『ちはるちゃんってきもちわるい!』
陽介、秀次と一緒に放課後ボーダー本部に行こうと思って歩いている時、不意に頭に流れてきた声にわたしは思わず立ち止まっていた。今日は調子がよくて、"声"も、副作用をきちんと制御できてるからと全く聞こえない日だった。甘いものもそこまで食べなくても、きちんと制御のできる日。それなのに不意に聞こえた、というよりもよみがえってきた声にわたしは心臓をつかまれた気分になって立ち止まっていた。どっどっど、と心臓が嫌な音を立てて、背中を冷や汗が伝って落ちていく。きょろ、と視線だけを動かすけど、いつも通りの人ごみの中、わたしたちは歩いているだけだった。
「ちはる?」
「どうしたんだ?」
わたしが立ち止まったのがわかった秀次と陽介が、振り返ってわたしを見る。思わず心臓のあたりをおさえた手を体の横におろして「な、なんでもない」とだけ笑った。だけどまだ、しっかりとさっきの言葉が頭の中にこびりついていて、呼吸をするのもやっとな気分でわたしは先に居る二人のところへ足をすすめる。
小学校低学年のころ、まだちゃんと力の制御ができてなかった時のことだ。喋っている声なのか、考えてる声なのかわからずにただただ聞こえる声に返事をしていた時があった。もちろん口にはだしていないものなのにわたしが返事をするのをまわりのみんなも気味悪がったし、母親ですらわたしをきもちわるい子、と思っていた時期だ。そのころに、クラスから無視されていたり気持ち悪がられたり、まるでばいきんみたいに思われていたことがある。あの時によく言われていた言葉が、なんで急に、今、頭の中に浮かんだのか。
小学校のころの同級生は、このあたりにはいないはずだ。三門とは少し離れているし、こんなところにいるわけないのに。まだ変な音をたてる心臓をごまかすように、わたしはポケットにいれていた飴に手をのばす。たべなきゃ。おちつかなきゃ。陽介は知らないからともかく、秀次には気づかれないようにしなくちゃ。なるべくいつも通りに飴を口にいれて「ごめんね!」と言って二人の間にぴょんと入る。陽介は「ケーキ屋でもできてたのか?」と言って、秀次は一度ため息をついただけだ。
「早く本部行って蒼也にプリンもらわなきゃ!」
「……ちはるって怖いもの知らずだよな……いやそれで大体許されてるあたりすごいけど」
「それはもうきっとわたしには甘いものをわたさなきゃいけないっていう、なんかこう、ルールができてるんだね!!」
「ねえ、あれって"電波ちゃん"じゃない?」
「え?あ、ほんとだ……生きてるのすごくない?」
そんなとき、近くから聞こえてきた会話に思わず耳が行った。ぞっとするようなことを思い出す単語がその中に入っている気がして、おそるおそるその会話が聞こえてきたほうを振り向けば、そこには数人の女の子と男の子の集団がいて、見覚えのある顔もいくつかあって、その集団がわたしを見てひそひそと何か話しているようだった。ぞっとするような感覚を思い出して、一瞬息がつまる。その会話がわたしだけじゃなく秀次と陽介にも聞こえたのか、こっちに向かって言われたことがわかったのか、わたしが振り向くのと同じタイミングで二人も振り返って、いぶかしげな表情をする。電波ちゃん?と一瞬だけ陽介から言葉で聞こえてきて、それからわたしの様子を見てか、陽介の気配が少しだけ不機嫌なものになった。秀次はそれだけでわかったのか、向こうが何かいうまえに「ちはる」とわたしの名前を呼ぶ。
「やっぱり!ねえねえ電波ちゃんだよね?」
「えー全然かわってないー!あ、でもちょっと太った?」
「つか可愛くね?けっこー好みなんだけど」
「ロリコンかよお前」
ぎゃはは、と下品な笑い声があがる。電波ちゃん。もう聞きたくなかったそれに、心臓がまた嫌な音をたてた。だけどそれ以上に、わたしの横にいた二人のまわりの空気が一気に冷えた気がして、そっちのほうにも心臓が嫌な音をたてる。でもそのおかげかなんなのか、少しだけ冷静な自分も取り戻せた気がするのも事実だ。お、おちついてふたりとも。おちついて。そう思えるあたり、少しだけ余裕はあるらしい。
元同級生たちは悪気があるのかないのかよくわからないままわたしに何かを言っている。そのたびに二人の空気の温度が下がっていくのを感じながら、だけど自分からはどう声を出していいのかわからずに固まるしかできず。
「ねえねえところでさー、まだ聞こえるの?電波!」
不意に言われたそれに、今度こそ思考も固まった。もう名前を思い出せない同級生に言われたそれに、指先さえ動かせなくなる。秀次はともかく、陽介は、わたしのことを知らない。サイドエフェクトのことを、知らないのに。知られたくない。聞かれたくない。小学生のころのこと、両親のこと。いろんなことを思い出してしまって、ざっと血の気が引いたのがわかった。わたしが人の心がよめるから、気持ち悪がられた。母親からも、きもちのわるい子だと思われていた。口では母親は一度もそんなこと言ったことはなかったし、態度にも出さなかったけど、思われていたのは、事実だった。できるだけ、人に知られたくはない。戦いのときはもちろん使うし、それで戦えているところもあるけど、それ以外じゃ読みたくない。聞こえたくない。知られたく、ない。
「……、……ぁ、」
声がうまくでない。心臓からとおのいていた手がいつの間にかまた心臓をおさえていて、小刻みに体が震えているのがわかった。知られることが怖いと思うようになったのは、わたしのまわりに優しい人が多いからだ。気味悪いと思われることには慣れている。だけど、母親のように、気味悪いと思うのに、絶対にそれを表に出さない人もいる。そんな負担をかけるのは、わたしの好きな人たちにそんな負担をかけてしまうのは、ひどくおそろしいことみたいに思えてしまって。普通の人間ではない、普通の気遣いではない気遣いをさせてしまうのが、おそろしくて。
「ちはる、抱えるからな」
「えっ、わっ……!?」
秀次と陽介が何か目くばせをして、それから秀次が「早く行くぞ」と言って、陽介がわたしをひょいと抱えあげた。驚くわたしのことなんて気にしていないのか、冷たい空気の二人からはその真意はよくわからない。ただ、同級生たちはぽかんとわたしたちのことを見ていて、振り返りもしない陽介と秀次は少しだけ怒っているようにさえ見える。というか、たぶん、実際怒っているのかもしれない。陽介に抱えられたまましばらく歩かれて、同級生たちの姿も何も見えなくなってから、わたしはやっと体から力が抜けた気がした。心臓の変な音もしなくなったし、冷や汗も、血の気が引く感覚もなくなった。
「……」
「……」
誰も何も喋らない空間だ。いつもならわたしと陽介が騒いで、秀次がためいきをついて、楽しい空間なのになんだか今のこの空間はすごく静かだった。本部が近づいてきているから、人通りも少なくなってきているのもある。けど、静かなのに優しい空気がここにあるような気がして、わたしは抱え上げてくれている陽介にもたれかかるようにしてぎゅうと抱き着いた。安心した。落ち着いた。もう、大丈夫だ。抱き着いた瞬間に陽介が少し驚いたような気配をしたものの、その大きな手がぽんぽんと何も言わずにわたしの頭をなでる。
今日はそれでもやっぱり調子がよくて、こうしてくっついていても何も聞こえない。けど、優しい気持ちがそこにあるのはなんとなくわかって、それが体にしみていく。そんな感覚になる。
きっと、陽介も聞きたいことがあるんだと思う。秀次はなんとなく察してくれているんだろうけど、陽介は、本当になにもわからずわたしをこうして避難させてくれてる。電波ちゃんと呼ばれていたのも、子供のいじめだと思ってくれているのかもしれないけど、陽介はそんなに鈍くはないだろうし。なのに、なにも聞かない。聞いてこない。ただわたしをなでてくれるだけだ。
「……ごめんね陽介、ありがとう。秀次も、ありがとう。ふたりともだいすき」
やっとまともに喋れたのは本部につく前で、それだけ言えば二人とも少しだけ表情を柔らかくしてくれた。
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