D∴G教団。もう何年も聞かなかった名前を、とあるツテから聞いてからというもの、妙にその名前が頭にこびりついて離れなくなっていた。
 私が逃げてきてから何年かたって、アリオスたちも参加していたロッジ制圧のおかげでどこもなくなったはずだったし、教団員も全員自害、もしくは死んでいたと聞かされていたからすっかり今では安心しきっていたけれど。
 教団幹部が生き残っていて、その数人がクロスベルに居る。それは本当に些細なところから私の耳に入ってきたものだった。
 今更私のことをどうこうしようというつもりはきっとないだろうし、あったとしても私はもう昔のようなちいさな子供でも、何もしらない子供でも、ただただあるがままを受け入れる子供でもない。私の中にある"悪魔の力"というものもうまく使いこなせるようになっている。
 
 日々次の悪魔の子供を産むために犯され続けておかしくなった母が、一瞬だけ正気だった時、私をクロスベルへ行くという積荷の中へと押し込み、私をあの場所から逃がしてくれた。涙をためた瞳と「――を頼って」という言葉は忘れられない。ただ、あの時誰かの名前を言ったことだけは思い出せないでいるのだけど。
 クロスベルでは運よくセルゲイたちに保護され、セルゲイとソーニャが私の親代わりになって、いままでしっていた世界ではない日の当たる場所で、私はたくさんのことを学んできた。勉強も、武術も、世界のことも。
 私の力のせいなのか、見たり聞いたりしたことはすぐに覚えることができた。
 身体能力もずば抜けているらしく戦う術や武器の使い方も難なく覚えることができた。
 だからこそ、今、あの教団の幹部の人間が私に接触をしてきたところでどうにかなるとは思わない。近づこうとも思わない。だけど、クロスベルにやってきてまで、教団の人間はいったい何をしようというのだろうか。
 クロスベルは、確かに特殊な場所だ。けれどあの団体は悪魔信仰をかかげている。女神を否定し、悪魔をよりどころにして色々と非人道的な実験を、こどもたちでしてきていた。そんな団体が今さらクロスベルで何をするというのだろうか。……クロスベル"だから"なにかができるのだろうか……?

「……知ってどうするわけでもないのに」

 居る、と噂で聞いたクロスベル市の裏通りをふらふら一人で歩きながら呟いた。
 万が一居たとしても、私の居たロッジの人間でもない限りすれ違ったところでわかるわけもないのに。
 そもそもあの時私で儀式という名目の実験をしていた……、私を犯していた人間の記憶なんてあいまいで、まるで泥の中にあるドアのようにその記憶は重たく感じている。
 母親の顔も、覚えているのは私を逃がしてくれた時の安心したような表情だけだ。
 ただ深く残っているのは、私が犯されている時の男たちの笑い声だけ。いい思い出なんてひとつとしてない。
 それなのに、見つけなきゃ、という思いと、逃げなくちゃ、という両極端な強い気持ちが私の中を埋め尽くしているような感覚になっていた。

「いろっぽいねえちゃんがいるじゃねえかあ」

 こんなところに居てもしょうがないから帰ろう。
 そう思って踵をかえしたら、目の前に真っ赤な顔をした男性たちが数人、立ちふさがるようにして立っていた。酔っているのだろう、少し離れているのにお酒のにおいが私にまで漂ってくるし、舌ったらずな様子で呂律も危うい。
 しまった。内心思うけど、表面ではとりつくろうように笑顔で「ありがとう、おじさま」と返す。夜はできるだけ一人で出歩かないようにしていたのに、教団の情報でつい一人で出てきてしまった。
 そう遅い時間ではなかったけど、私がうっかりしていたのだ。一人で出歩いていたら"こういうこと"になるのはわかりきっていたのに。油断していた。
 よくも悪くも、私は人の目を引いてしまう。強制的に、吸い寄せられるように。女性的な魅力を相手に与えてしまう、らしい。
 それも生まれ持ったものなのか、実験の結果でてきたものなのか、今となってはわからないままだけれど。

「あまり飲みすぎもよくないわよ、せっかくの色男が台無しじゃない」

 ふふふと笑って、一人の男性の肩をたたく。
 そうすれば男性たちは気をよくしたのか、へらりと笑っておお〜なんていう声を出した。このまま適当にあしらってしまえば逃げれるだろう。そこまで攻撃的でも強引でもなさそうなその様子に少し胸をなでおろして、そのまま「ほどほどにね」と言ってすれ違おうとすれば、男性のうしろにいた一人にぐっと腕をつかまれて、まじまじと見られる。
 妙に熱い手のひらにぞわりと肌が粟立ったけれどそれは表にださずに「どうしたの?」と尋ねたら、まわりの男性たちが「セクハラはだめだろ〜」なんて男性を茶化して、わあっと盛り上がる。
 この程度なら、大丈夫だ。まだ、逃げられる。
 どっどっど、と変な音を立てる心臓を隠すように私の腕をつかむ男性を見上げれば、赤い顔をした男性は舐めるように私を見て、それからにんまりと笑った。
 にんまりと笑う顔が、泥の中にしまいこまれているドアの中にあった記憶と一瞬だけ、だぶってみえた。抵抗すら知らない子供を組み敷く男の笑顔が、見えた気がした。

「俺とホテルにでもどお?」
「っ……、」
「いやいやきょうは勝ったからさあ、おかねはあるんだよねえ」
「ひとりでびじょをどくせんはずるいだろお」

 笑いを含んでいる間延びした声たちが、下品な笑い声をあげた。途端、まるで金縛りにあったかのように動けなくなる。動かないと。はやくかえらないと。そう思うのに足がまるで動く気配がなく、体すら満足に動かなくなっていた。脳裏をよぎっていくのは、下卑た笑い声を立てる顔のわからない男たち。よみがえるのは、あの時は全く感じなかった恐怖だ。小さく、自分の体が震えている。

「お?もしかして結構乗り気だったりい?」
「……ちが……、」
「マリアさん!」
「うぐっ!?」

 呼吸のやりかたがわからなくなりそうだ。そう考えていた時、男性と私の間に割って入るようにやってきたのは最近よく聞くようになった少女の声だった。長い髪をツインテールにした少女は、慌てたように私のところへやってくると男性の手を私から離しながらついでに強く押しやり、ぐいっと私の手を引いて裏通りから駆け出して行った。

「ヨシュア、やっぱりマリアさんだったみたい」
「よかった、大丈夫ですか?……でもエステル、急に一人で飛び出していくのは……」
「う、ご、ごめん……」

 裏通りを出て連れ出されたのは、きらびやかな歓楽街だった。薄暗い裏通りとは違い目に痛い程のネオンが光るそこは妙な安心感がある。プラス、見知った顔がふたつ。固まって動けなかった体はエステルに引っ張られることによって動けるようになっていたし、明るい場所に出たことでも妙に安心感を覚えている。もう一度ヨシュアに「大丈夫ですか?」と尋ねられて、私はやっと呼吸ができたような気がした。

「……あ、ええ……。ありがとう、どう断ろうか考えていたところだったの」

 だけどそれを気取られないようにいつも通りに笑って返せば、二人ともが微妙な顔をした。何か言いたそうなその表情に、なんとなく言いたいことや思っていることを察するけど、今聞かれたところで自ら墓穴をほるだろうことはわかっていたために私は何か言われる前に一歩、二人から離れた。

「本当にありがとう。今度何かお礼を――」
「なんだあ?珍しい組み合わせだな」
「マリア?それに、ヨシュアとエステルも……」

 あまり長居してもよくない。そう思って別れの言葉を切り出そうとすれば、別の通りから出てきたらしい見知った顔が私たちに近づいてきて不思議そうに首をかしげた。そういえば今日は夜にでかけると言っていただろうか。やってきたロイドとランディに、張っていた気が一瞬ゆるんだような気がして、緩めてはいけないと拳を握る。

「ふたりとも、いいところに」
「……なにかあったのか?」

 ヨシュアとエステルの表情を読み取ってか、ロイドとランディが真剣な表情になる。それに小さく肩をすくめると、エステルが「マリアさん!」と少しだけ強い口調で私の背中にそっと手をやって少し押す。……アリオスから、何か聞いていたのだろうか。あの程度の光景であれば、裏通りでは日常茶飯事だったろうと思うのに。一人で歩いている女を酔っていた男性がホステスか何かと勘違いしてもおかしくはないだろうし、そもそも、一人で出歩いたわたしが悪い。

「マリアさん、支援課に連れて帰ってあげてほしいの。一人じゃ帰らせないで」
「マリアを?……どうした?なんかあったのか?」

 私の顔を覗き込むようにしてきたランディと、エステルたちに「わかった、任せてくれ」と言って私のほうへやってきたロイド。エステルとヨシュアは調べ物をしに裏通りにまた行かなくてはいけないらしく、私に一言二言声をかけると裏通りへと消えていってしまった。残ったのは私とランディ、それにロイドだ。心配そうな表情の二人に、遊びに来たのだろうになんとなく申し訳なくなってしまった。

「別にここからなら一人で帰れるし、二人は遊んできたら?」

 私なら平気よ、と笑えば、ロイドがじっと私の顔を見て、それから首を横に振った。ランディも「そういうわけだ」と言ってぽん、と私の頭へと手を置く。この二人が来てから表にはだしていないはずだ。震えだってもう止まっているし、彼らが私のことを知っているはずもないのにこの過保護っぷりである。

「過保護ね」
「……何があったんだ?あの二人が妙な表情をしてたけど」

 肩をすくめる私に、真面目な声でそう聞いてくれるロイドに思わず目を細めた。心配をしてくれているのがよくわかるその声に、無意識に私は視線を落としていた。見えるのはロイドの靴だ。

「酔っ払いに絡まれただけよ。いつものことだから」

 いつものこと、というのは半分は嘘だ。いつものことと言えるほどに私は一人で夜には出歩かないし、気を付けていたからそういうたぐいのことにはあまり遭遇しない。
 人がいる時ならまだ大丈夫だしその一緒にいる人が対処してくれることが多かったのでカウントにはいれてはいない。クロスベルに来たときは、よく、あったけど。

「……帰ろう、マリア。俺たちも用は済んでるし、一緒に帰るよ。な、ランディ」
「おう、明日も早いしなー」

 頭の後ろで手を組むランディが、私の前を先導するように歩く。向かっているのは裏通りではなく、住宅街の方向。わざとそっちの道を選んでくれているのだろうそれに、内心少しだけおかしくなってしまった。詳しい事情も何も聞いていないのに、危なくない道を選んでくれているのだ。いたわるようにロイドが私の背中を押すようにエスコートをしてくれる。なんだかそれだけで少し安心できたような気がして、私は今度こそ「ふふふ」と笑い声をもらしてしまっていた。

「素敵な二人にエスコートされて、お嬢様にでもなった気分ね」

 言えば、ランディが振り返って面白そうに笑って、ロイドも少しだけ安心したように笑った。


20150730

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