「姫様ー!姫様帰りましたただいま帰りましたシエル帰りましたー!」
「うるさい」


 バタバタと、昼過ぎの穏やかな午後に響く声と足音。こんこんとノックはしたものの私が「うるさい」と一言言えば「ありがとうございます!」と心底嬉しそうに言って部屋のドアを開けたのはシエルだった。読んでいた本から顔をあげて視線をドアのところにいるシエルへとやれば、シエルはぱっと表情を明るくして「かえりましたっ」と笑った。いつもこんなにうるさく帰ってくるだろうか。いや、これは私が毎回思ってることかもしれない。帰ってくるたびにうるさいのだ。いつものことだ。


「おかえりなさい。いつも言っているけどもう少し静かに戻ってきなさいよ」
「えー!でも俺が帰ってきたこと少しでも早くお伝えしたくって」
「充分よ」


 本へしおりを挟んで、テーブルへと置けばシエルはやっぱり嬉しそうに笑うと私の近くまで寄ってきて私の横へと膝をついた。跪く、というのだろうか。にこにこと嬉しそうに私を見上げる緑色の瞳はやっぱり嬉しそうに細まっている。
 まあ賑やかに戻ってくるのは決まって母がいない時だけだ。狙って帰ってきているのだろうけど、あれだけ賑やかに戻ってこなければ母に気を遣う必要なんて全くないのに。母を気にしなければあとは使用人たちだけなのだから。


「とりあえず、俺が見てきたのは手紙に書いたことがすべてです。俺的にちょっと気になったのがノール港ですね」
「そう。…アレクの動きも少し気になるのよね。ノール港もそうだけど」
「あー、キュモール隊はそれなりに評判悪いですよーどこでも」
「でしょうね」


 あのねじれた性格も相成ってるし、市民嫌いも拍車をかけている。貴族たちからは人気があるのだけど私はどうにも好きになれないのだ。だからと言って昔から知っている分嫌いにもなれなくて困るのだけど…。


「はあ…実際に見に行けたら一番いいんだけど。帝都からできることなんて限られているもの」
「いつでも俺はお供しますよ、オリヴィア様!」
「それは知ってるわ」


 なんでもないように言えば、シエルは心底嬉しそうににっこりと笑う。…本当にこの人年上なのかしら。会った時が17歳くらいに見えたから今は多分25歳くらいなんだろうけど…まあ背も高いし体格も細身とはいえ筋肉がついているからがっしりして見えるけど…。母が母の友人と長期旅行にでも行ってくれたら私もシエルと二人で帝都から抜け出すくらいたやすいのだけど。以前は旅行によく行っていたのに最近じゃお茶会やらに忙しくてそんな気も回っていないみたいだし。かと言って私が旅行へ行くと言えば護衛やら騎士やらをつけられて自由には動けなくなるのは目に見えている。シエルとの二人旅が一番動きやすいからそれもできない。


「…お疲れ様シエル。いつもありがとう」


 未だ跪いているシエルの頭をぽんぽんとなでてやれば、シエルは今度は幸せそうに笑って「姫様のためならなんでもします!」と言う。…いつからかしら、シエルがこんなになったのって。昔を思い出してみても今のシエルの印象が強すぎていつからこうなったかなんて思い出せなかった。いや、割とすぐだったのかもしれないけど。


「お風呂に入って疲れをとってきて、シエル。あがるころには紅茶とお菓子を用意しておくから」
「俺が紅茶とお菓子ついでに持ってきますよ姫様」
「それじゃ意味ないでしょ。ほら、さっさといってらっしゃい。今日は私がケーキを焼いたのよ、少しこげたけど…一緒に片付けてちょうだい」


 長旅をさせてしまうのはいつものことだけどこれくらいの労いはさせてほしい。一緒にティータイムを過ごすのはシエルが戻ってきた時の恒例行事みたいになっているしあのやり取りも毎度のことなのだけどシエルはそれが楽しいのか私が折れるのを待っているのかよくわからなかった。


「10分で上がってきます」
「ばかね、ゆっくりしてきなさい」
「で、でも姫様のお菓子が」
「お菓子は逃げないわよ。ほら、いってらっしゃい」


 シエルを立たせて背中を押して部屋から追い出す。シエルは廊下へ出た途端走って自分の部屋へと入って行ってしまったけど多分30分はお風呂からは出てこないだろう。いや、出てこないようにしてくれるだろう、と言ったほうがいいだろうか。長年一緒にいて気づいたけど、シエルは私が動きやすいように時間配分をするのがうまい。私の考えていることを考えながら動いているのだ。私のほしい情報、ほしいもの、やりたいこと。いつも旅に出しても私が欲しいものをすべて持ってきてくれる。…まあ買ってくるお土産の量は少しどうにかしてほしいのだけど。どうせ今日もお茶をしたあとお土産と称したものをたくさんくれるのだろう。…まあ、それも周りを世間知らず、と思わせるためにはなっているんだろう。…そこまで考えて動いてくれているのならすごいけど、お土産と称して買ってくるドレスや布、アクセサリー、よくわからない置物なんかはきっとシエルの趣味だろう。お給料を全部お土産代にしているんじゃないかというくらい無駄な使い方をしているから一度きちんと話しておくべきかしら。いつかお嫁さんをもらうようなことになったらきっと困るでしょうに。…ああ、でも、シエルは結婚、するのかしら。自分で言うのも気が引けるけど、自他共に認めるくらいに私のことが大好き、だろう。


「…あなたのいのちをわたしにちょうだい…」


 あの時言った言葉。間違ったことは言っていないと思った。下町へ行った帰りみち、死にかけているシエルを見つけて私は彼を助けて、死なせてはいけないと思って。この人をそばにおいておかないといけないと、手放してはいけないと私の中の無意識が訴えていたのだ。ちょうど世界を探るのに自分だけの騎士がほしかった時期でもあったのだけど。
 もう一度同じ言葉を呟いてみても部屋の静けさにとけていくだけだ。


「お菓子の準備、しよう」


 シエルが部屋からお風呂のほうへ行く足音を確認して、私はお茶の準備にとりかかることにした。シエルは私に対して文句も言わないし、私がやること全てに何も口を出してこない。命令だってすべて完璧にこなして聞いてしまう。だからこそたまにはこうして労ってやりたいと思う。
 シエルが自分のためにお金や労力を使っているのなんて見たことがなかった。シエルの部屋も簡素なもので、それに気づいた私が色々と買ってはクローゼットへいれたり絨毯を整えたりとしているけどそれでも必要最低限のものしかないのだ。食べ物の好き嫌いもなく、表情がかわるとすれば私の作ったもの、なのだけど。こげたものだろうとまずいものだろうと「姫様の作ったものなら!」と言いながら食べてしまう。笑顔で。まあそこまで私も料理が下手というわけではないからその件に関しては気疲れはさせていないつもりなんだけど。


「しばらくはそばにいてもらおうかしら…」


 評議会の動きも気になるところだし、近々また晩餐会がいくつか控えている。シエルのいない晩餐会は暇でしょうがないから。


「…甘えすぎね」


 小さく呟いたそれに、私は一人苦笑をした。


20130715

戻る