日焼けをしないためにと以前ヤローからプレゼントされた、ステラには少し大きな麦わらぼうしを肩にひっかけたまま、ステラは突き抜けるような青空を見上げた。
 広大な大地に広がる畑や牧場に、ううんと深呼吸をする。
 それほど日差しも強くないためにぼうしは被っていなかったが、ヤローに見つかれば優しい顔で怒られるのは目に見えていた。体が弱いのだからせめて日陰に入ってほしい、と。

「いい天気……」

 ステラがこの世界にうまれ、十九年が経とうとしていた。いつもの例に漏れず親はなく、農家の夫婦にひろわれ、その家のきょうだいたちと仲良く育ててもらったのだ。
 いつもと違うことといえば、ステラの中にいる精霊の声が一切聞こえないことなのだが、十九年この世界で生きてきて魔術を使う場面もなければ、そもそもこの世界にはそんな概念が一切なかった。
 代わりなのか不思議な力のようなものはすべて、この世界にいるポケモンという動物に向かっているようなのだが、精霊の声が聞こえないステラには、力の流れやこの世界の何かを感じることは難しいのだ。
 おまけに珍しく、というよりも何度も繰り返す生の中ではじめて「体が弱い」ということも体験している。
 と言っても風邪をひきやすかったり体調を崩しやすかったり、その程度ではあるのだが。
 そのため無茶も無理も拾ってくれた両親、というよりも、その息子である、兄のように慕っているヤローに止められるため出来ず。
 まあたまにはのんびり生きてのんびり死ぬのもいいか、というなんとも楽観的にステラはこの世界で生きていた。
 動きにくいからといつも短くしてしまう髪も、こちらもヤローの「長い方がステラらしくて可愛い」という発言により腰あたりまで伸ばし、畑の手伝いをしている時はひとつの三つ編みにして背中に流していた。

「ワン!」
「あ、ごめんなさい、ごはんですね」

 胴長短足というなんとも愛らしい容姿をした犬──のようなポケモン、ワンパチがステラの足元でぶんぶんと短い尻尾を振りながら鳴いた。
 時期になればジムミッションにも駆り出されるかしこいポケモンだが、こうして普段生活しているとどうしてもただの犬にしか見えなかった。
 ただポケモンは普通に可愛がるだけの動物ではなく、戦わせてリーグを勝ち抜いていったり農業を手伝わせたり発電ができたりと、多種多様である。このワンパチも戦わせることはあるものの、基本的に農業手伝いやジムミッション手伝いに駆り出されることが多い。
 そもそもこのワンパチはヤローのワンパチのため、ステラが戦わせたりすることは皆無なのだが。
 撫でるためにしゃがみこめば、ワンパチは嬉しそうにステラの膝に前足を乗せ、ステラの頬をぺろぺろと舐めた。

「行きましょうか」

 何匹かワンパチはいるのだが、家の手伝いをしているステラについてまわるのは一匹だけだった。同じワンパチがついてまわるわけではなく、毎日ちがうワンパチがステラのあとをついてまわっているのだが。
 どうやらワンパチたちの中で当番制でもあるらしく、それはこの数年間ずっと守られている。
 この世界に生まれたステラは、精霊の声が聞こえないことと、体が弱いことと、もうひとつ、ポケモンに異様に好かれるという謎の体質をもってうまれていた。
 いいのか悪いのかわからない体質ではあるが、幼い頃キテルグマの群れに囲まれた時はさすがに死を覚悟したこともある。
 野生のポケモンですらステラを見掛けると友好的に近づいてくるため、こちらもヤローが過保護になる要因ではあるのかもしれないなとステラは最近になって思い至ったのだが。
 そもそもステラがポケモン勝負をしても、勝負にならない。ステラの使うポケモンは、いつも以上にやる気になり、そして相手は攻撃するのを躊躇する。どんなに絆が強くても、相手のポケモンはステラのポケモンに攻撃するのを躊躇するのだ。
 それも体質が要因のようなので、残念そうに、ジムトレーナーになってほしかったとヤローが言うのを、いつも聞くだけで終わっている。

「カイリュー」

 ばさばさと羽音をさせて空から降りてきたのはカイリューだった。唯一のステラのポケモンではあるが、ガラルでは珍しいとされているポケモンだ。以前ステラの体質を見かねた、カントーからやってきたという人にもらったミニリュウである。
 カイリューはちらりとウールーたちのいる牧場のほうを見ると、ステラをじっと見つめる。
 ヤローの所在がわからないからとジムトレーナーたちに尋ねられていたのだが、カイリューに探してもらったところどうやら牧場のほうにいるらしい。またウールーでも追いかけているのだろうかと思うが、それもいつものことなのであとで行けばいいかと思う。

「ありがとうございますカイリュー。とりあえずワンパチたちにごはんをあげてからですね」
「わふ」

 ジムミッションで使うウールーたちの日々の世話もヤローの仕事のひとつだ。農業やらポケモンの世話やらをこなしながらジムチャレンジの時期はジムリーダーもこなし、日々自分やポケモンの鍛錬も怠らない。毎日忙しそうにしているもののほがらかに過ごしているヤローの手伝いやサポートをするのは、最近のステラの楽しみでもあった。
 ジムトレーナーにこそなれなかったが、ジムチャレンジ時期は雑用をこなしたり、ジムでの仕事が多くなる。もちろんそればかりしていては家業のほうが手が回らないため家の手伝いは変わらずしているのだが。
 ワンパチたちにポケモンフードを与え、食べ終えたのを見てからのんびりとステラは立ち上がる。それを見て、先程ついてきていたワンパチが慌てたようにステラの足元へとやってきた。

「休んでいて大丈夫ですよ。もうカイリューも戻ってきましたから」

 カイリューがそのステラの言葉に高く鳴くと、ワンパチは少し不満そうに、けれど食後であるため眠気に耐えられそうになかったのか渋々ワンパチたちが集まっている部屋の中へ入っていく。
 またあとでボディガードをお願いしますね、とステラが言えば、わん!と元気な返事が返ってきて、ステラはふふ、と小さく笑った。
 のんびりと過ぎていく時間を、ステラはそれなりに楽しんでいた。戦うことも無く、命の危険──はないわけではないが、命のやりとりをするわけでもなく。

「この世界が最期ならいいのに」

 ぽつりとこぼした言葉だったが、近くにいたカイリューが不安げにステラを見つめ、それからこつんと頭をステラへとすり寄せる。
 それにステラは申し訳なく思いながら、大丈夫だという思いをこめてカイリューの頭を撫でてやる。
 人の話す言葉の意味をほとんど理解出来るポケモンたちだ。ステラの今の言葉も正しく理解したのだろう。悲しげなカイリューに「ごめんなさい、なんでもないんですよ」と言って抱きしめてやれば、カイリューはふと思い立ったようにステラの手を引き建物の外へと飛び出すようにして出た。

「か、カイリュー?」

 ステラが小柄なこともあるし、それでなくとも体格差のあるカイリューである。足をもつれさせながら外へと出れば、カイリューは流れるようにステラを背に乗せて空へと飛び上がった。
 ばさばさと間近でする羽音に、びゅう、と耳元を切っていく風の音。それに叫び声にもならない声を上げたステラだったが、カイリューはぐんぐんと上へ上へと飛んでいく。
 別の世界であれば特に怖がる高さではないのだが、精霊とも喋れず術も何も使えないとなればあまりにも心もとなかった。落下だけは避けたいところである。えげつない死体をターフタウンの人達に片付けさせるのはあまりにも非日常だ。

「カイリュー、どこまで……!」

 さすがに上空に行けば行くほど寒くなってくるが、カイリューはギリギリ凍えない程度の場所で止まると透き通る声で高く鳴く。
 空飛ぶタクシー──アーマーガアでもさすがにこの高度までは来ないだろう場所ではあるが、ステラはそろそろとカイリューにしがみついていた体を離し、眼下に広がる景色を見やった。
 見えたのは青空と、ターフタウンの広がる畑と牧場だ。ターフタウン全てが見えていて、遠くにはエンジンシティやワイルドエリア、ナックルシティが見えていた。

「わあ……」

 空飛ぶタクシーを使ったこともあるし、カイリューが来てからは専らカイリューの背に乗って移動することも多かったが、街の少し上を飛ぶ程度なため雲のすぐ下ほどの高さで地上を見下ろすのは、この世界では初めての経験だった。
 金色の小麦畑に、緑に生い茂った草をはむ、ぽつぽつと見えるウールーたち。まるで一枚の絵画のようなそれに、ステラはため息をこぼして食い入るように地上を見つめていた。きれい、とこぼしたそれにカイリューが満足気に喉を鳴らすのを聞きながら、ステラはカイリューの背をぽんぽんと撫でてやる。
 ステラの元気がないと思ったのか、なにかを伝えようと思ったのかはわからなかったが、それでもカイリューがステラを思って空に連れてきてくれたことだけはステラにもわかった。

「不安にさせるようなことを言ってごめんなさい、カイリュー」

 言えば、カイリューはやはり不満げにステラを見やると何度か、やたらと大きくばさばさと羽を羽ばたかせた。ぐらりと揺れたものの落ちるようなものではなく、ステラはふふ、と笑うとカイリューの後ろ頭に自分の額をくっつける。

「ありがとうカイリュー。素敵な景色を見せてくれて」

 今度こそカイリューは満足気に鳴くと、ゆっくりと空の上を移動しはじめた。まだ降りるつもりはないらしく、空の散歩にでも行くのだろうとステラはそっとカイリューの背を撫でてやる。
 しばらくそうしてのんびり空の散歩をしていたら、少し遠くから「ステラー!」とステラを呼ぶ声が聞こえてきた。
 間違っても地上から聞こえるような距離を飛んでいるわけではない。今ステラがいるのは、アーマーガアすら来ない高さの空である。
 そうなると飛べるポケモンに乗っている誰かなのだが、ヤローはそらをとぶポケモンは持っていなかったはずだ。となると誰なのか。
 きょろきょろとステラがまわりを見回すと、少し遠くに赤い何かが見える。それはどうもポケモンのようで、その赤い何かの上には黒いものが乗っていた。

「あれは……」

 カイリューは何かが近づいているのに気づいてからその場で留まり、それが近づいてくるのをじっと待っているようだ。ぐるぐると喉を鳴らすカイリューが警戒していないため、カイリューにとっても顔見知りらしい。

「ステラ!」
「──ダンデさん」

 しばらくじっと見ていたら、かなりの速さで近づいてきたにも関わらずそれはステラの前でゆるやかに止まると、満足気に低く喉を鳴らす。見慣れたそのポケモン──リザードンに乗っていたのは、こちらも見慣れた顔であるダンデだった。
 明るく笑うダンデは、まわりを見回すと「かなり高いところまで来たんだな」とからりと笑う。

「カイリューが連れてきてくれたんです。ね」

 言えば、カイリューは嬉しそうに高く鳴く。それにダンデが目を細めるように笑うが、ふと気づいたように「そうだ」と地上を見る。
 ステラが首を傾げるのを見たダンデが、肩を竦めて「ヤローが心配してたぜ」と一言。

「……あっ! わ、忘れてました……ヤローさんを探しに行こうとしてて……」

 そのままカイリューと空に来てしまったのだ。ステラの一言がきっかけではあったのだが、カイリューもヤローのことは忘れていたらしく申し訳なさそうにしている。
 すぐに戻らないと、とステラが慌てた様子でカイリューに言うが、カイリューは渋る素振りを見せた。それにステラが困ったようにカイリューの名前を呼ぶが、カイリューはステラではなくダンデをちらりと見る。
 その視線に気づいてか気づかずか、ダンデは「大丈夫だ」と一言。

「ヤローなら見つかったしトレーナーたちも用は済ませたみたいだったぜ」
「そ、そうですよね……すみません、ありがとうございますダンデさん」

 申し訳なさそうに言うステラを、じっとダンデは見つめる。が、すぐにステラが耐えきれなくなり、そういえば、とダンデに声をかけた。

「ダンデさんはどうしてターフへ?」

 今はジムリーグの時期でもなければ、特に何もない時期である。農作業に精を出せる時期といってもいい。もちろんヤローはリーダーとしての雑務──仕事もこなしているため何も無い訳では無いのだが。チャンピオンのダンデともなれば忙しさはリーダーたちの何倍かはあるだろう。
 ダンデはステラの質問にしばらく考え込んだ後、にやりと青空を背にして、太陽みたいに笑うと帽子をぎゅっとかぶり直す。

「ステラを空の散歩に誘おうと思って来たんだ!」
「え、ええ?」

 子供みたいに笑うダンデに、きょとんと首を傾げてしまった。が、すぐにダンデは「そうだったな、リザードン!」と相方へ尋ね、その相方であるリザードンも肯定するようにぐるると喉を鳴らす。

「で、でもダンデさん、ヤローさんは」
「心配しなくても夕方までに帰ればいいだろう。ステラも子供じゃないんだ」
「それは、そう、ですけど」
「今日の仕事がまだあるのか?」

 聞かれ、ステラは首を横に振る。ステラの仕事はそんなに体力を使うものでは無いし、もうほとんど終わってしまっている。あとやることといえば、ヤローのジムリーダーとしての事務仕事を少々手伝う程度だが別に急いでやる必要はないものしかのこっていない。
 なら問題ないな、とダンデは言うと、カイリューに目配せをしてリザードンの首をそっと撫でる。

「行こう、ステラ。今の時期ならワイルドエリアにきれいな花が咲く場所があるんだ」
「花……」
「リザードン、頼んだぜ」

 その言葉にリザードンは任せろ、と言わんばかりに鳴くと、ゆるゆると高度を下げ始めた。それにならいカイリューもゆっくりとワイルドエリアに向かって下降をはじめる。
 そういえばダンデは方向音痴だったことをふと思い出し、リザードンがきちんと花の場所を覚えていることにステラはふふ、と笑を零した。

「ああ、それがいいな」
「え?」
「そうやって笑うほうが君は似合うぜ」

 さっきと同じ太陽みたいな笑顔で笑うダンデに、ステラは思わず自分の頬を触っていた。表情に出していたつもりは全くなかったのだ。取り繕うことは今まで繰り返してきた人生で得意だったはずなのに、と思うが「すみません」と一言謝罪するだけですませる。

「ヤローならおれよりもっと心配するはずだからな。少し気晴らしは必要だろう?ステラ」

 言われて、確かにヤローならステラの変化にはすぐに気づくだろうと思う。体調が悪いのを隠していてもヤローは必ず気づいてステラをベッドへと押しやってしまう。隠し事をしていてもヤローには気づかれてしまう。となれば、今ステラが少し元気がないことは、簡単に気づかれてしまうだろう。優しい兄のような人にそんなに心配をかけるわけにもいかない。

「そうですね。……ダンデさん、リザードンも。エスコートお願いします」

 笑ってステラが言えば、ダンデの「任せろ!」という返事と、リザードンのぐるる、という鳴き声が重なった。


20200319

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