姉の彼氏を見た弟の反応なんて


 「今日遅くなるから、夕飯よろしく」
朝食時に言われたことだ。 遅くなるのは元々知っていたがこれは初耳である。冷蔵庫の中身を見ればそれなりに揃っていたので、買いに行く必要はなさそうだ。「行ってきます」 あの買い物以来、二人とはまた元の関係に戻っていた。少なくともきっちり顔を見合わせて会話、なんてのはしていない。 振り出しに戻ったと言うほど険悪でもないが。 そもそも前提として生活スタイルが違いすぎて話すタイミングもないのだから、自然といえば自然だ。
 朝から友達が私の席に来て文句を言った。
「ちょっと、抜け駆けはあかんで」
「抜け駆け、て何やねん」
「今日彼氏家行く言うてた!」
「あー、まあ」
「私まだ行ったことないのに!」
そんなことか。 というかまだだったんだ。 どうやら二人ともいきたいのは山々だが互いに親がいるし、兄弟姉妹もいるし、で呼ぶ機会がないらしい。 とは言っても私も呼ぶのは初めてだ。私は母に友達を家に連れてきて良いかと聞き、了承を得ていた。しかもその日は両親も弟たちもいないから、たまたまそうなっただけで。そのことを言っても暖簾に腕押し状態なので口を閉ざす。 わーわー喚く彼女をたしなめつつ、席に着く。 今日の放課後を待ち遠しく思った。
「おじゃまします」
「ふふ、誰もおらんで」
「気持ちや、気持ち」
そう言って笑う彼が好きだ。 雰囲気も柔らかくなる。 ゆっくりして、とリビングに案内した。 キッチンから簡単なお菓子と飲み物をとる。 それからたわいもない会話をして、良かったら部屋見たい、と言われ行こうとしたところで玄関から音がした。今日はこの時間、他には誰も家にいないはずだが。 「ごめん、多分、弟」 言い残してすぐに玄関に向かった。 弟たちは私が玄関まで迎えたことに驚いたようだが直ぐに挨拶をした。
「、ただいま」
「……おかえり、早くない?」
「今日体育館使えんかった」
「ああ…」
それでいつもよりだいぶ早い帰宅になったらしい。
「今日おかん遅いから夕飯私な、 あと今…彼氏おるからあんま騒がんといてや」
「はぁ!?」 「はぁ!?」
「ちょ、言うたそばから……」
双子は困惑しているようだったが、あんまり待たせるのも悪いので早々にリビングへと戻った。 弟たちもそれに続いた。
「こんにちは、お邪魔してます」
「……いえ」 「……」
「君ら、宮ツインズやんな?名前が言わんかったから、知らんかった」
彼氏がそう言った途端、双子は私の方を見た。眉間にシワが寄っていた。話しとけよ、と言うことだろうか。それにしては複雑そうな、傷付いたような顔つきだ。 以前の私と同じ心境だろうか?ならお互い様だ。お互い様だが、傷付けるのは本意ではない。「有名やから、名前で寄ってくる人いたら面倒やねん」 私にはそんな言い方しかできなかったが、それで伝わったらしく弟たちは彼氏と普通に受け答えしていた。 結局そのまま二人は部屋に上がっていったが、なにぶん私の部屋と彼らの部屋は隣なので上がっていくわけにもいかず、そのままお開きとなった。 夕飯も一緒に食べるか迷ったが、家には弟がいるし、外食するにも私が夕飯を作らなければならないということで諦めたのだ。 それを少し惜しみつつ、背中を見送った。 駅まで送る、と言っても、その後駅から家まで一人になってしまうからと断られた。 はぁ、と軽くため息を吐きながら家へと戻れば、弟たちがリビングへ戻ってきていた。 「夕飯今からやから、もう少しかかるで」 今晩はカレーだ。

 様子がおかしい。 ひとつめ。 弟たち。 結局あの晩はカレーを三人で食べた。 良くも悪くも何もなかった。 相変わらず私は彼らとの距離を掴みかねている。 それが最近、何かと話しかけてくるようになった。 それ自体は距離を詰めようとしてくれていると喜ぶべきなのだろう。 しかし、問題は内容にあった。 私のことについてやけに知りたがるのだ。 学校のことが中心だったと思う。 バイト先のこともあった。 友達や彼氏、シフトなど、知りたいと思ってくれていると思って話したが、ここまでくると流石におかしい。 私だけ話すのはちょっと、と彼らのことも聞いてみれば、それはちょっと嬉しそうに話すのだから、やっぱりこれは杞憂なのだろうか。ふたつめ。 彼氏。 始めは会ってる時に上の空になっていたことからはじまる。 だんだん返信が遅くなってきたと思えば、今日、話があるとのLINEがきた。 正直嫌な予感しかしない。 私が何かしてしまったのだろうか? それを今週の日曜日と決めて、話は終わった。 不安で、時が止まれば良いと思った。
「……何や、それ」
「やっぱり知らないんやな」
友達に後者の悩みを打ち明ければ、分からないと言われた。 最近何かがあった訳ではなく、急に冷めていったから余計に訳が分からなかった。
「でも、実際会ってみんことには分からんし… あんま気にせん方がええで」
「……おん、おおきに」
気にしないと思うほど気になってしまうのは、性分なのかもしれない。 回りくどいことが嫌いな私は、雑談も程々に本題に切り出そうと思っていた。
「別れてほしい」
__彼が真っ先に口を開くまでは。
「、え?」
「……ごめん、いきなりやねんけど」
「ほんまに言うてる?冗談じゃないん?」
「うん、ほんま」
いきなり言われたときには頭を鈍器で殴られたような想いだったのに、彼が何でもないように話すものだからすっかり冷静になっていた。 彼が、私と別れようと思った原因は分からない。ただ、苦々しい表情は"別れ話をするのが嫌"なカオであって、決して"別れたくないけど別れ話をしなきゃいけない"というカオではなかった。 だからかもしれない。
「おん……、ほんなら別れよか」
私は縋り付くような、みっともない女に成り下がりたくなかった。せめて彼の中で綺麗な思い出として存在したかった。 別れ話を切り出される時点で、きっともう彼に私に対する愛は残っていないのだろう。でもきっと、いつか思い出した時に、私は綺麗なオンナでいたかったのだ。 それくらいの、情は残っていてほしい。 私は、それ位には彼が好きだった。
「おおきに。……元気でな」
「おん、」
彼は私が了承したのを見ると、ホッとしたような表情で、去っていった。 虚勢を張って聞き分けの良い女を気取ったけど、やっぱり名残惜しくて彼の背中を見つめる。一度でも良いから、振り向いてくれないだろうか。やっぱり別れるのやめよう、とまでは望まないから。せめて、私と別れるのを名残惜しく思ってはくれないだろうか。 私がいくら願っても彼は振り返ることなく、次第に人混みに紛れて消えてった。

「別れたん!?」
 信じられない、という口調で彼女は叫んだ。 電話越しだったのでいつもだったら止めてよ、なんて笑いながら言うのだけど、今の私にそんな余裕はなかった。 流れを掻い摘んで説明すれば彼女も何故突然彼が別れを告げたのかは分からないと言う。 私も勿論、一切心当たりはなかった。 いつも通りだった筈なのに、ある日突然疎遠になったのだから。
「飽きたんかなぁ、」
彼と別れるかもしれない、と思ってからずっと考えていたのだ。 私と過ごす日々に飽いていたのだろうか、と。 「それとも、他に好きな人でもできたんかな」 彼女は暫く黙って聞いていた。
「だとしたらアイツはクズやから、名前が気にすることちゃうやん。悩むだけ損やで」
「……そやなぁ」
変に同情されるより笑い飛ばしてほしい私の思いを汲んでくれたようで、長い付き合いなだけある、と思った。 「良い人いたら、紹介してな!」 電話を切る際にはそんなことも言ってやった。 彼がなんで急にあんな行動をしたのかは分からないけど、それを気にするのは私の負けの様な気がしていたから。 彼女もまた明るく返してくれた。 そのまま通話を切って携帯の電源を落とし、棚に放った。 すぐにベッドへと体を沈めてから、制服を着替えなきゃ、と思い直すがどうにも体が重い。 このまま眠ってしまおうか、とも思うが明日航海するのは自分なので渋々起き上がると素早く着替えを済ませる。 今度こそ、と横たわって、自分の部屋の天井を眺める。真っ白に見えるがよく見ると壁の模様の様なものが見える。 わたしたちもそうだったのかもしれない。 何もない、平穏な日々に見えて、私がよく見ていなかっただけで、本当は不穏があったのかもしれない。それに彼は気付いていて、居心地が悪かったのかもしれない。 たくさん考えたって全ては憶測に過ぎなくて、「かもしれない」ばかりが募ってゆく。
「考えたって良いことないやんか」
例えば、彼が戻ってきてくれるような。 そう改めて確認したところで、どうにも感情が溢れてしまって、耐えられなかった。 目を閉じた。 口も閉じようとしたけれど、閉じられたのは真ん中だけで、閉めきれなかった口の端から嗚咽が漏れ出した。 「ぅあ、」 今日だけ、今だけだから許してほしい。 これは私が負けた証じゃなくて、私が彼より真っ直ぐだったという勝利の証なのだ。 私は、彼が好きだった。 もう、過去の事だ。
「……名前?」
コンコン、と遠慮の感じられるノック音のあとにすぐさまかけられた声。 ハッ、として、目を見開いたものだから、溜まっていた涙が行き場をなくして目から零れ落ちていった。 時間を気にしていなかったけれど、確かに今は電話をしていたから何時もより遅い時間で、まだご飯を食べていないことに気付いた。 生憎、食欲がない、と言えるほどお腹が空いていないわけではなかったが、かといってこんな顔で食卓に出る気にもなれない。
「何や?」
努めて平静を装って返す。 少し声はおかしかったが、寝起きだとでも思ってくれれば都合が良い。
「おかんがメシや言うてるで」
「後で食べる言うといてや」
声も弱々しくて、少し裏返ったけれど、精一杯それだけ返した。 本当なら彼らが帰ってくる前に食べている筈だったのに。そしたらいつも通り、彼らとは会うことなく、すんだのに。 今は一人でいたい。
「何しとん」
「ツム!」
ガチャ、とドアは大袈裟な音を立てて、そこからは弟たちがのぞいていた。 目が合って、暫く、実際はほんの少しだったかもしれないが、その後に今度は治が先の侑と同じセリフを口にした。
「……何しとん」

「……別に、何も」
絞り出せた言葉はそれだけだ。 何もないというには、かなり無理があったが双子はそれ以上つっこんでくることはしなかった。
「夕飯、食べに行くわ」
ここまできたら意地みたいなものだったが、さっさと食べてやろうと思った。 弟たちは申し訳ないとでも思っているのか口数は少ない。 乱雑に目元を拭って、弟たちに倣い、リビングへと向かう。既にそこには食事の準備が済んでいた。 母は私の様子に気付いているだろうに、深くは聞いてこなかったので助かった。正直、何があったの?なんて聞かれれば、説明もできずにまた泣いてしまうだろうと思ったから。
「珍しいなぁ、3人揃うなんて」
母はそれだけ言ってバラエティ番組を見ながら黙々と食べている。 いつだったか、朝の食事を見た時とは比べ物にならない夜の食事量だ。 自分だって女子の中じゃ食べてる方だろうに、男子とは恐ろしい。 「ごちそうさま」 早々に食事を終えて部屋に戻る。 ふぅ、と一息吐いていれば、コンコン、とノック音がした。無遠慮に開いた扉から双子の片割れがあらわれた。 「何?」
「ほんまは何があったんかな、思て。名前がそないなるの、久々やで」
なんでアンタがそれを聞くの、とか、最近アンタとは顔も合わせてないじゃん、とか色々言う事があった筈なのに。 代わりに出てきたのはさっきまで流れていた涙だけ。
「あ、あんたに、何が……わかるん?」
しゃくり上げながら言った言葉は伝わったかどうかも怪しい。 自分のせいで私が泣き出したって言うのに、ひどく狼狽えてドアの側から、私の方へぎこちなくやって来た。それにも何となくムカついて余計感情が溢れ出していく。
「……何しとん」
「サム、」
いつの間にかもう1人の弟も部屋に戻ろうとしていたようで、私たちの異変に気付いたのか、ドアから様子を伺っている。ドアも開け放たれているのだから、当然と言えば当然だ。 治は後ろ手にドアを閉めると同じように私の側に来ると保冷剤と薄いタオルを差し出した。随分と用意が良い。先ほど私が泣き出してしまった要因に自分たちが絡んだことを申し訳なく思っていたのかもしれない。
「こすんなや」
「……わかっとる」
相変わらずぽたぽたと流しっぱなしで、治から物を受け取った。
「で、ツムは何言うたん」
「何があったか聞いただけやで」
そのまま双子は言い争いしていたけど、正直やるなら自室でやってほしい。 その旨を伝えれば私の事情を聞かないと、と言われたのでもうやけくそになって、言ってやった。
「別れた、フラれたん。それだけ」
それからも怒涛の勢いで筋を話した。怒鳴った、という方が正しいかもしれない。 言い終わってから、はぁ、と息を吐いて、顔を見上げた。双子は揃って私の方を見てから平然と言ってのけた。 「それは彼氏ポンコツやな」 「ないわ」 「むしろ名前なんで付き合うてたん?」 「別れて正解とちゃう」 どうやら私の好き、だった人、がボロクソ言われている。電話口で話した友達と似たような反応だ。彼らの方が数倍過激だけど。 不思議なことに全く怒りは湧いてこなかった。 口をついて出たのは笑いだ。 「ふ、っあははは!……せやなぁ、」 ひとしきり笑って、弟も笑ってた。 大したこと、されてないのに、救われた気分だった。 どうやら今日は最低な1日で終わらないらしい。 明日を清々しく迎えられることができそうだった。