「アン?いるかしら?」
「はーい!…あっ!?オリヴィア様!?い、いつお越しにっ…」
「今来たばかりよ。この間来た時に言っていた絵本を何冊か持ってきたのだけど見てほしくて…けど料理中なら他の方に見てもらうわね」
食堂の中に入れば、エプロンをつけた女性が顔を覗かせる。茶色の髪をひとつに結ったその女性は、私を見るなり驚いたようにお玉を持ったまま私のほうへと駆けてきた。忙しそうにしているからと思って私がそういえば、アンは申し訳なさそうに肩をすくませる。四十台半ばだというのに若く見えるその表情はうつむいていてあまり見えなかった。
「す、すみません、私が見れたらいいんですが」
「いいのよ、私がこの時間に来たから悪いのだし」
軽く笑ってそういえば、アンはほっとしたように笑ってもう一度頭を下げた。火は切っているのか、少しだけアンは首をかしげたあとに私の横に立つフレンへと目をやって小さく会釈をして微笑む。それからすぐに私のほうへと来ると、小さく袖を引っ張って私の耳に顔を寄せた。まるで内緒話をするようなそれに「なあに?」といえば、アンは少し興奮したように私の名前を呼ぶ。
「オリヴィア様、珍しいですね。シエルさん以外で他の方と一緒にこられるなんて」
「私が無理を言ってついてきてもらっただけよ?」
「けど、孤児院に来たがる貴族様なんて」
「…あら?フレン、そうしているとあなたも貴族に見えるみたい」
嫌味ではなく、ただ世間話のようにそういえばフレンは少しだけ驚いたようにきれいな青い瞳を丸くして「そんな」と照れたように、困ったように笑って首を振った。嫌味で言ったのではないと分かってくれるフレンは、そのまま「僕は下町の出ですよ」と笑う。
「あら、まあまあ。そうだったのね、オリヴィア様の子守りは大変でしょう」
にこやかに言われたそれに、フレンは一瞬面食らったような表情をした。なんとなく私がそれにふてくされたように唇を突き出してそっぽを向けば、フレンはおかしそうに笑って「たしかに」と笑う。
アンは、私にとって母のような人だ。この孤児院も、私にとっては第二の家だと思っている場所。だからアンもだし、ここにいる子どもたちも先生もみんな家族のようだと思っている。だからアンにそう言われてもくすぐったく感じるし、少しだけ気恥ずかしいような気さえしてしまう。フレンもそんな雰囲気がわかってか、「振り回されてばかりですよ」と続けて笑った。
「もう、アン」
「ふふ、すみません」
「…フレン、絵本、ちょっと持っていってもらってもいい?」
「え?どうしたんだい」
「アンを手伝うから。一人であの人数は大変だし、たまには私も手伝いたいもの」
それだけ言って絵本をフレンに押し付けてから、そこらへんにかけてあったエプロンを借りてそれをつける。かわいいキャラクターのあしらわれたエプロンは、随分使い込まれていて、だけどそのためか肌触りが暖かくて気持ちがよかった。
「オリヴィア様、私は大丈夫ですよ。どうか絵本を子どもたちに」
「いいのよアン。二人でしたほうが捗るでしょう。ほかの先生たちは子供達の相手をしているんだし」
「…ありがとうございます、ではスープをお願いします。まだ手付かずなんです」
「材料的にヴィシソワーズかしら?分かったわ」
そう言って手を洗って、腕まくりをする。フレンが後ろで「僕も」と言うのを聞きながら絵本を優先してもらおうと口を開きかければ、フレンから「うわ」という声が上がり、次いで「フレンに作らせたらガキ共が失神するぞ」と言う聞きなれない声がした。
それに思わずキッチンに立った私とアンが振り返れば、そこにはフレンの頭を肘掛よろしく使っている、黒髪長髪の男性がいた。胸元の大きく開いた服を着ているため思わずぱっと視線をそらせば、男性のほうから「ふうん?」と面白そうに声がかかる。
「貴族のお嬢様が料理なんて出来るのか?」
「あら、失礼な方。料理は得意ですわ」
誰だろうか。そう思ったのは一瞬で、頭の中で以前フレンが言っていたことを思い出して私はすぐにその様子の男に合点が行く。もしかしたら、いや、もしかしなくても彼が噂のユーリ・ローウェルさんだろう。アンも顔見知りなのか「まあ。お久しぶり」と笑っているし、フレンはフレンで「重いんだけど」と低く言っただけだ。
「噂のユーリ・ローウェルさん?」
「そちらは噂のオリヴィア様でいらっしゃいますか、と」
「オリヴィアで構わないわよ」
「…んじゃ、オリヴィアだな」
「それでいいわ」
首をかしげてにっこり笑えば、ユーリ・ローウェル…いえ、呼び捨てにされているのだからユーリでいいだろうか。ユーリはまた面白そうに笑うとフレンからひょいとよけて私のほうへ近づいてきた。思わず目のやり場に困ってしまって、視線はそのまま手元へとやれば、ユーリは私の横に立つと「ヴィシソワーズか」とつぶやいた。
「…アン、この人知り合いなの?」
「あ、はい。よく来て子どもたちと遊んでくださるんですよ。剣や、私たちじゃ教えられないことも教えてくださって」
「そう…」
ユーリは変わらず私の手元を覗き込んでは「手際いいのな」やら「へえ」やらとつぶやくだけだ。なんとなく居心地の悪さを感じてどうしようかと考えれば、後ろに居たらしいフレンがユーリの首根っこを掴んで引っ張った。それにユーリはふらついただけで倒れずに「なんだよ」とフレンに言った。
「とりあえず、僕は他の先生に絵本を持っていってくるから…ユーリも、ほら」
「は?なんでオレまで」
「ここをよく知ってるなら来てくれたほうが助かるしね」
フレンの言った言葉にユーリは「はいはい」と半ば諦めたように言うと、フレンに引っ張られるようにしてキッチンから出て行ってしまった。
アンはその二人の様子に目を丸くして驚いて「お知り合いなのかしら」と首をかしげる。それに幼馴染らしいことを伝えれば、アンは面白そうに「まあ」と笑った。
20100802
20130715
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