「また来たの、エリオット」
「うん、マリアに会いに」
支援課のビルに入れば、呆れたように頬杖をついて椅子に腰掛けているマリアがこちらを見ていた。僕が来るのがわかっていたようなそのその表情は、呆れと諦め、それにどこか楽しそうな色が滲んでいて、少しだけ嬉しくなる。
本を読んでいたのか、テーブルの上には栞を挟んだ本が置いてあった。
銀色の、ゆるく巻いてある髪に青い瞳。片目は眼帯で見えないけど、本人に目を見せてほしいと言うわけでもなく今まで過ごしてきている。
ランディやロイドに聞いてみると支援課の中では眼帯をつけて過ごさないことがほとんどらしく、なるほど僕がまだ信頼に足る人間じゃないんだなと思うと俄然会いに来る頻度も上がってしまうわけで。
決して警備隊が暇な訳では無いしミレイユのそばにも居たいけど、それでもマリアに会いに来ないという選択肢は僕の中にはなかった。
最初こそ他人行儀な態度だったけど、最近の少し打ち解けて話してくれるようになった笑顔だとか、言葉遊びだとか、少しずつでも近づいていることがわかって嬉しいのだ。それこそ挨拶程度で、顔見知りだからとランディに僕を押し付けてどこかへふらりと行ってしまうことが多かった。
妹を探してる、というのはマリアには最初に言ってある。マリアがそうなんじゃないかということも。ことあるごとにかわされてきたけど、僕もとりあえずはマリアがどんな子なのか知りたくて、妹であってもそうでなくても、とにかくここへ通っていた。
でも関われば関わるほどにマリアは繊細だし、不器用だし不安定だし。夜中に仕事の都合でクロスベルに来た時に、ビルの屋上にいるのを見て満足に寝れてないのにも気づいてしまった。
目が離せない存在になってしまってから、余計に手をかけたくなって、気になって、放っておけなくなって。
器用そうに見えるのに、その実この子はとても不器用だった。とても不安定だった。セルゲイさんに尋ねてみるとはぐらかされたけど、それでも前に比べると今のほうがずっとマシなのだと言う。やっと"人らしく"生きようとしてる、と。
マリアの前に座って「こんにちは」と言えば、マリアは眉を下げて少しだけ困ったように笑って「こんにちは、お仕事お疲れ様」と言ってくれる。前はこんな会話すらすることは珍しかった。
「マリアは今日は?」
「留守番組よ。ロイドから通信が入るはずなの」
「なるほど。僕からしたらマリアがいてくれて良かったけどね」
笑顔で言えば、マリアは「暇じゃないんでしょう?」と少しだけ心配そうに僕に向かって言う。空色の瞳が少しだけ労わるように細められるのを見て、胸の奥が暖かくなるような気持ちになった。
「マリアに会う時間くらいならいくらでも作れるから」
「それであなたが無理をしたら意味がないじゃない。ミレイユだって妬いちゃうんじゃないかしら」
「これくらいで妬いてくれるならいいんだけどなあ」
ミレイユの名前を出されて驚くものの、そこはうまくかわしておく。妹に会いに行くと言うくらいで妬いてくれるようだったらいいんだけど、むしろ行ってあげてと背中を押されるのだ。もちろんミレイユのために時間をとることも忘れていないので心配はしなくても大丈夫だと思う。
「妹に会いに行くってちゃんと言ってあるから」
マリアにたいして妹、という単語を久しぶりに出したような気がする。いつもであれば「認めてないわよ」と苦笑が返ってくるのに、今日はその言葉も苦笑も返ってこず。じっと真剣な瞳で僕を見つめる青い瞳は、しばらく僕を見つめたまま動かなかった。
「……家族って、どんなものなの?」
「え?」
「私は家族と呼べる人が居たことはないの。セルゲイや、ガイや……アリオスもかしら。家族と呼ぶには近いんでしょうけど、少し違うでしょう?兄みたいであって、そうじゃないもの」
何かを試すような。何かにすがるような。捨てられた子猫みたいな表情のマリアが僕を見ている。家族ってどんなものなの?なんて、本当の血のつながりがある両親と暮らしていなかった僕も本来の意味ではわかってはいないかもしれないけど。
「僕も本当の両親とは物心つく前に離れたから、そういう意味のことはよくわからないけど……」
言った瞬間、マリアのひとつのひとみが歪んだ。ああ、違う。そういうことが言いたいんじゃなくて。
マリアと一緒に村から出て、僕を伯父夫婦へ預けた両親を恨んでもいないし、マリアを恨んでいるわけでもない。
むしろ生きてくれていてよかったと、心底から思っているくらいなのだ。そういう意味じゃないよ、と優しく言えば、マリアは「分かってるわ」と、苦笑をした。
「少なくとも、セルゲイさんとマリアは、ちゃんと家族に見えるよ」
「……」
思わぬ言葉だったのか、マリアがおどろいたような表情をする。けれどくしゃりと、年相応よりも少し幼く見える笑顔でマリアはわらった。
初めて見るその笑顔に、今度は僕の心臓がぎゅっと掴まれるような感覚になった。仲間や、他人に見せるような表情じゃない、少し無邪気にも見えたその笑顔が。
「ふふ、そうだといいわね」
「マリア」
「私、あなたの妹だってやっぱり思えないわ。……だって、過ごした時間があまりにもないし、足蹴く通ってもらってもやっぱり私には返せるものがないもの」
それは否定の言葉ではなかった。かといって肯定する言葉でもなかったけど、今までのような、否定しかないだけの言葉ではない。マリア本人も戸惑っているのか、探りながらの言い方だったけれど、そこには彼女の本音があるような気がした。
「別に何か見返りを求めてるわけじゃないし、僕はマリアがどんな子か知りたいだけだからなあ」
「それも分かってるのよ。……本当に、エリオットはお人よしすぎるわ。冷たくしたって会いに来るし……私のこと、本当に最初から"異性"として見ないんだもの。……気が抜けて、安心できちゃうのよ」
最後の台詞は小さな声だったけど、二人しかいないこの空間ではよく聞こえた。少し不貞腐れたような、認めたくないような。そんなものを含んだ声に、なんだか心底この子が可愛くて。
ロッジで何をされていたのか、なんていうのは聞いたことはない。けれど察することはなんとなくできるような気がした。
見た目や表だっての性格に反して警戒心が強く、ひとりで出歩くことはほとんどない。そして異性、年上の男性を特に怖がる。
忌み子と呼ばれた赤ん坊は悪魔の魂を宿しているとされ、D∴G教団へと保護され、数々の実験を繰り返されてきていた。
非人道的なものばかりだっただろうそこで、何をされていたかなんていうのは想像に容易い。
「もう大丈夫だとは思うけど、あなたの探している妹は忌み子と言われていたんでしょう?実の兄であるあなたの身にだって、何かあるかもしれない、とは考えなかったの?教団の残党に何かされるとか……あなたの妹の両親のように、なる、とか」
青い瞳に、暗い色が落ちる。つまりつまりになる言葉に隠されているであろうその真意に、はっとした。彼女が頑なに僕を受け入れなかった理由のひとつに、僕という存在そのものがあることに。
血のつながりがあるからこそ、兄妹だと思えなくても"何かされるかもしれない"という危険がついてまわっていたのだ。
そしてマリアは、それを怖いと思ってくれていたのだろう。よく知りもしない人間である僕のことを、マリアは心配してくれていたのだ。
「マリアが僕を心配してくれてたっていう事実のほうが嬉しいよ」
「……エリオット」
呆れたように言うマリアに、ゆるむ頬をそのままに笑えば、マリアはしばらくじっと僕を見たあとに、諦めたように小さくため息をついた。
「そんなこと思いもしなかったし考えてもなかった。本当に。君とたくさん話すほうが優先だったし」
「……そうよね、エリオットはそういう人ね」
諦めた、とか、呆れた、とかよりもずっと優しくマリアは笑うと仕方のない人、と言って立ち上がる。「試してみたいことがあるから付き合って」と言うと、すとんと近くにあったソファへ座りその隣をぽん、と叩いた。隣に座っていいの?と聞くと頷いたので、少しうれしくなりながらも横へ座る。と、マリアはするりと眼帯を外して、そのまま目を閉じて僕の肩に頭を置いた。
目の色は僕からは見えなかったけど、それどころではない。
「ね、寝る?の?」
距離が近いだとか、甘えられてるんだろうかとか、眼帯を外しただとか。一気にいろいろなことがありすぎて焦る僕に、マリアは目を閉じたまま「そのままでいて」と言って、それきり黙ってしまった。
寝るつもりなのだろうことはわかったのだが、なんで急に? そもそも夜も眠れないこの子がこんな昼間から寝れる?
緊張はしないものの、何かを試されているんだろうことはわかるから、何も失敗しないようにと息をつい殺してしまう。それにマリアが「ふふ」と笑ったが、今度こそそれきりマリアは反応することはなく。
しばらく口を押えたまま固まっていたら、マリアは規則正しい呼吸をしはじめたようだった。
どうやら本当に眠ってしまったらしい。
その事実に、僕の胸に言いようのない感動と衝撃が押し寄せた。叫び出したいような気持ちになって、けれど起こしては事だと呼吸すら静かにしてしまった。
まるで懐かない猫に懐かれたような、警戒心の強い仔猫がはじめて隙を見せてくれたような。そんな気持ちになって、ふと気づく。
この子にとって、この行動がどれだけ意味のあることなんだろう、と。
信頼してもいいと思ってくれたのだろうか。眠れない夜を過ごす中で、僕のそばでは眠ってもいいと、安心ができると思ってくれたのだろうか。
ロッジで酷い目に遭いながら過ごしていたことを思うと、言葉にはマリアはしないけど、僕のそばで眠るということはかなりマリアにとっては大きな一歩ではないのかと思ってしまう。
何かあっても絶対僕がマリアを守るしかない、と決意をかため、僕はマリアの寝顔をひたすら眺めることにした。
マリアが眠り始めてから三十分程すると、急にマリアの通信機が鳴り始めた。
待ってさっき寝始めたばっかりなんだけど!? と体感五分くらいしか経っていない僕が思うと、眠そうにマリアが目を開けて、ぼんやりと視線をさ迷わせてから通信機のボタンを押す。
「はい。……ええ、そう。分かっ……え? ……そうね、少し寝てたみたい」
そういえばロイドから通信が入ると言ってたっけか、と思ってできるだけマリアの眼帯をしていない目を見ないように目を閉じる。
見られても良いと思って眼帯は外したのだろうが、だとしても勝手に見てもいいとは到底思えなかった。
しかも寝起きでぼんやりしているところを襲いかかっているようなものである。
「平気よ、エリオットが来ているから。……ふふ、分かった。待ってるわ」
そう言って通信を切ったマリアは、僕の肩から頭を離し目を閉じたままの僕を見てふっと息を漏らすような笑い声を上げた。
まだ少し眠そうではあるが、先程よりもしっかりした口調で、マリアは僕の服の袖を引く。
「ねえエリオット、今の私を見て、あなたは何を思うのかしら」
目を開けてほしいと暗に言っているそれに、僕はゆっくりと、恐る恐る目を開ける。
僕と同じ空色の瞳と、赤い瞳、銀色の髪をした女の子。
ある程度確信を持ってマリアと接していたものの、いざ、目の前できっと眼帯をしていないマリアがいると思うと、心臓が妙に跳ねるのを止められない。
けど、僕に声をかけたマリアの声は底抜けに柔らかく、どこか甘えるように袖を引く手に勇気をもらう。
ゆっくり目を開けると、僕の前で、僕と同じ空色の瞳と、赤い瞳をしたマリアがすっきりしたような笑顔で笑っていた。
なんだかその瞬間にじわりと胸に広がった感情が、そのまま僕の目からぼろぼろと零れて落ちていく。
驚いたように目を見開くマリアが僕の名前を呼んだけど、それに構わずマリアの両手をぎゅっと握りしめた。
びくりと体を揺らしたマリアは、だけど手を振り払うこともせず、心配そうに僕を見上げている。
その瞳の中に、怯えや恐怖は一切なかった。
「生きててくれてありがとう、マリア」
ただ、ずっと妹に会ったら伝えたかったのはそれだった。
もっと沢山伝えたいことはあったかもしれないけど、マリアと会って、マリアを知って、彼女という僕の妹に言いたいことを考えた時、僕の中に浮かんだのはその言葉だけだったのだ。
それを聞いたマリアは、やっぱり驚いように目を見開いて、けれどすぐに眉を下げて少しだけ泣きそうな顔をして笑った。
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