これは夢だ。
薄暗い部屋の中、ろうそくの仄かな灯りがぽつりぽつりと揺れる空間に佇んでいるマリアは思った。
やせ細った銀色の髪をした子供が、マリアの前に座り込んでいる。
少し大きな正方形の部屋は石造りで、子供が座り込んでいるのは部屋の中央にある少し段の上がった床の上だ。
お情け程度に赤いカーペットは敷いてあるものの、マリアの記憶のせいなのかろうそくに照らされて揺れるそのカーペットへ落ちる子供の影はどこかどろどろした赤色のような気がした。
子供はぐったりとマリアに背を向けて座り込んでいる。
マリアは動きたくても動けず、視点が固定されたまま夢の中を動くことも、夢から起きることもできそうになかった。
(またこの夢)
うんざりするように思うが、やはり目を閉じることもできそうにないらしい。
眠れない日が続いていて、やっとうとうとしていたと思ったらこの夢である。
クロスベルへやってきて、保護をされてから頻繁に見ていた夢だ。
最近は見ることもなかったのだが、急に警戒をしなくてはいけない状態で生活することになってしまったのが原因だろうとマリアは思う。
それがロイドたちのせいとは少しも思っていないが、マリアは自分の情けなさに溜息をつきたくなった。
いつまで経っても自分はあの頃のまま変われないのか、と。
自分で目を覚ますこともできず、ぼんやりと子供の背中を眺めているとろうそくの灯りが届かない場所からすっと何人かの男が現れ、子供の前、段の下へ跪くように頭を垂れた。
「マリア様」
また男たちからの行為を受ける光景を見せられるのかと呆れに思う気持ちと、もう見たくないと思う気持ちでマリアは男を見ると、濁った目を男は子供ではなくマリアへと向けた。
瞬間、マリアの視点がぐるりと回転し、なぜか子供の視点に切り替わる。
ぞっと肌が粟立つような感覚になり、ぼろぼろやせ細った子供の体のマリアは、座り込んだままずるずると後ろへ下がった。
いつもと違う。夢の中の自分はいつだって第三者としてマリアを見ていたのに。
立ち上がることもできずマリアは壇上の上を下がって、そのまま後ろにあった壁にぺたりと背中をつける。
が、男たちは意に介した様子もなくべたりとした笑顔を浮かべると、背後からマリアとは違う肉付きのいい子供の腕を引きマリアの前へと横たえた。
じたばたと暴れ、泣き叫ぶ子供の目に浮かぶのは恐怖である。
大人の男数人に押さえつけられ、耳障りともいえる子供の叫び声にマリアは思わず耳を塞いだ。
けれど耳の奥にこびり付いたように子供の泣き叫ぶ声は鳴り響き、消えることも小さくなることもない。
「マリア様、今日は先にお食事の時間です」
ざらざらとした耳障りな男の声に、マリアの視界の隅でろうそくの灯りを反射した大きな包丁。
その包丁を男は握ると、子供の上で大きく振りかぶった。
「や、やだ……いらない、いらない……、やめて……」
子供の声にかき消され、マリアの声はどこにも届かない。
そもそもが夢である、マリアの思い通りにはいかないのだ。
当時のマリアにとって、この夢の内容は日常的なことであった。
何日かに一回子供が目の前に連れてこられ、マリアの前で命を絶たれる。
そして絶ったばかりのその血肉を、その場で食事としてマリアは口に入れられていた。
なんの疑問もなく、マリアはその地下奥深くで管理されていたのだ。
目の前で絶たれた命を食べるのは、マリアにとって当たり前のことだった。
最低限の生きるための肉を与えられ続け、実験の結果不必要になった子供──生贄を捧げるべき信仰の対象としてマリアは管理されていた。
子供の頃から人を惹きつけてやまないその体質に、ちょっとのことでは死なないからだ。
傷をつけてもすぐに治り、何日か眠らずとも、食べずとも、生きていける痩せた子供。
悪魔の魂を宿した子供。
「さあマリア様、どうぞ」
差し出される赤い肉に、マリアは叫び声を上げた。
「っ……」
飛び起きたマリアの視界に入ってきたのは、明々とあかりの着いている支援課ビルにあるマリアの部屋だった。
ドッドッ、と早鐘を打つ心臓をおさえ、息切れをする呼吸もそのままにまわりを確認するように視線だけをさ迷わせる。
誰もいないことを確かめ、自分の手も赤くなっていないことを確かめ、はあ、と大きく長くため息をついた。
ベッドとソファしかないような殺風景な自分の部屋を眺めて、うたた寝をしていたソファから立ち上がろうとしてその場に転ぶようにへたり込む。
ガタン、と大きな音がたったが誰かが起きた気配はなかった。
時刻は丁度深夜をまわった頃で、マリアが眠り始めて一時間も経っていない。
胃からなにかがせりあがってくるような感覚に口元をおさえ、その場で蹲る。
鉄の匂いが。肉の感触が。赤黒く染まる視界が。耳に残る叫び声が。
まるで今その場で感じたかのような感覚に吐き気を覚え、何度か咳き込むがせりあがってくる感覚だけで終わる。
それが余計に苦しくて、蹲ったままマリアは頭を抱えるようにしてその場で小さく丸まった。
結局朝まで部屋の隅で小さくなっていたマリアは、そのまま警察署へと任務のために行くことになった。
体調もだが精神面が削りに削れてどん底であり、見たくもない夢で吐き気はマシになったとはいえ治まってはいない。
血の匂いが、自分にまとわりついている気がしている。
そろそろ起きて朝のミーティングに参加をしないと、と身支度をするために鏡の前に立った時、まるで幽霊のような顔色だった。
大きな眼帯で半分は隠れ、見えている場所は化粧でなんとか誤魔化したためロイドたちには体調の悪さは分からなかったようでマリアは胸を撫で下ろしたのだ。
セルゲイもマリアの顔色の悪さには気づかなかったことに、マリアは心底から安心した。
保護された当初も、もちろん今もセルゲイがマリアを心配しているのはマリアはよく分かっていた。
これ以上余計な心配をかけるわけにはいかないと、情けない自分を見せるわけにはいかないと。
この体調でピエールに会うことにうんざりしそうになったが、警察署に近づくにつれて大きくなるよく知った声と気配に、マリアの気分は少し浮上した。
案の定副署長室に入ると、そこには聞こえた声そのままの人物がいて、支援課のメンバー一人一人に目をやってマリアと視線が会った瞬間に少しだけ驚いたように目を見開いた。
警備隊副司令であるソーニャ・ベルツからの任務は魔獣の調査だった。
捜査官であるロイドも居ることから、別の目線で調べて欲しいとのことである。
話半分にそれを聞きつつ、ピエールからの嫌味にも反論する気力もなかったが、ソーニャが部屋から出ていく直前、ぴたりとマリアの前で足を止めた。
眼鏡奥の厳しい視線が少し和らいだかと思うと、ソーニャはごそごそとポケットを探り始める。
それにピエールがおどおどとソーニャを呼ぶが、ソーニャは気にかけた様子もなくマリアの顎をぐっと持ち上げた。
それにざわついたのはこの場にいた全員である。後にエリィが薔薇が見えたわ、と言っていたがマリアにはよく分からなかった。
ソーニャはじっとマリアの顔を眺め、それから小さくため息をつく。その中にある心配そうなものにマリアは眉を下げた。
「酷い顔色ね、マリア」
セルゲイも気づかなかったそれに、目ざとく気づくソーニャにマリアはやはり困った顔で笑った。
女性同士であるが故に、多少化粧で誤魔化したところで騙せないようである。
「……そう? いつも通り元気よソーニャ」
できるだけいつも通りに言うが、ソーニャは難しい顔をして黙ってしまった。
そしてマリアがソーニャを呼び捨てにしたことに対して、ピエールが泡を吹きそうな顔色でふらついたがマリアは見ないふりをした。
「はあ……無理をさせるなら私が連れていけばよかったわね。警察が嫌になったらいつでもいらっしゃい」
言うなり、ソーニャは顎を持ち上げたままのマリアの口にポケットから取り出した飴玉を放り込むと、いくつかの飴玉をマリアの手に握らせ、部下らしい女性を連れて部屋から出て行った。
ふわりと口の中に広がるレモンの香りに、マリアは眉を下げる。
ずっと感じていた血の匂いが少し緩和された気がして、知らず体に入っていた力が抜けていった。
「ソーニャには勝てる気がしないわね……」
何やら話し合っているロイドたちの話を聞き流しながら、マリアは小さく笑った。
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