姉弟の関係なんて


朝起きてしまえば、そこからいつも通りの日々だった。彼氏と連絡を取らなくなって、会わなくなったこと以外は。彼と会わなくなったことで更に暇を持て余すようになったのでバイトのシフトを増やしてみたりした。働きすぎだとバイト先の人や友達に諌められたから、すぐに元に戻したけれど。友達はその様子を気遣って遊びにより誘ってくれるようになった。彼氏との予定もあるんだから無理はしないでと伝えておいた。何となく気分が落ちている私に新しい恋を勧めるのもどうかと思ったのか知人や友人を紹介されることはなかった。友達が彼氏と遊んでいるといよいよ暇になって、家によくいるようになった。元々料理は嫌いではなかったけれど必要以上にやってこなかった。それがどうだろう、余りにも暇で母を進んで手伝ったり、お菓子を作ったりした。秋が過ぎて傷も癒えた頃にはすっかり料理上手になっていたのは収穫だった。学校はそろそろ文化祭の時期だった。私は友達から、元カレが新しい彼女と付き合っていたことを知った。時期的にも私と別れてすぐ付き合ったのだろう。だがもうどうでも良かった。私に関わってほしくなかった。関わってこなければ何も言わなかったのに。
「久しぶり、名前」
「…は?何で来たん?」
「ここの文化祭、クオリティ高いじゃん。俺の知り合いも多いし、元々来る予定だったし」
「……あ、そう。ほな楽しんで」
何を思ったか元彼は当然のように私の学校の文化祭にやってきて、私のクラスのブースにもやってきた。新しい彼女を連れて。
「この子が元カノ?」
「うん」
「ふーん…」
じろじろと上から下まで品定めされるような視線がうざったい。ひとしきりみてから、はっ、と鼻で笑ってきた。その化粧で固めた顔面を張り倒してやろうかと思った。化けの皮を剥いだら大したことなさそうな女のくせに。
「宮ツインズのお姉さんって聞いたけど。お姉さんは普通なんやあ」
私は、本当に耐えられなかった。ここに来て、まだ、弟たちを引き合いに出すのか。彼女は彼と同じ学校だから、稲荷崎なのだろう。弟たちをよく知っているのかもしれない。何とか怒りを抑えるために拳を握り締め、笑みを浮かべた。
「随分と失礼な人やな。女の趣味変わったん?」
心の中でこのカップルに中指を立てておいた。
「はあ?!ちょっと…!」
「なんや、おるやん名前」
「ほんまや。オカン目悪いんとちゃう」
最悪というべきか、最高というべきか、絶妙なタイミングで弟二人がやってきた。今日の学園祭は家族も来ると聞いていたから、来たこと自体には驚いていない。ただ予定より早い時間帯と、今の状況から少し驚いたのだ。
「、そりゃあこの時間ならおるやろ。教えたやん」
「オカンがいなかった言うから覗きに来たん」
「え?何でやろ、たまたま外してたんかな」
「ま、ええわ。で?アンタらは?」
侑が上から二人を見下ろした。一応あんたら先輩やで、と教えようとして黙った。敬うほどの先輩でもない。
「侑くんと治くんやん!私ら稲荷崎の三年やねん。知らん?」
「知らんわ」
即答されて彼女は怯んだようだった。どうやら彼女は弟たちを好ましく思っていたらしい。その時、嫌な想像が私の頭を駆け巡った。まさかとは思うが、この女、私が彼らの姉だと知っていて、彼らと近しい私が気に入らなくて。そしてこの元カレと付き合いだしたとしたら。サアッと青褪めた。治がちら、と私の血の気の引いた顔を見て、ぎょっとしたようだった。侑と二人が冷ややかな空気の中会話しているところから一歩引いて、小声で私に尋ねた。
「…どないした」
「何でも…ないねん」
「何でもないことないやろ。アイツ元彼やん。どの面下げてここまで来とんねん」
侑はどうか知らないが、治はしっかり彼の顔を覚えていたらしい。

「もうええねん、どうでも」


 気まずくなったのか気付けば二人はいなくなっていて、その後一日を通して再びやってくることはなかった。私が友達と他のクラスに行ったときも幸か不幸か、見かけることはなかった。あの後、双子は父と母と共に私たちのクラスへやって来た。「おもろいなぁ」と両親は口にした。双子も憎まれ口を叩きながらも満足していたようだった。だが、彼らからすれば他校で私の元彼であり学校の先輩たちに悪態をついたからか、どこか罰の悪そうな顔をしていた。
 文化祭明けの登校日、私は同級生から耳を疑うような話を聞いた。
「名前!名前!宮ツインズがあんたの元彼と揉めたって本当なん?」
「……は?」
「あの双子目立つやろ。噂になってんで」
「ちょっとブース前で揉めたくらいで…?」
「ちゃうちゃう!そんなんやなくて、あの廊下ら辺で胸ぐら掴んだ喧嘩やとか言うてたで」
「……噂に尾鰭がついたんちゃう。聞いてへんでそんなん」
「ホンマやって!」
俄かに信じがたくて他の友達にも聞いてみたが、みんな同じような反応をする。私が詳しく事情を聞こうとすると、友達があんたに傷付いて欲しくない、と前置きをするから、気にしないから言ってくれと頼んだ。そして漸く折れてくれた。
「名前の元彼の新しい彼女、侑くんに相手されなくて名前を逆恨みしたらしいねん。なんや姉弟で出かけたのを見かけたらしいんやけど。それで元彼奪って自分を見て欲しかったんやって。それを侑くんと治くんに伝えてしもて…」
彼女は多分もうちょっと上手くやっただろう。直接私を見てとは言わず、あんたらの姉の元彼も私に落ちたんやで、と見せつけたのかもしれない。私たちの仲がそこまで良くないことを元彼から聞いて、私の悪口を言えば彼らから同意が得られると思ったのかもしれなかった。だが本当の彼女の気持ちがどうだったかは知らないし、知る由もない。ただ彼女は私たちに多大な不快感をもたらした。それだけは確かだ。
「それで二人がキレて喧嘩になったんやって。元彼は乗り換えた後ろめたさでもあったんか素直に謝ったんやけど、彼女が、その食い下がったんやって」
「……」
想像に難しくない。
「それでブチギレて、二人をすぐ学校から追い出したって。そこまでしか皆んな知らんみたいやけど」
「それ…確かなん?」
「間違いない。証人がぎょうさんおんで」
私は全然問題なかった。怒っていない。そもそも巻き込まれたのは弟たちだ。いや、私なのかもしれないが。悪いのはあの女であると、もう私は正しく判断できていた。弟が優秀だから、私は普通だから、だからどうって話じゃない。弟のせいで、と思うべきじゃない。そう分かっていた。寧ろ弟は、大丈夫なのだろうか。他校で、自校の先輩と問題を起こして。
「分かった。ほな帰ったら確認するわ」
「おん。…あんま無理せんといてな」
友達は最後まで私を心配していた。私は大丈夫だった。

家に帰ると、二人はもう家にいた。部活はどうしたのだろう、と嫌な予感がした。
「…ただいま」
母は仕事でまだいなかった。
「おん」
そして案の定弟二人が帰宅していた。
「…部活は?」
「…今日休みやねん」
絶対に嘘だと思った。
「先輩に手ェだしたんやって?問題にならなかったん」
単刀直入に指摘してやると二人は何で知ってるん?!と言わんばかりの表情をした。ポーカーフェイスという言葉を知らないのだろうか。というか、その図体と目立つ容姿で、なぜバレないと思ったのだろうか。
「いやバレるやろ…」
呆れてそれしか言えなかった。
「殴ってないで」
「あほ、当たり前や。殴ってたら退部やろ」
不服そうに部分を否定してきたので速攻返してやった。阿保だと思った。
「何でやったん。ファンに絡まれたり、面倒ごと起こされるん、いつものことやろ」
いつものようにスルーするか、先輩に任せるなり何なりすれば良かったんだと言外に伝える。彼らは決まり悪そうにした。治がソファーの背もたれから体を起こして前屈みとなり、少し姿勢を正してから言った。
「…名前を巻き込んでしもうた」
侑は体を半身捻って、私から視線を外した。
「……俺らのせいやって」
「ほんで更に面倒起こした」
「ごめん」「ほんまごめん」
彼らなりに誠意を表した、精一杯の謝罪だった。カッとなってしまったのだと。そう言った。私たちは思春期で互いに素直でなかったどころか、互いに攻撃していた。自分の身を守るために。それが如何に愚かで幼いことであったか分かった時には、もう溝は簡単に修復できないほど深まっていて。それが最近漸く、橋が渡され修復されていたのに、こんな形で壊れるようなことがあってはならないと思ったのかもしれない。不本意だったと言った。私を傷付けるつもりはなかったと。彼氏は気に入らなかったが別れて欲しいわけではなかったと。だが直ぐにあのクソブタに誘惑されて付き合ったんだから碌な男じゃなかったから別れて正解だったとも。後半はもう謝りたいのか自分たちを正当化したいのか分からないような主張だったが、よく分かった。別に彼らは昔から私を傷つけたいわけじゃなかったこと。本当は昔から知っていた。そしてきっと今回もそうだろうと。
「おん。まァほんま、別れて良かったな」
私はもう彼らの才能を羨まなかった。それだけ夢中になれることがあることが、どんなに素敵なことが分かってきたから。
「気にせんでええよ。退部にならんようにだけ気をつけ。先生に言われたら呼び出してくれてええからな、あのクソなカップルの悪行全部明かしてやるわ」
私は心から笑った。弟たちが被害を被るくらいなら、本当にそうしてやりたかった。二人は私の言葉に笑っていた。やっぱり殴っときゃ良かったとかアホなことを言っていたが、今度は止めなかった。「そやな!」本当にやって欲しいわけじゃないし、彼らもやらないだろう。それをよく分かっていたから。


 冷戦状態だった弟たちと和解してから、彼らと買い物に出ることが増えた。二人が荷物持ちとしてとても優秀なことに気付いたからだ。スーパーはもちろん、家族で行くショッピングモールやアウトレットのような商業施設でも、彼らのうちどちらかになるべく着いてきてもらうようになった。気軽に頼れるようになったのだと思う。二人ともなんだかんだで荷物持ちを承諾してくれるので私はどんどん躊躇がなくなっていった。それは、私が高校を卒業し、大学へ進学してからも続いた。大学へ進むと私が宮兄弟の姉だと知っている人は少なくなった。宮という名字は多いわけではないがものすごく珍しくもない。顔も何となくは似ているが、バレーもしていなければ、化粧をして女性的な私からは連想されにくいのだろう。指摘されることもほとんどなかった。家族が私の家を訪れることがあった。そのときは家族でその近辺を散策し、買い物をした。私の家は大学近くであったから、大学の知り合いに会うことも必然と言えた。
「あれ、名前」
「やっほ」
「隣は彼氏、やないか、兄弟?」
以前なら何と答えただろうか。「違う」?「弟なんていない」?そこまで酷いことは言わなかったかな。だが過去のことはもう良いんだ。今の私の返事は違っているから。
「おん、双子の弟」
私は二人に腕を回す。

「カッコええやろ?」
侑と治は、私の自慢の弟たちだ。