ドゴン、と、女子バレー中にしては似つかわしくない音と女子生徒たちのきゃあという叫び声が響いたのは暁と竜司が玲花から目を離した一瞬だった。
鴨志田が玲花に対して変な興味を抱いていると鴨志田のパレスで分かってから、玲花にはパレスのことは言わず、警戒だけはするように伝え、自分たちも見守るようにはしていた。
できるだけ一人にさせないだったり、こうして同じ場所に鴨志田がいる時は見張っていたり。
していたのだが、さすがに人がいるところでは特に何も無いだろうと雑談に興じていた時にその音が響いたのだ。
玲花は以前の学校で新体操部だったのだが、その副顧問に性的嫌がらせをされていたこともあり──もちろん玲花の姉と兄が退職まで追い込んではいるのだが──諸々説明したところ、鴨志田のことはよく思えるはずもない。そもそも言う前から玲花は鴨志田には攻撃的だったほどに、玲花自身警戒も充分にしている。
そして玲花自身かなりいい家のお嬢様である。そんなめんどくさい家の女子生徒相手には迂闊なことはしてこないだろうとも思っていて、同じコートに立っているにも関わらず暁と竜司は一瞬目を離したのだが。
「れ……」
今は球技大会という名の鴨志田の独壇場。
女子バレーでは女性教師にまじって鴨志田も女子生徒たちとバレーを楽しんでいたのだが、暁と竜司がコートを見た時に膝をついて頭を押さえていたのは鴨志田だった。
向かいのコートには真っ青になっている女子生徒たち……と、目を細めて、どうにも笑うのを我慢しているらしい玲花がいた。
「……なあ、あれどういう状況?」
「……玲花……」
やったな、といいたかったがなんとかその言葉を暁は飲み込んだ。
見張るべきは鴨志田ではなく玲花だったのかもしれない。
状況を飲み込めていない竜司はおろおろと視線をさ迷わせているが、暁は上げようとした腰を落ち着かせた。行くだけ無駄だな、と。
「先生……!」
笑うのをこらえていたのは一瞬で、玲花は慌てたように鴨志田のそばまで走ると、鴨志田の横に膝をついて胸の前で手を組んだ。
涙を目にためて今にも泣きそうな表情で鴨志田に「お怪我はされてませんか? すみません、私なんてことを」と震える声で言った。
ふるふると体も震えているのか、いつもよりもずっと小さくか弱く見える玲花に竜司は「??」と首を傾げるばかりだ。
白い肌に長い黒髪。華奢であり、そもそもが小柄でもある。とびきりの美人だと全員が言うほどに玲花の見目は良かった。
そんな美少女と言ってもおかしくない玲花が、肩を震わせながら心配そうに鴨志田の横で不安そうにしているのだ。
竜司はおろおろさ迷わせていた視線を暁に向け、誰だアレ、と口を開きかけたがそれは暁に手で塞がれる。
竜司の中の玲花は、性格もどぎつい美人、だった。暁を誰よりも好いているし、根も葉もない噂に表情を崩さずに舌打ちをするような女なのだ。放っておくと噂話をしている全員に「お耳はついているのに脳がついていないのね、かわいそう」と言いに行きそうな女なのだ。
そんな女がか弱く見えてしまえば、誰だアレ、となっても仕方がないだろう。
「いやいや、大丈夫だ。それにしてもすごいスパイクだなあ、バレー部にほしいくらいだよ」
鴨志田は額をおさえており、それでも玲花ににっこりと微笑む余裕はあるらしい。
一瞬玲花が真顔になった気がしたが、すぐに目を閉じて俯く。その拍子に大きな瞳いっぱいにたまった涙がぽろ、と落ちた。
「すみません……ごめんなさい先生……私……」
まさに悲劇のヒロイン。わざとでもわざとではなくても十割玲花が悪いのだが、それでも玲花に味方したくなるようなそんな儚げな雰囲気になってしまっている。
容姿も整っており、育ちの良さから品もある。そして猫かぶりが誰よりもうまく演技なんてお手の物ともなれば、まわりの空気を自分に傾けるのも玲花には朝飯前だった。
ほろほろと涙を流す玲花の背後には、儚く散り始めた白薔薇が見えそうだった。
「俺は大丈夫だけど、桐生は次の試合は休んだ方がよさそうだな。俺は大丈夫だから、な?」
ぽん、と鴨志田の手が玲花の背中を撫でる。
それにびくりと肩を揺らした玲花は、絞り出すようなか細い声で「はい」と言って俯いた。
また震えているようだが、今度は顔色も若干悪い。が、すっと立ち上がるとその顔色のまま「すみませんでした……」とか細い声で言ってコートの外、暁と竜司がいる方へと歩いてくる。
その間バレー部員たちが恐ろしいものを見るような目だったり、尊敬の眼差しだったりと様々な感情で玲花を見ていたのだが本人はそんなもの知る由もなく。
「玲花」
暁たちのところにやってきた玲花は、すとんと暁の横に座るとぴったりと暁にくっついて「背中撫でて」と言って立てた膝に顔を埋めてしまった。
竜司が「はあ?」と言うが、暁は何も言わず玲花の背中を何度か撫でて、最後にぽんぽんと叩いてやった。
副顧問の件から、玲花は兄と暁以外の男性に触れられる、というのが極端に苦手になっていた。吐き気を催したり、震えたり、動けなくなったり。
その時その時で出てくる症状は様々だが、こうして少し甘えさせてやると落ちつくらしい。もう暁にとっては慣れたものだった。
しばらく撫でていると、玲花は顔を上げて細く息を吐いた。
最後にぽん、と頭を撫でてやるとふふふと嬉しそうに玲花は笑う。
「なあ、さっきの大丈夫だったのか? あいつになんか言われたとかじゃないんだな?」
心配そうに尋ねる竜司に、暁はすっと視線を逸らした。
何かされたり言われた訳では無いだろう。逆に玲花がやったのだ。普段の腹いせだと言わんばかりに、たまたまボールが回ってきたから、たまたま目の前にいた鴨志田に故意にぶつけた。
「え? さっきの?」
目を丸くした玲花はしばらく考えていたものの、すぐに鴨志田のことだと思い当たったらしくにっこりと笑うと口元をおさえて微笑んだ。
まさにとろけるような笑みである。竜司も、見慣れた暁でさえもドキッとするような。
形のいい唇がきれいな弧を描き、猫のような大きな目もじわりと色を残すように笑みの形を深くする。
少しだけ玲花が首を傾げれば、背景に、見えない白百合がぶわっと咲いたような幻覚さえ見えそうだった。
「本当は鼻を狙ったんだけど手元が狂っちゃったのよね」
が、そんなとろける微笑みから飛び出してきた言葉に竜司は固まった。
「……は?」
「鼻血でもだしてくれたら良かったんだけど……額にボールが当たったくらいじゃどうにもならなかったみたい」
コートのほうではきゃあきゃあと楽しそうな声と声援が聞こえてくる。鴨志田も平気そうにバレーをしているところを見ても、音がすごかっただけで特に何もないのだろう。
「最近やたらと構われるから。ああいうの、何が目的だとか、分かるのよ。私がここ数日見てるだけでも、多分構われてるのは複数人で、バレー部員がほとんどね」
ぽつりと零された言葉に、竜司の顔が一瞬の間を置いて怒りを顕にした。今にも殴りかかりに行きそうなそれに玲花はなんでもないように「だから」と付け加える。
「ぶつけたんじゃない。ボール」
「余計目立つだろそんなことしたら!」
「目立つためにでしょ」
黒い真っ直ぐの髪をくるくると遊びながら、玲花は「目立つためによ」ともう一度言った。
暁が瞳の中に心配そうな色を見せるが、玲花はそれに気づいてもただふふふと笑うだけである。
「私にはそう手は出さないでしょ。まあ? とーーっても美人でお金持ちで品があって、その上スポーツも勉強もできるなんてそれだけで目立つようなものだけど?」
自分で言うな、と呆れを含んだ声で竜司が言う。先程までの怒りはもうなくなってしまったらしく、胡座をかいて気だるげに座り込んでいるだけだった。
「私に構う分だけ他のことはおろそかになるでしょ」
だから本当は鼻血を噴かせて保健室送りにしてやりたかったのだと玲花は付け加えた。
「それに私のことは暁と竜司が守ってくれるし。ね?」
次は天使の微笑みである。うっとりするほどの笑みで言われた言葉に、竜司はぐっと言葉に詰まった。
玲花は自分が他人に与える印象、というのをよく分かっているのだ。使える武器はなんでも使うというのが玲花である。他人を扱うのがうまい。
だからこそ、鴨志田にボールをぶつけた件に関しても、何も言われていない。それどころか玲花を心配そうに見つめる生徒もいるほどである。
暁と竜司と一緒にいることが多いことに関しても、玲花自身が暁と幼馴染なのだと公言していることから、素行の悪い幼馴染をなんとかしようと追いかけてきた健気なお嬢様だと思われているらしい。
玲花の悪評は一切なかった。
暁はもう一度とんとんと玲花の背中を撫でて終わり、視線をバレーを楽しそうにしている鴨志田へと向けた。
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