優しそうな人だという印象だった。
 たったの五歳ほどのわたしにも、膝をついて、目線を合わせてくれるような。笑顔が穏やかで、まるで晴れた日の海のような人。それがわたしと、婚約者である彼との出会いだった。

「レイヴス・ノックス・フルーレです。よろしく、ステラ」

 日に当たれば銀色に見える髪に、空色の瞳。わたしよりも九歳年上の婚約者は、幼いわたしの手をとってそれはきれいに笑った。






「ステラお嬢様、お手紙が届いていますよ」
「ありがとうございます」

 五歳で出会って以来、婚約者であるレイヴスさまとずっと続けている手紙の交換も、もう十年になろうとしていた。ひと月に一通届くか届かないか程度のやり取りではあったけれど、会えないことのほうが多いためそのやり取りもわたしにとっては楽しみのうちのひとつだった。
 最後に会ったのはわたしが十歳の時で、それからはお互いに忙しく会える時間もなく日々過ぎて行っている。つい先月のパーティーでルナフレーナ様にはお会いしたけれど、それだけだ。言葉も少し交わして、レイヴスさまはお元気にしているか尋ねたら「兄に伝えておきます」と彼女は笑っただけだった。
 記憶の中のレイヴス様は、成人前ということもあって最初に会った時よりもずっと大人っぽくなっていた。わたしはと言えば、まだほんの十歳ほどだったためただの子供、ではあったのだけど。
 テネブラエの印が押された封筒を受け取って、椅子に腰かけて丁寧にそれをあける。いつも違う便箋と封筒、吹きかけてある香もわたしの楽しみのひとつになっていた。

「花のにおい」

 まるで春のようなかおりがして、ふふ、と思わず声が漏れる。丁寧できれいな文字に、綴ってある文面は義務的にならないように試行錯誤しているのであろう、少し不器用そうな内容の日々のこと。最近は何をしているだとか、わたしの手紙の返事だとか。わたしへの質問だとか。ルナフレーナ様からわたしのことを聞いただとか。
 ただただ他愛のない、まるで友人同士のようなやり取りだ。
 わたしが結婚をするのは、わたしが二十歳になったら、と決めてあるそうだ。婚約をした時に、そういう約束にしてあるのだと両親が言っていた。
 婚約者と言っても、手紙でかわす内容はまるで友人のようであり、きっとお互いに恋愛感情なんていうものは持っていないと思う。けど、ただの他人だとは言えない不思議な関係だった。
 わたし自身、今まで婚約者がいたことも、家族がいたことも、王族として生まれたこともなかったから毎日新鮮な気持ちで過ごしている。
 子供のころは、親のいる環境や王族という生きる場所の環境にも慣れずにいろいろと親にも、まわりにも迷惑をかけていたとは思うのだけど。
 この世界において、魔法が使えるのはルシス王家の人間だけらしい。わたしの従兄弟であり次期国王であるノクトにはその力が備わっていて、王家の人間だけが使える武器召喚や、他の力も彼はすべて使いこなせる。わたしはといえば、魔法は使えるものの、ワープや、この世界での武器召喚は使えない。
 以前別の世界でできるようになった"武器召喚のようなもの"は変わらず使えるのでなんとも言えないし、魔法も以前から使えるものが使えるので使えない、とは言えないのだけど。
 けど、この世界での魔法を習った時、近くの林を力加減ができず燃やしてしまったことがある。それ以来は使わないようにときつく言われていたから使ってはいないけど、それは子供の時の話なので今なら普通に使えるのだろう。

「ふふ、便箋、どうしましょう」

 新しく買ったものを使って、お香も新しいものを使おうか。読み終えた手紙を丁寧にたたんで、机の上に置いてあった、宝石のようなガラス細工がたくさんついている箱へそっとしまった。子供のころ、それこそレイヴスさまに初めて会った時にいただいたものだ。
 子供が買える程度のもので、そう高いものではないのだけど。なんだかわたしにそれをくれるということが嬉しくて、慣れない環境に参っていたり、魔法が思うように使えないこともあって、とても嬉しかったから今でも大切に使わせていただいている。
 この十年、レイヴスさまからいただいた手紙を保管するのに使わせてもらっている。大きな箱ではないけれど、そもそもそんなに頻回にやりとりをするわけではないので、まだ余裕で手紙は入りそうだった。

「何を書こうかな……。あ、高校に合格……は、エスカレーター式だから別にいいですね……」

 日々過ごしていく中で楽しかったことをできるだけ書くようにはしているものの、基本的に学校と家との往復しかわたしは許されていない。放課後に遊びに行くこともなければ、一人で歩いて学校へ行くこともない。電車やバスもあるのに、基本的に毎日送迎車だ。
 王族という肩書に恥じない、有名な女子高というのもあるのだろうけど、不審者にかどわかされないようにという意味もあるのだろうことはわたしにもよくわかっているけど。
 戦わないだけで、決して戦えないわけではない。もちろん戦えることも武器召喚の真似事ができることも隠しているし、魔法が使えることは知っている人は知っているものの、極秘事項だ。戦いに身をおけない深窓の令嬢。それが今のわたしの在り方である。
 魔法を使えると知っているひとつ年上の従兄弟、ノクトでさえ「一人で行動すんなよ」とわたしに念を押してくる始末だった。

「……マナ、聞こえますか。この世界に生まれてから、わたし、一度もあなたの声をきいていません。……マナ?」

 わたしが魔法が使えて、戦える要因である精霊に声をかけてみるものの、全く反応は返ってこなかった。もう、何度問いかけてみたのかもわからないけど一度も反応されたことはない。ふう、と小さくため息をついて、机の上にある箱の硝子をつう、と指でなぞれば、背後でふわりと空気が動いた気配がした。それに息をつめると「私の気配に気付けるの?」と、落ち着いた女性の声が落ちてきた。

「……どなたですか」
「ゲンティアナ」

 名前が聞きたかったわけではなかったのだけど。思いながら、警戒をとかずに振り返れば、そこにはつややかな黒髪の女性が立っていて、口元にはたおやかな笑みを浮かべていた。黒く長いワンピースを着て、目を閉じている女性はそれでもわたしのほうへ足をすすめると、わたしとの距離が一メートルほどのところで立ち止まる。

「名前がちがう。あなたの中の神は、マナではないわ」
「……神?いえ、わたしの中にいるのは精霊……。ああ、いえ、それよりもあなたは……?」

 一体何ですか、と続けようと思ったその言葉は、女性が目をあけてわたしを見たことにより飲み込むことになった。深い緑色の瞳はまっすぐにわたしを見つめて、そしてその瞳を細めて笑う。それだけの仕草ではあったけれど、彼女が人間ではないのだということはすぐにわかってしまった。わたしの中にいる精霊――彼女が言うには神様――と、同じような気配を感じて。
 そもそも警備の厳重なこの部屋の中に入ってこられること自体がおかしい。そして、わたしがこの女性が入ってきた気配に気づかなかったのも、おかしい。人のなせることではないだろう。

「"ウィータエテルナ"。けれど、決してあなたは意志をもってその名を呼ばないように」
「……なぜですか?」
「この世界で、今のあなたで、人として長く生きたいのであれば」

 どういう意味ですか、と聞こうと口をひらきかけたら、それは女性――ゲンティアナさんの人差し指によって遮られてしまう。柔らかくわたしの唇にそえられた人差し指はすぐに離れて行って、かわりにゆったりと頬を指でなぞられる。

「神の力を宿した子。人として生きたいのであれば、今の名は忘れなさい」
「待っ――!」

 ぱきん、と、氷の結晶が割れたような音を残してゲンティアナさんはその場で消えてしまった。

「神の力を、宿した……?」

 精霊を宿した、ではなく?まあ、そもそもこの世界では精霊という概念は存在していない。この世界に存在しているのは、はるか昔からのおとぎ話のような神様の存在だ。だから、彼女はわたしの中の精霊を神様と言ったのだろうか?
 この世界に生まれてこのかた、マナ、と名乗ったあの精霊と話せていない理由も彼女は知っているのかもしれない。ウィータエテルナ。その名前を口にしようとして、けれどすぐに唇を閉じた。
 人として生きたいのであれば、というのは、どういう意味なのだろうか。今のわたしは、人間としての生を歩んでいるということなのだろうか。
 つまり、精霊――神様を意思をもって呼べば、わたしは、また――。
 息がつまりそうになって、ぎゅ、と胸のあたりの服を握る。

「だいじょうぶ。わたしは、死ぬために生きているわけじゃありません。みなさんが、教えてくれました。大丈夫です。大切な人も、物も、この世界にはたくさんできました」

 誰にでもなく、今はいない以前の仲間につぶやく。そうすればなんだか気持ちが引き締まる気がして、わたしは手を膝の上へ置いて深く息をはいた。
 日々が穏やかに過ぎて行く。でも、いつもの通りであればそろそろ、何かが起きてもおかしくないのだ。だから、今まで何もなかったわたしの日常にゲンティアナさんが現れたのかもしれない。そう考えたっておかしくはない。
 いつだって、どの世界だって、わたしはその世界で起きる事件になんらかの形でかかわることになっていたと思う。だから今回も、油断をせずにいないと。

「お嬢様」
「は、はい」
「ノクティス様がお見えです。お通ししても?」
「あ、はい、大丈夫です」

 軽いノックのあとに聞こえた声に返事をして、私は頬を自分の両手で揉む。変な顔をしていたら、ノクトはすぐにわかってしまうのだ。伊達に生まれた時から一緒にいませんね、とついこの間も思ったばかりだった。
 それと同じで、ノクトに何かあればわかるようになってしまったわたしもわたしかもしれないけれど。幼馴染というか、従兄弟というか、家族というか。わたしとノクトはなんだか言葉では言い表せない関係で、でもそれが心地よかった。言葉がなくてもなんでもわかる関係、というのは、貴重だと思う。今のわたしにとっても、今までの、わたしにとっても。

「ステラ、入学祝いになんでもきいてやるよ」

 けど、部屋に入ってくるなりそう言ってきたノクトの行動は、さすがに予測はできなかった。


20180909

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