家族とは、ほぼ疎遠の状態だった。わたしが忍田さんのところへ行ってから、母親とも父親ともメールのやりとりをたまにする程度で、顔をあわせたのはもう何年も前。
それは双子の妹と弟も同じで、もうずいぶん顔は見ていない。父親からのメールで「中学3年生になった」ということだけは知っているけど、私の中の妹と弟は小学生のまま止まっている。写真すら見ていないので、今現在どういうふうに育っているのかさえわからないのに、きょうだいというのは不思議なものだと思う。
「……お、おねえちゃん……?」
そんな、数年間顔を合わせていなかった妹と弟に、なぜかわたしはいま向き合っていた。ずっと顔を見ていなかったにも関わらず、わたしも、そして向こうもお互いのことがすぐに分かったことにわたしは驚いている。
こっちはトリオン体で武器までもっている状態であり、二人はぺたんと地面に座り込んだ状態。真っ青な顔をしたまま、だけど驚いたようにわたしを見上げるふたつの視線に、思わず体がこわばった。
だけど双子のわりに全然似ていない二人だなあとどこか冷静な頭のすみで思って、それからすぐに背後に感じた近界民の気配にわたしは武器を握りこむ。
今はとりあえずこの二人を守らなくちゃいけない。考えるのはそのあとでも充分だと思う。イヤホンからオペレーターの心配そうな声がきこえる。それに大丈夫だよ!と明るく返して、それから姿勢を低くした。さっき二匹たおしたし、あと二匹なら問題なく倒せるだろうと思う。応援を呼んでもらうようにはしたけど、そんなに時間はかかりそうにもなかった。
「要救助民が二人いるからそっちに応援おねがい!」
少しひらけた場所へ誘導して倒したほうがいいだろう。そう思って伝えれば、了解、と返事が返ってきて息をついた。
パッと見怪我なんかはしてないみたいだけど、きっと驚いただろう。怖かっただろう。
……それにしても、なんでこの二人がこの街にいるんだろうか。隣の市に引っ越したはずだったのに。わたしのことは、両親からあの二人には、全寮制の学校へ入ったから帰れないと説明してもらっている。ゆめにもボーダーをしているなんて思わないはずなのに。
ちらりと二人を確認して、何か声をかけようかと迷って、わたしはなにも言わずに近界民を誘導することにした。わたしが今更二人に声をかけたところで、嫌がられるだろうし。
……気味の悪い姉を持っていると、あの二人もずっと昔から言われていたのだ。今更家族のようにふるまったところで、どうしようもない。だからこそわたしが姉だと誰にも知られずにいたほうがきっといいに決まっているだろう。今日は調子が良かったからなにも聞こえないし、そもそもトリオン体になってるから調整は簡単だった。離れるなら早いほうがいいと思う。
「ねえちゃん!」
近界民を誘導するために地面を踏んで大きく飛ぶ。「おーい!こっちだよー!」と叫ぶわたしのほうに興味をひかれたのだろう、近界民は二人には目もくれずわたしを追いかけてきた。
それを見て二人から引き離そうと距離をとれば、弟が大きな声でわたしを呼んだのがわかった。だけど聞こえないふりをして、少し遠くのひらけた場所へ近界民をつれていってから、その二匹を手早く片づける。途中であの二人を保護したという連絡ももらったし、近界民の事後処理くらいに付き合えばそれで終わる。どうしてここにあの二人がいたのかは分からないけど、ボーダーに保護されたのだからあの二人の記憶も消えるだろう。
「ちはるー……っと、おまえどうした?すごい顔してんじゃん」
「えっ」
近界民の残骸の前で待機していたら、陽介がわたしの横へと着地してわたしの顔をのぞきこんだ。それから言われた言葉に、思わず自分の顔をさわる。すごい顔って。どんな顔だ。
「いつもと同じ顔じゃない!?」
「……まあいいけどな。向こうは迅さんが行ったぜ」
「ん、わかった。……はあ……生クリームたっぷりの苺ショートが食べたいよー」
「……さっき教室でチョコレートケーキワンホール食ってなかったっけ……?」
陽介といつも通りの会話をしながら、できるだけ妹と弟のことを頭から出ようにする。
だけど、悠一が行った。その言葉に、この時変な緊張感を持っておけばよかったのにと、わたしはあとで後悔することになる。
「姉ちゃん!」
翌日、放課後の玉狛支部にて。帰っても特にすることがないと思って、ケーキの材料をこの間買いだめして玉狛にある冷蔵庫へと突っ込んでいたことを思い出したわたしは、意気揚々と玉狛へとやってきたわけである。
そうするとどうだろうか、見たことのある顔が二つ、ソファに座っていた。詳しくいうのなら、昨日の放課後に見た顔が二つあった。
「……」
思わず言葉を失うわたしと、何か言いたそうな二人。弟――なつきはソファから立ち上がって、わたしを呼んだあと黙り込んでしまった。
妹であるちあきのほうは、おとなしくソファに座って、だけど不安そうにじっとわたしを見つめている。どういうことなんだろう。どうしてこんなところにいるんだろう。思わず一歩下がって、鞄を握りこんだ。変な汗が背中をつたっていく。記憶、消されてない?ていうか、なんで、こんなところに?
そこまで思って、不意に聞こえてきた悠一の"声"に、わたしは振り向いた。
「ゆ、悠一……!」
「やっと来たか、客が待ってるぞー」
さらりと言う悠一が、わたしの頭をぽんぽんと撫でて、それから背中を押す。それにされるがままになれば、ソファへと誘導されて、二人の前に座らされてしまった。助けてもらいたい一心で悠一を見上げれば、悠一は「それじゃおれはこれで」なんて言って別の部屋へ行ってしまう始末。
そうだ、悠一が昨日この二人を保護したんだった。だとしたら、悠一の副作用で何か見えたりして、そして変なおせっかいをやいたとしてもおかしくはない。
三人だけで取り残された部屋、しばらく沈黙が落ちる。わたしから話すべきことは、話していいことはひとつもないし、それは、きっと、この二人だって。気味の悪いわたしがいなくなって、せいせいしていただろうに。
ちらりとふたりを見れば、なつきは立ったままどうしようかと何度か口を開いたり閉じたりしていて、ちあきはじっとわたしを見ているところだった。思いきり目が合ったけど、無理やりわたしはうつむくように二人から視線をそらす。
なんか、大きくなったな。わたしのほうが年下に見えるくらいだ。いや、まあ、わたしは見た目が完全に小学生レベルだから、中学三年生の二人と比べると、わたしのほうが年下に見えて当たり前なんだけど。
今日は調子がいい日で、二人からの声は全然聞こえない。聞こうと思えば聞けるだろうけど、戦い以外で聞くのは、怖くてできそうになかった。とくに、家族からの声なんていうのは、聞きたくないし。
「……」
「……」
だけどそろそろ、さすがに沈黙が痛い。二人とも何かを言おうとしているのだろうけど、言葉になって出てくるのにはまだ時間がかかりそうだった。
う、うう、隣の部屋からテレビの音聞こえるし、悠一のばか!って思うけど悠一がわたしとこの二人を三人きりにしたのには、意味があるんだろうとは思う。思う、けど。
ああ、まっすぐ家に帰ってたらよかった。玉狛でケーキでも作ろう!とかっていつもみたいに気軽に来たけど……、って、そうだ、ケーキ!さすがに今日には作っとかないと材料が、い、いたむ……!
この沈黙に耐えられないし、幸いにも冷蔵庫もキッチンもこの部屋の中にあるから、ケーキを作ってる間は話さなくてすむかもしれない。沈黙に耐えなくてもいいかもしれない。そう思って、ぱっと立ち上がると、二人は驚いたようにわたしを見て、だけどどこか不安そうな、さみしそうな目をしてわたしを見た。
え、と思うと、なつきが「か、かえるの?」と小さな声で言う。かすれた声が、より一層不安そうにおもえてしまって、そりゃわたしといたら不安にもなるよね……と心の中だけで思う。
「あ、いや、あの、ケーキ、作ろうと思って」
「ケーキ……?」
「玉狛に来たのも、作ろうと持ったから、だから、その、ケーキを……」
あまりの自分の挙動不審っぷりに、言葉がうまくでてこない。冷や汗をかきそうになりながら冷蔵庫をあけて、材料を取り出す。よ、よし、ケーキ作ってる間はだいじょうぶ!こっちに集中すれば……。
「お、……お姉ちゃん、私も手伝っていい?」
「へっ!?」
「お、俺も手伝う」
「えっ!?」
かしゃかしゃと卵をかきまぜるちあき、粉を振るうなつきを見ながら、どうしてこうなったんだろうと思考を巡らせていた。いや、わ、わたしが断り切れなかったのもあるんだけど、まさか二人が手伝うとか言ってくるとは全く思わなかった。
だって、そもそもここに何をしに来たのかも謎なのに、手伝うと言ってくるとはゆめにも思わなかったわけで。オーブンをあっためながら、ため息をつきかけるけどなんとかこらえて息を吸った。
「姉ちゃん、これ振るったらどうしたらいい?」
「あ、え、えっと、そっちのバターいれてぽろぽろになるまで、こう、ぎゅって」
「俺やる!」
「う、うん」
「お姉ちゃん次は?」
「う、うん、じゃあこっちでチョコレート湯煎してもらえたら」
「うん!」
さっきの沈黙が痛かった時間を思うと、二人はずいぶん楽しそうにケーキ作りをしていると思う。そして二人にケーキ作りを任せたからわたしがやることがなくなってしまったため、余った材料でクッキーを量産することにした。暇を持て余すとは思わなかったし……。
いや、でも、沈黙が気まずいとかは思わないから、まあ、さっきよりもずっと居やすいんだけど……。ますますこの二人、ここに何しに来たのかわからなくなってきたなあ。悠一に無理やりつれてこられたような感じはしないし、話したい事があるような雰囲気だったけど……。
ちらりとふたりを見ると、やっぱり楽しそうにケーキを作っている。……だめだ、ぜんぜんわかんない。そもそも一緒に暮らしてた時も、ほとんど話したことなんてなかったからこの二人が何を考えてるかなんて、わかんなくて当然かもしれないけど……。わかんないから、もう、ちょっと、考えるのやめよう……。
「姉ちゃんケーキつぶれてる!」
「ふくらまなかった……」
「う、えっと、ま、混ぜ方……?仕方ない、と、思うよ、えっと、慣れてないみたい、だし」
焼きあがったスポンジケーキを見て、二人が肩を落とす。で、でもまあ中まで火は通ってるしクリーム塗っちゃうしフルーツもはさんじゃうから見た目はそんなに気にすることはないと思うし!……って、いや、なんで、ケーキ三人で作ってるんだろ……。いや、私はクッキー量産してただけだけど……。
二人にとりあえずフルーツをはさむこと、生クリームの塗り方を教えて、クッキーを袋詰めにする。なんか、せっかく作ったし悠一にもあげとこう……。小南ちゃんとかの分もおいとけば多分食べてくれるだろうし。
余ったやつはわたしが全部食べたらいいだけだしね!ケーキは……持って帰るかな、この二人。不慣れすぎて多分はじめて作ったんだろうし、両親に持って帰って食べさせてあげたら喜ぶと思うし。……料理教室だっけ、ここ……。
クッキーを袋詰めにし終わった時、ちょうどケーキのクリームも塗れて、完成したらしい。二人が「できた!」と声をあげたので確認すると、不格好ながらもちゃんとしたチョコレートのショートケーキが完成していた。
「お姉ちゃんできた!」
「う、うん」
「初めて作ったなあ」
「え、えっと、持って帰る?」
そう聞くと、二人は驚いたようにわたしを見た。え、と思うと、顔を見合わせた二人は「姉ちゃん食べないの?」と一言。それにわたしが「え?」というと、ちあきが「お姉ちゃん、食べたくて作ったんじゃないの……?」と不安そうに聞いてくる。
いや、そうか、そうだった。わたしが食べたくて作ろうとしたんだった。いやでもわたしはいつでも作れるし。クッキー大量に作ったし、今日はほんとに調子がいいからそこまで常に食べとかないとだめってわけじゃない。それに作ったのは二人なわけで……。
「で、でも、はじめて作ったんなら、持って帰って……一緒に食べたほうが、二人も多分喜ぶよ」
「えっ!姉ちゃん帰ってきてくれるの!?」
「えっ、あ、いや、わたしは……帰れない、けど」
思わぬ期待に満ちたまなざしにそう返すと、二人とも目に見えてがくりと肩を落とす。え、えっと……、なんで、わたしが帰るって思ったんだろう。もうずっと顔も見てなくて、気味が悪い姉だってずっと言われてきてて、わたしのこと、疎ましく思ってただろうに。実家に帰ったほうが、わずらわしいだろうに。
わたしのせいで、多分、悲しい思いもつらい思いもたくさんしてきたんだと思う。そう思うと、実家に帰るなんてできるわけがないし、そもそもボーダーになってから、実家に帰ろうなんて思ったこともなかった。
多分、もう二度と顔を合わせることはないんだろうって思ってたくらいなのに。そんな、なんか、帰ってきてほしかった、みたいな顔されると、なんか、こう、変な感じがする……。っていうか、両親とも連絡なんてとってないから合わせる顔もないし、この二人にも思ったけど会いたいと思っていそうにはない。
定期的なメールや電話はくるけど、電話はほぼ全部無視してしまっている。メールは、そりゃ、時々返して生存確認だけはしてるけど……。それに忍田さんとやりとり、してるんだろうしなあ。
とりあえず誤魔化すように、ケーキをいれるための箱を取り出して、そのケーキを箱へいれる。ついでに保冷剤もいれて、ふたをした。
それにしても玉狛なんでもあるなあ。わたしが持ち込んで置きっぱなしのものばっかりなんだけどそのまま置いておいてくれる優しさはすごくありがたい。もう自分の部屋と玉狛の区別がほぼない気がしてきた……。
「もう遅くなったし、えっと、……いやじゃないなら……わたし送る、けど……」
「あ、迎え、頼んだの。お父さんに」
「え……」
「多分もうすぐつくと思うんだけど……」
ケーキの箱を紙袋にいれて、机の上に置く。もうすぐ、父親がここに来る?そう思うと、心臓が嫌な音をたてたような気がした。そっと心臓の位置をおさえて、ぎゅっと握る。だ、大丈夫、会わなければいいだけだし。
あわせる顔も、わたしにはない。それに父親だって、わたしに会いたいわけじゃないだろう。この二人と同じで、わたしがいないほうがいいに決まってる。
……父親も、母親も、口ではわたしにすごく優しくしてくれた。すごく心配してくれた。きっと本心だったと思う。今だって、わたしに届くメールは全部優しいものばかりだ。だけど、それとこれとはまた別の話で。
気味が悪いと思われていたのも事実で。そんな気味の悪いわたしをここまで育ててくれた人たちにそんな思いを、普通ならいらない気遣いをされるのは、いやだった。
私が父親と会えば、わたしのことを知っている父親は、その、普通ならいらない気遣いをするだろう。
今は、悠一や、秀次や、ほかにも受け入れてくれる人たちがいて、だいぶその優しさに慣れてきた。触れることで慣れてきたけど、それでも、両親、家族というのはまた別の話なのだ。こわい、と、思っている。
「……姉ちゃん、なんで、ボーダーなんてしてるの」
「えっ……」
「お父さんもお母さんも、お姉ちゃんは全寮制の学校に入ったって言って、ボーダーなんて一言もいってなかった」
それは、と言いかけて、口を閉じる。ああ、二人が最初から聞きたかったのはこれだったんだろう、と思ったからだった。二人の視線が、さっきよりもずっと真剣なものになっている。
「テレビに、姉ちゃんが少しだけ……ほんとに少しだけ出てるの見て……。急いでこっちに来たら昨日ほんとに会えて、でもボーダーなんかしてると思わなかったから」
「……あぶないよ、お姉ちゃん。ボーダーって、死んじゃうかもしれないって」
「あぶないよ」。それは、心を読むまでもなく、まぎれもなくわたしを心配する言葉だった。まさかそんな言葉をかけられるとは思わなかったから一瞬驚いたけど、そっか、心配して、ここまでこの二人は来てくれたのか。
テレビにうつったって、どこでなんだろ。ボーダーっていうめぼしをつけてきたくらいだからそれ関係のだろうけど。うつらないようにしてたのに、嵐山隊と一緒になったときに映り込んじゃったのかもしれない。
死ぬことが、特別わたしは怖いわけじゃなかった。自分の体じゃないみたいに走って、飛んで、戦うのが好きで、楽しくて。こんな仕事をしているから、いつ死んだっておかしくないとは思ってるけど、死ぬから危ない、なんていうことは、そういえば考えたことはなかったかもしれない。
「……クッキーすき?」
「え?う、うん」
きい、と表に車がとまった音がした。迎えが来たんだろう。悠一が隣の部屋から出ていく音がしたから、玄関のほうに行ったんだと思う。
袋詰めにしたクッキーをよっつ、紙袋の中につめこんで、それをなつきに渡す。なつきは紙袋をうけとって、それからわたしを見て複雑そうな表情をした。
「保冷剤が入ってるから家につくまではだいじょうぶだと思うよ」
「お姉ちゃん」
「もう、わたしのとこなんか来ちゃダメだよ」
「ねえちゃ……」
「ちはる……?」
言いたいことは言ったし、ここに父親が来たら困るからさっさと引き上げよう。悠一の部屋にでも。そう思って足を階段のほうへ向けようとしたら、キッチンにスーツを着た男の人が入ってきた。仕事帰りなのだろうその様子と、その顔に、思わずざっと血が落ちていく感覚がした。
父親の後ろ、悠一から"悪い"と声が聞こえてきたけど、悠一のことだからこれも全部見越してやってるに違いない。その証拠に、悠一から聞こえた謝罪の声は、悪いと思っているようなものではなかった。
「……、あ……」
一歩、後ずさる。何か言おうとしても声がでない。まさか会うとは思っていなかった父親は、みるみるうちに表情をくしゃりをゆがませると、わたしに無言で近づいてきてぎゅっとわたしを抱きしめた。
突然のことにそれこそ声も出ないし思考もまわらない。触れるから読みやすくなるわけではないけど、それでも。読めてしまったら。どうすれば。また、気味の悪い子供だと思われていたら。
心臓が嫌な音を立てているのが自分の耳元で聞こえる気がした。震えそうになるのを必死に我慢したけど、もしかしたら父親には伝わっていたのかもしれない。
だけど動くこともできずそのまま固まっていたら、父親が絞り出すような声で「よかった、元気そうで」と一言だけ言った。
抱きしめられたことに驚きすぎて、父親の言葉を理解するのに少し時間がかかったけど、父親がわたしにかけたことばも、なつきたちと同じように心配の言葉で困惑してしまう。まさかそんな反応をされるとは、思わなかった。さっきも思った、読むまでもなく、それが本心だとわかったから余計に。
「ぁ、あ、の」
「体調は?怪我はしてないか?」
「……な、ない、です」
それだけ答えれば、父親はわたしを抱きしめた時と同じようにくしゃくしゃの顔で"父親"の表情で、笑う。わたしと視線を合わせるように膝をついて、顔を覗き込むようにした父親は「すこし太ったか?」と柔らかく言った。
「た、たぶん……」
「そうか。忍田さんがマメに連絡してくれるから文面だけでは知っていたんだけどな。大きくなったな、ちはる」
太った、なんて女の子に言うセリフではないだろうと思うけど、わたしの場合、本当にここに来るまでは骨と皮しかなかったから、父親がそう言いたくなる気持ちもわかるけど。
でも、間近で見た父親の笑う顔は、数年前見た時よりも皺もふえているし、少し老けたように感じた。会わない数年が、こんなにも長かったのかと、なんだか改めて感じてしまって。
「お父さん、お姉ちゃんがクッキーくれたの」
「へえ?こっちは?」
「ケーキ。姉ちゃんが教えてくれてちあきと作ったんだけど……」
「ちはるは?たべなくていいのか?」
どこまでを忍田さんから聞いているのかわからないけど、そう聞いてくるということは、甘いものしか食べてないのもある程度は父親は聞いているのかもしれなかった。わたしと同じ髪質と色の髪を後ろに流している父親に、父親に似ているちあき。髪の色はわたしと同じで、顔は母親に似ているなつき。なんとなく、実家にいるような感覚になって、足が少しだけすくむ。
「わたしは、いつでも作れるし……今日はここにある材料を、その、使っちゃおうと思ってたから、も、持って帰って、食べてもらったら、いい、です」
少し距離はとってくれたものの、いまだに抱きしめられたままの恰好でしどろもどろにいえば、至近距離にあった父親の顔がさみしそうにゆがんだのが分かった。悠一が少し困ったように笑っているのを視界の隅で見ながら、それでもさみしそうな父親の顔に意識がいってしまう。
「ちはる、今日は、どうなんだ?」
「え……」
「調子は?」
どく、と心臓が音を立てた気がした。足に血が落ちていくのがわかって言葉につまれば、父親が慌てたように「ああ、そうじゃないよ」とひどく優しくつけたす。表情に出てしまったのか、と思って眉間に皺をついよせてしまえば、父親が「そうじゃないよ」ともう一度、優しく言った。
「父さんを見てみるといい」
「……」
ちあきとなつきは頭に「?」を飛ばしていたけど、わたしにはすぐにその意味がわかった。心を読んでみろ、と、言っているのだ。ただ、見てみるといい、という言い方は、底抜けに優しい。それこそ、幼い子供に絵本を読んであげるような響きにも聞こえるくらいに。
びくりと体を揺らしたのも、きっと父親には分かっているだろうに、まっすぐわたしを見たまま視線をそらさない。少しだけ皺のふえた目じりは下がっていて、優しい顔をしている。
だけど無意識に首を横に振るわたしに、父親はそれでも優しく笑って「大丈夫だから」と言う。ちらりと悠一を見てみれば"だいじょうぶだって"と優しい声が聞こえた。
けど、自分からすすんで読むのは。ぐっと奥歯をかみしめて、父親を見る。ひたすらに優しい父親はずっとそのまま待ってくれている。……読む?父親の考えていることを?
悠一みたいに、言いたいことだけをわたしに伝えられる人っていうのは本当に少ない。だいたいがそのまま思考が聞こえる。全く聞こえない人ももちろん少数はいるけど。父親もどちらかといえば聞こえにくい人ではあるけど、それでも悠一のように選んでわたしに伝えることはできないのだろう。見てみるといい、と言うくらいだから。
「……で、できな、むぐっ」
「ちはる、キャラメルすきだろう?」
「う、うん」
できない、と言おうとした口に放り込まれた四角い塊は、なじみのある甘みをわたしの口の中に広げる。キャラメルだ、と思ったら、父親がうれしそうに「おいしい?」と尋ねてきた。それには素直に頷いて、それからまた父親を見る。キャラメルを食べたわたしを嬉しそうに見ていた。
わたしの扱いが、完全に初期のころの忍田さんだ。忍田さんの時はチョコレートを会うたび口にいれられていたけど。……もしかしたら、忍田さんに聞いて、参考にしてるのかもしれない。
口の中にある甘みとか、悠一の笑いをこらえた顔とか。なんだかいろんなものが一気におこりすぎたせいなのか。さっきまで緊張していたものが、少しほぐれたような気がした。だけど読むことはやっぱりできなくて、一歩、父親から離れると、さみしそうな表情で父親がわたしを見た。
「……ごめんなさい、あの、やっぱり、できない、です」
「ああ、いや、いいよ。無理強いはしないから。……ちはるは一緒には帰らないのか?明日は休みだろう?」
おそるおそる聞かれたそれに、驚いてしまう。ちあきとなつきが「え!」と声を明るくするのを聞きながら、これもまた無意識に首を横に振ってしまったけど。残念そうにする妹弟と父親に、だけど慌てて「明日は、と、ともだちと、会うから」と口からでまかせが飛び出す。これも完全に無意識だった。
ともだち!と嬉しそうに笑う父親に、少し面白くなさそうな妹弟。そして真逆で面白そうな悠一。どうしたらいいのかわからずにじっと父親を見ていたら、父親のポケットでぶぶ、と何かが震える音がした。電話だろうか、と思ったら「失礼」と言って父親がスマートフォンのディスプレイを確認して、それから苦笑をしながら画面の上に指を滑らせた。
「そろそろ時間も遅いしお暇しよう、ちあき、なつき」
「でも……」
「またちはるに会いにきてやって。いつでも」
「!はい!ありがとうございます!」
「ゆ、悠一」
思わぬ悠一からの援護射撃に悠一を見ると、にんまりと悠一は笑っているだけだ。ああこれ言ってもしょうがないし、なんか確信持って言ってるから絶対わたしには何も言わないやつだ。
「……玄関まで、あの、送るから……」
「ああ、そのまえに、ちあき、なつき、そこに並んで、そう、ちはるはさんで」
父親の指示に、わたしを挟むようにしてちあきとなつきが父親のほうを向いて並ぶ。わたし含め三人とも首をかしげていたけど、父親が向けたスマートフォンのカメラがカシャ、と音を鳴らしてやっと写真を撮ろうとしたのだと思い当たって。だけど思い当たった時にはもうシャッターはおりたあとである。
「母さんがちはるの写真がほしいって。送ってもいい?」
「え?……え、えっと……」
「俺にも送って父さん!」
「私もほしい!」
わたしの返事を聞く前に、弟妹のほうが先に返事をした。じゃれつくように父親に寄って行って、そのスマートフォンの画面をのぞき込んでいる。なんでそんな写真がほしいのか、よくわからなかった。母親も、どうしてわたしの写真なんかほしいのか。
忍田さんが画像のやり取りなんかはしてないということでそこは安心したけど、わたしなんかの、写真なんて。
「おとうさん、ちはると二人での写真撮りますよ」
「ああ、本当?ありがとう迅くん」
流れるように悠一が言って、父親からスマートフォンを受け取った。よくわからないままに父親に抱き寄せられ、父親がしゃがんでわたしと高さを合わせてくれる。混乱したまま「ちはる、こっち」と悠一に言われてカメラのほうへ視線をやった瞬間、かしゃ、とシャッターがきられた。
「よくとれてますよ」と画面を見せる悠一に、満足そうな父親。そしてそれも見せてとせがむ弟妹に、悠一のほうがよっぽどとけこんでる、となんとなく思う。
「見送りはいいよ、ちはる。それよりしっかり食事を食べて、元気に過ごして。……いつでもいいし、いつになってもいいから、帰っておいで」
ひとしきり写真を見て満足したのか、弟妹が離れてから、父親がわたしに視線を合わせてそう言った。頭を撫でられて、びくりと肩を揺らしたけど、少し寂しそうにしただけで父親は頭から手を離すつもりはないらしい。
しばらくわしゃわしゃと頭を撫でられて、満足したのか。父親は悠一に「今日はありがとう」と言って、部屋を出て行ってしまった。廊下で誰かの声がしたから、出口まで案内してもらってるのかもしれない。
「……」
「ちはる」
三人が出て行った部屋、わたしと悠一ふたりきりになって。緊張がきれたのかなんなのか、わたしはその場にぺたん、と座り込んでしまった。膝に力が入らないとかじゃなくて、ただ、なんだか、つかれた気がする。
何年も会ってなかった家族に会って、話して、読んでみろまで言われた。多分、あれは変な意味じゃない。きっと、あの父親のことだからとびきり優しい声"で埋め尽くされていたんだろうと思う。
へたりこんだわたしの前に、悠一がしゃがみこんだ。気づかわし気な視線は、さっきとは違って本当にわたしを心配してくれているようだった。
「悠一、なんでつれてきちゃったの」
「ちはるのためだよ」
「――、あまいもの、たべたい」
わたしのためだと言われてしまっては、返す言葉が出てこなかった。代わりに要求した甘いもの発言に、悠一は嬉しそうに笑うと「冷蔵庫にシュークリームがある」と言って、わたしをソファへ座らせるとキッチンのほうへと足取り軽やかに向かっていく。
ころころと、ちいさくなったキャラメルがわたしの口の中で溶けていく感覚に、はあ、と無意識にため息をついた。
戻る.