夜遅くべろべろに酔っ払って帰ってきた父と兄が言い始めた「なまえ、結婚相手が決まったぞぉ」などというご機嫌な言葉を聞いたなまえは「またはじまった」と眉を寄せた。
 酔うと妙なことを言い始める父と兄で、もはやよくわからないことを飲み会だの懇親会だの会議だのの後に聞くのは慣れっこである。
 その日もまあ妄想か何かだろうと適当にあしらい「お父様とお兄様をよろしくね」と使用人に丸投げし、なまえは部屋に下がったのだ。いつものことだから、と。
 母親は母親で酔っ払いの相手は……と早々に部屋に下がってしまっていた。その詳細を聞く人間は一人もいなかったのだ。
 使用人すら「また妄想かな」と思っていたくらい日常の風景である。
 それが五日前のできごとだった。
「……綾人、今なんて……?」
「聞いていませんか? なまえに、結婚の申し込みに来ました」
 そして現在、目の前で微笑む見目麗しい銀髪の青年の言ったことを受け止めきれず、なまえは頭を抱えた。
 もちろん客人の前のため心の中だけで頭を抱えたのだが、隣で話を聞いていた母親は即答で「喜んで!」と前のめりだ。
 お母様が綾人と結婚するわけじゃない、と喉まで出かかったがなんとか飲み込む。
 人好きのする顔で微笑む綾人は、いつも通りに穏やかに目の前に腰掛けていた。
 場所は蓮見家応接室。見慣れた部屋であり、綾人が来るのも初めてではなく、やはり見慣れている風景だった。
 が、慣れない結婚の申し込みという言葉になまえはただただ混乱するばかりである。
 綾人は、言わばなまえにとっては幼なじみだ。兄のような存在と言ってもいい。
 物心ついたころには既に綾人を兄のように慕っていたし、綾人の妹である綾華とも姉妹のように育ってきた。もはや家族と言っても過言ではない。
 なまえの兄も含めて全員で兄妹のように育ってきたその一人から、結婚の申し込みに来た、と言われたのだ。
 頭の中は混乱しているし、五日前の自分に対して「二人に水でもかけて酔いを覚ませばよかった!」と大後悔もしている。
「それ、って、お父様とお兄様が無理を言ったのではなく?」
 二人ともとにかくべろべろだった。
 翌日は二日酔いで床から起きるにも難儀していたのを横目に、なまえは家の仕事を手伝っていたのだ。
 お互い忙しくしていたため、それ以来まともに会ってもいない。
 嫁の貰い手がないだなんだと余計な心配をしていた二人である。酒の席で顔なじみの綾人に無理を言ったのでは、と不安になり尋ねると、綾人は首を傾げて、それから目を細めて微笑んだ。
「まさか。私の方から頼み込んだくらいです」
 それこそまさかである。
 ぽかんと綾人を見つめるなまえに、きゃあっと喜ぶ母親。
 隣に座っている母親との温度差にどうにかなりそうだと思いながらも、何故、とそればかりが頭には浮かんでいく。
 だって自分は妹のはずで、綾人は自分の兄のはずだ。血の繋がりはなくともそう思って今まで生きてきた。
 急に結婚と言われても、全くもってなまえにはピンとこなかった。
「すぐに結婚しようとは思っていませんよ」
 まるでなまえの思考を読んだような言葉に、むっとなまえは綾人を見る。
 目の前で先程とかわらず穏やかに微笑む綾人は、それでもどこか面白そうな瞳の色を隠さずに微笑んでいた。
「結婚を前提として、私とお付き合いからはじめましょうか」
 言うなれば婚約者になろう、ということだ。
 お付き合いも何も、生まれてからずっと共に育ってきたのに今更何を知ろうというのか。
 といってもここ数年は綾人がとにかく忙しかったため顔を見るのも難しく、年に数回会えたらいいほうではあったが。それでも、である。
 が、ここでなまえに断るという選択肢は与えられていない。
 父親と兄が賛成していること、そして母親が大喜びであること。且つ、人払いをしていなかったため使用人に丸聞こえであること。
 ここで断れば神里にも蓮見にもいいことにはならないのはなまえにも分かるのだ。
 いくら箝口令を強いたところで漏れることは分かりきっている。
「お……、お受けします……」
 絞り出すように言えば、母親は大喜びし、使用人たちも生暖かくなまえと綾人を見つめ、そして綾人は当然だと言わんばかりに瞳を細めた。

 

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