寝室の方でくつろぐ時もある。初めて見た訳では無いその寝室の中に見えた白いベッドに、先日の夢のことを思い出してキバナはぐぅと喉を鳴らす。
 熱っぽい声に、甘えた声。白い背中やうなじをはっきりと思い出してしまい、頭を抱えていた手で顔を覆って天井をあおぐ。
「なんで今思い出すんだ……」
 絞り出すように言えば「なにを?」とすぐ背後で声がしてキバナはびくりと体を揺らした。
 別の意味で心臓がばくばくするが、なまえはケーキと紅茶の乗った盆を持って首を傾げて「買い忘れでもあった?」と心配そうな顔をしている。
「いや……こないだ見た夢、を……」
 そこまで言って、なんで口を滑らせるんだ、とキバナは自分で自分を叱咤する。適当に、次に行った時に買うわ、とかで良かっただろうと思ったがそんなものは後の祭りだ。
「夢?」
 言いながら、なまえは目の前にあるローテーブルにお盆を置く。
 そこからフルーツのたくさん乗ったショートケーキと紅茶をキバナの前に置き、一瞬悩んだような顔をしたもののキバナの横のスペースに自分のケーキと紅茶を置いてそのままキバナの横に腰掛ける。
 なんでそこ!? とキバナは心の中で盛大にツッコミをいれるが、幸いにも声には出なかったし顔にも出さなかった。
 キバナが遊びに来た時のなまえの定位置は、基本的に正面の一人がけソファである。たまに床にそのまま座っていることもあるが、隣というのはそうそうあるものではない。
「悪い夢だったの?」
 大混乱を極めているキバナの内心など知らないなまえは、夢についてキバナに問う。
 もしや夢の話を深刻にとられ、話を聞こうと隣に座られたのかもしれないとキバナはなんとか気持ちを立て直す。
 勘違いをするべきではない、と自分へ言い聞かせないと勘違いをし続ける気がした。
 しかし夢に関しては詳細まで尋ねられると気まずいことこの上ないため、早々にこの話は切り上げてしまいたかった。キバナのためにも、なまえに嫌われないためにも。
「いや、悪い夢じゃなかった」
 そこははっきりと言う。悪い夢では無いが、気まずいことこの上ない夢だっただけだ。
 すっかり悪い夢だと思っていたらしいなまえは拍子抜けしたと言わんばかりに「ならいいけど」と歯切れは悪いものの、それ以上深追いすることなくあのね、と言葉を続けた。
「これ。季節のフルーツを使ってるショートケーキなんだけど。なんか、食べすぎたから味が分からないのか、ほんとに何か足りないのか判断が出来なくて」
 そう言って可愛いピンクの皿に乗せられたショートケーキは、何度もなまえのケーキを食べているキバナが見てもきれいなケーキだった。
 断面から見えるケーキの層や果物の色味もはっきりしていて、白いクリームも、季節のフルーツもつやつやとして完璧にケーキの上に鎮座している。
 なまえの店は、ナックルシティではかなりの有名店である。
 味も他と比べると群を抜いて良く、パティシエも可愛い、というのが大きいが、そこにきて店のSNSで発揮される、ケーキが全く関係ないカブ愛と、非売品として時々写真が上がるカブ愛垂れ流しのケーキやらマカロンやらアイシングクッキーの画像で反響を呼んだことも大きかった。
 作業動画なども積極的に上がり、ケーキも可愛く映え、そして美味しいとなればあっという間にこのご時世である、有名店にまで上り詰めてしまった。
 どのケーキを食べても結局キバナからしてみたら「ぜんぶおいしい」と月並みなことしか言えないが、それだけしか言わないと分かっていてもなまえはキバナに試作品を食べさせたがる。
 最近になってやっと、喋りたいだけなのかもな、と思ってきたがやはりそれも幼なじみ故に気の置けない相手と判断されているのだろうと思っていた。
「うまい」
 とりあえずひとくち食べるか、と食べ、すぐに思ったことを口にする。
 生クリームも甘すぎず、フルーツの酸味も程よく、そしてスポンジが柔らかくふわふわで口に入れた瞬間に崩れていくようなそんなケーキだった。
 美味い、の一言しか出ないが、口に入れてからの速さで本当にそう思っていると判断したらしいなまえが肩から力を抜いた。
「キバナ、甘すぎたり重かったりしたら甘いってちゃんと言ってくれるから安心したあ……そうなると味見しすぎてわかんなくなってるだけかも」
 ぶつぶつと何事か呟きながら、なまえもケーキを口にする。何度か咀嚼して飲み込んで、うーんとまた首を傾げてしまった。
 どうやら隣に腰掛けられドギマギしてしまったのはキバナだけらしい。
 完全に夢について心配され、話を聞く体勢になっただけのなまえに無駄に緊張したのが恥ずかしくなってきて、黙々とケーキを口に運ぶことにする。
 ケーキについて考え込んでしまったなまえは、しばらくはこのままだろう。
 ちらりと横目でなまえを見ると、スマホロトムでメモをとったりひとくちケーキを食べたりと忙しなく動いている。
 こうして見ればいつも通りのなまえだが、今日のなまえは明らかにキバナの心臓に悪い行動しかしなかった。
 お洒落もそうだが、デートだと言ったり、手を繋いだり、隣に座ったり。それに手を繋いだ時にまるで──。
「好きな男でもできた、とか……?」
 口に出したつもりはなかったが、自分の耳からも自分の声が入ってきてぴたりと止まる。
 言葉にしてしまってから、じわりと広がる言いようのない不安や暗い感情に、喉の奥に石のようなものでも詰まった感覚になった。
 好きな男と手を繋ぐ想像でもしたのかもしれない。おしゃれも、その男のために頑張っていてその延長でキバナと遊びに行ったのでは。
 なまえの横に自分以外の男がいる様子がまるで想像できず、想像だけでも許せそうになくため息を吐き出しそうになったところで、なんの感情も見えないなまえの薄い色素の瞳がキバナへ向いた。
「……それ、私のこと?」
 そう言われて、自分が声に出したことに改めてどっと冷や汗が出た。今更口を押えてももう遅い。
 まずい、と思うがなまえの瞳はまっすぐキバナをとらえていて、じっとキバナを見つめている。
 どう言い訳するか、と考えるがうまい言葉が全く出てこず、頭が真っ白になった。タイミングがあまりにも悪い。
 ここでいないよ、と言われるのであればそれで終わりだが、いるよ、と言われたらその時点でキバナの拗らせていた恋の失恋は決定になる。
 そして、別の男の隣で笑うなまえを想像しただけで、幼なじみとしてこれからもやっていける自信がまるでなくなってしまった。
 嫉妬しかわかなかったのだ。隣の男を許せそうにないくらいに。
 今まで関係を壊さないようにしてきたツケだが、後悔先に立たずとはよく言ったものだとキバナは心の中で自嘲する。
「なんで好きな人がいるって思ったの?」
 そう言うなまえは、緊張しているのかやはりその表情からはなんの感情も読み取れない。
 声が硬いため真剣なことは分かるが、それだけだった。
 ぐっと膝の上で拳を握り、キバナは一度ごくんと喉を鳴らす。紅茶を飲んだばかりなのに、口の中がカラカラにかわいている気さえする。
「や、最近お洒落してるのとか……手繋いだ時、嬉しそうだったのとか……誰か思い浮かべてたのかと、思って」
 言って、虚しくなってくる。
 しどろもどろではあるがなんとか言えば、なまえは今度はなんとも言えない、怒っているような、悲しそうな、けれどどこか期待するような表情をした。
 けれどすぐにむむむと眉間に皺を寄せ、うーーーん、とがっくり俯いてしまう。
 予想していたどれとも違う反応を返され、どうキバナも反応していいのかわからずしばらくなまえのつむじを眺めていると、ばっと顔を上げてなまえはキバナを睨みつけた。
「それ、私、キバナ以外にはしないから」
「……え? なんで?」
 素でそう聞き返すと、なまえは今度は悲しそうな顔になって、ぐっと自分の皿に乗っていたフォークを掴む。
 え、刺される? と頭の隅で思ったが、それよりもなまえが口を開く方が早かった。
「キバナ、察しいいくせにどうして私の好きな相手が自分だって一ミリも考えないの? 私はキバナだからお洒落したし、デートもしたかったし、手を繋ぎたかったの。ケーキの味見だってただの口実なの!」
「なん、むぐっ」
 一瞬何を言われたのかわからず、けれど何か言わなくてはと口開いた瞬間、なまえが握ったフォークで残り半分ほどになっていたケーキを突き刺し、その半分のケーキをまるごとキバナの口に突っ込んだ。
 何をされたのか理解ができず目を白黒させるキバナを泣きそうな顔で見たなまえは、さっとその場で立ち上がる。
 幸いすぐに口の中でなくなるケーキだったため急いで咀嚼しながら、キバナは立ち上がってどこかに行こうとしたなまえの手首を掴んで思わず自分の方に引っ張っていた。
 思いのほか強かった力にバランスを崩したなまえは、そのままキバナが受け止めて逃げないようにぎゅっと抱きしめる。
 が、お互いそのまま動くことが出来ず、キバナもなまえも黙ったまま数秒過ぎたところでなまえが苦しそうにキバナの腕の中で身じろぎをした。
 それに苦しいのかと思い腕を緩めかけて、また逃げられたら今度こそ捕まえられる気がしないと思ったキバナはなまえを膝の間に座らせるように抱え直し、そのまままたなまえを抱き込むことにした。完全に無意識の行動である。
 苦しくは無いだろうが、どう考えても恋人のような抱き込み方になまえはキバナの腕の中で顔を真っ赤にした。
 なまえは突然抱きしめられたことに思考はまるで回っていないし、キバナはキバナでまるでまとまらない思考で言われた内容やなまえの行動等を思い返していた。
 何度考えても行き着く答えがひとつでしかない。
 これ俺の妄想じゃなくて? と何度考えても、なまえは腕の中で大人しくしているし、ちらりとキバナから見えるなまえの耳は真っ赤になっているしで己の思考に信ぴょう性すらでてきてしまう。
 じわじわと実感がわいてきたが、それと同時に自分の失言を思い出して「待った!」とキバナは叫んだ。
「な、なにっ」
 急なキバナの声に驚いたらしいなまえが、キバナの膝の間でびくりと肩を揺らす。
 その腕の中に居る事実と、なまえの小さな動きですらにキバナはときめきを覚えるものの、今はそれどころではないと思い直す。
 キバナの思っている通りであり、これがキバナ自身の妄想でないのなら、なまえに対して失言に失言を重ねていた。
 それでやっぱり嫌いになりました、などと言われたら期待や希望が粉々になって立ち直れない気しかしない。
 しかし先の失言を謝る? それとも別の話題を振る? そのどれもが違う気がして、キバナは待ったと叫んでからしばし考え込み、抱き込んでいたなまえをぎゅっと更に抱き込んだ。
 それにいちいちなまえが顔を赤くしているのもキバナは気づいてはいない。
「その」
「……な、なに」
 自分の腕の中から少し戸惑ったなまえの声が聞こえることに、信じられないような気持ちになるものの、キバナは一度息を吸った。
 そこで自分の心臓が有り得ないくらいに脈打っているのを自覚し、抱き込んでいるなまえに丸聞こえなのではと変なところで不安になるがそれでもなまえを離すという選択肢は浮かばない。
 今離してしまえば、なまえは自室にでも閉じこもって出てこなくなるだろうとキバナの長年の経験が訴えている。
 思ったよりも小さな体も、細い肩も、いつもよりずっと濃く感じるなまえの香りも、キバナの心臓を動かすには充分だった。
 さらに言えば大人しく抱きしめられているのも、キバナの妄想が具現化したのかというような内容の言葉も言われたのも、キバナの思考をぐずぐずに溶かすには充分である。
「お、オレ以外には、さっきの、してほしくない」
 そうしてなんとか絞り出したのがそれで、キバナは自分に対して情けなさすぎる、と心の中で盛大に嘆いた。
 過去に付き合ってきた女性たちには、もっとうまく言葉をかけられていたはずだったし、そもそも欲しいであろう言葉だって手に取るようにわかっていたのに。
 なまえに対しては全くもって自分がポンコツになることがここ最近でよく分かった。
 にしても今の言葉選びは最悪である。なまえを抱きしめたままキバナは激しくへこんだ。
 ここで好きだとか、もっと言えばなまえへの謝罪となまえへの気持ちを自分の言葉で伝えたら良かったのに、と。
 しばらくキバナが心の中で懺悔をしていたが、なまえが少し身じろぎをしてキバナの胸に顔を寄せたため懺悔が途中で中断し、その代わりにぶわっとキバナの頭の中を喜びが占める。
 そのままなまえは、なんでもないようにキバナの背中へ腕を回しぎゅっと力いっぱいしがみつくように抱きついた。
 その行動に一瞬心臓が止まりかけたキバナだが、しばらくその格好のままいたなまえはややあって「ふふふ」と笑うとぐっとキバナへと体重をかけるように頭を押し付ける。
 さっきまで怒っていたなまえだったが、どうやら機嫌は持ち直しているらしいことにキバナは安堵した。
「キバナ以外にはしないってさっきも言ったよ。今までも、これからも。キバナ以外にはしないよ」
 約束する、と付け加えたなまえは、やはり楽しそうにキバナの膝の上で、キバナに抱きついたままふふふと笑った。
 

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