「ようこそおいで下さいました、審神者様」
大きな日本家屋、白塗りの壁に黒々とした瓦屋根の、屋敷と言ってもいいほどの豪邸の門をくぐり、母屋に伸びる庭を進むと玄関の前に待機していた小さな白いきつねがわたしと清光さんに向かってそう言った。ぺこりと頭を下げたおおきな瞳のきつねは「こんのすけと申します」とわたしを見上げる。
「はじめまして。ステラと申します」
きつね――こんのすけさんに視線を合わせるように、といってもこんのすけさん自体が小さく、視線を合わせることは到底無理なのだけど、できるだけ合わせるようにしてしゃがめば、こんのすけさんはどこか安心したようにふわふわの尻尾を揺らした。ようこそいらっしゃいました、と言ったこんのすけさんは、少し疲れたようにぺたりと尻尾を床へと置いた。
審神者になってほしい。
そう言われたのは本当に唐突だった。ただ毎日を淡々と生活していただけのわたしのところへ、時の政府という場所からやってきたという人が「審神者になってほしい」と言った。
さにわってなんですか、と尋ねたら、歴史を変えようとしているものと戦う仕事だと言われた。
もっと細かくきいていけば、刀剣に人の体を与えて、その刀剣を戦場へ赴かせ、歴史をかえようとしているものと戦ってもらう。
いわば審神者は巫女のようなものなのだと。もっと簡単に言えば社長のようなものだと、研修で会った同僚が教えてくれた。
審神者は刀剣をまとめるトップであり指揮官。刀剣に人の体を与えるというのも、刀剣の付喪神を実体化させる、ということらしかった。
やりたいこともなく、やることもなく、ただ日々を生きるだけだったため、審神者にならないかと問われてあまり悩むこともなくわたしは二つ返事でそれを受けたのだが、いかんせん情報が何も足りなかった。
研修中に色々と尋ねてはみたものの、ふんわりとしか審神者というものは理解出来ていないだろうと思う。
わたしを迎えに来た人──時の政府の役人が言うには、近年稀に見る霊力の持ち主がわたしらしい。わたしからしてみれば、自分の中に精霊という、この世界においての神のような存在がいるのだからそれもそうだろうと思って口には出さなかった。
審神者の条件は、まず第一に刀剣を実体化させるだけの力があるのかどうか。人柄、いままで生きてきた経歴。その他いろいろなものを調べたあとに、時の政府が該当者へコンタクトをとるのだと言う。
最近では審神者の養成学校もあるらしいが、表立って生徒を集めている訳では無いため審神者は足りていないのが現状らしかった。
そうしてコンタクトを取られると、よっぽどの理由がなければ審神者になるのは確定であり、断れない。そもそも断る人の方が少ないのだろう。
家族にも相当なお金がはらわれ、個人にもお金が入る。まるでずっと昔の戦争への徴収のようだ、と心の中で思ったものの、それも口にだすことはなかった。そもそも戦争のために徴収されているので、あながち間違ってもいなかったのだけど。
「本丸の、立て直し、……ですか?」
新人の審神者は、基本的には新しく自分の本丸を持ち、そこで自分の力を高めながら徐々に刀剣をふやしていき、戦場へ赴くのだと聞いていたけれど、わたしに言い渡されたのは"放棄された本丸の立て直し"だった。
歴史が変わってしまえば未来にどんな影響がでるのかわからない。だから人員はいくらでも必要であり、そして審神者が亡くなったり問題があって審神者を追われた人がいた本丸は、人員不足故に放置されているらしい。
本来であれば亡くなる前に本丸の今後は決めておくらしいのだが、急な襲撃、急な失踪等々でそのままの状態の本丸も少なくない。
定期的に政府の人が様子を見に行くこともあるらしいのだけど、わたしが言い渡されたのは、政府の人が入ることもあまり歓迎されない本丸の"立て直し"だった。
もちろんそこはわたしの仕事場、になるらしいのでわたしの本丸にはなるのだけど。
もう、何本も刀剣男士と呼ばれる方たちはいて、前審神者は何か違反をしたらしく、審神者を追われているのだという。
放置された本丸はその機能を失い、下手をすれば本丸自体を壊してしまうことになるのだという。審神者が亡くなっただけである本丸にいた刀剣たちは、主をかえてどこか別の本丸へ送られることが多いらしいのだけど、わたしの任された本丸はそういうわけにもいかないらしかった。
なんでそんなややこしいところを新人に、と思ったが、霊力の高さ、そして自己防衛ができるという点においてわたしに白羽の矢がたったらしい。
「彼らは、少し特殊なんです」
前の審神者が自分の好みである見目のきれいな刀剣ばかりをかわいがり、贔屓している刀剣たちへも、それ以外への仕打ちもひどかったのだという。
その中で折れて放置されている刀剣もかなりあって、けれど折れた刀剣は鉄くずにもなれずどこかに集められていて供養すらできないのだとか。
付喪神という、神といっても力の弱いものだけど、それでもきちんと事後のことはしておかないとほかの刀剣に影響がでることもあるのだそうだ。それができないこの本丸では、残っている刀剣を新しい主のところへやるわけにもいかず、本丸を壊すわけにもいかず、お手上げだったらしい。
わたしがこの本丸でやることはいくつかある。折れた刀剣たちを見つけて、修復できそうなものは修復、そうでないものは供養。
そして生きている刀剣たちとの意思疎通、ほかの本丸へ行く気があるのかの確認。なければわたしがこの本丸を引き継ぐのでわたしが新しい審神者でもいいのかという確認。それと――。
「なんで主ばっかりそんな難しいことしなきゃなんないの? 政府、仕事してないんじゃない?」
本丸へ向かう道中、そう不満げに呟いたのは加州清光──わたしの選んだ初期刀だった。
黒い髪は長い後ろだけひとつに結われていて、赤い、猫のような瞳の見目麗しい男性である。
本当に刀に人間の体を与えることができるのかと半信半疑ではあったものの、研修の内容通りに顕現をすれば目の前に現れたのは人の姿をした刀だった。
初期刀を選ぶのは新人審神者にとっては初めての仕事であり、そして顕現するのも初めての力の使い所だった。
初期刀を顕現できない審神者も中にはいるらしく、これも一種の試験なのだろう。
研修初日に出会った清光さんとは、既にひと月程の付き合いになっていた。刀への霊力の譲渡やその他様々な決まり事をふたりで実践していくのももちろんだが、審神者と初期刀の絆を深める意味合いもあり、最近は研修中は施設に泊まり込みふたりで行動をさせるらしい。
「清光さん」
「自分の本丸も選べたんでしょ?」
わたしを思って言ってくれているのがわかるけれど、まわりに人の気配はなくても聞かれていないかとひやひやしてしまう。移動中であるため審神者専用の転移装置の中ではあるが、政府の役人に聞かれていないことを祈るしかない。
「……そうですね、一応」
本丸の立て直しか、自分の本丸を持つか。もちろん選べたのだが、ほとんど選べないような選択肢ではあった。
立て直しのほうにすれば、立て直しにかかった費用は全て政府持ちになるという。しばらくは立て直し、既存の刀剣たちとの交流を主に行い、戦場へは出なくてもいいとも言われた。優先すべきは本丸で、戦績を上げるのはあとでいくらでもできるから、と。
自分の本丸を持つ場合は、すぐに戦績を上げて欲しい。猶予はない。それができなければ審神者にはなれないとも言われている。
半分以上脅しではあるが、それでもわたしの気持ちは決まっていた。清光さんを顕現して、改めて立て直しを選んで良かったと思う。
人の形をした刀だと言われていたが、どうやっても人としか思えない。感情もあり、表情もあり、会話ができるのに、折れたまま放置されたり、供養もされていないのはあまりにも悲しい。
今も清光さんは、わたしのために不満をこぼしているのだ。
「でも、立て直しのほうを選んで良かったです。清光さんのような方たちが困っているなら、助けたいですから」
「……もう、主ってお人好しだね」
「そうかもしれません」
ふふ、と笑うと清光さんは眉を下げて仕方ないなと肩を竦めた。
◇◇◇
「とりあえず、中へお入りください。……その、どうぞ、お気を付けて」
こんのすけさんがそう言って、耳をペタンと倒し申し訳なさそうにした。事前に聞いている情報からも、気をつけなくてはいけないのはよくわかるのだけど、それをこんのすけさんが申し訳なさそうにしなくてもいいのにと思う。
わたしの前に何人か派遣されたベテランの審神者は、刀剣たちから返り討ちにあったらしい。怪我こそしなかったものの、脅かされ、そして切に訴えられたのだという。放っておいてほしい、と。
ここに来た審神者は全員が男性だったらしいのだけど、どういう風にこの屋敷を探索したのかはよくわからない。前派遣された際の内容等は、守秘義務があると伏せられている。
わたしも政府から本丸の鍵は受け取っているものの、かなりの広さがあるので探索するのにも苦労するだろう。屋敷に関しては、まるきり事前情報はなかった。
「──すごく、甘いにおいがしますね」
「……甘い、ですか?」
「あー……これは、甘いにおいって言うか……」
玄関へ入ってすぐに、鼻をついたのは甘ったるいにおいだった。なんとも形容したがいそのにおいは、どこかまとわりつくようで、不快感を感じるようなそんなにおいだ。それと同時にほこりっぽさや空気の動かない物置のような感覚もする。これは単純に換気不足だろうけど。
思わず口元へ手をやると、こんのすけさんは首をかしげて「こんのすけにはよくわかりません」と耳をたらし、清光さんは口元に手をやって眉を寄せる。なにか言いたそうに口をもごもご動かしているが、どう言おうか言いあぐねているようだった。
「澱みに近いかな。あんまり本丸にあっていい空気じゃないね。俺にも分かるってよっぽどだよ」
「澱み……!? 本丸に、そんなものが……」
ショックを受けたようなこんのすけさんが、しゅんと縮こまってしまう。こんのすけさんは、本丸ひとつにつき、一匹いるようだ。だからこの本丸で暮らしていくうちに、もしかしたらこのにおいに慣れてしまったのかもしれないけど……。
この匂いは、まるでずっと見られているような。まるでずっと傍に誰かがいるような。甘ったるい香りをまとった女性に擦り寄られているような──そんな香りだ。
「……この本丸……もしかして、前の審神者は女性の方でしたか?」
どんな審神者だったか、なんていうのは政府は教えてはくれなかった。言われたのは、簡単な内容だけ。
忙しいのもわかるのだけど、仮にも新人である審神者にもう少し情報をくれても良かったのではないかとも思う。まあ、こんのすけさんに聞けばある程度はわかるとも聞かされていたので、今もこうして前の審神者のことを聞いているのだけど。
こんのすけさんは、前の審神者のことを聞くとびくりと体を震わせて、わたしと視線を合わせずに「はい」と、とても小さな声で言う。
ああ、なるほど。贔屓している刀剣を"かわいがって"いた。それ以外の刀剣は"折れた"まま放置されている。なんとなくわかってしまった。
刀剣男士は、皆一様に男性の姿だ。つまり、この甘ったるい香りも、まとわりつくような空気も。
ひとつため息をついて、びくびくしているこんのすけさんと、また視線を近くするためにしゃがんで、こんのすけさんの頭をなでてやる。柔らかいだろう毛は、すこしごわついているようだった。こんのすけさんの手入れもあとでしなくちゃ、と思うが、今ではない。
そのままわたしは立ち上がり、玄関に入った時から感じていた視線に「すみません」と声をかける。
「そこに誰かいらっしゃいますよね。……今日は折れた方たちの探索はしないので、このお屋敷の換気と掃除をしてもいいでしょうか」
一言目に不思議そうにしたのはこんのすけさん。分かっていたらしい清光さんは後ろをむくことも無くふうと小さくため息をついた。
そしてわたしの言葉に気配を固くしたのは、わたしを見ている誰かだった。まさかバレるとは思っていなかったのだろうそれに、わたしは苦笑をする。気配をいくら消していると言っても、さすがに距離が近すぎるせいで分かってしまったのだ。
「行ってほしくないところがあったら教えてください。姿は見せなくても構わないので……」
「……わ、わかりました」
同じ年ごろか、少し下だろう男の子の声だった。まさか話しかけられるとは思っていなかったのだろうその声は少しだけ緊張していたけど、わたしが中に入ることに拒否はされていないことに胸をなでおろす。ここで拒否されていたら探索も掃除もできやしない。
「とりあえず換気ですね。清光さん、こんのすけさん、がんばりましょう!」
「まあ、主のためだし。がんばるよ」
「え!? は、はい!?」
よし、と意気込んだわたしにこんのすけさんがまたびくりと体をゆらす。だけど返事をしたあと、なんだかまた安心したように体から力を抜いた。わたしが帰ってしまうかもと思ったのかもしれないし、見ていた誰かがわたしに何かすると思ったのかもしれない。
けれど今のところ敵意も感じていないし、どちらかと言えば戸惑いのほうが大きいであろう困惑した気配は、なにかして来るような空気を出してはいなかった。
わたしが移動をすると、少し離れたところから誰かの気配もついてくる。こんのすけさんは少し警戒をしていたようだけど、殺気、というよりも今の"誰か"はわたしが何をするのか純粋に気になっているだけのような気がするのだ。
とりあえず手当たり次第に部屋へ入り、窓を開け放ち、ふすまも押入れも開け放っていく作業を清光さんとしていた。どの部屋も埃がつもっていたり少し薄汚れていたりと、まったくもって掃除のやりがいのありそうな部屋ばかりだった。
和室が傷むかもしれないけど、素足で入ることには躊躇したため玄関先にあった来客用のスリッパを引っ張り出して廊下も和室もそのまま歩くしかないほどだ。
「前の審神者の方は掃除を全くされない方だったんですね」
「え、ええと……そうです。お部屋からもあまり出てこられない方でした」
「にしても埃積もりすぎじゃない? 俺、埃がこんなに鼻にくるなんて思わなかったんだけど」
人間の体って不便なこともあるね、と清光さんは眉を下げて笑った。
最初こそあれがおいしいこれがおいしい、あっちはいいにおいがする、あれはなんなの、と感動していた清光さんだったけど、最近はそんなことも減って体に慣れてきたかと思っていた。けれど、さすがに大量の埃には辟易しているようだ。
うう、と腕で鼻を覆う清光さんはくしゃりと顔を歪めている。
「マスクを持ってきたら良かったですね……」
ここまでとは思わず、なんの用意もしていない。掃除道具も見たところないし、こんのすけさんに聞いてもわからないと言われてしまった。
ばたん、と開き戸を開けて、またひとつ和室の窓を開けると新鮮な空気が部屋の中に入ってくる。それだけで甘ったるかったり、まとわりつくような空気がなくなる気がして気持ちが良くなった。
「主が歩くところ全部綺麗になってくね」
「え?」
「多分主の霊力。ここの前の審神者のよりずっと強いんだと思う」
す、と襖を開けながら清光さんがなんでもないように言う。そもそもこの本丸に来るように言われた理由の一つが、高い霊力だ。だからそれに関しては驚きはしなかったが、わたしが歩く場所が綺麗になっていく、というのはどういうことだろうか。
不思議そうにしていたのが顔に出ていたのか、清光さんは赤い瞳を細めて嬉しそうに笑った。
「俺は主が顕現してくれたから、主の力の流れもわかるし、この本丸の澱みも何となくわかるんだけどさ。主のいる場所は、主の空気になっていくんだよね。霊力で満たされるっていうの? 俺はそういうのに敏感なほうじゃないから分かる刀を連れてきた方が説明はうまくしてくれると思うけど」
「つまり……?」
尋ねたのはこんのすけさんだった。それに清光さんは先程とは違うにんまり笑顔を浮かべると、ぴょんとわたしの隣へやってきて、ぎゅっと腕を組んだ。わたしの頭に清光さんの頭が乗るが、重みはほとんど感じない。預ける体重の調整はしてくれているらしい。
「俺の主は最高ってこと!」
にこにこ機嫌よく言う清光さんの頭を背伸びして撫でて、次の部屋も頑張りましょうと言えば清光さんははあいと言ってわたしから離れた。
触れた腕や体は、人間と同じ熱があって、呼吸もしていて、くるくると表情も変わっていく。ごんのすけさんに次の部屋を聞いている清光さんは、わたしを振り返ると「こっちだって」と手招きをした。
部屋に入っては窓を開け換気をして、を繰り返しながら移動をしていけば、部屋、というよりも台所のような作りの扉の前にでた。
今まで見てきた部屋は埃があったりと薄汚れていたけれど、さすがに台所は大丈夫だろう。衣食住あったとして、掃除はまあそこまできれいにしなくても生きていけるけれど、食だけは怠っては生きていけない。
それに今も刀剣の方たちが何人かいらっしゃる。そう、きっと大丈夫。この部屋に近づいたら生臭くなにか腐ったようなにおいがしたけど、大丈夫のはずだ。
引き戸の下が何か黒い液体で固まっているのもきっと気のせいなのだと思う。
「……あの、審神者様」
「主……ここはあとでも……」
「いえ、大丈夫です」
「いえあの、無理はなさらなくても」
「わたし、衣食住をおろそかにするのっていやなんです。……いやなので、あけます」
マスクをもってくれば良かったとか、あとで政府に経費でいろいろな道具をそろえてもらおうとか。そんなことを考えながら、わたしは勢いよく台所へのドアを開いた。
「この部屋は絶対無理だって!」
「換気でどうにかなる状態ではないですね」
とにかく汚いの一言だった。虫はわいているし食べ物はくさっているし貯蔵庫からはありえないにおいがした。
かろうじて歩ける場所はあった。もちろんそれなりに汚れてはいたけれど、とんでもないところに比べるとまだきれいだったので、そこを一気に走って窓という窓をあけた。それでもにおいが流れていくことは無い。
冷蔵庫もあけて確認しようと思ったものの、よく見ると電気が通っていないようだったので少し躊躇してしまった。開けてはいけない、とわたしの本能が訴えている。
こういう場合は自分の本能には従った方がいいと相場が決まっているためあけるのは断念して、半泣きの清光さんとこんのすけさんが立ち尽くしていた廊下へと出て呼吸をした。けど、特ににおいがかわったわけではないし、なんなら廊下ににおいが充満している気がする。
縁側に面しているのが不幸中の幸いだろう。そのまま縁側の雨戸も開け放ち、はあ、と大きく息を吐いた。
「本丸の掃除よりここの掃除をしたほうがよさそうです。一番に」
「ここって厨でしょ……? 信じらんない……」
唖然という清光さんに、わたしも同じ気持ちです、とはさすがに着いてきている誰かのためにも言えなかった。俺って今まで主と幸せな場所に居たんだな……と呟く清光さんを横目に、わたしは審神者用だと政府の人がくれた端末をいじり、この本丸の担当部署へ電話をかけた。
まず冷蔵庫が必要なこと、掃除道具やいろいろな物品も必要なこと、この調子だと洗濯機も怪しいので洗濯機も必要なこと、荷物は台所に面した庭に置いてもらいたいこと等々を言って電話を切った。
すでにおいてある家電があるだろうと言われたのだけど、現状を伝えたうえで「使えると言うのであればぜひあなたがこれを使ってみてください」と言えばすぐに手配をするという返事をいただけた。うしろで清光さんがぱちぱちと拍手をして「主かっこいい!」と目をキラキラさせている。
それでも荷物一式が届くまでに一時間はかかるので、わたしはまた換気作業に入ろう、として、ふと思い立った。お風呂場はどうなっているのだろうか、と。
腐るものはないけれど水回りだ。カビがかなり発生している可能性もある。カビ対策としての物品もさっきの電話で頼んでいるし、デッキブラシのようなものも数本お願いしているのでとんでもないことになっていてもまあなんとかなるだろうけど……。
台所を掃除するまえにお風呂をなんとかしたほうがいいかもしれない。台所掃除の後は、お風呂に入らないと自分についたにおいもとれないし、洗濯もできそうにない。せめて状態だけでも見ておきたかった。
「あの、こんのすけさん。お風呂場まで案内していただいても?」
「わかりました」
「あと素朴な疑問なんですけど、刀剣の方たちの食事は、どうされていたんでしょうか。それに前の審神者の方も……」
「……それは」
「外に臨時のかまどを作ってあって、米と水は確保してるんですよ。――あの女は、俺たちの霊力で体をたもってました」
そう言ったのは、ついてきていた"だれか"だった。
急な声に驚いて声のしたほうを見れば、そこには血まみれでぼろぼろの恰好をした、わたしより少し年下に見える男の子が立っていた。
清光さんがわたしを守るように男の子とわたしの間に入ったけど、彼からは敵意はやはり感じなかった。
黒い長い髪をゆるくひとつにまとめていて、大きな紫の瞳はまっすぐにわたしを見つめている。男の子がわたしに話しかけてきたことよりもその恰好に驚いて息をつめながら思わず近づけば、清光さんに「主!」と腕を掴まれ、鋭い声で止められてしまった。
「でも、怪我を……」
「別に直さなくてもいいですよ。ずっとこうだし、今更直されても……」
彼の目はわたしに対してではなく、もっと別の誰かにたいして敵意を向けていることはわかる。けど――。
そこまで思って、ふと彼の足元を見てみれば、点々と続いている血痕。もしかして今まで移動してきたところ全部についているのだろうか。そう思うと、くらりと目眩がするような気がした。ああ、無理だ、今すぐに、迅速に、治させていただかないと。
思うが早いか、わたしは清光さんの手から離れつかつかと男の子に近づいて、彼の右手首をつかんだ。
一瞬のことに反応が遅れたのか、彼はびっくりしたようにわたしを見て、それからこんのすけさんが「ちょ、さ、審神者様!? 危険――」と叫ぶ。清光さんもいつでも刀を抜けるような格好ではあるけれど、近づいても手首を掴んでも、やはり敵意は感じない。
じっと見つめてみても、驚いた瞳のままだで敵意も、わたしを害そうとするような感情も何も伝わってこなかった。
「なおします」
「い、いらないって言っ」
「いいですか?」
拒否をする男の子の言葉に被せた自分の声が、思いのほか低くなった。それにわたし以外の三人がびくりとした気配も分かったけれど、我慢ならないのだから仕方がない。
「あなたが歩いて来たあとに血が落ちているんです。誰か掃除すると思ってるんですか! 血は落ちにくいし、廊下は板張りだから完全にきれいにはならないんです。それに見ていて痛々しいのでわたしの精神衛生上も治させてください。そうじゃないと掃除もままなりませんし板も削らないといけないんです。まさか畳の上を歩いてなんて……」
「ご、ごめんなさい」
言い終わらないうちに謝られてしまった。
怪我もひどい上になおさなくてもいいと言われて少し腹が立ったのは事実だけど、当たるような形になった。だめだ、おちついて。
うしろで清光さんがこんのすけさんを抱きあげて気配を消しているのは、怯えているからでは無いと思いたい。
すぐに「怒ってすみません」と男の子に頭を下げたら、彼は紫色の瞳をまんまるにしてからバツが悪そうに「いえ」と一言。
けれどさっきよりも随分柔らかい印象になっている気がして、今がチャンスかもしれないと思う。勢いのまま「手入れ部屋はどこですか?」とこんのすけさんに尋ねたら「こ、こちらです」と清光さんに抱き上げられたままこんのすけさんはぴょんとはねた。
そのあとの彼は大人しいもので、腕をひいているわたしについて手入れ部屋に入り、刀を渡してくださいと言うわたしに、すんなりと刀を渡してくれた。
さっきの啖呵もどきがきいているのか、彼の瞳には敵意やそんなものではなく、わたしへの興味がわいているのがなんとなく見て取れた。単に毒気を抜かれただけなのかもしれないけれど。清光さんは変わらずに警戒をしてくれているようで、ピリピリした空気は感じていたものの、刀をわたしへ渡す頃には完全に警戒は解いていたようだ。
受け取った刀は刃こぼれをしていて、素人目にもわかるほどにぼろぼろになっていた。ともすればすぐに崩れ落ちそうなそれを丁寧に手入れしていく。普通の手入れではなく、わたしたちが施す手入れは霊力を使うものなので、きちんと元の形に戻るのだそうだ。
しばらく後、わたしが手入れしていた刀はきれいに元の姿に戻っていた。ほっと息をついて、ずっとわたしの様子を見ていた彼に刀をかえせば、驚いたように「あ……」と小さく声を出して彼は刀を受け取ってくれた。
さっきまであった怪我もなくなっているし、服は破れたままだけど血ももう滴っていない。刀が本体であるために、彼らは傷ついても肉体への手当では意味が無いというのを見せつけられた気分だった。彼のように、ボロボロの体の刀剣男士がまだ複数いるのだと思うと気が沈むような気がした。
政府からの荷物もまだ届いていないようだし、とりあえずお風呂場確認に行こう、とわたしは立ち上がった。
血液もふきとるだけふき取っておきたいけど、とにかくこの本丸にあるものがよくわからないから荷物が届くのを待つしかない状態だろう。
「お風呂場確認に戻りましょうか……。まだ荷物はきてませんよね」
「は、はい。まだもう少しかかると思います」
またこんのすけさんに道案内を頼んで手入れ部屋を出れば、彼もハッと気づいたようにわたしと清光さんのあとをついてくる。今度は隠れずに、そのまま。
いったいなんなのだろうかと思ってちらりと顔を見てみるけれど、今度は敵意も興味もなくなり、なにかを考え込んでいるようだった。
けど、特に害もないし、入ってはいけないところも教えてもらえるのだろうからとそのままお風呂場へ行くことに。清光さんに至っては、少し不服そうで「そうなるよねえ」などと呟いている。
お風呂場へつけば、そこは思っていたよりもまともな状態だった。カビもひどいししめったにおいはするものの、使っているのか思っていたほどひどい状態ではない。
「厨見ちゃってるから、汚いのは汚いけどこんなもんかって思っちゃうよね」
「そ、そうですね……」
清光さんの言うことは最もである。
それでも刀剣の人たちが残っているのだから当たり前といえば当たり前なんだろうけど、それなりに、使える状態ではあるのだ。
でも台所よりもこっちを先に掃除してしまって、それから台所を掃除したほうがきっといい。台所掃除のあとにお風呂に入らないといけないことを考えても、そっちのほうが絶対にいい。
「審神者様、荷物が届いたようです」
「あ、わかりました。……とりあえず掃除道具を持ってお風呂掃除ですね……」
カビが根強く残っているようだし、数時間はみておかないといけない。まだ朝の早い時間でよかったと本気で思った。
お風呂場の掃除は、思っていたよりもずっと早くに終わった。結果として、男の子も手伝ってくれたから、なのだけど。
まずは浴室からやろうと思って長靴にゴム手袋にカビをキラーしてくれるものにマスクにと万全の態勢で挑んで掃除をしていたら、わたしがすべって転んだのを見かねた男の子があわてたように飛んできてわたしを助け起こしてくれたのだ。
こんのすけさんはにおいがきつくてお風呂場には入れないと、脱衣所のほうで清光さんとぞうきんがけをしてくれていたのだけど、清光さんが彼を止める声も聞こえなかった。
けどやっぱり少し不服そうな表情ではあるのだけど。
わたしを助け起こした男の子も、わたしを助け起こしながら驚いたように紫色の目を真ん丸に見開いていて、自分の行動に驚いているようだ。
「あ、ありがとうございます……」
「……なんで……」
「それとあの、床にはまだ何もしてないですけど、たぶん裸足では入らない方がいいと思います」
足の裏がすごいことになるので、と付け加えたら、彼はハッと気づいたように立ち上がって、だけど下手に動けないのか固まってしまった。
困ったように私に視線を送ってくる彼に苦笑をして、とりあえず予備に買っていた長靴と、濡らしたタオルを持ってきて「わたしにつかまって、足をあげてくださいね」と言えば、おそるおそる彼はわたしの肩へ掴まって、足を片方あげてくれる。
まだカビをキラーするものをまいていないとはいえあまりきれいな床ではないから、足を拭いてから長靴をはいてもらおうと思った意思が伝わったんだろう。
「くすぐったかったらすみません」
「え? ……くっ、ふ、うっ……!?」
「ふふ、くすぐったいですよね」
身を震わせる彼が、なにかをこらえるように目を閉じた。なんだか一時間ほど前とは全くの別人みたい、なんて思いながらも足を拭いて長靴をはいてもらうと、またさっきとは別人みたいな表情をして困ったように笑う。
最初の雰囲気よりもずっと柔らかい表情の彼は、それでも困ったような笑顔のまま「変な審神者だなあ」と一言言った。
「ええと、すみません」
「加州さんも言ってましたけど、歩いたあとが全部きれいになってくみたいです。手入れしてもらったから、よく分かるようになりました」
「……?」
誰の? わたしの? そう思って自分を指差すと、ひとつだけ彼は頷いた。
「俺、ほんとはみんなの偵察のつもりで来たのに、今までみたことのない人でつい姿を見せちゃったし、あげく血の掃除が大変だって怒られて手入れまでされたのなんて初めてです」
「……ええと、す、すみません」
なんとなく責められているような気がして肩を小さくすると、彼は今度は面白そうに笑う。そういうつもりじゃありませんよ、とからりと言った。
「何人かここには来たし、またあんなのだったら追い出そうと思ってたんです。それに、女の審神者なんて。……けど、ああ、なんて言うんだろ。手入れされた時の力っていうか、質がきれいで、俺、おかしくなっちゃったのかも」
おかしくなっちゃったのかも、なんて言うわりには楽しそうに笑っていう彼に、わたしは首をかしげた。
ええと、どういうことなんだろうか。カビをキラーする液体を壁に巻き散らかした浴室でする話でもないような気がするんだけど……。においもすごいし、マスクをしていない彼にはかなりの刺激になると思うのに。
「俺ちょっと報告してきます!」
「え?! ……あ」
言うなり、彼は長靴をはいたまま浴室を飛び出していった。それを追いかけることもできずに唖然と立ちすくんでいたら、清光さんとこんのすけさんが脱衣所のほうからひょこりと顔を出してわたしを見る。
少し白い毛が汚れてしまっているけれど、どこかこんのすけさんも嬉しそうに目を細めていた。
「……長靴のまま行ってしまいましたけど……」
「主の力って俺たちたらしなのかも」
「え、ええ……?」
「審神者様のお力に触れて、よほどうれしかったのでしょう。……彼は手入れを受けたことがありませんでしたから」
「え……」
手入れを受けたことがない? この本丸は、それなりに長い時間機能していたと聞いているのに。
じゃあ、彼は顕現されてからずっとあの傷のままいたということなんだろうか。そこまで思って、贔屓されていない刀剣は折れたまま、ではなく、折れるまで、酷使されたのだろう。
その中でも彼は、折れなかった刀剣だったのかもしれない。そして折れた刀は供養されることもなく、ただどこかに隠されている。
「……早く、見つなきゃ……」
そんなのはあんまりだ。主と思っている人間に折れるまで戦わされ、そのあとも放置されるなんて。
けど今日は見つけたいよりも掃除をして自分の住居スペースを確保したいし、なにより彼に今日は探さないと言ってしまった。監視のためについてきていたのにわたしから離れたということは、お風呂掃除をしていろということなんだろうし。
「とりあえず居住スペースだけは確保しましょう、清光さん、こんのすけさん!」
「はあい」
「はい、わかりました」
とりあえず、今日一日でなんとか掃除だけでも終わらせないと。
戻る.