遠くの空が明るみはじめたのを見ながら、小さくため息をついた。予想していたとはいえ、眠れない日が続いている。日付を過ぎて少しくらいまではロイドがここにいたけど、さすがに眠くなってきたのかあくびが目立ち始めたから部屋に帰らせたのだけど。部屋に戻ってすぐにロイドは寝たようで、今もぐっすりと眠っている"音が聞こえる"。
もちろんロイドを帰らせて「私も10分くらいしたら部屋に戻るわ」と言ったからこそロイドは部屋に戻ったんだろうけど、私が部屋に戻ることはなく。
支援課の屋上から、ずっとクロスベルの街を眺めていた。時々通るのは巡回している警察官や、外から戻ってきた遊撃士、それに荷物を運ぶ車くらいでほとんど中央通りには人通りはない。それでも日付を超えてすぐのころはまだ人気はあったのだけど、明け方にもなれば人はいなくなってしまう。歓楽街のほうはさっきやっとぽつぽつと電気が消えていって、今はだいぶ暗くなってしまっている。裏通りも同じく、だ。
こんな夜をもう何度過ごしただろうか。彼らがやってきてからはろくに寝ていない気がするけど、それでも時々セルゲイの部屋に忍び込んで眠ったりはしていた。もちろんセルゲイが起きる前に起きて部屋から出ていたけど、セルゲイは私が忍び込んで眠っていることにも気付いているだろう。
見知った人が、信頼する人がそばにいて、その息遣いを聞いていれば眠れる、なんて。自分でも本当にどうかしていると思う。けど、クロスベルに来て"ふつう"を知り、クロスベルに来るまでの自分の"異常"さに気付いた瞬間、じわじわと私は夜眠ることが怖くなっていった。うなされる、ということはほとんどない。ただ、一人で眠っているとどうしても思い出してしまうのだ。"異常"だったときの自分の扱いを。肌を這って行く汗ばんだ手だとか、息遣いだとか、体の感触だとか。
ロッジに居たころの私は、眠っているときに起こされることも少なくなかった。もちろん"実験"のために。幼い子供に施すにはあまりにも残酷で、信じられないような。そんなことを、一人でいると思い出してしまう。近づいてくる慣れない気配があると、どうしても眠れなくなってしまうのだ。
「寝れないか?」
昔のことを思い出して気分が悪くなりかけたものの、二階から"聞こえて"きた足音に、私はほっと息をつく。よく知った足音だった。今まで考えていたことが水に流れて消えていくみたいなその感覚に、クロスベルの街へ向けていた視線をドアへと向ければ、その足音は階段をのぼってだんだん近づいてきて、ぎい、と屋上のドアをあけて、私がここにいるのをわかっていたみたいに先のセリフを吐いた。
タバコを咥えたままゆるゆると屋上へやってきたセルゲイに、もう明け方よ、と柵へもたれかかったまま笑う。セルゲイは「その言葉おまえに返すよ」と気だるそうに言うと、私の横に並んでタバコの煙をふぅと吐いた。寝起きなのだろう、寄れたシャツや、慌ててなおしたのであろう髪、眠そうな様子のセルゲイに小さく笑って、私は段々と明るくなってきた空へと視線をやる。
「ロイドたちとは仲良くやれそうか?」
「……いい子ね、本当にそう思うけど」
彼らがいい人間なのは、ここへ来てよくわかった。なにか隠している人もいるのだろうけど、あのロッジにいた人間たちのことを思うと、私にとっては些細なことだった。私に危害を加えようとしないのなら、なんでもいいし、うわべだけじゃなく、きちんと四人とも話を聞いてくれるし、お互いの意見を尊重しようとしている。いい人間だと思う。ロイドなんて、さすがガイの弟だけはあると思うレベルに。けど、それと私が眠れないのはまた別問題であって。
知らない人間たちとひとつ屋根の下寝泊まりをする。男性もいる。否が応でも生活している音や声が私には"聞こえる"わけで。そんな場所で、恐怖も感じて落ち着けることなんてできるはずもなく。ここで聞いている限り、夜は遊びに行きこそすれ、深夜になると全員眠っているし、ランディなんて妙な寝言を度々言っているくらいだから安心してもいいと、頭ではわかっているのだけど。
「そのうち慣れるわ、大丈夫よ」
「少しでもいいから寝てこい、起きててやるから」
思わぬ甘やかしの言葉に、私はセルゲイを見て何度か瞬きをする。今でこそ減ったけど、私が眠れなくなってからはだいぶ甘やかしてもらった。今も充分に過保護にされているとは思うけど、起きててやるから寝ろと言われたのは何年ぶりだろうか。それこそ、ガイやアリオスと会ってすぐの頃以来かもしれない。最初はそれこそガイもアリオスも怖くて、彼らがそばにいると眠れない日が続いたのだ。まあ、ガイのあの性格に、不器用ながらも私に接してくれるアリオス。月日はかかったけど、いつの間にかあの二人も私にとっては信頼のできる人になっていたけど……。
「……随分甘やかしてくれるのね」
「顔色が悪けりゃロイドは気づくだろう。あれでちゃんと周りを見てる」
「そうね」
ガイの弟。ガイが大切にしてきたひとりきりの家族。何度も何度も、それこそ耳にタコができるほど聞いてきた自慢の弟。まさかこんなところで会うとは思ってなかったけど。さすがに余計な心配をかけるわけにはいかないのはわかる。夜中に一緒にいてくれたのも、きっと私の顔色の心配をしてくれていたのだろうし。一緒に話すことなんて、本当に他愛のないことばかりだった。最近あった楽しいこととか、好きな料理、嫌いな料理、得意な料理、一番腹のたったこととか。本当にそんな些細なことばかりをずっとはなしていた。ロイドが、私を気にしてくれていたからなのだろうけど。
一時間だけでも寝ていたほうが、そんなロイドに心配をかけなくてすむかもしれない。あれから寝なかったなんて気づかれたら、朝まで一緒にいればよかったとロイドは億面なく言うだろうし。全員の前で言いそうであらぬ誤解も受けそうだ。……ああ、まあ、誤解されても面白そうだけど。
「……セルゲイの部屋で寝てもいい?」
「好きにしろ」
ため息混じりに言われたそれには、呆れの色はあったけど、拒絶やそういったものは含まれていなかった。幼い子供のワガママを、言うことを聞いてやるような、そんな雰囲気を持っている。
タバコを携帯灰皿へおしつけたセルゲイを見て、私はセルゲイの背中を押す。行きましょ、とセルゲイを見上げていえば、セルゲイが仕方が無いなと言わんばかりにくしゃりと顔を歪めて笑った。寝起きでけだるそうではあるけど、その瞳の奥にあるのは心配だった。私を心配してくれていることがうれしくて、うれしくて、おもわず頬が緩んでしまう。ああ、この人のそばは安心する、なんて無意識に考えて。
私を性のはけ口として見ない。私を一人の女性として見ない。私で実験しようなんて思わない。本当に、娘か、妹のように思ってくれているのがわかるからこそ安心できる。セルゲイは家族のように私のことを想ってくれている。それがわかるのだ。もちろんそれはガイも、アリオスも同じだった。ガイに関しては――まあ、弟の嫁にきてほしい、なんて言っていたけど。
「ロイドを見ていると、ガイを思い出すわ。……顔は少し似てるかしら」
「ん?ああ、そうだな。性格は全然似てないだろう?」
「そうね。けど、ガイが自慢の弟だって言っていたのもわかる気がする。……本当に、いい子だってわかるんだけど」
「まあ、そのうち慣れるだろ」
他人に慣れるいい機会だと思えよ、とセルゲイは言いながら、屋上のドアをあけた。さっきよりもずいぶん明るくなった空を一度だけ見て、私もセルゲイへ続いて建物の中へと入った。
20170703
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