なんやこの小さい生き物。
隠岐孝二がはじめてちはるに会った時に一番に思ったのはそれだった。
同い年と思えない幼い顔立ち、大きな瞳に細い身体。ミルクティーみたいな色をした髪は柔らかそうで、腰辺りまであった。顔立ちは、小学生と言われた方がまだ納得出来ると孝二が思うほどに幼さがある。
同い年だと言ったちはるは無邪気に笑って「よろしくね!」と小さな手をめいっぱい広げて握手を求めてきたのがもう随分前のように感じてしまう。
孝二がB級なりたての頃にはすでにちはるは今の扱いを受けていて、C級たちの間でも「やばいサイドエフェクトがある」だとか「ゴリラみたいなトリオン体で相手をちぎっては投げちぎっては投げしてる」だとか「実は近界民だ」だのよくわからない噂がある程には、見た目と噂、それに本部からのちはるへの扱いのギャップがあった。
小さくか弱く、身長からしても儚げで、そしてあまりに細い。そんな小さな少女が特別に強いわけがない、なにか理由があるはずだとほぼ全員が思っていたのだ。
ちはる自身ランク戦にも全く出てこず、戦っている姿を見ることが稀だった為そんな根も葉もない噂話がわいているんだろうと孝二は思っていたが、それもちはるの戦い方を見て考えも変わってしまった。
防衛任務にしても門が開いた時にしても、ちはるは単独か、もしくはA級と組むことが多い。そうなると戦っている姿を見ることなどポイント関係なく行われるただの手合わせのみということになる。
「雨夜先輩これから戦うって!」
生駒隊に入ってしばらくしてのことだ。
ばたばたとC級たちが走っていく中にそんな言葉をみつけ、孝二も慌ててその団体についてC級のブースへと急いだ。
特別視されるほどの戦いっぷりが気になったのと、滅多に見れるものではないちはるの戦い方が気になったのもある。
そもそもちはるの使用しているトリガーの情報すらない。一見の価値はあるはずだと走れば、もうそこには大勢の人が集まってモニターを見上げていた。
普段はあまりこんな場所では見かけないA級の隊員も来ていることから、それだけちはるが戦うのが珍しいことなのだろうと思う。
(ほんまに戦うんやあの子)
あの小ささで武器を持って戦う様子が想像できず、孝二はふっと笑みを零した。武器に振り回される様子しか思い浮かばなかったのだ。
スナイパー? シューター? まさかアタッカーではないだろう。
ざわついている周囲から上がる声に同意をしながらA級の団体を見てみると、楽しげだったり、C級たちの反応をにやにやしながら眺めていたりと人が悪そうにしている。
「えっ!? 風間隊!?」
「雨夜先輩は?」
「ひ、ひとりだって……」
パッとモニターが付き、それぞれの様子が映し出される。そこには真剣な表情の風間隊に、楽しげに両手を上げて伸びをしているちはるの姿が映った。
その手には、ちはるよりも大きな鎌が握られている。刃の部分の半分ほどが、まるで水面のように青くゆらゆらと光っている不思議な鎌だ。
開発部による技術の結晶といっても過言ではないのだが、青くゆらめく光はちはるのトリオンに反応している。ちはるのサイドエフェクトの効果増長云々、と様々な効果があるのだがそんなものを隊員たちは知るはずもない。
見たことも無いトリガーに、ざわつきがまた大きくなる。まるで死神の鎌のようなそれに、ぽかんと口を開けてしまった。
「見てみ隠岐」
「イコさん」
急に声をかけられびくりと肩を揺らしたが、孝二の横には見慣れた自隊の隊長である生駒達人が居た。腕組みをして真面目な顔でモニターを見てもう一度「見てみ」と言う。
「可愛いのが可愛い服きて歩いとる」
「はあ、まあ、そうですね」
「ちはるのトリオン体の服、わりとマメに変わるらしい。あれも今だけやで」
ベージュのジャージにピンクの短いスカートといういでたちのちはるは、確かに隊服にしては可愛い部類である。そもそもスカートで戦いたがる女子隊員が皆無の中稀有な存在だろう。
本人曰く見えてもいいように中身は履いている、というのは事実を知ってしまった思春期男子たっての希望でごく一部にしか知らされていないのだが。夢を壊すな、とはその一部からの訴えである。
大真面目に頷く達人に「そうですか」と相槌をし、視線はモニターへと移す。いつものイコさんやな、と半ば呆れ気味に思うがなんとなく安心した心地にもなり孝二は複雑な気持ちになった。
モニターのちはるは隠れることも無く、真っ直ぐ誰かの方へ走っているらしく、迷いない足取りだがしっかりと死角になる場所を走っている。
漏れ聞く話へ耳をやれば、ちはるについているオペレーターはオペレーターになりたての初心者らしい。オペレーターの練習も兼ねているにしても、ちはるの不利しかない戦いだった。
しかも相手は風間隊ときている。
「これ、圧倒的に雨夜さんが不利じゃないですか?」
「まあ見とけ」
モニターに映るちはるはずっと楽しげで、笑顔すら浮かべている。走る先に好きな人でもいるんじゃないかと言うほどの笑顔で戦いの場へ向かっているのだ。
足取り軽く、向かう先にいるのは士郎だとそこでやっと全体モニターでわかる。一番近くにたまたま居たのが士郎というだけなのだろうが、向かってこられている士郎は心底嫌そうに表情を歪めていた。最初に当たりたくなかった、と如実にその表情が語っている。
遼と蒼也は士郎の場所には遠く、ちはると士郎がかち合う瞬間に間に合いそうにもない。
「こんなの試合っていうより」
いじめじゃ? と言いたい言葉を飲み込んで、孝二は達人と同じく黙ってモニターを見つめることにした。
手合わせの結果は、風間隊が勝ち星を上げて終わった。
と、聞けば当然だと思われるかもしれないが、最終的に蒼也とちはるの一騎打ちになるまでちはるが追い込んでいた。
その頃にはモニターの下に集まった外野もしんと静まり返っており、古株の隊員たちがちはるの説明をすることもなく、異様な静けさに包まれていたのだ。
ちはるが負けたのは負けたが、蒼也も片足と片手、それに胴体も切られており緊急脱出状態寸前のボロボロさでの勝ち星だった。
試合が終わってもしばらくその場から動こうと思う隊員も、喋ろうとする隊員もおらず、孝二自身見たものの処理に思考を費やしている状態である。
「──ったし、悔しいー! 久しぶりに負けちゃった!」
「そのわりには楽しそうですけど」
「楽しかったよ! 士郎もやっぱ強いし……もうちょっと今日はできそうなんだけどなあ」
しんと静まり返ったこの場に、似つかわしくないくらいに明るい声が近づいてくる。
今まで戦っていた風間隊とちはるである。見てる隊員が多いだろうとここまで赴いたのだろうが、ちはるは負けたにしては楽しそうに「誰か隊員揃ってるところあるかな?」と視線を巡らせていた。
「まだするんですか?」
「今日は調子いいから! できる時にやらないとみんなと一緒に任務つく時わかんなくなっちゃうし……」
言いながら、ちはるが孝二の方を見た。目が合った瞬間にぱっと笑われて、なんとなくいたたまれなくなり視線を下げてしまう。
今までモニターで見ていた楽しげで、好戦的な笑顔とはまた違う、戦う前に見せたような好きな人を見つけたような笑顔である。
当人には全くそのつもりはないとは分かっているが、向けられたほうはたまったものではない。
特に思春期男子に向けてしていい笑顔ではないだろうと孝二は思う。気があるのかも、とすぐに思ってしまう程度にはチョロい男もいるのだ。
「一回遊ばない!?」
「やろか」
ちはるの誘いに真顔だが即答した達人に、孝二がえっ、と声を上げた。
「隠岐、ちはると戦ったことあるか?」
「いや、ないですけど」
「ならええ機会や。こっち二人で……隠岐、ちはるの動きしっかり覚えとき」
「はい」
風間隊に接戦をした相手に二人で勝てるとは思っていないが、達人の言いっぷりからして孝二の練習のためでもあるのだろうことが見て取れた。
ちはるもじっと達人と孝二を見上げていたが、うんうん頷くと「楽しくやろうね!」と笑顔を残して元来た道を戻って行った。
ちはるの動きを追え、覚えろ、との指示だったが結果は惨敗である。達人が善戦したもののちはるのほうが上手であり、狙撃も読まれているように当たらなかった。
飛んだところを狙っても防がれ、かなりの遠距離から撃っても全て防がれた。挙句邪魔だと判断されたのか逃げる練習だと思ったのか、どんなに隠れて逃げてもちはるは孝二をすぐに見つけ真っ二つである。
同じマップでついでにと何戦かしたものの、結果は同じだった。全敗だ。
一度だけ肩を撃ち抜いたが、それすらまぐれのようなもので、そのあとすぐにちはるに襲われて負けている。
「強すぎん?」
「孝二もいいとこ狙ってたと思う!一回当たっちゃったし」
仮想空間から出た後に疲れも何も見せないちはるに、孝二は肩をすくめた。達人は別の隊員に誘われランク戦へと赴いて行ってしまい、残されたのは孝二とちはるの二人である。
急ではあったものの、達人から孝二のためでもあったちはるとの練習に付き合ってもらったし、と自販機で買ったミルクティーをちはるに持たせ、廊下脇に置いてあるソファに並んで座っている状態だった。
今日はもう満足した、と言うちはるはこの後の予定もないらしく、あとは部屋に戻ってケーキでも作るくらいしかやることがないと言う。
「ありがとー! ミルクティー好き!」
「こっちこそ付き合うてくれてありがとう」
同じものでいいかと自分もミルクティーを買い、蓋をあけて一口飲む。あまり飲まないものではあるが、試合後に飲むと一段と美味しく感じてしまった。
はよ帰って寝よ……とぼんやり考えながら、隣でミルクティーを美味しそうに飲むちはるへと意識をやる。
戦っている最中の表情と、戦う前の表情と、今隣でミルクティーを飲んでいる表情が全く違う。
戦う前は好きな人に会いに行くのかと思うほどキラキラしていたが、追いかけてくるちはるは楽しげではあったもののギラギラという表現が似合うほど戦いを楽しんでいるようだった。
そして今は至って普通の、幼さが全面に出ているだけの女の子、という雰囲気しかない。
身体が小さすぎて細すぎて、本当にこれで飛んだり跳ねたりできるのかと逆に心配になるほどだ。
「あんまり話したこと無かったし急に言われてびっくりしたよね、ごめんね」
「ああ、まあ、イコさんが上におるから今更何言われても動じんなってきたな……」
「おお……さすが達人……!」
可愛いのが可愛い服きて歩いとる、と言っていた達人の言葉を思い出して、孝二はミルクティーを飲みながらまたちはるへと視線をやる。
確かに見た目も可愛いと孝二も思う。細すぎて小さすぎるところはあるが、それを差し引いても性格も明るく人懐こいし、圧勝したにも関わらず嫌味なことを言う訳でもない。ちはると仲のいい隊員から漏れ聞く話にしたって、悪い噂は流れてこなかった。
C級たちの間ではゴリラだ近界民だとは言われていたが。
顔も幼いからこそ際立つ可愛さがあった。目も大きくまん丸で、まさに可愛いが可愛い服を着て歩いている、である。
「新しくB級になった人がいるとことは一回はわたしが戦っときたくてワガママ言っちゃった」
「いやイコさん考えんと即決やったで」
「達人はね!」
ふふふと笑うちはるに、孝二もつられて笑ってしまう。
「同じ任務に着いた時のための連携?」
「うん。ログ見てるだけじゃわかんない事の方が多いし……わたしの調子がいい時は遊んでもらってるんだよー」
「……調子て?」
思わず聞き返したが、ちはるは一瞬動きを止めた──ように見えたが、すぐににこにこ笑うと座っているソファを指さして首を傾げた。
孝二も気のせいか、と思うほどの一瞬だったため、特に気にせずちはるの返事を待つ。
「わたし、よくこういうところで行き倒れちゃってて」
「え!?」
驚く孝二に、今度はちはるは真剣な顔をしてヒソヒソと内緒話をするように口元へと手を当てる。
思わず、と孝二もちはるへ顔を寄せて、緊張からか肩に力を無意識に入れていた。
「廊下で死んでる時は、わたしが死んでる理由知ってる人がわたしのこと回収してくれるんだけどね」
「いや行き倒れて……」
「孝二もわたしがここらへんに落ちてたら回収して忍田さんあたりに引き渡してくれたらいいよ」
「いやいやいや」
思わず手を振って距離を取れば、ちはるはにんまりと楽しそうに笑っていた。なんや冗談か、と思ったところでちはるが「半分くらいはほんとだよ?」と孝二を見あげる。
声に出したかと思って大きく鳴った心臓をおさえかけたら、ちはるがぱっと孝二の頬へ手を伸ばしぷにぷにとそれをつついた。
「顔に書いてあるんだもん」
「結構顔には出にくいはずなんやけど」
「そうなの? 分かりやすかったけどなあ」
肩をすくめるちはるに、孝二は自分の頬へ手をやって「気ぃでも緩むんやろか」と隣でミルクティーを飲む小さな少女をちらりと見やった。
それからひと月ほどたった頃である。
ちはると戦ったレアな人物として感想やら何やらを聞かれることもほとんどなくなってきて、平穏という名の日常を送りはじめてすぐ。
孝二がボーダー本部を作戦室へ向かってのんびり歩いていたところ、ふと視界の隅に見た事のある柔らかそうな髪が見えた気がして思わず立ち止まっていた。
見えたのはよく使う廊下ではなく、そこから本部の重要な部屋がある棟へ向かう廊下だった。
薄暗く人気もない廊下ではあるが、角をふらふらと曲がったのは確かにちはるだったと思い、孝二はなんとなく気になりそちらへ足を向けることにする。
顔見知りとなればすぐさま突撃する勢いでタックルしてくるちはるの見たことも無い様子に、違和感を覚えたのだ。
見間違いならそれでいいが、と思い足早に廊下の角を曲がれば、自販機の向こう側の見にくいソファに膝を曲げてうつ伏せの状態で、頭を抱えるようにして蹲っているちはるがいた。
「え、ちょ、雨夜さん?!」
「…………」
「なんでこんなとこで……」
「……あぁ……孝二かあ……」
叫んだ声にちはるは反応せず、肩に触れて意識があるのか確かめたそれにはゆるゆると視線を上げてちはるは真っ青な顔で笑った。
が、誰かの確認をしただけで、また目を閉じてしまう。
真っ青を通り越してもはや白くなってしまっている顔色にただごとではないと心臓が嫌な音を立てる。
まさかこれが行き倒れ!?と心の中で叫ぶものの、それに答えてくれる人はいない。
誰かと呼んでくるべきか、体勢を変えてやるべきか悩んでいたら、ちはるが「行き倒れだねえ……」と消えそうな声で呟いた。
「……あれ、声に出してへんよな……」
小さな孝二の声に、目の前で丸まっているちはるはびくりと肩を揺らした。髪の毛で見えなくなっているが、ちはるの表情が固くなったのも分かった。
何がちはるの空気を変えたのかはわからなかったが、何か自分が失言をしたかもしれないと孝二は慌て、とんとんとちはるの背中を叩いてやることにする。
触れた背中が、見た目以上にあまりにも細くて心臓が嫌な音を立てるが、そのままやさしく背中を叩くことにした。
何がちはるをこうしているのか分からないため、運ぶ訳にも、離れて人を呼ぶ決断をするのもできそうになかった。
「今日だめだあ……」
泣きそうな声でちはるが小さくつぶやく。よく聞き取れなかったが、どうやっても元気な声には聞こえない。
「雨夜さん? ……気分悪いんやったら医務室とか運ぶけど。吐き気は? 動かしても大丈夫そう?」
「吐き気はない……けど……、う……忍田さん……」
ぽつりと呟いた名前に、以前言われたことを思い出す。倒れていたら忍田さんにでも渡して、と。
が、真史のいる場所はそうおいそれと入れるような場所ではない。
しかも真史は孝二の記憶が正しければ出張に行っているため本部に不在のはずである。
普段であれば体調不良者は問答無用で医務室に運び込まれるが、ちはるはどうにもそれは望んでいないようだった。
「えーっと、うちの作戦室は?」
「……あまいもの、ある?」
「えっ? ……あ、飴ならあるはずやけど……」
あまりにも場違いな質問だったが、作戦室を思い出してテーブルの上にあった籠に入っていた飴を思い出す。確か昨日見た時は山盛りに小さなチョコレートや飴があったはずである。
真っ白な顔色でぐったりしているちはるだが、そういえばいつも食べているキャラメルや飴のような甘い香りがしない。
体調不良で食べる方もおかしいのだが、妙な違和感を感じた。
「雨夜さん、ほなちょっと抱え……」
抱えるで、と続くはずだった言葉は孝二のポケットで急に鳴りだした着信音に遮られる。こんな時に誰や、と小さく呟いて画面を確認すれば、そこには生駒達人、の表示が。
『もしも……』
「イコさん! 雨夜さん行き倒れしとって!」
達人の声を聞く前に矢継ぎ早に話す孝二に、嫌な声ひとつせず、達人は「ちはるが?」と声のトーンを落とした。
けれど慌てた様子もなく、達人は「ちはる聞こえるかー?」と間延びした声を出した。スピーカーをオンにしてスマートフォンをちはるに近づけてやると、ちはるは「聞こえるよ」と弱々しいながらも返事をする。
相も変わらず顔色は最悪で、体すら動かせない様子のちはるに孝二がこのまま死ぬんじゃないかと心配をしているのをよそに、達人は「チョコレートとキャラメルどっちがええ?」などと呑気なことを聞いている。
いやそりゃないやろイコさん、と声には出さないが思うだけに留めるものの、ちはるは一瞬間を開けて「ごめん」と泣きそうな声を出した。
それに対して達人は軽く笑うだけである。
『今本部近くのコンビニやからなんか買うてくわ。うちの作戦室にでも隠岐に運んでもろとき』
「ごめん達人」
『いやそこは可愛い顔で笑てくれたほうがええな』
「考えとく……」
『隠岐、そしたらちはるのこと頼むわ』
「あ、はい……」
いつもとは全く違うちはると、いつも通りの達人。明るく人懐こいちはるは見る影もない。それに対して心配するでもなく、チョコレートかキャラメルか、などとどうでもいいことを聞く達人。
いつも通りのことすぎて慣れているのかもしれないが、孝二にしてみたら初めてのことである。目の前で真っ白な顔色をした人間の相手をするのもまた初めてだった。
「……雨夜さん、運んでええ?」
「ごめ……んん、ありがと」
へにゃ、と力なく笑ってお礼を言ったちはるに、孝二はなんともいえない気持ちになる。顔色は最悪のままだが、それでも無理やりに笑うちはるに健気ささえ感じるほどだった。もはや孝二からしてみたら某忠犬にも勝るとも劣らない印象である。
どうやって運ぶかと思ってぐったりしたちはるを見て、おぶることは早々諦めた。おぶったところで、ちはるに力が入らずそのまま落としそうだ。
となれば普通に抱えるか、と逡巡ののち、孝二はちはるに「抱えるで」と声をかけて人間一人ふらつかずに抱えるだけの力を体へ込めた。
「うわ、軽っ!?」
が、あまりにもちはるが軽く、入れた力は無駄に勢いよくちはるを抱えあげただけで自分もふらつくという事態を招いた。
想定していた重さよりもずっと軽いちはるに、いやこれ中身詰まっとる?と若干不安になってきた孝二は「雨夜さん?」と慎重に声をかけた。もしかして死体でも抱えとんちゃう?と自分にたずねながら。
それにちはるは視線を孝二に向けると、視線でなに?と問う。それにほっとして「いや……」と口を濁した。
「言ってもいいよ」
まっすぐ孝二を見ながら、少し面白そうにちはるが言う。顔色は悪いが、何か楽しいものを見つけたように孝二には見えた。
「……普通の女子がえんぴつやとして」
「うん?」
「雨夜さん、つまようじくらいしかないんちゃう?」
「ふふっ」
こらえきれず、思わずこぼれたと言わんばかりの笑みにぎゅっと心臓が絞られたような心地になった。イコさんの言うこときいて健気すぎやな、と。もうこれは早く作戦室に連れて行かねばという妙な使命感にかられ、孝二はちはるを抱えなおす。
「居心地悪いかもしれんけど、落とさへんから安心して」
「ありがとう」
言ったきり、ちはるは少し苦しそうに眉間にしわをよせて、目を閉じてしまった。体調はどう見ても悪いため、笑ったのもしゃべっているのもほぼ気力と健気さだろうと踏み、孝二は急いで、けれどちはるとをあまり揺らさないように作戦室へと急いだ。
作戦室に行けば、すでに達人が待ちかまえていて、ちはると孝二を見るなり「真っ白やな」と言ってわしわしとちはるの頭を撫でまわした。
ちはるはそれに「うー」やら唸るが、申し訳なさそうに「ごめんね、ありがと」と言っただけだった。
そっとちはるとソファへ横たえてやると、達人が慣れたように手早くちはるの口に何かを放り込む。え、と孝二が確認したときにはそれはもうぐったりしたちはるの口の中で、達人の手に握られていたのはキャラメルの入っていたらしいゴミだけだ。
「……キャラメルですかそれ」
「これから見ること増えるやろから覚えとけよ隠岐。こういう時のちはるは飴かキャラメル口に入れて待つ」
「待つ……」
体が弱いのかもしれない、と思っていたが、もしや重度の糖尿病では……? と孝二が真剣に悩み始めたころ、ソファに沈んでいたちはるがじっと孝二を見ていることに気づいた。
達人はちはるの足元の空いたスペースに座り、ちはるの膝にそこらへんにあった誰かの上着をかけてやり、しきりにちはるに話しかけている。
といっても雑談である。いつも通り、なんら変わりのない。
孝二は孝二で向かい合った場所にあるソファへ腰かけちはるのことを考えていたのだが。
「……? なんかいるもんでも……」
「なんや隠岐、案外むっつりやったんか」
「え!?」
「ええ、ええ。男はそういうもんやからな。イケメンでもむっつりはむっつりでええんちゃうか」
「いやいやイコさん?」
「ちなみに俺はオープンや。ちはるのお墨付きで」
「…………」
女子のいる場所でする会話ではまるでない。しかも体調の悪い、悪すぎるちはるのそばでやるべき会話ではない。
男しかいない場所ならまだしも、である。冷や汗をかきながらちはるへ視線をやると、何か考えるように孝二をまだ見ているところだった。
さっきよりも多少顔色がよくなっている気がするが、まだ真っ白の域は出ていないようだ。
「いやオープンよりむっつりのがマシとちゃう? 自分がどっちかとかは別として!」
「必死か」
面白そうに達人に笑われ、ちはるも釣られるように口元を緩めた。
ひとしきり笑った後に達人がふっと笑顔のまま、孝二に視線を向ける。
「なんかやばい病気やと思ったんと違うか?」
「……まあ、はい」
「ちはるのは……あー、ちはる」
珍しく言いよどんだ達人に、孝二は首をかしげる。むっつりかオープンかは別として、思ったことはわりと口に出す達人が言いよどんだのは珍しかったのだ。
そして言いかけた言葉をちはるへ確認した。当のちはるは少し考えるそぶりをすると、うーん、とちいさく唸ってしばらく黙り込んでしまった。
が、数秒後、意を決したように「わたしのは」と小さな声で話しだす。
「副作用の調整が今日は特にできなくて」
「え?」
「甘いもの食べてないと、ちょっと難しいだけだから……死ぬわけじゃないし、病気じゃないよ」
一気に入ってきた情報に、孝二は一瞬思考を停止させる。
副作用。調整。甘いもの。
単語しか頭に入ってこず、しばし思考を停止させたのち、やっと回りだした頭で「えっ副作用?」と、出たのはそれだけだった。
「わたしの覚悟がなくってあんまり公表してないから、できたら言わないでほしいかなあ」
「いや、それは別に……えっと、甘いもの食べとったら楽?」
「コントロールがしやすくなるよ」
「なるほど……」
何がなるほどやねん、と孝二は自分で自分の言葉に突っ込んだ。
表面上はポーカーフェイスを保ってはいるのだが、考えていることはめちゃくちゃである。
副作用持ちのボーダー隊員は、それなりにいるといっても全体の数から考えるとかなり少ない。
中には付き合い方が難しいものもあるとは聞いているが、ちはるのそれはかなり度を超えているな、と孝二は思う。
死にそうな顔色をして行き倒れている姿のボーダー隊員がいるとは思わなかったのだ。しかもそれが副作用のせいだとは。
副作用の内容まではさすがに聞ける空気ではないため孝二も口を閉じたが、本部に来る時はポケットに飴でも入れておこう、とぼんやりと考えた。
あとでなんの飴が好きか聞かんとな……と考えていたら、じっと孝二を見ていたちはるが目を細めて嬉しそうに笑っていた。
なんとなく気恥ずかしく視線を逸らすが、ちはるはふふふと力なく笑って「ありがと」と小さく言った。
戻る.