彼は変わらず、私に話しかけてきたし、私はそれになるべく平静を装って会話した。私から話しかけることは挨拶だけ。その膠着状態が一週間ほど続いた頃だろうか、彼が「今日、放課後空いてる?」と聞いてきた。
「…空いてるけど。何で?部活は?」
「今日はオフ」
「ふーん。というか、何の用?」
「いや、特に。話す時間が欲しくて」
その眼が、相変わらず真っ直ぐだから、私は視線をそらしてしまった。放課後まではあっという間だった。いつもよりゆっくり帰る支度をして、教室の皆が帰るまで、ひたすらに待った。彼も私の意を汲んでくれたのか、急かすような真似はしなかった。教室で二人だけになったとき「行こうか」と彼は優しく言った。嫌だな、その優しさ。二人で最後に教室を後にすると、だらだらと歩き始めた。一緒に歩いているところを見られたくはなかったけれど、かといってその辺のファミレスなどに行けば間違いなく同じ高校の人がいるだろう。それはもっと嫌だった。「どこがいい?」と彼に聞かれて、電車を使っていくような、遠目の場所に行きつけの店があることを思い出し、そう伝えた。彼は嫌な顔一つせずにそれを承諾した。その町は高校生が行くにはあまり娯楽のない街であったので、きっと知り合いに会わないだろう。そのお店は他校の友達が以前、話題に挙げていたカフェだった。可愛すぎるような、SNS映えするようなカフェというよりは喫茶店の雰囲気に近いその店は、友人に勧められて以来お気に入りで、教えたくはなかったが仕方ない。背に腹は代えられぬというものだ。
「良い雰囲気だな、ここ」
「でしょ、友達から教えてもらった」
ジャージやユニフォームでなく、制服を身にまとう彼は教室ではよく見ているはずだが、制服の彼が学校ではなく見慣れた飲食店にいるのがどうも見慣れなかった。飲み物と間食を注文したところで、私が先に口を開いた。
「…で?」
「ん?」
「本題は?」
「ええ?早くね?」
「普通でしょ」
「まだ飲み物すら来てないけど」
「気になるから早く言ってほしいなって」
せっかちな性が災いして、すぐに聞いてしまった。彼の前では余裕があるように振舞っていたが、もうここまできたら、その性急さを取り繕う必要を感じられなかった。
「うーん、まあ、いいか」
彼は珍しく少し視線を逸らして、それから私に向き直った。あ、と思った。知っている。私は幾度となくこれを見てきた。
「好きです。付き合ってください」
幾度となく、聞いた台詞だった。飾らない、彼らしいと思った。
「……悪いけど、」
そこで一瞬言葉に詰まってしまった。
「…付き合えない」
「……理由を聞いても?」
理由?そんなもの、貴方が好きじゃないからだと言えたらどんなに良かったか。その虚偽の言い訳はきっと通じないだろうと思った。私は間違いなく彼のことが好きであったが、付き合うわけにはいかなかった。私は本当のところ、彼に助けてほしかったのではなく、罰してほしかったのだ。弄びやがって、と切り捨ててくれれば良かったのだ。それが“みんな”の望むところであろうから。周囲が私の挙動に注目しているときに、それは良くない。私は彼に理由を聞かれて暫く黙っている間にこのような考えを巡らせていた。実際のところ、反射的に断ってしまったところが大きく、理由を聞かれても、答えられるような答えを持ち合わせていなかった。
「面倒だから、?」
「誰かと付き合うのが?」
「まあ、それもあるけど、色々と」
「周りになんか言われるの、嫌いそうだもんな」
「それは、嫌かも」
「けど黙って付き合うほうがストレスだろ?」
「、それはそうだね」
隠し通さなければならなかったら、また結局不都合が出てくるから。
「相手役がいた方が楽じゃねえの、色々とさ」
「自分がそれに立候補するって?」
「や、まあ、その方が俺に都合が良いだけ」
「…私の気持ちは関係ないと」
「まさか。ただ今は好きじゃなくてもいいから、考えてくれないかなって。てか、正直ちょっと脈あると思っちまったからなー」
「……真田が私のこと好きなのは、知ってたよ」
「あーだよな」
俺、結構分かりやすくアピールしてたし。そうやって言い放つ男に、照れというものはないのだろうか。丁度その時、店員が注文の品を運んできた。大きな声で会話しているわけではないものの、聞いていたとしたら気まずいだろうと思った。
「でもちょっと前に、先週か?ぐらいの授業中に俺が消しゴム拾ったとき、名字さんの表情が可愛くて、アツいと思ったんだけどな」
ちゃんとバレている。「次の日から、挨拶してくれるようになったし」と、当然これもバレている。
「急ぎすぎたのは分かってるんだけど。ダセェな、俺。余裕なくて」
彼は少し自嘲して言った。私はちょっと気まずくて、飲み物に口をつける。
「、思わせぶりだったからね」
その自覚はもちろんある。
「私、……真田のこと、好きだよ。さっきまでの話、合ってるし。急に可愛くなった、って自分で言うのもあれだけど。可愛くしてたのも真田のためというか、私のためというか…、まあきっかけは真田だし。でも、付き合うのは、……。」
非道い言い訳だった。私はテーブルに並べられた飲み物を見ながら言った。グラスの周りに水滴がたくさんついている。ふと彼からのレスポンスが気になって、恐る恐る視線を上に挙げた。彼は少し顔を赤くして視線を彷徨わせていた。あー、とかまじか、とか小さく零してから、「…激アツじゃん」と一言言って、真っ直ぐ視線で私を射抜いた。
「付き合うのは?だめ?」
「だめっていうか、面倒なの、周りの人が」
「俺が彼氏だって広まったら、逆に面倒ごとなくせない?」
「えー……」
彼はさっきまでと同様に、付き合うことへのメリットを説いてきた。
「真田が人気じゃん。他の女の子から恨み買っちゃう」
「俺が何とかするよ、全部」
それは妙に説得力のある言葉だった。彼が言うと、本当にそうしてくれそうな気がした。
「…じゃあ良いよ」
「…まじ?」
彼の面食らった表情を見られただけ、よしとすることにしよう。明日からの学校のことは、明日の自分が考える。
翌日、私と彼は変わらず過ごしていた。ただ、彼が授業の合間によく話しかけてきたし、私からも彼に話題を振ることもあった。一緒に登下校したりは時間が合わないのでしなかった。昼ご飯も互いに友達同士で食べた。変わらない。何も変わらなかった。彼は当然、私と付き合ったことを隠しはしなかったので、彼の友達伝いに噂は広まっていって、翌週には学年中が私たちについて知っていたと思う。だが意外にも同性からのやっかみや、異性からのからかいもなかった。多分、真田が全部担ってくれたんだと思う。男子たちは真田に絡むことはあっても、私にまで聞いてくることはなかった。みんな知っているし、友達には「おめでとう」と言われたりもしたけれど、それだけだ。唯一あったのは、野球部の恐らく後輩たちがクラスに来たくらいか。それも結局彼が対応したから、私が直接彼らと話すことはなかったけれど。真田とは部活がない時の放課後によく会うようになった。周囲からすれば「あの二人、本当に付き合ってるのか?」と思ったかもしれないが、私たちは隠匿するつもりはなくとも、自然に人目は避けつつ、会うときにきちんと二人の時間を作っていた。朝に関しても、彼の朝練に合わせて登校するようになっていたので、周りが思うよりはるかに一緒に過ごしていたと思う。「どうせ勉強するし」と言って、私が合わせたのだ。それは全く苦でなかった。
彼の試合を見たかった。夏の大会はすぐだったし、見に行ってもいいかと聞けば、快い返事が返ってきたので、遠慮なく見に行くことにした。野球のルールくらいは知っていたし、応援やヒッティングマーチも好きだったので、単純に面白かった。勝っても負けても、私には彼が一番輝いて見えた。試合の後、帰る前に少し話したこともあった。別れ際に野球部のチームメイト、しかも後輩に見つかって面倒そうな顔はしていたが。
いつの間にか、誰も私たちの仲を疑わなくなったし、私に過度なヘイトが向くこともなかった。私は自分がますます彼に惹かれていくのを感じていた。夏休みの間、ほとんど会えなくても、寂しさこそあれど、不満はなかった。