「屋根に女がいるみたいで」
ワジがそれをテスタメンツのメンバーから聞いたのは、零時を少し過ぎた時間だった。
テスタメンツも軌道に乗り、メンバーも増えてきたこの時期に一体なんだ、とも思うが報告をうけた手前確認しないわけにもいかないだろう。
まさか幽霊では、と言うメンバーも居るためそんな非現実的なことはないだろうとは思うのだが。
女、ということはサーベルバイパーでもないだろうと踏んで、ワジは一人で深夜の旧市街、屋根の上へと出てみることにしたのだ。
「今日は満月か」
外に出て一番に思ったのは、明るいな、だった。
どうやら満月らしく、月明りだけでも十分すぎるほどにまわりが見えるため、女を探すのには手間取らないだろう。
どこの屋根の上とは言われなかったため、手近な家屋のはしごからひょいと登ってみたが、少し遠く、それこそサーベルバイパーのたまり場であるライブハウス付近の屋根の上に動く人影が見え、あれかと気配を消して近づいてみることにした。
その人影は座り込んでいるのか先ほど動いたきり動く様子もなく、じっとしている。
まさか近所の子供が屋根に上がって降りられなくなっただけだろうか、とも思うが近づくにつれてそれが子供でもなんでもないことは分かった。
銀色の緩やかに波打つ髪に、同じ色の長いまつ毛。横顔も見えないが、ちらりと見える白い肌の女性が、まるで月からの迎えを待つように屋根に座っていたのだ。
顔も見えないのに恐ろしいと思うほどの美しさであり、まるで釘を刺されたように女性から視線が動かない。
触れてみたい、話してみたい、傍に行ってみたい、声を聴いてみたい、色々な顔が見てみたい。
すべてを暴いてしまいたい。
そんな暴力的な感情すらわいてくるほどに、ワジの心の中が"異常に"乱された。
理性の部分ではおかしいと分かっているのに、本能がその女性に対する感情を制御しきれないのだ。
まさか魔獣か何かだろうか、と思ったが、不意にその女性から「ここはにぎやかでいいわね」と声をかけられ、ふっとワジの体が動くようになった。
そこでやっと自分が金縛りのような状態になっていたことに気づくが、それよりも気配を消している自分の存在に気づく女性に、警戒を強める。
「そうかな。クロスベルの街中に比べたらずいぶん静かだと思うけど」
女性の視線はワジには合わず、ライブハウスをじっと見つめたままである。
賑やかというほどではない微かな音楽が漏れ聞こえてくるだけの、比較的に静かな空間でずいぶんおかしなことを言う女性だった。
もう気配を殺す必要もないため普通に、けれど女性に対する警戒は解かずにのんびりと近づいていくが、女性はワジを警戒するどころか背中を向けたままだった。
少し冷えた風が女性の髪を揺らし、銀色の髪を散らす。その様でさえ息を飲むほどにきれいだと本能的に思う。
触れたい、と訴える本能を理性でおさえつけ女性の右隣に立てば、やはり女性はライブハウスをじっと見つめているようだった。
不躾かもしれないが様子が知りたくて女の顔を立ったまま見てみるも、右目を顔の半分ほど覆うような黒い眼帯のせいで、顔のつくりはほとんどわからなかった。
細身の剣のようなものは持っているが、抜く気配はまるでない。
そしていくらワジ自身が少年とはいえ、隣に見知らぬ男が立ったにもかかわらず、女は警戒心をまるで持っていないようだった。
「ライブハウスに行きたいなら、ここはやめたほうがいいんじゃない? ここで暮らしてる僕がいうのもなんだけど、女性が一人で来るような場所じゃないよ」
悪い奴ではないし、ワジからしてみればかなり面白い人間だと思えるが、ヴァルドのところに一人で行けば食べられてしまうのがオチだろう。
しかも顔を見なくてもわかるほどに、後ろ姿や横顔だけでこれだけ揺さぶられるのだから余計に。
けれど女性はワジの忠告にくすくす笑うと「心配してくれるのね」と楽しそうに言った。
「大丈夫。前にヴァルドには少し注意をさせてもらったの。それ以来私に何かしてくることはなくなったわよ」
「へえ。彼に注意?」
知らず、面白いな、という気持ちが声に乗る。
それに女性もうふふと笑うと「そう」とやはりライブハウスを見つめたまま小さく言った。
「彼ら風に言えば……タイマンをはる?」
「戦ったのかい? ヴァルドと?」
ワジもすでに何回かやりあってはいるが、そう簡単に勝てる相手ではない。ましてや女性ともなれば、勝てるというビジョンすら見えない相手である。
思わず目を丸くすると、やっとそこで女性はライブハウスから視線をワジへとうつした。
面白そうに細待った空色の瞳は、月明りを吸収してその中に光が散らばっているような美しさで、やはり思うのは触れたい、という欲求だった。
独り占めしたい、触れたい、どこかへ隠さないと、誰かに奪われる前に。
一目ぼれというには乱暴すぎる感情の振れ幅に、似て非なるものではあるがワジ自身の過去の出来事を思い出さずにはいられなかった。
この女性ももしかしたら何かあるのだろうか、と。
そしてきちんと顔を見てみると、思ったよりも幼い印象を抱いた。同年代ではあるだろうが、少し年上らしい女性はワジの感情を知ってか知らずか目を細めて笑っている。
「ちゃんと勝ったのよ。ヴァルドが私に勝てたらなんでも言うことは聞いてあげるって約束して。そうじゃないならおとなしくしていなさいとも約束したけど」
「へえ? いうことを聞いたんだ」
「八回私が勝ったらさすがに認めてくれたみたい」
その間にもメンバーに注意したりもしたけど、とくすくす女性が笑いながら言う。
「それに今日の目的はヴァルドじゃないの。あなたよ、ワジ」
「僕? ずいぶん有名になったみたいだね」
名前を呼ばれたということに一瞬心臓がはねたが、ヴァルドと顔見知りならそれもおかしな話ではないだろう。
まっすぐに一つの瞳で見上げられ、なんとなくそれが落ち着かなくてワジは少し女性から距離はとったものの隣に腰かけた。
それには女性がびくりとしたようだったが、驚いただけなのか顔を確認すると先ほどと同じように面白そうに微笑んでいるだけだ。
「ヴァルドにもまた言うけど、テスタメンツとサーベルバイパーの小競り合いはせめて人目がないところでするように言ってちょうだい」
「え?」
予想の斜めどころか真後ろの発言に、ワジの思考が一瞬止まる。
てっきりヴァルドに手を出すなとでも言いに来たのかと思ったのだが、ワジの予想は外れてしまったようだ。
「ここは警察の巡回も少ないし、遊撃士だって喧嘩の仲裁や住民の保護のために人員をやれる状態じゃないでしょう? うるさいし巻き込まれそうって苦情が出てるわよ」
迷惑そうに女性が言うが、ワジはぽかんとしたまま動けなかった。
まさかそれを言うためだけに屋根にあがってワジを待っていたというのか。もし別の人間が来たらどうするつもりだったのか。
ワジだからこそ、暴力的な感情にもなんとか踏ん張れたが、もし別の人間だったら危険極まりないだろう。
と、そこまで思って、そういえばヴァルドに勝てる実力なのかと思い直す。
ヴァルドの性格的に手を抜いているわけでもないだろう。
それならそんじょそこらの人間に負けるわけもないか、と。
「君は警察官? それとも遊撃士?」
どうやら魔獣の類ではないらしいことが分かって、ワジもいつの間にか警戒は解いていた。
隣に座ってしまったあたりからもう警戒はしてなかったかもしれないが。
ワジの質問に、女性は肩をすくめる。
「どっちでもないわよ。都合のいい伝書鳩とでも思って」
「へえ、ずいぶん贅沢な伝書鳩だ」
言えば、女性はにっこり笑って立ち上がった。
すらりと伸びた手足と視界の中で揺れる銀色の髪。黒いひざ丈のワンピースは女性の肌をほとんど隠していて露出が多いわけでもない。
それなのに、笑みの形を作る形のいい唇に、またぐらりと本能が揺れる。
厄介だな、と思うもののそれも一瞬で、女性が「じゃあ伝えたわよ」と踵を返した瞬間にその暴力的な本能も霧散していった。
不思議なことに、女性の一挙手一投足にこの本能と理性は影響をうけるらしい。
「ねえ、名前は? 僕だけ知られてるのは不公平だと思うんだけど」
女性の後ろ姿に声をかければ、ぴたりと足を止めた女性が振り返る。
それはそうね、と小さくつぶやくと体ごとワジへと向けて「マリアよ」と短く言った。
「マリア、さっき言ってたヴァルドとの約束、僕ともしてよ」
「……え?」
急な申し出に、マリアの表情が驚いたまま固まった。
空色の瞳がまん丸になるのを見て、少しの優越感を感じてしまう。
「マリアのこともっと知りたくなったから。どう? 僕が一度でも君に勝てたらデートでもしようよ」
にこにこと笑うワジに、すっと何かを見定めるようにマリアは目を細めた。
考えに沈むマリアの返事をのんびりとワジが待っていると、ややあってマリアは「だまし討ちや不意打ち、一対一以外は禁止だけど?」と静かに言った。
「いいよ、ヴァルドと同じ条件で」
「私が負けなければ人目につかないところで喧嘩してくれるのね」
「メンバーには言っておく」
きっぱり言えば、マリアはしばらく考え込んでいたもののため息をつくと「のんだわ」と呆れたように言った。
何を考えているかわからない、と言わんばかりの表情にワジの機嫌は上がっていく。
「でもマリアに慣れたいから、しばらくは頻繁に会いに来てくれない? 僕が君に慣れるまでは戦ったりしないからさ」
暴力的な本能が現れるのは、マリアに慣れていないせいだろうと思っての発言だったが、ワジの言葉を聞いたマリアはぴたりと表情を固めた。
一瞬だけ怯えたような表情をしたものの、ワジの見間違いかと思うほどの一瞬でその表情は先ほどとは違う、少し圧のある笑顔に変わった。
「いいけど、"それ"、心の中だけにとどめておいたほうがいいわよ。私だって、あなたの事情に首を突っ込みたいわけじゃあないもの」
それはマリアからの牽制だった。ワジの素性も知っているが、首は突っ込まないから自分にも突っ込むな、と言外に言っている。
「あはははっ! いいねえ。クロスベルに来て本当によかったよ」
「あなた、その年と見た目によらず相当厄介な性格ね」
今度こそ呆れ声でそう言うと、マリアはひょいと屋根から地面へ飛び降りて、さっさと旧市街から出て行ってしまった。
翌日以降、マリアの時間が空けばワジを訪ねることが増え、ワジはかなりの短期間でマリアとの付き合い方も身に着けることができたのだ。
「っていうのがマリアと初めて会ったときの話だよ」
上機嫌に話すワジに、呆れたような視線を向けるマリア。
潰しあいの原因を聞きに来たというのに、事情聴取よりも長いマリアとの出会いの話を長々話され、マリアは呆れかえっていた。
ワジと出会ってから、ずいぶん仲良くはなったが何を気に入ったのか、マリアとの出会いの話を色々とぼやかしながらもマリア本人の前でするのはもう片手では数えられないほどになる。
ロイドたちは興味深そうにワジの話を聞いていたが、マリアからしてみれば「もういい」の一言だった。
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