ちはるにとって食事というのは、気持ち悪くなるだけのものだった。
今でこそ多少は食べられるようにはなっているが、それでもちいさな子供の半分も食べられない。
ケーキやドーナツといった甘いものであれば無限に食べられる。それもトリオン量が多いためか、サイドエフェクトのせいなのかは未だに分からないのだが。
サイドエフェクトの調整が甘いものを食べることによってうまくできるため、サイドエフェクトを以前よりもうまく扱えるようになった今でも普通の食事はあまり食べられないし食べようとも思えなかった。
それでも旧ボーダー設立時からちはるを知っている真史や、その後ちはると知り合った桐絵、それにやたらとちはるを心配している悠一などが気にして野菜や栄養の多いものを渡しているため腐らせないようにとはちはるもしているが、それにも限界がある。
「……ハンバーガー食べたいかもしれない」
放課後の廊下、歩きながらぽつりと呟いたそれにすぐ近くにいた陽介が「えっ」と驚いた声を上げた。
防衛任務があるわけでもなく、特に何も無い放課後だった。
本部にでも行ってランク戦でもやるかな、と陽介と公平が横で話しているのを聴きながら、ちはるはうん、と一度頷く。
「ハンバーガー食べたいかも!」
「え、なに、熱ある?」
「賞味期限切れてるんじゃ? そのシュークリーム」
顔を青くしたりシュークリームを見つめたりと中々失礼な態度ではあるが、ちはるは特に気にした様子もなく「ハンバーガー食べに行かない?」と二人を見あげた。
ちはるが食事をほとんど食べないというのは、ちはるのサイドエフェクトのことは知らなくても、ボーダー全員が知っているような話である。
甘いものしか食べない。食事はほとんどとらない。
そんなちはるが何かを食べたいと言い出すのはごく稀であり、陽介と公平もちはると知り合って数年だが初めて聞いたような発言だった。
頭がおかしくなったのでは? と心配するのも道理である。
「いや、いいけど」
「食べれるのか?」
「残すから食べてくれると思って誘ってるんだよ!」
なんとも他力本願、かつ自己中心的ではあるが、楽しげなちはるはぴょんと跳ねながら陽介たちの前を歩いている。
何食べよっかな、などと足取りも軽いようだ。
普段から甘味以外を食べているところを見ないちはるからの珍しい誘いに、陽介も公平も本部へ行こうとしていたことは思考の彼方に飛んで行った。
「で、その山なに?」
「パイ!」
席に足取りも軽くやってきたのは、トレイいっぱいに箱を積んだちはるだった。
肝心のハンバーガーはどこにあるのかと公平と陽介が確かめれば、どうやらパイの箱に埋められているらしいため姿を確認することはできず。
わくわくした様子のちはるは箱をよけると、中からとりだしたハンバーガーをいそいそと開き出した。
陽介と公平も山積みにされたパイには驚いたもののいつものことであるためすぐに平静を取り戻す。公平のほうがフライドポテトをくわえながら、スマートフォンを起動させてちはるに向かってカメラを構えたが、ちはるは気づいているも気にする様子はない。
「それ全部同じパイ?」
「んーん、三種類くらい三つずつ」
「ハンバーガー何頼んだんだよ」
「えっとね〜陽介と公平が頼んでないやつの期間限定!」
じゃん、と袋からとりだしたハンバーガーを顔の前に持ってくるちはるに、陽介は呆れたように笑った。完全に食べてもらう気しかないじゃん、と。
ちはるの顔と同じくらいの大きさがあるハンバーガーにかぶりつき、ちはるは「んんーー!」と幸せそうに頬を緩める。
お菓子を食べている時も美味しそうに食べるちはるだが、普通の食事で美味しそうに食べるところなどレア中のレアだった。陽介も公平も初めて見るほどに。
たまに無心で、何かの義務のように甘いものを食べている時もあるが、よく見るのは今まさに陽介たちの目の前で頬を緩めている方のちはるだ。
「うまい?」
「おいしい! お肉がおいしい!」
ぴろん、と公平が持っていたスマートフォンから音が鳴り「これ今度太刀川さんに見せよ」とにまにま笑っている。
動画だったようだがちはるも特に気にした様子はなく「多分腰抜かすよ!」と楽しげに笑うだけだ。食事を食べるのが珍しいと自覚はあるらしい。
小さな口でもう一口ハンバーガーを食べると「うーん」とちはるは首を傾げてフライドポテトを食べている陽介と、やっとハンバーガーを食べ始めた公平を見比べる。
そしておもむろに自分が食べたところだけ器用にちぎると、紙で包まれた食べていないハンバーガーを陽介に向かって差し出した。
「陽介あーん」
「ウッ、ぐっ……!?」
「ほとんど食べてないじゃん」
「満足したしお腹いっぱい!」
「まじかよ」
自分のハンバーガーをかじりながら、呆れたように公平が言うのを横目に、ちはるは陽介の口元にハンバーガーを持っていったまま止まっている。
公平はお腹いっぱいと言いながらパイの山をぺろりと平らげるであろうちはるへの呆れと、好きな女から何も思われずあーん、という特殊攻撃を不意に食らった陽介への哀れみの気持ちでいっぱいだった。
可哀想に、と思うが口には出さず黙々と咀嚼だけを繰り返す。
「いらない?」
しばらく視線をさ迷わせていた陽介に、ちはるが首を傾げて尋ねる。
陽介はいや、だとか食うけど、だとか要領を得ない単語をぶつぶつ言っていたが覚悟を決めたのかちはるの差し出したハンバーガーに口をつけた。
複雑そうな表情に、ちはるは「あんまり好きな味じゃなかった?」と聞くが陽介は「いやうまい」と即座に返す。
それからハンバーガーを受け取って、複雑な表情を隠しつつ何食わぬ顔をして食べる様もまた、公平にとっては可哀想であった。
つい先日も、公平はメロンパンを「これ思ったほど甘くなかったからあげる公平! はい、あーん」と半分ほどちはるから貰っている。
要は誰にでもする行動である。
高校生にもなって異性にする行動ではないのだが、ちはるの見た目が小学生レベルなのもあり、結局許されている。というよりも絆されているといったほうがいいのか。
年上でもなんでも名前の呼び捨てをするちはるだが、それでも年上連中から許されているのだからもはや見た目と性格の得だろう。許されているどころか、かわいがられてさえいるのだ。
あの二宮匡貴ですら、ちはるの挙動には何も言わず付き合ってやっていることが多い。もちろん名前の呼び捨ても当然のように受け入れている。
それに足してボーダーではかなりの古株であり、強さも桁違いというのもあるのかもしれないが。
ちはるを恋愛的な意味で好きな男も、学校にしろボーダー内部にしろそれなりに居るのだろうが、その他大勢と同じ扱いを全員受けている。つまり全員その他大勢だ。
そもそもパーソナルスペースがちはるは狭い。誰に対してもだが。
勘違いされるのもおかしくは無いのに、等しく全員にしているため勘違いすることもなく、ただただちはるを好きな男たちは虚しくなっているだけだ。
わかってやっているのかいないのか、どちらにせよ小悪魔にも程があるなと公平は心の中だけで思った。
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