俺の両親は、ずいぶんと市民を毛嫌いしていた。それは俺が子供のころから、まるで呪いのようにかけられ続けた言葉だった。けど、子供のころの俺には下町に友人がいて、いつも屋敷を抜け出しては日が沈むまでその友人と遊んで、次の日また会う約束をして毎日別れていた。そのせいで、両親のいう"貴族以外"の人間と、幼い自分が見た"貴族以外"の人間の差がいつからか大きく、深くなってしまって。両親がいう貴族以外の人間は、それこそ卑しい、まるでこの世のすべての醜いものをあつめたかのような言い方をしていた。けれど俺の見た貴族以外の人間は、毎日必死に働いて、笑って、自分たちで生きて、とても、きらきらしていたのだ。貴族である俺にも優しく接してくれる人たちと、毎日呪いの言葉を吐く両親。



 生まれた溝や意識の差が埋まることなく数年が過ぎたころ、俺はとあるパーティーでひとりの少女と会った。13歳ほどの少女は大人数がいるパーティー会場でなお凛としていて、その場の空気だけがまるで違うような、そんな雰囲気をまとっていた。銀糸のようなゆるく巻いた長い髪に、鮮やかなグリーンの瞳。朗らかに微笑んでヨーデル様と話をしているその少女は、まるで一枚の絵画を見ているような気分にさせられた。
 社交界にはあまり興味もなく、パーティーに出席したとしても適当に話して帰ってくるだけだった自分はたいして参加している貴族にも興味がなかったわけで。だけど、ひときわ目をひくその少女だけは気になって、近くにいた懇意にしていた貴族へあたりさわりなく尋ねた――というよりも、情報収集をしてみたところ、その少女はオリヴィア様という、皇族の少女らしかった。つまり姫君というわけだ。次期皇帝にも名前があがっているほどの人間らしい。

「通りでお綺麗なんですね」

 またあたりさわりなくそういえば、その貴族はまるで自分のことのようにオリヴィア姫のことを話しだした。あの年でアーチェリー師範の資格を持っていること、今までしてきた慈善事業のこと、そして変わり者であるために孤児院をたてて運営しているという話。
 最後まで聞いてある程度のところで話を切って、考える。あの貴族は彼女を変わり者だと言っていたけど、どこか変なところがあっただろうか。慈善事業に関しても、孤児院のくだりに関しても、別になにひとつとして「かわりもの」と称されるところはなかったように思う。
 まあ確かに、貴族らしい貴族、ではないように思うけど。皇族としては、立派に何かをしようとしているのではないだろうか。貴族だけを見ているわけではなく、一般市民にも目を向けて、帝国をよくしようとしている。少しでも住みやすい場所にしようとしている。ギルドの首領とも話し合いの場を設けるとか、ここ数年になってよく帝国の外に視察へ行っているとか、それを変わり者というのは微妙に違和感がある。

「オリヴィア姫、か」

 まだたったの13歳の少女がそんなことをしている。そして理由はどうあれ市民にも歩み寄ろうとしているのか。……いや、少女だからこそ、歩み寄ろうとしているのかもしれない。
 俺と同じように下町にでも友人がいるのかもしれない。おとなしそうに微笑む少女の見た目とは、本当は真逆の性格でお転婆なのかもしれない。俺は彼女を知っているわけでもないし、話したこともないからわからないけど。でも、こうしてとおくから見ている分には皇族らしい、本当に凛とした少女だと思う。品があって、まとう空気も他とは違う。

「ルイス様、こんなところへいらっしゃったんですね」

 小さな姫君を観察するようにじっと見ていたら、ふいにかけられた鼻にかかったような声。それに聞き覚えはあったものの、すぐに誰だったか思い出すことはできずにぼんやりと声の主を見ていたら、その女性は俺の腕に絡みつくようにして体を寄せると「お久しぶりです」と甘く笑った。
 誰だっただろう、なんて考える間もなく、両親に決められた婚約者だと先に頭が理解をした。「ええ、本当に」と考えるよりも先に出たのは彼女へ対する言葉だ。久しぶりだと言っても二週間ほど前に会っただろうに、と心の中で思うものの口には出さず。一言二言、言葉をかわしていたら、彼女は俺が見ていたほうへちらりと視線をやってから「あら」と首を小さくかしげた。

「ヨーデル殿下とオリヴィア殿下がいらっしゃってたんですね」

 甘ったるいその言葉に「そうらしいですね」と笑うと、彼女は気をよくしたのか、以前ヨーデル様と話したときのことをつらつらと話し出した。それに適当に相槌を打ちながら話を聞いていたら、そういえば、と少し小声になった彼女はちらりとオリヴィア姫を見て、ますます声を小さくした。

「オリヴィア殿下、孤児院をおつくりになったとか」
「ああ、そうらしいですね」
「いやだわ、皇族の方でなければきっと嫌われていたでしょうね」

 あの子のお母さまは何をされているのかしら、と非難するように小さく言葉を紡ぐ。ああ、彼女もそういえばずいぶんと貴族らしい貴族だった。俺の両親と同じく、市民嫌いの、貴族のプライドだけがあるような人だ。決められた結婚で、婚約者で、まあそれはそれでいいかとも思っているのは事実だけど――。ちらりとオリヴィア姫がいたところを見ると、そこにはもうオリヴィア姫の姿はなく。ヨーデル様は、今度はエステリーゼ様と談笑をしているようだった。
 貴族らしい貴族。市民嫌いの貴族。彼らは一体市民街や下町の人たちを一体どういう目で見ているのだろうか。貴族の、なにもせずただ日々を浪費して、帝国を思うように動かそうとしている人間たちよりも、よっぽど胸を張って生きている彼らのことを。







 それから数日して、俺はたまたま時間ができて、一カ月ぶりに下町へ足を運んだ。今でも幼馴染だった下町の友人とは仲が良く、こうして時々訪ねては少し話してお茶を飲んで帰ることがある。両親がいない日限定ではあるけど、なかなか時間がとれず最近は足が遠のいていた。前に来た時は仕事が決まりそうなんだと、喜ばしいことなのにまるで恐ろしいことのように話していたけど、さて、今日はその仕事の日ではないことを祈るばかりだ。
 慣れた下町への道を歩きながら、友人の家を目指す。下町の中でも住宅が密集しているところにあるその家の前にいけば、俺がドアをノックする前にそのドアは中から開いて、焦げ茶色の髪の男がドアの前にいた俺を見て驚いたように「うわあ?!」と一歩下がる。けどすぐにそれが俺だとわかると、男――トーマスは「ルイス!」と嬉しそうに俺に近づいてきた。

「久しぶり、今日は忙しくないの?」
「ああ、時間がとれたからトーマスの顔を見に」

 苦笑をしながら言えば、トーマスは「わあ」とまた嬉しそうに笑った。けどすぐに「あ、でもちょっと待たせるかも」と申し訳なさそうにいうトーマスは、俺がどうした、と聞く前に「届け物があって」という。

「届け物?」
「あ、正確には取りに来てくださるみたいなんだけど……。もうすぐ来ると思うからちょっと待ってて」

 そう言って、トーマスは自分の手に持っていたかごを指す。布のかけられているそれは香ばしいにおいがしていて、焼き立てのパンか何かなんだろうという憶測をたてた。そういえば両親がパン屋をしていると言っていたのはずいぶん前だったように思う。――にしても、来てくださる?ずいぶん丁寧な言葉を使うんだな。下町にはトーマスがそんな言葉づかいをするような人間はいないし、新しい職場の上司か何かだろうか、とまた憶測をたてた。少しそわそわと落ち着きのないトーマスは、上司と思わしき人間がパンをとりにくるという状況なのにどこか嬉しそうにしている。

「ずいぶん嬉しそうに待つんだな」
「え!?そ、そうかな、いやでもそうかも……。俺の家のパンをってお願いされたときから飛び上がりそうなくらいうれしくて!」
「そんなに大量のパン、どうするんだ?」

 なんとなくトーマスと一緒にドアの前でその上司とやらを待ちながらトーマスへ質問をすると、トーマスはにこにこと笑って肩をすくめた。

「孤児院に差し入れって言われてたなあ。いや、それにしてもあのお年で孤児院とか作っちゃうって本当にすごいとしか言えないよね」
「――孤児院?」

 最近、孤児院の話をしたような気がする。いつだったか、思い出せ。かなり最近だし、かなり今の俺にとって重要なことではないだろうか。下町には両親にも使用人にも黙ってきている俺の立場的な問題で。焦る思考とは別のところで、トーマスは「本当にしっかりしてて」「おきれいだし」と誉め言葉を並べ立てていく。なんか似たようなことを言った気がする、と思考をついこの間のパーティーへと飛ばしたとき「トーマス」と少女の声が思考を遮った。
 下町ににつかわしくない空気をまとった少女が、少し離れた位置から小走りでこっちへ近づいてきていた。その後ろには明るいオレンジの髪をした背の高い青年が同じようについてきているけど、少女のほうはそこはかとなく見覚えがある。服装こそ豪華さのない、けれど粗末でもなく、一般市民に紛れ込めれるようなワンピースを着ている少女。銀糸のゆるく巻いた長い髪、グリーンの瞳。

「オリヴィア様!わざわざありがとうございます、取りに来ていただいて!」
「私のほうこそごめんなさい、無理を言ってしまって。お代はお給料に乗せてもらうようにしてるから――」
「――オリヴィア様?」

 ぼそりと、あまりの衝撃にこぼれた言葉に、その場にいた全員が俺のほうを見た。青年だけが「俺がかご持ちますね!」なんて意気揚々と言っているけど、トーマスと、少女の視線は間違いなく俺を見た。トーマスは「あれ?」という顔をして、少女のほうは、しばらく俺をじっと見たあとにぎょっとしたような表情をする。グリーンの瞳が驚きに見開かれ、それからそのままトーマスを見てから、はたと気づいたように、少女は「……そういえば」と小声で言った。

「以前言っていた貴族の友達って、彼――ルイスのこと?」

 責めるような口調ではなく、かと言って何かを非難するような口調でもなかった。ただただ疑問に思ったことだけをトーマスに投げかけた少女――もうこれ確実にオリヴィア様だけど、オリヴィア様に、トーマスはぱあっと笑うと「はい!」と言う。って、いや、そのまえに。名前を、彼女は呼んだ。会話をしたこともない、いつもパーティーに出ては壁際にいるような自分のことを知っていた。顔をみて驚いた表情をするだけならまだわかるけど、名前まで知っていたとは。

「そうなの」

 簡単な返事で納得したらいいオリヴィア様は、それから少し考えるようなそぶりをしてから、だけどすぐに俺を見上げてお辞儀をした。それはダンスの前にするようなものではなく、下町で見るのに違和感のない、なんてことはないただのお辞儀だった。けれどそれを目の前でオリヴィア様という、皇族の少女がしているのは、俺の目から見ると違和感しかないわけだけど。

「驚かせてしまってごめんなさい。はじめまして、オリヴィアよ」
「は、じめまして、オリヴィア様、私はルイス・カナリスといいます」

 数日前にパーティー会場で見た印象とはずいぶん違うけど、そこにいるのは紛れもないこの国の皇族であり、姫君であるオリヴィア様だ。雰囲気が違うだけで、見た目や少女のまとう空気なんかはあの時のまま、なんの陰りもなくそこにある。ゆるくまいた銀糸の髪、グリーンの鮮やかな瞳、近くでみるとその瞳を飾る長いまつ毛まで確認できる。13歳ほどの少女が自分をまっすぐ見上げているのに、妙にすくみあがりそうな気分になった。彼女の持つ空気がそうさせるのかは、今の自分にはよくわからないけど。
 自己紹介をすると、隣でトーマスが「あれっ知り合いじゃなかったの!?」と俺に聞いてきて、それに答えたのはオリヴィア様だった。「名前と顔だけは知っていたのよ」と小さくいう。……話したことはなかったはずだ。同じパーティーに出席したのも数える程度もないかもしれない。なのに顔と名前を知っていた、と彼女は言う。
 オリヴィア様はまた何か考えるように視線をゆらして、けどすぐに「そう」と納得したように頷いた。それから俺とトーマスを見ると「パン、ありがとう、トーマス」と目を細めて笑う。

「あ、いえ!孤児院の子たちにもよろしくお願いします!」
「ええ。素敵なパン屋さんがあるのよって伝えておくわ」

 嬉しそうにオリヴィア様は笑って、うしろに控えていた男性が持っている籠を見やった。俺よりも少し年上であろう男性は、オリヴィア様のそばにひかえて嬉しそうにしている。――オリヴィア様の騎士だろうか。見たところ剣を所持しているわけではなさそうだけど……。

「じゃあトーマス、それに――ルイスも。素敵な休日を過ごしてね」

 そう言って、オリヴィア様は踵を返して市民街のほうへと足を向ける。その後ろ姿を見ながら、ふとわいた胸の奥の何か。自分がここにいること、彼女の雰囲気が違うこと。何一つオリヴィア様は弁明も、言い訳もすることなく去ろうとしている。あの幼さで孤児院を作って、そして今もその孤児院のためにパンをトーマスへ頼んでいた。ずいぶん、印象があやふやな人だと思う。変わり者だといわれている彼女の行動を変わっているとはひとつも思わないけど、仮にも貴族である自分への弁明もしない、なんて。いや、まあ、言いふらすつもりはひとつもない。むしろ、ああいう一面を見れたことは、単純にうれしいと思うけど。

「――オリヴィア様!」

 気が付けば、俺は少し遠くなった後姿に声をかけていた。







「おにいちゃん、えほんよんで!」
「じゃああとで俺とかくれんぼしよう?」

 孤児院、というからもっと暗い場所を想像していた。親に捨てられたり、親が死んだり、身寄りのない子供を預かる施設だというものが頭にあったからだろう。けど、今自分が立っている場所は明るく、清潔で、そして子供たちもずいぶん活発だと思う。俺と同じく子供たちに囲まれているトーマスが「ちょっと待ってぇ」と焦りながら、だけどどこか楽しそうに子供たちに振り回されているのを見てから、子供に差し出されている絵本を受け取った。まだ小さな三才ほどの子供は、俺が絵本を受け取ったのを見てぱあっと表情を明るくさせる。
 その子供を抱えるようにして座って、絵本を広げた。帝国ではだれでも知っている、おとぎ話の絵本だった。俺も例にもれず子供のころ持っていたものだったが、この絵本はずいぶん読み込まれているのか、ところどころ傷んでいるように見えた。いたんでいるにしても状態はきれいで、大切に読まれているのだろうことがうかがえる。

「むかし、夜空には――」

 絵本を広げて文字を追えば、かかえた子供がうきうきとしたような表情をする。読み進めていたら同じ年頃の子供もあつまってきて、みんな同じような表情をして俺の読み聞かせを聞いているようだった。
 少し遠くで、オリヴィア様がここの"おかあさん"たちと話しているのが見えるが、かごを渡していることからさっきのパンを渡しているのだろう。ありがとうございます、という嬉しそうな女性の声にオリヴィア様が「これくらいしかできないもの」と少しだけ残念そうに言ったのも聞こえてきた。もっと時間があれば、という小さな声まで聞こえる。
 
 オリヴィア様を呼び止めた俺は、孤児院へ一緒についていきたいと申し出ていた。トーマスが驚いたような声をだして、だけどいつの間にかトーマスも俺に付き添って孤児院へくる流れになっていたのはなんでだったか。オリヴィア様は最初こそ驚いていたものの、すぐに「人数は多いほうがみんな喜ぶわ」と二つ返事で俺たちが同行することを許してくれたが。
 ここへつくまでの間にも、オリヴィア様は俺のことをたずねようともしないし、自分のことも何も言わなかった。ただ「子供、すきなの?」と一言、それだけを聞いてきただけだ。それには「下町でもよく遊んでいるので」と答えると、オリヴィア様はただ「そうなのね」と答えただけだった。
 しばらく絵本を呼んでいたら、ちょうど終わったころにおやつの時間になったのか子供たちは食堂のほうへと嬉しそうに走っていった。さっきオリヴィア様が持ってこられたパンの籠を持った女性が「手を洗っていらっしゃい」と言って子供たちを食堂へと誘導していくのを遠くに見ながら、絵本をもとあった場所へとしまう。
 きちんと整頓してある本棚に、きれいな本。補正をいくつもしてあるものもあれば、新しいものもある。だけどきれいだと思うのは、さっきも思ったように大切にされている証拠なのだろう。そっとその本を指でなでるようにすれば、食堂のほうから「このおにいちゃんのおうちで作ったパンなのよ」という女性の声と、トーマスの「おいしく焼けてると思うからたくさん食べてね」という優しい声が聞こえてきた。そういえばトーマスも子供が好きだったか。よく俺が下町に行ったときも、まだ小さな弟や妹の世話をしていることもあったことをふと思い出した。

「ルイス」

 遠くから聞こえる暖かい声に、目の前にある大切にされている絵本。そして孤児院の空気。ここはひどく穏やかな時間が流れている。そう思いながら立ち上がれば、うしろからかかった声に俺は肩を揺らしていた。声を聞いただけでわかる、この場ににつかわしくないような凛としたそれは今この場ではオリヴィア様しかいない。

「は、はい」
「かしこまらなくてもいいのに」

 肩に力の入った俺を見ながらオリヴィア様はくすくす笑うと、俺の隣に立って同じように本棚を覗き込んだ。それから「大丈夫そうね」と小さくいうと、すぐに俺を見上げて目を細めて笑う。

「今日はありがとう。みんな喜んでいたわ」
「いえ……。急な申し出にもかかわらず私を同行させてくださり、ありがとうございました」
「こちらこそ」

 ふふふと楽しそうに笑うオリヴィア様は、食堂から聞こえる声に暖かく微笑んだ。ずっと一緒にいた騎士の青年も食堂のほうにいるのか、今は近くにはいない。それからしばらくオリヴィア様は食堂からきこえてくる声を聞いていたものの、はたと気づいたようにまた俺をみあげると「ルイス」と名前を呼んだ。

「はい」

 名前を呼ばれるたびに、どきりと心臓が大きく跳ねる気持ちになるのが妙な感覚で、だけどいやなものではなく。オリヴィア様を見ると、オリヴィア様は緑色の瞳でまっすぐ俺を見上げていた。

「何も聞かないのね。私のこと」
「――は、いえ、それはオリヴィア様もでは」
「私?」

 いうと、オリヴィア様は不思議そうに首をかしげる。さらりと銀糸が落ちて、薄い色のワンピースへと影をつくった。その様だけでもいやに綺麗で、また心臓が大きく跳ねたような気がした。不思議そうなオリヴィア様は、俺の質問のことを考えているのかしばらく不思議そうに俺を見つめてから「ああ」と納得したように一度頷く。

「私は、あなたがトーマスと仲良くしていたのは知っていたもの」
「え?」
「トーマスから毎日あなたの話を聞いていたのよ。ルイスはすごく腕が立つだとか、料理がうまいのだとか、トーマスの妹にとても好かれていてトーマスが気が気じゃないのだとか」
「い、いや、そ、そういうことじゃなくて、って、トーマスはオリヴィア様になんてことをお伝えして……!」

 慌てる俺を尻目に、オリヴィア様はくすくす笑うと「それが彼のいいところよ」と口元をおさえた。それは、たしかにそうなのだ。素直で裏表もなく、明るい性格のトーマスに俺自身何度助けられたかわからない。だからこそ友人として今でも一緒に俺といてくれるのだろう。だけど自分の知らないところで、この国の姫君に自分の情報が伝わっているのは落ち着かない。妙な居心地の悪さを感じながらも「ええと、そうではなくて」と仕切りなおすように言えば、オリヴィア様は続きを促すように視線を動かした。

「その、何も言われないのだなと、思って」
「……ああ、私のことを、かしら。ふふ、パーティーの時とはずいぶん違うから驚いたでしょう?」

 楽しそうな、いたずらを成功させた子供のように年相応の笑顔で笑うオリヴィア様に、俺は素直に「はい」と答える。普段の俺であれば姫君にこんな口をきくなんてと思って萎縮するのだろう。なのに今どうしてオリヴィア様とこうして話せているのか自分でも不思議だった。彼女がパーティーで見たときの印象よりもずいぶんと近寄りやすい空気だからなのか、今はなしているオリヴィア様が少し、年相応の子供らしく見えるからなのかは自分でもよくわからかったけれど。

「孤児院の子供たちと一緒にいるオリヴィア様は、ずいぶんと楽しそうでした」
「……そう?そう見えていたならうれしいわ」

 くすくすと笑うオリヴィア様に、ふとわいた疑問。どうして孤児院を?自分の婚約者が言っていたことを思い出して、聞いてみようかと考える。嫌われていたとかいないとかそういう話ではなく、だ。オリヴィア様の返答から少し間があいてしまったからか、何かを感じたのか、オリヴィア様は苦笑をしながら「この孤児院、みんな楽しそうだった?」と首をかしげてそう聞いてきた。それには素直に頷けば、オリヴィア様はふふふと口元を手でおさえて笑う。

「私、この国がきらいよ」
「え?」

 どこか遠くを見ている彼女の目は俺のほうを見ているものの俺を見ているわけではなく。しばらくオリヴィア様の回答をまてば、オリヴィア様は「だけど」と続けた。

「それと同じくらい、この国がだいすきなの」
「はい」
「だから、私、自分にできることをしようと思うわ」

 遠くを見ていたオリヴィア様の目は俺をきちんと見据えていて、力強い色をひめていた。こんな子供がするような瞳の色ではないそれに、ぐっと思わず言葉をのむ。自分にできることをしようと思う。そのできること、がオリヴィア様にとっては孤児院をたてることだったということなのだろうか。

「……私、少し前まで屋敷からろくに外に出られなかったの。国の状況だって、城にいる人から情報を集めて……まあ時々下町には抜け出してたけど。それだけでも、貴族の市民に対する態度やなんかはすぐにわかったし、国の状況だって、ある程度は把握できたの」

 貧富の差が激しいこと。貴族の態度。市民の不信感。そんなことをいろいろと聞いてまわっているのだとオリヴィア様は話す。

「シエルが――、私だけの騎士をひろってから自由がきくようになって、この間はノール港まで行ったわ。……本当に、足りないわね。私の体も、私の目も」
「目、ですか」

 たずねれば、オリヴィア様は「言っても仕方がないことだけど」と苦笑をした。

「常に私の目になってくれる人が必要なの。もちろん信頼できる人で、だけど。……まあ、ないものねだりなんてできないから、手数がないなりに頑張るしかないのよね。――こどもたちが笑って暮らせるような、そんな国になればいいと思ってるのよ」

 だから、とオリヴィア様は言葉をつけたす。しばらく間があって、じっと何か考えていたようなオリヴィア様はいたずらっぽい笑みを浮かべた。子供らしいような、もっと、悪だくみをする大人のような。

「ふふ、質問の答えをあげるわ。私、性格がとっても悪いの。だからパーティーではおとなしいお姫様でいるわ。だって、そのほうが相手がなめてかかってくれるでしょう?変わり者の、市民に興味があるだけのお飾りだって。だからそれでいいの、猫をかぶっていれば貴族は騙されてくれるでしょうし、騙されている貴族は余計なおしゃべりも大好きだもの。私には私の権力があるし、それを使わないなんてもったいないわ。――だからこそ、私のことについて弁明も何もしなかったの。あなたは他の人に言わないでしょうけど、私が猫をかぶっている、なんて、信じてくれる貴族のほうがきっと少ないもの」

 ふふふ、と楽しそうに笑う彼女に、どきりとした。13歳ほどの少女だとは思えないような思考で、表情で、そのくせ目を惹いて仕方がない。目が離せない。

「オリヴィア様」
「なあに?」
「――いえ、私は――」

 そこで一度言葉を切る。ふと頭の中をすぎていくのは両親と、先日会った婚約者の顔だった。彼らと一緒にいる時に感じていた息苦しさを、今はまるで感じない。あっけらかんとオリヴィア様が話すからだろうか。国のことを想っているのを聞いたからだろうか。この人の強い光のような存在感に、惹かれて、まわりが見えなくなっているのだろうか。

「……俺は、貴族がきらいです」
「あなたも貴族なのに?」
「――俺の友人の多くは下町にいて。……両親も婚約者も、貴族のプライドだけがあるような人たちです。家が息苦しくて、このまま、親の言う通り結婚していくんだと思ってました。息苦しいまま生きていくんだと」
「……それだって、ひとつの形だとは思うわよ。家督を継いでもらうのは大切なことだもの」
「はい。俺も、そう思います。俺の今まで歩いてきた、たった十数年の人生だって大切なものだと思います」

 穏やかなグリーンの瞳が、俺をまっすぐ見つめていた。一人称が崩れていることには気付いたけど、飾らない自分の言葉で彼女に伝えなくてはと思ったのだ。

「けど、俺は、別の道を、歩きたくなって」
「……」
「俺は、あなたの」
「ストップ」

 言いかけた言葉を、オリヴィア様のてのひらが遮った。唇にあたる柔らかいそれに思わず一歩下がれば、オリヴィア様は穏やかな瞳のまま、だけど静かに「もう少し考えなさい」と言った。茶化すような色はなく、真剣な色をしたその瞳に思わず気圧される。

「今、この一瞬で決めてはだめよ。選ぶのなら、捨てなきゃいけないこともちゃんと考えて結論を出しなさい、ルイス」
「ですが」
「私は逃げないし、あなたがちゃんと考えて決めたことなら何も言わない。あなたのことも私が守ってあげるわ」

 にっこりと笑うオリヴィア様は、少し背伸びをすると俺の頭をわしゃわしゃ撫でた。孤児院の子供にするようなそれに苦笑をするものの、いやではないためにじっとしていることにする。
 オリヴィア様のところに行くということは、家を捨てる覚悟でいかなくてはいけないということだろう。オリヴィア様が望んでいる騎士というのは、たぶんそういうものだ。どこにも属していない、信頼のおける手駒を望んでいる。シエルというのはきっとあのオレンジの髪をした青年のことだろう。彼は拾った、と言っていた。
 つまり、もともと捨てるべきものなど彼にはなかったのだろう。そういう存在を、彼女は望んでいる。

「あなたがこれから歩きたいと思う道に、私を使いたくなったらいつでもいらっしゃい」
「使う、なんて」
「よく、考えてね。後悔は決してしないようにして。ゆっくり考えて、結論を出したらいいのよ」
「……はい、わかりました。ありがとうございます」

 もしも俺がオリヴィア様の傍にいることを選んだら、捨てるべきものは俺の持っているものすべてになるだろう。というか、多分、婚約破棄なんてしたら勘当されてもおかしくないだろうと思う。なんといっても結婚までもう数か月とないはずだ。この状態で家を出ると言えば……まあ、勘当だろう。
 俺は、どうしたいのか。なにをしたいのか。貴族の中にいることにうんざりはしているのは事実だ。正直言えば、両親と話すのも、婚約者と話すのも、この間のように社交界に出るのも億劫だと思っているところはあった。ただ、ひかれた道をたどって生きていくのだと思っていたけど。
 けど、今はどうだろう。オリヴィア様という人と会った。オリヴィア様という人に触れた。オリヴィア様という人と話した。帝国という腐った場所で静かに暮らす皇族だと思っていた人に、いい意味で裏切られた、今は?
 少なくとも、自分の中に彼女とともにありたいという気持ちが芽生えているのは、事実だった。彼女なら、この国を変えられるんじゃないか。世界のありようも、かえられるんじゃないか。
 事実、彼女の手の中で助かった命がこの施設に何人もいるのだ。小さくとも、この小さな姫君は一人でも戦おうとしている。中から、少しずつ。

「オリヴィア様、明日のご予定は」
「明日?明日は午後以降なら屋敷にいるけど」
「では、正午にお伺いします」

 そんなに急がなくてもいいのに、とオリヴィア様は笑う。けど、俺が今何を考えて、何を決意したのか。それをもうわかっているのだろう。少し楽しそうな彼女は、俺を見上げて「待ってるわ」とはっきり言った。





 翌日、俺は最小限の荷物だけまとめ、両親に家を出ることを伝えた。もちろん父親は怒り、母親は泣き崩れた。心に響かないかと問われると、もちろん揺れる気持ちはあったけど、それでも俺が、多分はじめて自分で決めた歩きたい道だったのだ。
 しばらく父親の説得をしたが、やはり勘当という言葉をもらった。あと腐れなく別れるためにもその言葉が必要だったため、内心でほっと息をつく。頬を一発殴られたけど、その程度であれば安いものだった。
 跡取りには弟がいるから問題はないし、俺がいなくてもこの家はやっていけると思う。それに放蕩息子を勘当するなんていうのは、ない話ではないのだから。
 なんとなくすっきりした気持ちで、二度と入ることのないであろう自分の屋敷を出る。天気がよくて、貴族街はいつも通りおだやかで、今この屋敷の中で父親がすごい形相で怒り狂っているなんて露ほども感じられない。

「はあ、すっきりした」

 晴れ晴れとしている。持っている荷物も重くはなく、入っているのは下町の友人からもらったプレゼントくらいなものだ。あとの、ルイス・カナリスという貴族として持っていたものはすべてあの部屋に置いてきた。晴れ晴れとしているし、体が軽い気がした。気分もよくて、何もないというのはこんなにも自由なのかと深呼吸をしたくなってしまった。
 けど、ゆっくりしている場合でもない。あの怒り方だと刺客を雇われてもおかしくはないだろう。と言っても、剣はならっているしそこらの剣士や暗殺者に負けるような腕ではないと思っているから大丈夫だろうけど。
 足取りも軽く、俺はオリヴィア様の屋敷へと向かう。裏口から入ったほうがいいわよ、と昨日教えてもらった裏口へ行けば、ちょうど屋敷のメイドが出てきたところで。俺が何か言うよりも、俺を見るなり「あ!」と人懐こく笑ったメイドは「ルイスさんですね」と、出てきた裏口のドアを再度あけた。

「オリヴィア様に取り次ぎをお願いしたいのですが」
「オリヴィア様でしたら――」
「必要ないわ」

 動きやすいワンピースを着たオリヴィア様が、裏口から出てくる。それにメイドはにっこり笑うと「それではオリヴィア様」と一礼して、屋敷を出て行ってしまった。……これも、妙な光景だった。普通の貴族の家ではありえないようなワンピースを着ているオリヴィア様に、それに何も言わないメイド。関係が悪いのかと思えばそうではなく、当然の装いのように接していた。

「驚いてる?」
「は、いえ……はい、少し」
「ふふ、今日はお母さまがいないから動きやすい恰好でいいのよ」

 悪戯を考える子供のように笑うオリヴィア様は、少し体をよけると「どうぞ」と笑う。中に入れという意味なのだろう、それに一礼をしてオリヴィア様の横を通り、屋敷の中に入ると、ドアを閉めたオリヴィア様が「ルイス」と俺の名前を呼んだ。

「ようこそ。それと、お帰りなさい。今日から私が、あなたの帰る場所よ」

 にっこりとほほ笑んだ少女は、薄暗い裏口でなお、きらきらと太陽の光を浴びているかのようにきれいに見えた。




戻る