しずしずと一人で歩きながら、オリヴィアは誰もいないのをいいことに「そういえば」と小さく呟いた。それにはっとしてすぐに口を噤んだが、今歩いている廊下――城の廊下だが――には誰もいなかったため、そのままのんびりと歩き出した。
シエルもまだ戻らないため、一人での下町への外出は控えるようにと言われていたオリヴィアは、仕事の合間にエステリーゼへと会いに来ていた。見なくてはいけない書類があったのは確かではあるが、それはエステリーゼとお茶をするついでである。
先日フレンに会ったことや少し話したこと等、夜会では話せなかったことを話し、お茶を飲み。エステリーゼが剣の稽古の時間になるということで屋敷に戻ろうとしていたオリヴィアは、ふと、ユーリ・ローウェルのことを思い出した。
未だにユーリ・ローウェルは城の牢屋に拘束されているらしい、とは先日会ったフレンの言葉だった。明日か明後日には出られるようだが、税金を払うのを邪魔した程度の子供の悪戯のようなものは、牢に入れて反省させて出す、ということに収まっているらしい。
それで牢屋によくいるハメになってるんだ、と呆れたように、けれどどこか眩しそうにフレンが言っていたのをオリヴィアは「信頼してるのね」と思ったのだが、それは言葉には出さず。
(一度会ってみたいものね)
下町の住民のために奔走する男というのは一体どんな男なのだろうか、と、話をフレンから聞けば聞くほどに興味がわいていた。が、わざわざ牢屋に顔を出すわけにもいかない。顔見知りでもなんでもない貴族の女が、貴族を嫌っているらしい男に会いに行くのもおかしな話である。
先日フレンがユーリに面会した際、オリヴィアの話をしたらしい。夜会での話を聞いたユーリは腹を抱えて笑っていた、とフレンから聞いているが。
失礼すぎるわね、と心の中だけで考えて、表情はそのまますまし顔で廊下を出口に向かって歩いていく。
下町に居るときくらいでないと会えないだろうというのもオリヴィアはわかっているため、ちらりと牢屋へ続く方向へ目をやり、不自然にならない程度に視線を戻す。
「おや。これはオリヴィア殿下」
「まあ。アレクセイ」
オリヴィアが歩いていると、誰もが頭を下げて道を避けて、廊下の端により頭を下げる。今更もう慣れてしまったが、なんだか妙な光景ね、と思った矢先。角を曲がった直後に鉢合わせたのは、白にも灰色にも見える髪の、オリヴィアにとってよく見慣れた男である。
訓練等がないのか鎧こそつけてはいないが、えんじ色の騎士服に身を包んだ四十代ほどの男は、この国の騎士団を束ねる騎士団長――アレクセイ・ディノイアだ。アレクセイはオリヴィアを視界に入れるなり、最上級に礼をとり「ごきげんよう」とオリヴィアが言ったのを確認して頭をあげた。
頭をあげたアレクセイは、ちらりと自分の後ろを見やり、そしてすぐにまたオリヴィアへと視線を向ける。アレクセイの後ろには、数人の、新しい騎士服を着た少年たちが緊張した面持ちで立っていた。
オリヴィアの視線が向くのと同時、アレクセイの真似をしてか、たどたどしく、もしくは綺麗に同じような礼をとったため、オリヴィアもにこりとほほ笑みを返した。
「大人数で申し訳ありません」
「いえ、新しい騎士の方ですか?」
「はい。明日より配属となります。その前に城の案内を、と思い」
目を細めて笑うアレクセイの目元に、皺がよる。少し強面ではあるが、笑うと雰囲気が変わり一気に優しく見えるものだとオリヴィアはぼんやりアレクセイを眺めながら考えた。
口々に新人の騎士たちが「よろしくお願いします」と言うのを聞きながら、オリヴィアは、いったいこの中に何人騎士になりたくてなった人がいるのかしらね、と思う。たどたどしく礼をとった少人数は、市民か、もしくは下級の貴族だろう。そして綺麗に、迷いなく礼をとったほとんどはそれなりの地位にいる貴族の子息だろう。
アレクセイという男自体は、騎士団に入る人間に貴族だから、と優劣をつけるような男ではない。むしろ剣が扱えない者は貴族だろうとなんだろうとしかりつけ、平等に接しているのをオリヴィアは知っていた。
騎士の鑑なのだとエステリーゼも称している通りの人物ではあるのだが、オリヴィアはアレクセイと二人きりで対峙することがあまり得意ではない。
いつもであればシエルがおり、今も騎士数人がアレクセイのあとに続いているため厳密には二人きり、ではないにしろ、どうも背中をぞわぞわと何かが這いあがってくるような感覚を覚えるのだ。
「……あら、ベネット?」
新人騎士の中に見知った顔を見つけ、オリヴィアは思わず声をかけていた。焦げ茶色の髪を短くそろえた、どちらかといえば可愛い顔をした少年は、オリヴィアに声をかけられびくりと肩を揺らした。まわりの嫉妬や、嫌悪、それに尊敬の視線がベネットに向くが、ベネットはそれを気にしていないように思いきり頭を下げる。
「おや、オリヴィア殿下のお知り合いでしたか」
「はい。わたくしが援助している孤児院の子ですわ。ベネット、あなた、騎士に?」
十五歳ほどの少年は、それでもオリヴィアが「子」というのには歳が近すぎる。が、だれもそれを気にした風でもなく、言われたベネット本人も、頭をあげて嬉しそうに笑っていた。
アレクセイがベネットを前に出し、オリヴィアと話がしやすい場所へと移動させてやる。それに発言を許されたと思ったベネットは、元気よく「はい!」と笑う。
孤児院によく遊びに行くオリヴィアが猫かぶりをしていることを知っているベネットは、普段通りに明るく口を開いた。
「シエルさんを見ていて、僕も姫様や、孤児院のみんなを守れるようになりたいと思って!」
「そうなのね。応援しているわ、ベネット。何かあったらわたくしのことも頼ってちょうだいね」
「はい!ありがとうございます!」
少し首を傾げ、オリヴィアはおっとりと微笑んだ。それに新人騎士たちが見惚れたようなため息をつき、アレクセイが咳払いをする。途端にしゃんと背筋を伸ばす新人騎士たちに、オリヴィアはふふ、と口元をおさえて上品に微笑んだ。
敢えて自分を頼れ、と言ったのは他の貴族たちにいじめられない為でもあったのだが、アレクセイだけはそれを正しくくみ取ったらしく、ちらりとオリヴィアを見やって終わる。新人騎士たちも、オリヴィアという皇族と顔見知り、というだけで、ベネットに一目置いた者もいるようだった。
「では殿下。我々はこれで」
「ええ。アレクセイ、みなさんも。これから頑張ってくださいね」
いつでも声をかけてください、と添えて、オリヴィアが先に歩き出す。それをアレクセイたちが頭を下げて見送り、オリヴィアは廊下を抜けた。
オリヴィアが作ったり、援助をしていたりする孤児院は王都のほかにもいくつかあった。慈善事業や、様々な政策を皇帝ではないが皇族だという特権をフルに活用して行っている。そのため変わり者だ、世間を知らない姫だ、などと貴族の間で噂されていることをオリヴィアは知っていた。
が、噂されていたとしても、オリヴィアの身分や"前皇帝陛下の娘"という肩書が貴族の噂を飲み込ませている。平民を大切にする変わった姫、という名前も、次期皇帝候補、という肩書には些末なことらしい。
(やっぱり、明日下町に行ってみようかしら)
一人で外に出ない、というのはシエルとの約束である。シエルのいない時に外に出る危険性をわかっていないわけではないが、ベネットと会ったことにより孤児院が気になってしまったのだ。
ユーリが気になるというのもおおいにあるのだが、それはそれである。
シエルを拾ったばかりのころ。シエルがいない時にオリヴィアは一人で王都――しかもスラムに出たことがあった。シエルが来てからはスラムの一人歩きなどしていなかったが、顔見知りも増えていた安心感と慢心から、シエルがいなかった時と同じようにでかけた。
そうすれば、身なりのいい子供がスラムにいるという情報がどこからか人さらいに入り、オリヴィアは拉致をされかけたのだ。さすがに多少は慌てたものの、オリヴィアも皇族としての矜持があったためそう慌てふためくこともなく、攫われた馬車に揺られていた。
ノール港あたりに行くのかしら、とぼんやり考えていたのだが、道中、王都から追いかけてきたらしいシエルに救出され、どこかへ売り飛ばされることも、怪我もなかった、ということがあった。
シエルには泣かれ、怒られ、執事にもたいそう雷を落とされたのだ。それ以来、一人で街には出ない、と約束をしているのだが。
「孤児院くらいには行ってもいいとは思うんだけど」
スラムではなく、比較的安全な孤児院までくらいなら許されないだろうか、と考える。スラムと言っても、オリヴィアのしている慈善事業やそのほか政策のためか、以前よりもずっとスラムで飢えて死ぬ子供たちは減っているし、治安もよくなってはいる。
ひとりで抜けだすことはその時以外だとシエルを拾って以来はないため、使用人にも見つからないようにしなくてはいけないわね、とオリヴィアは思う。
「あれ……オリヴィア?」
「あら、フレン」
もうすぐ出口だ、というところで。任務帰りなのか、鎧を着こんだままのフレンと鉢合わせた。オリヴィアの名前を思わず呼び捨てにしたことに、フレンがハッとしたようにまわりを見回すが、人気もなく、ほっと肩から力を抜く。
その様子を見ながら「大丈夫よ」とオリヴィアは笑うが、フレンは呆れたように「身分を分かってるのかい?」とため息をついた。
「こんなところでどうしたの? 今日は確か魔物討伐があるって……」
「ああ、いや。終わった報告をしようと思って、騎士団長を探しているんだけど」
「ああ、アレクセイなら今――」
そこの廊下を向こうへ、と言おうとして、フレンの腕にしてある包帯に血が滲んでいるのにオリヴィアは気付いた。中途半端に止めてしまった言葉にフレンは首を傾げるが、その視線が自分の腕にあるのを見て「ああ」とその腕を背後へと隠す。
「ごめん。君に見せるようなものじゃないね」
「そうじゃないわ。治癒術は? かけてもらわなかったの?」
「そんなに深い傷じゃ――」
言いながら、オリヴィアはフレンに近づいてその腕を取る。思わず腕を引きそうになったが、オリヴィアの白く細い指にフレンは身動きをやめた。少しでも動けば、折れてしまうのではないかと不安になりそうなそれを、まじまじと見つめてしまう。
貴族の娘らしい、繊細な指に、きれいに整えられた爪がのっている。フレンの見慣れた下町の娘たちの手とは全く違うそれに、息を飲んでいた。
「癒しの光をここに――キュア」
オリヴィアの指を見ている間に、オリヴィアはあっというまに治癒術を完成させてしまった。ふわりとオリヴィアを中心に白い陣が浮かび、じくじくと痛んでいた腕からは、すうっと痛みが引く。
「なっ……、オリヴィア……! 君が治癒術をかける必要は……」
「細かいことはいいでしょ? ばい菌が入ったら化膿しちゃうわよ」
「だからって……君は皇族だろう?」
「そんなの関係ないわよ、あなたが怪我をしていたら治したいもの」
言って、オリヴィアはぽん、と包帯を叩く。それに思わずフレンが顔をしかめたが、痛みはないのか、すぐに複雑そうな表情をして「ありがとう」と小さく呟いた。いいのよ、と軽く答えて、オリヴィアはそういえば、とフレンを見上げる。
若草色の瞳に見上げられ首を傾げたフレンだったが、すぐにオリヴィアがにんまりとほほ笑んだために半歩、足を惹いた。
「あなた、明日は? お仕事?」
「明日? いや……明日は休みをもらってるけど……」
それを聞いて、オリヴィアはますます笑みを深くした。なんとなく言い出しそうなことが分かったフレンはその顔に苦笑を浮かべたが、オリヴィアはおかまいなしにかわいらしく首を傾げて見せた。
「明日、私とデートしましょう?」
「は、で、デッ……!?」
どこかへのお共を命じられるのだろうと思っていたのだが、予想に反して、それはデートという言葉に変わっていた。身構えていなかった言葉にフレンが動揺すれば、オリヴィアはやはりうふふと楽しそうに笑っている。
「孤児院に行きたいの。それと、ユーリ・ローウェルさんに会ってみたいのよね。……ああ、予定があるなら断ってもらっていいけど」
「いや、明日は特にないけど……僕が付き添えなくても、一人で行くんだろう?」
「あら」
くすくす笑うだけで、オリヴィアはそのフレンの質問には答えることはなかった。
戻る.