マリアはキッチンを前にして顎に手を当てて悩んでいた。
 特務支援課に配属になったのは、随分前に受け入れた……のだが、任務によっては簡易に食事を作るという事案が発生することがある。
 それに対して、今マリアはおおいに悩んでいた。
 支援課の中で、なんとなく食事当番を決めようかなどという案が持ち上がっているのだ。
 マリアは食べれないものが多く、肉や魚、牛乳等といった動物性のものは口にすることができない。
 それに気づいてからもう十年近く肉や魚に関する料理などしたことがなかったのだが、全員分の食事を作るとなればそういうわけにもいかないだろう。
 そもそも食にあまり興味がなく、料理自体するのがほとんど初めてである。
 セルゲイと二人で暮らしていた時も、出来たものを買ってきたりそもそも別に食べることが多く、作ったことなど数回ほどだった。
 果物をかじるだけ、野菜をかじるだけのマリアの食生活を支援課のメンバーに強要するわけにもいかない。
 マリアだから生きられるだけで、普通の人間がそんな食生活をすれば倒れるのはさすがのマリアにも目に見えていた。
(本は読んだけど……)
 料理本なるものは、過去に図書館で読んだことがある。
 興味はなかったが、暇はあったのだ。
 そのため片っ端から読み漁り、知識としては覚えているものの実践するとなるとまた話は別であるが故に、マリアはキッチン前にて悩んでいた。
 材料だけは練習のため大量に購入してきたものの、肉や魚を捌くとなるとマリアには不安が残る。
 魚はともかくとして、肉に包丁を入れることが出来るのかどうか。そもそも触れることができるのかどうか。
 口に肉を入れるのが無理なのはもう分かりきっているが、調理をするのは全くの未知数である。
 読んだり見たり聞いたりすれば、マリアは完璧にそのこと自体は覚えることが出来る。
 武器や体の扱い方も、少し教わり体を動かせば完璧に使うこともできるが、料理はそういうわけにもいかない。
 必ず経験と勘というものが必要になる。数字で測れるものではない。
 味見をする、という行為も肉や魚が入ることによりできなくなるため、料理の練習などというやったこともない作業にかなり気後れしていた。
 時刻は深夜二時。ビルの中はしんと静まり返っていて、起きている人間はマリア以外はいない。
 そのため眼帯もとってしまっているのだが。
 多少物音を立てたところで起きてくるようなことはないだろう、と決心を決めてマリアは包丁をぐっと握り、肉を入れていた袋を掴んだ。
 


「……朝からパーティーでも開くのか?」
「…………そうね」
 朝六時である。
 セルゲイが起きた気配がしたものの、こんな早くにキッチンまで来ないだろうと作業を続けていたらセルゲイの足音は真っ直ぐキッチンへとやってきて、ドアを開くなり眠そうな声でそう言った。
 身なりは既に整えているセルゲイはキッチンへ入ると、まじまじとテーブルの上を見つめた。
 キッチンにあるテーブルの上には所狭しと料理が乗り、マリアはちょうど洗い物を終わらせたタイミングだった。
 適当に小分けにして冷凍庫に入れるべきか、要領は掴んだためこのまま練習として密かに捨てるべきか悩んでいたところに、セルゲイがやってきた。
 結果的に、マリアは肉や魚を料理すること自体は問題なく行えたのだ。
 最初こそ気分が悪くなるかもしれないと恐る恐るだったが、食べる訳では無いと割り切り触れていたためそんなこともなく。
 そうなればあとは頭の中に入っているレシピ通りに作業をするだけであり、中に火が通っているかの確認などはどうせ捨てる可能性もあるのだからと不格好ながらもその時その時で切って確認していたら、次から次へと料理ができあがっていたのだ。
 おおよそ六人──そもそもマリアはほとんど食べれないもののため、五人で食べ切れる量ではない料理を見て、セルゲイがパーティーを開くのかと問うたのも道理である。
「それにしても珍しいな。マリアが料理なんてしてるところは初めて見たが」
「……今後、やる可能性があるでしょう。私の食生活をみんなに押し付けるわけにもいかないもの。だから……」
 練習をしたのだと滲ませれば、セルゲイは少しだけ意外そうに片眉をあげた。
 が、何も言葉にはせずに一番近くにあった皿からひょいと料理を摘むと口に入れる。
 マリアがあ、と思う暇もなくそれは飲み込まれ、セルゲイは「うまいな」と言うともう一口と言わんばかりにまたつまんで口に入れ、そのままキッチン内にあるテーブルへとついた。
「それで? これはどうするんだ」
 いつも通りの調子で聞かれ、マリアはちらりとテーブルの上にある料理を見る。
 試作品だから捨てようかと思っていた、と言うのはセルゲイの「うまいな」の一言で言えなくなってしまった。
 けれどあまりにも不恰好な料理をロイドたちに出すのは気後れしてしまう。そうなるともう言えることが何も無く、マリアは「……セルゲイ、食べる?」と聞くしか無い。
「俺の胃をなんだと思ってるんだ。……小分けにして冷凍にでもしておけ。そしたら全員そのうち食べるだろ」
「……こんな不恰好なのに」
「味がいいんだ。見た目なんか二の次だろう」
 再度味を褒められ、マリアは言葉につまる。
 けれどそれ以外に、選択肢がないのは確かだ。
 捨てるという選択肢をなくせば、あとはみんなに食べてもらうしか残らない。
 マリアはしばらく悩んでいたが、セルゲイが自分で湯を沸かし、コーヒーを入れて飲み始めた頃にやっと決心がつき作った料理を小分けにするためにのろりと動きはじめた。
 それをセルゲイはコーヒーを啜りながら内心少し嬉しく思って眺めていた。
 マリアが他人を気にして、他人に気をつかっている行動をとるのは中々に珍しい。
 セルゲイやアリオスに対してはまた別の話ではあるが、そうではない人間に対してマリアはさして興味を持たないのだ。
 人当たりは良いが、深く付き合おうとは思っていないのがマリアであり、そのくせ人と関わることがやめられないのもまたマリアだった。
 マリアの力や過去がマリアの中で大きなトラウマになっているのはセルゲイも分かっている。
 人を簡単に信じられず深く知ろうともしてこなかったマリアは、それでも誰かと関わっていたくて人の中で暮らすことをやめられない。
 自分を知られた時に失望されても自分の心が傷つかないよう、最初から過度な期待も持たず、ふんわりとした顔見知りは大勢いるがそれだけ。
 そんなマリアが、誰かのために動いて、悩んでいるというのはセルゲイからしてみたら大きな進歩だった。
 ましてやマリアの中でトラウマになっているものを使って、他人のために何かをするというのは、マリアに会ってから初めてである。
 マリアが誰かのために、自分から何かをしようと動いたというのが単純にセルゲイは嬉しかった。
 そして完璧では無いマリアを、葛藤しながらも見せることを受け入れたのもセルゲイからしてみたら喜ばしい事だった。
 失望されたくないからこそ、マリアは努力はあまり人に見せたがらない。努力といっても、マリアは一度経験すればある程度のことはこなしてしまえはするのだが。
 料理にしても、完璧にできなかったからロイド達には見せられないと判断したのだろう。
 十年近く共に暮らしてきたとはいっても、マリアは実の娘ではない。保護をしてから放っておくこともできず、養女に迎えることにしたちいさな少女だった。
 その心にどれだけ傷を抱えているかも、出会った当初に比べると、セルゲイにも見えないほどに隠すのがうまくなってしまっている。
 それでも、見える範囲でマリアが前に進んでいるのがわかるのは、やはりセルゲイにとって十年経っても嬉しいことである。
「…………時間切れね」
 せっせと料理を小分けにしていくマリアの横で適当に朝食がてら、焼いたパンの上につまみ食いよろしく料理を乗せて食べていたセルゲイの耳に諦めたようなマリアの声が届いた。
 天井を見て肩をすくめると、椅子にかけていた眼帯を素早く右目につける。
 誰か起きたのかと思って時計を見ると七時過ぎを針はさしていた。
 早い時間に起きてくるのはランディ以外の三人だろうなと思いつつ、のんびりパンを食べていると控えめなノックのあとそろりとキッチンに入ってきたのはロイドとエリィ、ティオ、それに珍しくランディだった。
「おは……うわっ、パーティー……?」
「おはようございます、課長。それにマリアも……」
「すげーなぁ」
 概ねセルゲイと同じような反応をしたロイドにマリアはふふふと笑い、困ったように眉を下げる。
「練習で作りすぎちゃって。不恰好なんだけど……冷凍庫にいれておくから、みんな好きな時に食べてね」
「作りすぎというか……作りすぎの域を超えてるような……」
「おいしそう……!」
 まだ小分けにできていない料理の乗った大皿を見ながら、エリィが目を輝かせている。
 それにマリアは少し考えた後に「なにか取り分けましょうか?」と首を傾げた。
「ビュッフェみたいね。食べる分だけ好きなものをとってもいい?」
「ええ、どうぞ」
 言いながら、マリアが皿を四枚用意して各々に渡す。
 四人は目を輝かせながらどれにしようかと選び始め、その間にマリアは飲み物のために湯を沸かしパンをトースターへと入れる。
 手際の良さにセルゲイが目を細め、料理を選んでいたエリィがそんなマリアを見てふふ、と小さく笑った。
「マリアがキッチンにいるのって珍しいわね。料理当番の件で、でしょうけど……」
 独り言であり、マリアには聞こえないと思って呟いたエリィの独り言はしっかりマリアには届いていた。
 マリアの行動理由がすぐにバレてしまったことにマリアは多少居心地の悪さは感じたものの、嫌な気持ちはしなかった。
 普段の食生活からして料理をするような生活をしていないのは、しばらく共に暮らせばさすがにエリィたちも分かってくる。
 急に料理を練習していたこと、不恰好だと本人が言うことを踏まえてその答えにはロイドたちもたどり着いていたようだった。
 マリアが普段絶対口にしない肉や魚、卵もふんだんに使われている料理は、明らかにマリアのための料理ではない。誰かのために作ったものなのだ。
「朝からこんなに贅沢でいいんでしょうか……」
「今日も一日頑張るために、たまにはいいと思うわ」
「そのたまにで早起きして良かったわ、俺も」
 楽しげに笑うランディに対してはエリィが「あなたはもう少し生活習慣を見直した方がいいわよ」と呟いていたがランディは気にした様子もなく好きなものを皿へと取り分けていく。
 沸いた湯で紅茶を煎れ、焼けたパンをトースターから取り出し皿へ置きながらマリアはほっと息をついた。
 思ったより緊張していたらしいことに気づき、人知れず苦笑をもらす。
「マリア」
 一足先に食事を食べ終えたセルゲイに呼ばれ、マリアは振り返ると、コーヒーをすすりながらセルゲイは少しだけ口角をあげて笑う。
「たまにはいいもんだろ、こういうのも」
 何に対してかセルゲイは言わなかったが、マリアはしばらくセルゲイを見つめたあと、セルゲイの隣の椅子へ腰掛けて「そうね」と笑った。
 

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